念ずれば現ず????・・・ヌナカワ丸実現か?
2011年 10月 31日
念ずれば現じた訳だ。
うまい具合に俺が目下の処、最も熱中している縄文カヌーのほうにも、ずっと念じてた事が現じそうな気配が出てきた。
縄文カヌープロジェクトは、ここまでの流れは今年の正月に五日間かけて書いた「日本海縄文カヌープロジェクト五ヶ年計画」という企画書の通りになっている。
全長8mの縄文カヌー「ヌナカワ丸」を作る為の用材寄付の話が突然舞い込んできた。用材の前に立っているSさんが所有するご神木である。Sさんの身長は170cmあるそうだから、用材の巨大さが分かるというもんだ。
企画書では初年度に自力・自己資金で小型縄文カヌーを作って、試乗体験会や実験航海、航海訓練を重ね、賛同者を集めて青森に向けての航海を具体化する為の組織を作るという内容だが、概ね夏までには全て実現できた。
正月にたった一人でスタートしたこのプロジェクトも、現時点で会員数は26名に増えたし、試乗体験会も四回やって乗船者は二百名を越えている。
俺の書いた企画書は全17ページあるが、ガラッパチで大雑把な俺のひととなりを知る人からは「おまん(あなたの方言)が書いたとは思えん!」と何度か言われたくらい緻密・・・俺にしてはのハナシだけんど・・・な内容となっている。
ある行政サイドの人からは、ここまで綿密に計画できたんなら、きっと実現するでしょう!と激励もされた。
しかしご都合主義的な部分もかなりあるところが、俺らしいといえば実に俺らしい企画書ではある。
例えば、二年度以降はプロジェクトの主旨に意気に感じた山林所有者から、用材の提供を受けて全長8m級の大形カヌー「ヌナカワ丸」を作って40キロ程度の小航海を実行する、といった部分なんかそうだ。
都合よく全長8mで直径1mもある用材が提供して貰えるなんて甘い、という人が何人かいた。
そのクラスの杉材だったら100万~300万円位はしそうだから、企画書には邪魔になって不要な雑木で可という逃げが書いてあるのだけど、甘いというのはもっともな話だと俺も思う。
しかし徒手空拳の人間が巨大プロジェクトに挑む場合に、計算づくで理詰めの計画を立てても机上の空論ぢゃろう、というのが俺流だ。
どっかで常識を逸脱した浪漫の部分が無いと、厚い現実の壁が破れんのじゃないか?と俺は考える。
直径1m越えで全長11mもある巨大な杉材を目前にするのは初めてだ。年輪を数えたら樹齢で200年近くはあった。巨木はその存在だけで神を感じさせる。この木でヌナカワ丸が作れたらどんなに魅力的だろうか。神の木で作ったヌナカワ丸・・・ひび割れが気になるのだが・・・。
俺だけで困るのは実に困るから、誰か相談に乗ってこの重圧を分かち合ってくれい!
だから来年に備えて用材購入のために某財団の助成金の申請を終えたばかりなのだが、その直後にド-ンと願っても無い話が舞い込んできた。
検討中で決定した訳ではないので詳細は書けないけど、さる神社のご神木を寄付したいって話だ。
なんと全長11mで直径1.1mの杉材で、思い描いていた条件にぴったりだ。
実現すれば企画書通りになる。
ちょっと怖いくらいだけど、実現するにはまだ障害がかなりある。
寄付するといってきた用材は、寸法こそぴったりなのだが、伐採後二十年近く風雨に曝されていて、ひび割れがかなりあるのである。
ひび割れ対策は色々あるけど、限度を越えたひび割れだったらどうするのか?
用材を外から観察しても、実際に作ってみないとどうなるか分からないリスクがかなりある。
ご神木だから縄文以来五千年の糸魚川人の夢を乗せて八百キロ離れた青森を目指すヌナカワ丸・・・スピリット・オブ・ヌナカワ号、つまり糸魚川魂号だ・・・に相応しい魅力的な用材には違いない。
作りだしてからやっぱり駄目でした、で済む話では無い。
これは時間を掛けて考えたところで解決するという問題では無い。
「是か非か是か非か是是か非か?ここが思案のスラバヤ沖」(太平洋戦争のスラバヤ沖夜戦の時の指揮官の言葉である。小学生の時に戦記物で読んで以来、いつか使いたかったのだ・・・)だが、この波に乗るかどうかと最終的に決断するのは俺という事になる。
だがそうするのはもっと時間と判断材料が必要だ。
重圧が背中にのしかかる。
何か縁起の良い夢を観るなどの吉兆の知らせでもあれば良いのだけど・・・。