21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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カテゴリ:身体感覚・身体文化( 3 )

研修先の農場に、中学生が職場体験に来た。
中二の女子二名、男子三名の一週間に渡る体験実習である。
トマトの収穫と箱詰め、卵の集卵と汚れ落しと箱詰めなどの軽作業を主にやって貰う。
といっても一週間に渡る体験期間の内に、収穫の端境期があった。

他に中学生にも出来る作業は無いか?と聞かれたので、材木の結束を手伝って貰う事にした。
俺は現在、集団作業の合間に材木置き場の小屋をコツコツと作っているので、大量にある貫という細長い板材を四枚一組にして、縛って貰えば俺も助かるし、危険も無く簡単な作業なので中学生にはうってつけだ。

まず説明しながら実演して見せる。
「いいか、材木を四枚一組にしたら紐できっちりと二回巻いてくれ。きっちりとだぞ。それから平べったい所ではなく、角で片結びにして欲しいんだ。分かるか?角で結んだ方がきっちりと縛れるんだぞ。片結びは蝶々結びの片側だけの結びだ。片結びの方が、縛るのも解くのも蝶々結びより早いから、こういった仕事ではよく使うんだぞ。」
因みに剣道の防具や甲冑の着用方法なども、結び易さと解き易さから、片結びを多用する事も余談として教えた。

こんな説明をしながら、一人づつやらせてみた。
実演は、最初は蝶々結びをしてから、片結びに戻し、次には最初から片結びに縛るという方式で二回やってみせた。
女子は二回くらいやってみて、出来るようになった。

問題は男子だ。何と取っ掛かりとなる蝶々結びが出来ない。
「ん?蝶々結びが出来ないのか?靴紐の結び方だぞ。」と彼らの足元を見ると、一人はマジックテープ式の運動靴、一人は紐を結んでおらず、一人は蝶々結びにしてある。
運動靴を蝶々結びにしてある少年だけは、靴の縛り方と同じだという説明で何とか縛る事が出来るようになった。
後の二人に何度もやって見せるが、蝶々結びはともかく、三十分やらせても片結びが出来ない。
仕方ないので、蝶々結びでも良いぞと言ったが、実に無様な手付きで「きちりと」縛る事が出来ないので、材木の整理をして貰う事にした。

ロープワークは、自然な流れに結んでいくと、上手く出来る様になっている。
頭で考えるより、迷ったら手が自然に流れて行く方向に乗っていけば、難しい縛りや結びでも意外にも出来て仕舞うのだ。

俺が蝶々結びを覚えたのは、これからは一人で何でも出来なきゃ、と小学校の入学式前後にお袋から教えて貰った様に記憶している。
俺が中二の頃といえば、若い頃に漁師をしていた叔父に習って、もやい結び、一重継ぎ、巻き結びといった漁師が多用するロープワークを習っていた頃だ。
ちょうどその年齢は、自立心が旺盛になって、大人っぽい行為や振る舞いに憧れる年頃だ。
当時は、イザという時に頼りになる男・・・天災などで活躍して周りの人を救助出来る恰好良い大人・・・例えばサンダーバードの隊員みたいな正義の味方に憧れていたのだ。

蝶々結びの出来なかった少年達は自立心を育てる機会に恵まれなかったのではないか?
ずばり、それは親の責任だと思う。
彼らの親は、彼らの自立心の芽を摘んでばかりいたのだろう。
中二になっても蝶々結びが出来ないという事は、器用や不器用という手先の問題以前に、自立心の未発達があるように思う。
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涼風献上!
今週のサービスショットはカンボジアのフルチン少年。
結構流れの早い川に歓声を上げながら、飛込んでは流されて、と何度も繰り返していた。
河に立入禁止の看板も無ければ、危険なので柵をしろというクレームとは無縁な世界。
こんな少年も日本では絶滅危惧種だねえ。


