天気晴朗ニシテ波静カナリ、祭バカ炸裂!
2010年 04月 11日
スッコーンと抜けた青空の下、絶好の祭日和。
四の五の説明はせん。
以下、写真で年に一度の男たちの熱い戦いを堪能してくんない!
祭の朝
旭日に翻る日章旗と寺町の旗。
禊ぎ会場の浜の降り口に立っている。昔は野球が出来る位に広かった浜が、港に防波堤を作ってからは年々砂浜が狭くなっていき、今では石ころばかりになってしまった。
禊ぎ
役員挨拶の後、男たちは雄叫びを上げて海に入る。
北アルプスの凍るような雪解け水で身を引き締め娑婆っ気を絶つ。これで本気モード全開だ。
盛大な焚火が焚かれ、お神酒を頂いて決意を固める。
天津神社拝殿
珍しい茅葺屋根の神社
神輿の担ぎ手達が次々と参拝していく。今年も息災で祭に出る事が出来した。有難うございます。怪我の無いように、ええ祭ができますように、と皆の願いはひとつ。
出番を待つ二基の神輿
けんか神輿の後に奉納される舞楽の舞台に鎮座する二基の神輿。
狩衣の男たちは笛、太鼓、ほら貝の楽士。
お練り
稚児の巡行。神の依り代である稚児は汚してはいけない為に、お練りの間は稚児抱きによって肩車され地面に触れさせない。稚児抱きは長時間じっと我慢の相当きつい役。戦いの序曲は雅で静かだ。
けんか祭開始!
稚児が舞楽台に乗った刹那、怒号と共に神輿が走り出して戦いの火蓋が切られる。
緑の装束が寺町の手引き。お互いの手を晒で繋いで全身全霊をかけてゴンゴンと神輿を引張る。
激突する神輿
向こうが一の神輿の押上。手前が二の神輿の寺町。真っ向勝負の相撲を取る。神輿がきしみ壊れていく。男たちの骨もきしみ装束が破れていく。どっちも負けんなやー、と観客も一緒にエキサイトする。
しばしの休息
喧嘩をひとしきりした後、一の神輿が走って戦列を離脱。互いに距離が取れると僅かな休息が取れる。
水を飲み、梅干を頬張り乾きと疲れを癒す。乱れた装束を調えるのもこの時だ。赤い装束は押上の手引き。
子供の頃は赤は女色、押上のヤンドモ(野郎共)は男の癖に赤を着とる!とバカにしていた。
押上の赤は悪の色、寺町の緑は正義の色。だってガメラの血の色は緑だモン!って思っていた。俺って可愛かったんだな、と今になって思うが、当時は本気にそう思っていたので、いまだに赤の服が着られないでいる。三つ子の魂百までもだ。
互いに一歩も譲らない勝負が走って離れ、ぶつけては走って離れと八回前後繰り返される。
けんかの回数は疲労具合を見て両町会の運営委員で協議して決定する。男たちは限界まで全精力を絞り出す。みんな本気だ。
歓喜!
祭の最後はお走りで競争だ。砂埃を巻き上げ、最後の力を振り絞って全力疾走する。勝敗は関係ない。いかに自分は誠実に全力を尽くしたか?バカになりきったかが問われる。神輿を拝殿に収めると男たちは我勝ちに自分たちの桟敷に駆け戻り勝鬨を挙げる。感極まって泣き崩れるモンもおる。歓喜!歓喜!歓喜!文字通り我を忘れて神と一つになる。寺町万歳!押上よう頑張った!
稚児の舞い
動のけんか祭の後は静の稚児の舞いで締めくくられる。
全十二曲の舞楽は国指定民俗重要無形文化財だ。室町時代に糸魚川に入ってきた大阪四天王寺の流れを汲む白山修験の影響である。
戦い終わって
名誉の負傷。眉間の向こう傷は男の勲章。笑顔が爽やか。真っ向勝負をやり遂げた男の顔だ。
若者を労う組ませ
組ませはぶつかる神輿の最前線で両町会の神輿を組ませる危険な仕事。青法被とも呼ばれ、経験豊富で信頼のおける切込み隊長だ。根性と度胸、人望がないと勤まらない。戦いの後はベテランが若者を労い、長老がベテランを労う姿がいたる処で見られる。祭バカは皆、熱血漢で情に厚く涙もろい。
じょうば!
糸魚川では獅子は「じょうば」といって、獅子舞はせずに子供の頭を齧って歩く。頭を噛まれると頭が良うなる、と親達はこぞってじょうばに頼むが、子供はいい迷惑。多くは泣き叫んで逃げ惑う。じょうばに噛まれて頭が良うなるんなら、糸魚川のモンは天才ばっかになってる筈だけんどもねえ。
お願いします!
男の子だから怖くないね!と母親に連れられて5歳の少年がじょうばの処に連れられて来た。複雑そうな表情が可愛らしい。
女性は尻を噛まれると安産になる。ええ子供できるわんぞう!と女子高校生専門に追い掛け回す奴もいる。時にはスカートめくりまでする奴もいるが、追われるほうも見ている人達も皆笑っている。セクハラなんか問題にせんのだ。おい、じょうば!あっちにええケツの女おるぞ!とけしかけたり。日本の神話に出てくる世界がまだ残っている。おおらかなのだ。
名残の桜
明けて本日四月十一日は雨のシトシト降る寒い一日だった。
人と縁日屋台でごった返していた参道もひっそりしている。
こうして熱かった祭が静かに終わっていく。つわものどもの夢の跡だ。
祭を終えてストレス解消になったから明日から元気に働けるでしょう?と聞く人がいる。そう考えるのは本物の祭を知らない人だ。昨今の形骸化して観光目的のイベント化した祭しか知らない人だろう。
年に一度の待ちに待った祭を終えると、少なくても一週間はボーとした時期がある。欲も得も無い真っ白けの状態になる。ちょうど最終回の「明日のジョー」みたいに。
余剰エネルギーなど消耗しきって真っ白になって燃え尽きているからである。
こうして人生をリセットしてゼロからまた自分を創り直す。そしてまた来年全部ぶっ壊すのだ。
一度死んで、また生まれて育っていく様は、縄文土器に施文された螺旋文様そのままに感じる。
縄文人の世界観はその様であったと思うし、縄文土器に投影されたその世界観は始めも終わりも無く、ひたすら回転しながら進み続ける未来永劫のイノチを現しているのではないか?と思う。「宇宙の構造は螺旋にある」とは、日本の地球物理学者の草分けである寺田寅彦が最晩年に残した言葉だ。寺田も同じ事を実感していたのではないだろうか。
祭も然り。
祭をしていると先祖達の経験や熱い想いが俺たちに入って来るのを感じる。そして何故だか胸が熱くなる。
いつかどこかの誰かサンの熱い想いを継承して、俺たちもまたいつかどこかの誰かサンになっていくのだろう。