21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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田んぼの泥虫被害とりあえず経過・・・待つ事の気付き

梅雨入り前後から、不耕起の田んぼに泥虫が大量に発生した。
泥虫とは稲の害虫である。葉っぱに米粒から小豆大の大きさの泥の粒が付いたように見える小さな芋虫で、成虫すると小さな赤い甲虫になるらしい。
泥虫とはよく名付けたもので、ちょっと見には小粒の泥が付いているようにしか見えない見事な擬態だ。
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泥虫
泥状の粒を取って見ると、中には黒っぽい芋虫がいる。
茶色に変色した部分が食害の跡。
白い蛹になっているのもある。




俺の田んぼには一切の農薬、除草剤は使用していないので、少々の食害程度なら覚悟しているので見逃す事ができるけど、一枚の葉っぱに10匹も鈴なりになって稲の葉っぱを食い荒らしているのを見て、流石に焦った。
なかには白茶色に立ち枯れている稲もある。
それに狭い範囲に五本前後の苗を密植する慣行農法の田んぼと違って、俺の不耕起の田んぼは広い範囲に苗を二本植えしているので、いくら分結して茎の数が増えているとはいえ稲株の数が少なく、余裕が無いだけに深刻な事態と成り得ないのだ。

お袋に相談したら、梅雨初期の一時的な現象で、大雨が降ると流されるので心配ないが、気になるなら稲を箒で払えば泥虫は簡単に落ちるとの事。
残念ながら今年の新潟は、入梅しても大雨がなかなか降ってくれていない。
休日に帰宅する度に田んぼで箒を振って泥虫を落としていた。
隣りの田んぼは、除草剤や農薬を使っているので、青々とした稲に成長している。
俺の田んぼは、稲株も少ないし、泥虫の食害で稲の葉先が白っぽく変色しているので、みすぼらしく見える。
食酢や木酢液を散布する事も検討したが、泰然自若としたお袋の態度を見て、経過を待つ事にした。

どうやら俺の田んぼは、泥虫からは楽園に見えるらしく、付近の田んぼから集まって来ているらしい。
これは川口由一さんや木村秋則さんといった、自然農法の先達が辿って来た初期の苦労と、同じ経験を辿っているのだろう。その意味ではちょっと嬉しいが、複雑な心持である。
泥虫は、余剰の栄養分や、これまで使い続けて来た有機肥料や除草剤、農薬の浄化をしてくれているんだ、と観念して黙々と泥虫を払い続けた。雑草も多いのも同様と、取り続けていた。
不耕起の田んぼの除草は、鋸鎌を地面の中に鎌の刃先を入れて地際から除草するのが川口由一さん式の除草だ。こうすると根っこが残るので、暫くするとまた雑草が生えてくるが、2,3回繰り返せば雑草に勢いがなくなる、という考え。
根っこを残す事で世代交代が緩やかになり、土の中で根っこが土の養分となってくれるからだ。

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現在の田んぼ
川口さん式の不耕起の田んぼでは、除草は一度に全部行なわずに、一条毎に交互に除草するので、雑草のある条と除草した条が縦縞模様となる。
雑草があると生態系が急激に変化せずに虫達の住処となってくれるからだ。要するに稲の成長が雑草の勢いに負けなければ良いのだ。


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除草鎌
三角ホーという除草用の鎌で、最近の俺のお気に入りだ。
柄が長く腰を屈めなくてすむので楽なのだ。刃先は研いで鋭くしてあるので、地際を素早く引くだけで雑草がスパスパと切れる。条間が通常よりも広い一尺五寸(45cm)もあるから出来る技である。


不思議なのは、除草剤を使っていない田んぼをどうやって虫達は見分けているのか?という事だ。
匂いなのか?それとも五感とは違った何かなのか?
それに見るからに丈夫そうな稲には泥虫が少なく、弱々しい稲に集中している事である。

有難い事に、今週は昼間は晴天続きだったが、夜半に大雨が続いてくれた。
田んぼに行ってみると、立ち枯れた稲は別にして、大部分の白茶色に枯れかけていた稲の葉先が黄緑色に甦っている。泥虫も激減した。
正しく恵みの雨だ。
隣りの田んぼのおじさんも、ここまで回復するとはビックリした、と俺の田んぼを見て唸っていた。

整体では、身体の変調が回復する事を「治る」とは言わずに「経過した」と表現する。
風邪を引いても、癌になってもこれは変わらない。
症状を問題視せずに、症状は何かの欲求表現であって、その経過を辿り症状の後ろに隠されている何かを探る事が重要なのだ、と教わる。
「症状即療法」というのは、誰の言葉だか知らないが至言だ。
整体指導者は、その導き役だ。
これと真逆なのが、熱が出たら熱を下げる工夫をする、咳が出たら咳を止める工夫をするという考え方。これは西洋医学的な発想。
整体の師匠は、「反対を与えてはいけない。要求に応えてはいけない。病気を観るのではなく、人を観るのがプロの整体指導者である。」とよく口にする。
その事は頭では分かっているつもりだ。
でも実際の現場に立つと、すぐに反対を与えたり、要求に応えようとしてしまう自分に気付いて苛立ってしまう。
肩が痛い、腰が痛い、冷え性で困る・・・こう訴えられると、症状に反対を与える事、つまり治す方策を考えてしまうのだ。

自然農法の草分けである福岡正信は、「ほったらかしと放任は違うのだ。」と何度も著書に書いている。しかし、この違いを具体的な方法論では説明してはいない様だ。
この具体的な違いについても、頭では分かっているつもりが、実際の現場に出るとどうしていいのか分からなくなってしまう。

反対を与えない事、要求に応えない事、ほったらかしと放任の違いについて、これらの事は各自が実際の現場を通して気付いていく事なのだろう。

泥虫のお陰で、得難い経験を積んだ。
木村秋則さんは、リンゴの害虫であるハマキ虫のお陰で様々な気付きが出来た、とハマキ虫ちゃんと呼び、自身によるハマキ虫の手描きのイラストをトレードマークにしているそうだ。
木村さんに較べたら小さな経験でしかないけど、泥虫の食害を経過を経験した事で、何だか一皮剥けた気がする。
整体の師匠、自然農法の先達、俺にはこれからやろうとしている事の指針となる人達がいる。
個人としてはゼロからの出発だけども、こうした灯台役の存在は心強い。
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by jhomonjin | 2010-07-10 23:25 | 自然農法 | Comments(0)