話し変わるが、薪ストーブが自宅にある友人から聞いた話である。
友人宅に、都会から知人の家族連れが遊びに来た時の事。
友人は畑に野菜を採りに行く間に、家族連れのご主人に薪ストーブの着火を頼んだそうだ。
三十分して戻ってみたら、徳用の大箱サイズのマッチを空になるまで使っても、薪ストーブに着火出来ていなかったそうだ。
ストーブの前には、新聞紙、小枝、ダケカンバの樹皮といった着火材はちゃんと用意してあった。
三十分かけても着火出来なかった気の毒なお父さんは、マッチを擦ってから直接に太い薪に着火させようとし続けたらしい。
焚火に慣れていないから、が問題ではなくて知恵が無いのだろう。
なぜ何の工夫もせずに同じ失敗を繰り返し続けてしまうのか?
これなどは、笑うに笑えない話だ。

この事も、自立心の未発達があると思う。
子供の頃に好奇心の赴くまま様々な体験をしていれば、自ら工夫するという知恵も自然に生まれるだろうが、子供が体験すべき事を親が全て代りにやってしまって来たから、自分で工夫するという感覚経験が育たなかったのだろう。

中学生達は、帰り際に作業を続ける俺の所まで来て「有難うございましたぁ~。役に立てなくてゴメンナサ~イ!」とペコリと何度もお辞儀をして帰っていった。素直で可愛い奴らだ。
俺も大声で「おう、有難うよう!気にすんなよう~、助かったよう。また遊びに来いよう。ガンバレ男子ッ~!」と返した。
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by jhomonjin | 2010-06-27 00:44 | 身体感覚・身体文化 | Comments(0)
ちょっと前に俺の身体はあと一週間程度で入梅するぞ、「気分はもう夏!」だと書いたが、このところ新潟は再び湿気が少なくなってきて、また煙草が美味くなってきた。
気象予報が外れても、毎年季節の移ろいが一様ではないところが面白い・・・整体関係者は何でも都合よく解釈する伝統がある・・・。

気象や季節、時間、季節や地球そのもの等に対して、身体感覚が連動している面白い事例がある。

最初は八丈島の和太鼓名人のじいさんの事例だ。

身体教育研究所の鎌倉稽古場では、毎年春と夏に整体の稽古の一環として和太鼓の稽古会をしている。
和太鼓の講師は、自由の森学園のM先生だ。
M先生は、学園の授業で教える関係上、日本各地の和太鼓や伝統芸能などを習っている。
この和太鼓名人のじいさんはの事は、M先生が八丈島に太鼓を習いにいった時の話しで、俺は直接はじいさんに会ってはいない。
M先生はじいさんに和太鼓の教えを請う為に、晩御飯の後にじいさんの自宅に訪ねて行くと、じいさんは既に寝てしまった、という事が何度かあって、中々じいさんには会えなかったらしい。
いくらじいさんが高齢とはいえ、かなり早い時間に寝てしまうので、今度は昼間に訪ねていったそうだ。
そこで「おじいちゃん、夜は何時くらいに寝ているの?」と聞いた時の答えが振るっている。
じいさん曰く「そうさなあ、ヨモギの寝る頃だなあ。」

素晴らしいではないか。じいさんの時間の尺度は、物理的な時間ではなく植物時間だ。
9時のサイレンが鳴ったらとか、水戸黄門を観てから寝る、という誰でも分かる客観的な時間の目安の世界に生きていないのだ。
それなら朝起きるのはどんな時なのだろうか?
鶏が起きる頃、では詰らない。それでは当り前過ぎる。朝顔が欠伸した時とかか?と想像するだけで愉しい。
第一、ヨモギが寝る時という身体感覚とはどんなものなのか?
こればかりは、じいさんと寝起きを共にして、同じ時と場を共有しないと分からない。

