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21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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メトロに乗って浅草へ!・・・ブログタイトル変更のお知らせ

なんだかこのブログは友人関係と、整体関係者ばかりにしか見られてないみたいなので、地元の糸魚川の人のネットワークを増やす為に、タイトルを「縄文人(見習い)の糸魚川発!」と変更することにしましたので関係各方面の皆様、今後ともに宜しくお付合いの程お願いします。

さて、今日は浅草の三社祭りの二日目である。
地元の人はサンジャマツリとはあまり言わず、サンジャサマとかサンジャと呼んでいる。

お神輿が出るのは土曜日からなので、あまり知られていないが本当の三社祭りの初日は土曜日ではなく金曜日である。
男装の芸者集が練り歩き「手古舞い」なんかするらしいが、平日なので俺はまだ見ていない。
二日目が土曜日で、浅草四十四ケ町とその他あわせて二百基近い町内神輿が浅草寺に集結する連合渡御がある。

浅草寺も地元の年配者は、カンノンサマと呼ぶ事が多い。
今日は浅草も天気が良かっただろうから、観音様の境内も二百基の神輿が立てる砂埃が物凄かったのではないかと思う。
そして夜のクライマックスである宵宮(浅草式の発音はヨミヤ)だ。
西浅草地区の場合は、提灯で飾られた町内神輿を各町会神輿庫から国際通りのビューホテル目指して集結して来て、ホテルの玄関前で天地を引っ繰り返した様な大騒ぎとなる。
今頃は神酒所(ミキショ・・・各町会毎の休憩所)で道路のアスファルトにどっかり座って、皆で楽しく飲んでいることだろう。
チクショウ、俺も行きてぇ~!

3日目は各町会選抜メンバーが午前三時に集まって浅草神社に行って、午前6時まで待機してから最大のクライマックスである宮出が始まる。

10年ほど前までは宮出も混沌としていたので、神輿を担ぐ担がせないの乱闘騒ぎがザラで、地元氏子より圧倒多数の地方からやって来た神輿同好会や、地元の暴力団が幅を利かせていたので、20人程度の選抜メンバーといえども地元氏子は神輿に近づくことさえ出来なかった。
迂闊に神輿に近づくと袋叩きにされてしまうのだけど、もっとも近づこうにも物凄い人波で、個人の意思では思うようには動けないので近づけないのである。
15年位前には神輿に乗っていた暴力団関係者が引き摺り降ろされて、ドサクサに紛れて殺されてしまった事もある。
宮出で神輿を担ぐのも命掛けだったのだ。
この時は、俺たちもモミクチャで自由に身動き出来ない状態で、遠くの神輿からボコッ、ドスッという鈍い音がするのを聞いていた。

現在は地元氏子がまず浅草神社から宮出をして観音様の前まで担いで、そこからは神輿同好会などの団体さんに交代する、という取決めになったので、俺もここ数年はナンチャッテ氏子として地元の人に混じって宮出で神輿を担いでいた。
そして本社神輿の町内巡行と夜の宮入で三社が終わる。
祭りの間は神輿、酒、メシ、僅かな仮眠の4ツのサイクルだけとなる。

よく何故で俺が、本来は地元氏子しか参加できない三社祭りの宮出や宮入に参加出来ているのか?と質問されるのだけど、長年のダチであるシンタローのお陰であるからだ。
シンタローの実家は西浅草にあるモンジャ屋である。

奴とは20年前に、ネパール国境からヒマラヤ登山のベース基地であるポカラまでのローカルバスで偶然に乗り合わせた縁で、それから親戚付合いみたいになっている。
シンタローは柴崎西町会の青年部の顔役で、顔が利くのだ。

モンジャ屋は文字家(モンジヤ)という名前で、ルルブやピアなどの下町特集によく取材されている店で、シンタローのお袋さんが切り盛りしている。
場所はビューホテルの裏手の路地にある。
フーテンの寅さんに出てくるような下町情緒溢れる店である。

誰かを文字家に連れて行くと、おばさんは「ようこそお越し下さいました。文字家の女将でございます。いつも息子(俺の事)が、お世話になっております!」とちゃんと三つ指を付いて、丁寧だけども愛想好く、親しみのある挨拶をしてくれる。
ちゃんと男を立てるツボを心得ているのだ。こんな挨拶がさり気なく出来てしまうところが心憎い。

おばさんは、地元のヤクザにも顔が利く。
肩で風を切るヤクザといえども、おばさんとは子供の頃から顔見知りで、面倒見が良いから誰からもイチモク置かれているのだ。
ある事で警察と一触即発状態のヤクザを一喝して、謝らせて事無きを得た事もある。
「どっちが料理ショー」に、広島風お好み屋さんと対決して欲しいとオファーがあった時に、「テレビなんか出ちゃったら、イチゲンサンばかり押し寄せて来て地元の常連さんが入れなくなるし、恥ずかしいから断った」という気骨と奥ゆかしさを持ち、そして正しく下町の人特有の照れ屋さんでもある。

おばさんのハンドバックには、いつも文字家と書いてあるポチ袋・・・ご祝儀を入れるお年玉袋みたいな小さな封筒・・・が入っている。何かお礼や心付けをしたい時にすぐにご祝儀を渡せる心遣いである。
物事の道理をわきまえ、人情に通じ、あったかくて、日常の振る舞いが粋で、肝っ玉の据わった、絵に描いたような浅草の女将さんである。
おばさん、長生きして下さいよぅ!
台東区役所の人、古き良き浅草の伝統を保持する人として、おばさんを重要無形文化財保持者として都に申請しなきゃ。目指せ、いつか国宝!

