21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

草や虫を敵としない・・・自然農法では雑草は味方!

土からにょきりと突き出た、斑模様の茶色の得体の知れない植物を見て、これが何であるのかを即答出来る人は、滅多にいないだろう。
形状はタケノコに似ているが、色と模様だけ見ると爬虫類か両生類を思わせる。
正体はコンニャク芋の茎である。
f0225473_1795724.jpg
コンニャク芋の茎
もう少しで茎の先端が開いて葉っぱが広がる。
収穫は秋で、コンニャクは根っ子の芋の部分を擦り下ろして作る。
手前が大豆で、右側奥が稲苗。稲も扇型に開いて成長してきた。
稲苗を畑に定植した時は、周りの人からすぐ枯れる、と言われていたが、物は試してみるもんだ。

コンニャク芋を植えると最初は赤い芽が出て、やがてくすんだ茶色の皮に覆われ、すくすくと伸びて茎になる。
この茎が40センチ前後にまで成長すると、先端が割れて緑色の葉が開いてくるのだ。
なんだかエイリアンの誕生みたいで、このコンニャク芋からプルプルしたコンニャクが出来るとは、ちょっと信じ難い。
俺も初めてのコンニャク芋栽培なので、次にどんな展開になるのかは未知であるが、刻々と変化し続ける姿に驚きの連続だ。

同じ畝に植えたコンニャク芋とコンニャク芋の株間には、大豆を植えた。
枝豆が好物だし、豆科の植物は大気中の窒素を土壌に取込んで固定してくれるので、栽培植物の周りや間に植えると、土壌が豊かになり栽培植物の成長に貢献してくれている。
農薬や肥料を使用しない自然農法では、大豆は一石二鳥の大活躍だ。
植物自体が肥料分になってくれるので、この様な植物を緑肥と呼ぶ。
緑肥にも色々あるが、豆科ではクローバー、蓮華なども知られており、他にも麦類も米の収穫が終わった端境期の田んぼに生やしておくと、他の雑草が生える余地が無くなる抑草効果もある。
蓮華の場合は、春先に赤紫の小さな花が咲いて綺麗だし、麦類の場合は根っこが土壌に深く入る為に(種類によっては2m前後)土壌の中の硬い層である硬盤を壊し、土壌を細かく砕き柔らかくする効果がある上に、麦の収穫も出来る。

この畑は、空き地を春先に開墾した俺用の自然農法実験畑である。
他にはアマランサツ、タカ黍、モチ粟の雑穀類と、人参、大根が植えられている。
田植えで余った稲苗も畑に植えてある。水稲が畑でどれだけ生長出来るのか?
普通のコシヒカリの苗が畑で陸稲として収穫できるのか?興味が尽きない。
f0225473_17153676.jpg
アマランサス
種まきしても一月位は発芽しなかったので、諦めていたがなんとか本葉が出てくれた。
たじろぐ様な不思議な形の赤い花が咲くらしい。
収穫できたらご飯に混ぜて食いたい。

人参と大根、大豆、稲苗も畝を作らずに、雑草の合間に植えたので、知らない人が畑に入ると「あっ、そこは踏んじゃダメ!あっ、左足の右には大豆があるよ!」と俺に怒鳴られてしまう事になる。
まるで地雷原みたいで、足の踏み場に四苦八苦する人を見ては楽しんでいる。

近所の農家は、俺の畑を見て「雑草が多くて大変ですねえ」と気の毒がっているが、それでも近所からの苦情を言われない程度に除草はしてあるのだ。
本当は必要最小限の除草に留めたいのだけど、そうなると真面目な農家からみると「雑草の種が飛んできて困るし、害虫が増えて自分の畑に来るのではないか?」と心配の種になるから、エチケットとして道際などはある程度は除草する。

自然農法では地面が見える程の除草は、土壌の乾燥を招き、夏場の地温が高くなり過ぎる、として栽培植物の成長に阻害にならない程度に留めておく。
刈り取った雑草は、薄くその場に敷いておく。厚く敷いてしまうとナメクジなどの虫が繁殖して、せっかくの植物が食害を受けてしまうので、薄く敷いておく。
刈り取った雑草が沢山ある場合には、面倒でも畑の脇に除けておいて、枯れてから刈り取った場所に敷いておく。
その事で土壌に水分が保たれ、次の雑草が生えるまでの期間が長く取れる。マルチング効果だ。
また畑に栽培植物しかないと、餌を求めて来た虫の恰好の餌食となるので、雑草があるという事は虫達に多種多様な餌場を供給する事となり、結果として栽培植物の食害が最小限度に抑えられる事になる。
この多種多様な、という処が大事なのだ。
だから自然農法の畑では、少量の品種を大量に作るのではなく、多品種を少量づつ作る。
逆に一般的なプロの農家は、少品種大量生産の方が手間も掛からず儲かるとされている。
米作り専門農家はスーパーで野菜を買うし、トマト専門農家は他の野菜や米をスーパーで買っているのが現実だ。
大規模な農家ほど機械化が進んでいるので、鍬や鎌といった昔ながらの農具はほとんど使用しなくなってきている。

多品種少量生産の面白みは、前回の記事の東京の下町や、京都の町屋を歩いている時に感じる楽しさ、心の安らぎと同質である。
多様性は素晴らしい。
この事は、国家概念や一神教を持たなかったであろう、縄文時代までの日本列島人の心の在り様に通じると思うのだ。

とはいっても、俺も試行錯誤の段階なので、大きな事は言えない。
除草の時期、度合いや間隔など、まだまだ改善の余地は沢山あるし、どこを改善したら良いのかさえ、まだ解っていないレベルでしかないだろう。
整体でもよく機・度・間の事が稽古の課題になる。機とはタイミング、度とは度合い、間とは間隔の事だ。
タイミングは「今だ!」という時は既に遅いのだ。
甲野善紀先生から聞いた事だが、江戸時代の武術指南書に「今という時では既に遅い。イという間にマは過ぎ去っている。」という意味の言葉があるそうだ。
考える間もなく、絶妙のタイミングで行動に移っていないと駄目だろう。

こんな事からも、自然農法と整体の共通項を見出し、相互に高めあう事が出来るのではないかと思っている。
[PR]
by jhomonjin | 2010-07-04 11:47 | 自然農法 | Comments(0)