次の事例は、時間ではなく方向感覚だ。

羅針盤などの近代航海機具を一切使用せずに外洋を航海する人々が今もいる。
南太平洋のミクロネシアにあるサタワル諸島の男達だ。

一般的に遠洋航海には、羅針盤と海図は最低限必要だ。これらでおおまかな方向だけは分かる。
次いで正確な時計と六分儀があれば、緯度を測る事が出来るので、大航海時代からロラン(無線方向探知機)やレーダーなどの電子計測器が普及する数十年前までは、これらの組合せで航海をしていた。
現代ではGPSや気象レーダー、深度計測のソナー等も小さな漁船やヨットなどにさえも当り前に搭載されている。
サタワル諸島の男達が遠洋航海に使用する舟は、アウトリガーカヌーという全て手作りの丸木舟の一種で、帆走によって水平線の彼方にある島々に自由に行き来している。海上で一昼夜とかの航海も有りだ。
彼らが方向を知る方法は色々あるが、主に星座や波の観察などであり、一般的にその様な航海術はスターナビゲーションと呼ばれている。
彼らは寝ていても舟に当たる波やうねりの感じで、目指す方向を確認出来る位に身体感覚が研ぎ澄まされているらしい。
かってはポリネシアの人々もその技術を持っていたのだが、欧米の植民地となった事で固有の文化を封じられ、言後や風習とともにスターナビゲーションの技術も失われていった。
アメリカ建国200周年(俺の小学生の時だ)の時に、ハワイでは祝賀ムードと共に風前の灯となっていたハワイの伝統文化を復興させようという動きが活発となった。
アメリカ政府により禁じられていたハワイ語や観光目的ではない伝統的なフラの復興、そしてハワイ人の祖先はかってタヒチからカヌーに乗ってやって来た、という海洋民族としてのアイデンティティーの復興として、スターナビゲーションの技術をサタワルの漁民であるマウ・ピアルクをハワイに迎えて習得に励んだのだ。
そして紆余曲折の後、ハワイ人によってポリネシアの伝統的な遠洋航海用の双胴式帆船カヌーを自在に操り、太平洋諸国を自由に行き来する事が出来るようになった。
カヌーの名前はホクレア号。ホクレアとはハワイ上空に輝く星のポリネシア語の希望を意味する言葉で、タヒチからやって来たハワイ人の祖先達は、このホクレアを目指してハワイに到着した、と伝承されている。古代の航海者にとってはまさしく希望の星だ。
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ホクレア号
横浜に寄航した時に、船尾から撮影。
二つの細長い船体を持つカタラマンという形式。伝統的な古代ポリネシア式の遠洋航海用カヌー。
近代航海機具無しで、動力は風力だけで航海している。
船体はFRP製だが、彼らは木造のカヌーも作っている。
これらの舟は、映画「ガイア・シンフォニー」にも登場した。

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ナイノア・トンプソン
ナイノアはホクレア号のナビゲーター。ハワイではハワイ知事より有名な英雄だそうだ。
彼がハワイからタヒチへの航海を成功させる前に、師匠のマウ・ピアルクからハワイの海岸に立ち、タヒチの方角を見て「タヒチが見えるか?」と問われたそうだ。瞑目すると、心にタヒチがリアルに浮かんだそうだ。スターナビゲーションの免許皆伝の瞬間だ。


環太平洋諸国に、欧米文化一辺倒ではなく、古の海洋民族文化を復興させようという運動だ。
彼らはこの運動をカヌー・ルネッサンスと呼んでいる。
4年ほど前にはハワイから日本に寄航した事もある。もちろんスターナビゲーションによってだ。
そのメンバーの中に日本人が二人いて、その内の一人が葉山で「アウトリガーカヌークラブジャパン」というポリネシア式の海洋カヌーによって、海洋文化の普及活動をしているNPO法人代表の荒木汰久治さんだ。
俺は荒木さんの妹さんとは古い友達だ。
スターナビゲーションといっても、曇りや雨天の時に星が見えない時はどうするのか?
荒木さんは「行こうと思う方向に赤い道が見えるんですヨ。」と答えていた。
出航の時に時化ていて、周囲の人々が今日の出航は無理だろうと思っていても、道が開けていく感じがあれば出航するのだという。
彼はまだ30代なのに、凄い体験を沢山している。
詳細は荒木さんの著書PHP研究所出版「ウォーターマンへの道」に譲るとして、和太鼓の名人じいさんといい、荒木さんといい、社会的な約束事の範囲で生きるのではなく、植物や地球と身体感覚が見事に一致している処が素晴らしいと思う。