日本酒が好きなおばさんに「おばさん、美味い新潟の地酒を見つけたから、今度持って来るね。」と言ったら、「今度とオバケは出たためしが無いよ!」と間髪を入れずに返すあたり、落語に出てくるセリフのリズムやテンポは、昔の下町っ子の日常会話そのままだったんだなあ、と得心がいく。

以下はある日の俺とおばさんの会話。
「母ちゃんさ、下町生まれの下町育ちだからさ、ヒとシの区別が出来ないんだよ。だからさ、コーヒーがコーシー、飛行機がシコーキになっちゃうんだよぅ。」
「本当に言えないの?」
「本当に言えないんだよぅ。」
「言おうと思ってもどうしても言っちゃうの?」
「言おうと思ってもどうしてもどうしても言っちゃうんだよぅ。」
「でもさ、おばさん、さっきコーヒーがコーシー、飛行機がシコーキって、ちゃんと使い分けて喋ってたよね?」
「うるさいよ、お前は!」と頭をこずかれた。

こんな会話が日常的になされているのが、文字家さん一家だ。

でも面白いのは、文字家さんだけでは無い。
シンタローの家の近所に寿湯という銭湯が10年位前まであった。
寿湯の周辺は、昭和30年代までは噺家さん(落語家)や、浅草を舞台とするコメディアンが大勢住んでいて、よく利用した銭湯だったことから、ディープな演芸ファンには名前を知られた銭湯である。渥美清や荻本欽一、ビートたけしも浅草で芸を磨いた芸人さんだ。

落語好きで銭湯好きな俺は、シンタローの家に泊まる時はよく寿湯に行っていたのだが、ある時にシンタローに一緒に行かねえか?と誘ったら、嫌だと言う。
行くと知らないオジサンから「あんたMさんとこの息子さんだろ?おじさんはあんたのお父さん(故人)と友達だから背中を流してあげるよ。」と見ず知らずのオジサンと背中の流しっこをする事になるからだそうである。
面白いじゃないか!と嬉しくなる。

よく東京は寄集めで人情が薄い、なんて言う人がいるが、そんな人は浅草に来て馴染の店や友達を作ってみて欲しい。

文字家さんの最寄の駅は銀座線の田原町駅だ。
よく浅草演芸ホールを引けた噺家さんも乗って来る。
駅の階段を上がるとヤキソバの匂い。この匂いで浅草に来たんだぁ、といつも実感する。
浅草寺の五重塔の裏手には、朝7時から夕方4時までやっている「観音温泉」もある。入浴料金700円はちょっと高いけど、朝早くからやっていて、いつもガラガラなのが有難い。
金髪の人魚のタイル絵と、塩素消毒の臭いが、なんともレトロでバタ臭くて、下町情緒をそそる。
観音温泉で温まったら、歩いて5分の浅草演芸ホールでノンビリと落語三昧だ。
朝11時40分から夕方4時30分までが昼席。夕方4時40分から夜9時までが夜席。
いつ入っても出ても入場料2500円で、昼夜入替え無しで落語や漫才が堪能できる。
昼飯は文字家さんの近所の喫茶店ピーターのカレーか、富士の大海老天丼が美味い。
越後屋の稲荷ずしを買って、浅草演芸ホールで落語を聴きながらパクつくのも捨て難い。
晩飯は夕方5時から夜11時までやっている文字家さんで決まりだ。(混む事が多いので、予約をお忘れなく!)
これが俺の一日江戸っ子ごっこの定番コースである。

浅草の何が面白いって?
そりゃ、人だ。

去年の三社の直前に、シンタローの親父さんが急逝した。
喧嘩っ早くて頑固だけど、優しくて料理が上手、スポーツ万能で東京オリンピックの時には陸上の強化選手に選抜され、晩年は台東区の空手協会の理事。物知りで面倒見の良い人情家。
着物も似合うし、背広はイタリア製。帽子をいくつも持っているオシャレな親父さんだった。

親父さんが無くなって以来、浅草の風景の一部が欠けてしまったようだ。
浅草の風景は人の風景。人との出逢いが作った景色だ。
人間臭くて、あったかい街。それが浅草。六本木ヒルズ、副都心ビル群あっち行け、シッシッ!
皆さん、「メトロに乗って浅草へ」・・・上々颱風の名曲です・・・遊びにお出で!
by jhomonjin | 2010-05-16 00:20 | 祭り