北海道にも縄文遺跡があるが、以前は本州の縄文人とは行き来が無かったであろう、という説が罷り通っていた。
根拠として、縄文時代の丸木舟では、名だたる海の難所である宗谷海峡は横断不可能であり、現に戦後しばらくして青函連絡船の洞爺丸が沈没した事件があったではないか!というのだ。
洞爺丸は3千9百トンの貨客船で、沈没による犠牲者は千人程の大惨事であったらしい。
しかし洞爺丸は、台風の真っ只中に出航して沈没しているのだ。
洞爺丸は身体時間、身体感覚とは無縁の物理的で社会的な約束事の範囲で出航して、そして沈没したのだ。
縄文人なら台風の真っ只中に出航する様な事は無かっただろう。
「今なら大丈夫。海峡を横断できる!」という皮膚感覚があったに違い無い。
時計の時間や人間の都合では無く、文字通り「潮時」を観て行動の判断基準としていたのだと思う。
海峡を渡れる時にしか渡らないので、こっちの方が安全である事は確かだろう。

伊豆諸島の式根島の黒曜石が、関東を中心とした本土の縄文遺跡から多数出土している。
この事は、最大で時速4ノット(1ノットは時速1.852k/t。4ノットは約時速7.4k/t)で北上する黒潮を物ともせずに航海する技術が縄文時代にはあった、という事を証明している。
いくら式根島が伊豆半島から見えているとはいえ、黒潮は幅80キロ~100キロもある世界最大級の海流であり、その横断は手漕ぎでは不可能だ。帆走技術を確立していたのは間違い事実だろう。
縄文時代の中期以降には、八丈島にまで航海していたらしい。
黒潮の流れも時には強弱があり、時には蛇行もするので、黒潮の海を航海していた縄文人は、北海道に行き来した縄文人と同じく、何がしかの身体感覚を駆使した航海技術があったのだろう。

八丈島の和太鼓名人のじいさんも、荒木さんも縄文人だなあ、と俺は尊敬する。
21世紀にそんな日本人が、あまり知られる事もなく普通に存在している事に嬉しくなる。
国家という概念も無く、物理的な約束事などに縛られず、身体感覚や身体技術を駆使して生きていた縄文人達に、俺は憧れを抱いている。
何故か子供の頃から縄文文化に惹かれ続けているのは、そんな処からだろう。
窮屈な現代社会の約束事や枠組みに、風穴を開ける爽快感を感じるのだ。

俺が整体を学び始めたのも自然農法を始めたのも、縄文人が宿していた古代の身体感覚を身に付けたいからだ。整体や自然農法に縄文の匂いを感じたのだ。
人から何故整体を学び始めたのか?とよく質問されるのだけど、整体を学ぶのは縄文人になる為、と答えて笑われるのだが、これは冗談ではなく本気なのだ。
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by jhomonjin | 2010-06-05 00:51 | 身体感覚・身体文化 | Comments(5)
「気分はもう夏!」とは俺の高校の時に流行っていた、ポパイというメンズファッション誌の二月号の表紙に書いてあったキャッチコピーだ。

書店でこのタイトルに衝撃を受けて思わず買ってしまって、その雑誌は今でも大事にとってある。
バリ島やハワイの現地取材、波乗りやヨットなどのマリンスポーツなどの特集だった。
今この雑誌を読み返してみると、それから数年後にウィンドサーフィンの歴史に残る伝説的な世界チャンピオンとなり、キング・ロビーと異名をとった当時16歳のロビー・ナッシュが取材を受けたりしていて、なかなかポパイの取材も先見の明があった事が判る。
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カンボジアのスコール
日本の秋から冬にかけてが東南アジアの雨季だ。
突然のスコールに大人達は雨宿り・・・

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その時、子供達は?
そんな大人達を尻目に子供達はスコールの中でプロレスごっこだ。
兄貴対4人の弟共のハンディキャップマッチ戦。
唇を青くして震えながらも大喜びで転げまわっていた。

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バイクを洗う少年
もう少し大人の少年は、クールにバイクの洗車だ。










なんで気分はもう夏なのか、というとお気に入りのフレーズなので初対面の人と住所交換などの時に座右の銘として使い続けている、という事もあるが俺の身体はすでに夏モードに入っているからである。

俺は毎年五月の三社祭り前後になると、煙草が辛く感じるようになる。
三社が終わる頃には太ももの後ろ側が重もだるく感じる。
筋肉痛とは違って、だるいという感じだ。
これは整体の身体観でいうと、湿気の影響を受けて太ももの後ろが縮んできた、という特徴だ。
やがて煙草が渋苦く感じるようになり、煙草を吸いたいという欲求がまったく無くなり、いつの間にか煙草を吸わなくなっている。
現在はまだ煙草が吸えているので、完全に梅雨入りした訳ではない。
煙草がまったく美味くない、と感じた時が俺だけの梅雨入り宣言だ。

もちろんまだ五月中旬で、一般的には湿気の無い過ごし易い季節と言われているし、気象庁の梅雨入り宣言は一ヶ月以上も先の事である。
でも俺の身体にとっては、すでに梅雨間近と感じているのだ。
つまり気分はもう夏!なのだ。

今の季節、俺の身体は大気中の湿気を敏感に感じ取り、皮膚呼吸がし難くなるので、呼吸器に負担がかかるのだろう。その意味で整体では皮膚も呼吸器の仲間である。
したがって煙草でさらに呼吸器に負担を掛けまいとして、煙草が不味く感じるのだと思う。この七~八年の恒例の感覚変化だ。

今の感じだと、あと一週間もすると煙草を吸う、という想像すら湧かなく筈である。
だから煙草の買い置きは控える。俺の吸っている煙草は「アメリカンスピリッツ」という輸入煙草なので、田舎ではカートン買いするしかないからだ。
これから二月前後は煙草をまったく吸わないので、その間にパッケージを切らなくても煙草の鮮度が落ちて不味くなるのである。

俺は子供の頃から呼吸器が敏感な体質で、整体の身体観でいう5種体癖が濃厚で、身体の変動や異常が呼吸器に現れ易いのだ。

そして例年通りだと、気象庁の梅雨明け宣言よりも一ケ月くらい早く、まだ梅雨空であっても急に煙草が吸いたくなる。それが俺の梅雨明け宣言だ。
もしかしたらこの身体の変化は、旧暦の季節感と一致しているのかもしれない。

因みに俺は十四年前のインド旅から髭を伸ばしているが・・・といってもジャン・レノ風の刈り込んだ短い髭だ・・・髭を伸ばし始めてから数ヶ月は、雨が降る前には髭の先端が湿気で丸まってくる感じがして、じきに雨が降るぞ、という実感があった。
だから今でもバイクに乗っていると、雨合羽を着るタイミングが絶妙で、実に便利である。
バイクを走らせていて、髭が丸まり始めるとバイクを止めて雨合羽を着込む。その途端にバケツを引っ繰り返した様な土砂降りになった、という経験を何度もしている。
外で仕事をする時も、俺だけが雨合羽を持ってきていて、雨に濡れずにすむ、という事もよくある。
整体の稽古の後に外に出てみると大雨で、俺はバイクでも万が一に備えて折畳傘を持ってきているので、傘を持ってきていない人に傘を貸した事も何度もある。

季節が変わり、それに連動して身体も変わる。
自然と俺、という相対構造ではなく、俺も自然の一部なんだなあ、と思えてくる。
自分の身体が地球と歩調を合わせている、という実感がある事が愉しい。
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by jhomonjin | 2010-05-21 23:38 | 身体感覚・身体文化 | Comments(5)