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21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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カテゴリ:失われゆく風景( 7 )

前から欲しかったスピードコントローラーを買った。
茅切鋏でお世話になった丸半金物さんのネットショップをみていたら、定価の半額で売っていたので注文したのだ。
スピードコントローラーとは電動工具の回転スピードを調節する為の変圧器だ。
脆い材質を加工したり、精度の高い仕事にする場合には工具の回転を落とすと上手くいくのだ。
ちょっと前までホームセンターにも売っていたのだけど、最近は見なくなったのでチャンスがあったら即刻買いだな、と思っていた処だ。

お金を振り込んだらすぐに送られてきたが、注文品の他に出刃包丁が入っていた。
電話して確認したら在庫品をサービスしてくれたとの事だ。
「青光」というタガネで切った銘の薄手の出刃包丁で、吉田さんから貰った桶職人の道具に続いて刃物のお年玉の追加だ。
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お年玉
スピードコントローラーと頂いた出刃包丁。「研ぎが出来る人には古い物で悪いけど在庫品を差し上げているんですよ。」と気前の良い事を丸半の社長は言っていた。道具好きは道具好きを知るんですなあ。有難うございます!

因みに「タガネで書いた銘」と書かずに、「タガネで切った銘」と書くところが、この書き手が刃物に関して只者ではないと気付いて欲しいのだが、気付いた人はいますかぁ?
首都圏の皆さん、刃物や建築関係の道具は是非とも大田区の丸半金物さんに相談してみて下さい。

旧正月前後の新潟は大雪になった。
年明けから糸魚川山間部の除雪のバイトをしているが、山間部は屋根に積もった雪は1mを楽に越えている。ツララの長さも2m超えはザラだ。
いくら除雪してもきりが無いくらいに降り続くので、バイト時間が延長になって十五日の「竹のからかい」が見物出来なくなってしまった。
「竹のからかい」とは市内の青海町の塞ノ神だが、国指定民俗重要無形文化財になっている。
顔に隈取した若い衆が、二本の竹を重ねて綱引きみたいな事をやる神事なのだ。
新潟県には国指定民俗重要無形文化財が十一あって、その内の三つまでが糸魚川に集中していることから、ある郷土史家は糸魚川の事を「神遊びの里」と表現している。
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塞ノ神
俺が除雪している大所という山間地区でもこじんまりと塞ノ神をやっていた。子供が五人位いたが、小規模でも子供達に年中行事を伝承していきたい、という温かくて切実な気持ちが伝ってくる塞ノ神だった。ガンバレよう!

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除雪機
海辺の市街地でさえこの雪である。これはドーザという除雪機で、道路の雪を削って脇に寄せていく。俺も運転手の横で後方確認する助手のバイトをしている。


市街地の俺の実家周辺でも除雪車が走り回っていて、俺も実家の玄関と車庫まわりの除雪に追われた。
去年も同じだったようだが、去年の今頃は南インドで今でも現役で貨物船として就航している伝統的な大形帆船の造船所探しをしていたので、こんな風景を見るのも、自分で除雪するのも二十年以上振りだ。
俺の実家は海辺の強い風が吹く場所なので糸魚川市内でも雪が少ないほうだが、それでも子供の頃は冬の間は車庫から車が出せない位に雪が積もっていたし、一度だけ二階から出入りする程の大雪になった事もあった。
その時は向かいの家までのトンネルを掘ったくらいだった。
やっぱり雪景色は良いもんだが、若手のいない家では大変だ。
除雪しても次々と雪が降るので、風情があるなんていってられないのだ。
姉貴は隣りの上越市にある高田という「平地にある都市では世界一」という豪雪地帯に住んでいるが、高田では「雪かき」と言わずに「雪掘り」と言う程の雪が積もる。それでも温暖化の影響か、今はそれ程でも無い。
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雁木
雁木(ガンギ)は昔からある雪国のアーケードだ。俺の子供の頃は道路の雪が軒の高さまであったので、冬に街中を歩く時は雁木の中を歩くしかなかったが、今や雁木もアーケードに変わりつつある。「謙信」は市内に五つある酒蔵の一つで、老舗には昔の雁木が残っている事が多い。

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雁木の中
雁木は前にある家が作る物なので、基本的に商店街などの賑やかな通りに限られる。客寄せの他に通行人へのお互い様という思いやりだ。しかし作るのも保守するにも金がかかるから、無くなっていく運命だ。

除雪のコツは、「腕を短く使う」事だ。
スコップでもスノーダンプでも、腕の生力に頼っていたら直ぐにばてるので、腕の力をなるべく使わない動法が必要だ。
いい稽古になるから、整体と古武術関係者は寒稽古にいらっしゃい。
山間地の老人世帯に除雪ボランティアに行こうぜ!
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サービスショット
雁木は日本の雪国の風物詩と思っていたら、北部タイのプレーという地方都市で雁木そっくりのものがあった。東南アジアでもここでしか見た事が無いが、雪が降る訳でも無さそうだし、スコール対策をした古い屋並が残っているだけなのだろうか?誰か知っている人教えて下さい。
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by jhomonjin | 2011-01-15 19:41 | 失われゆく風景 | Comments(3)
整体の指導者の研修会で、五ケ月振りに上京した。
バイクで新宿に到着したのは、夜の10時くらい。
久し振りのネオンの街は、未来都市の風景で、映画「ブレードランナー」の世界そのものだ。
糸魚川にもネオン街はあるが、高層ビルビルもないし、ネオンの数も種類も桁が違う。
第一に祭りでも無いのに、夜の10時過ぎに、多くの人がゾロゾロと歩いている風景を地方都市で見る事はない。

浅草のシンタローの家にやっかいになって、研修前の二日間を落語三昧で過ごした。

落語は物心ついた子供の頃から好きなのだ。
子供の頃は落語そのものよりも、噺家さんの佇まいを観るのが好きだった。
なんだか噺家は、風呂上りのようなサッパリとした雰囲気を醸し出している。
特に襟足の涼やかさ。小ざっぱりとした雰囲気。一言で言うと小粋なのだ。
過剰ではない、清潔感、必要最小限といったキーワードが相応しい。
その雰囲気に江戸の匂いを感じた。
学生の時にアメ横の魚屋でバイトしてたのは、落語に出て来る江戸っ子に憧れて、そんな江戸の雰囲気を感じたくて、その中にどっぷりと浸かってみたかったからだ。

寄席という言葉を知らない人の為に説明をしておく。
寄席とは、落語や浪曲、講談といった江戸の和芸を専門に上演する小さな劇場の事だ。
基本的に年中無休で、昼から夕方までを昼席、夜を夜席のそれぞれ別のプログラムが上演されている。
都内には現在、新宿・池袋・上野・浅草に四つの寄席が残っている。
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浅草演芸ホール
観光客が多いので、猥雑で雑多な雰囲気でそこが魅力でもある。
シンタローの家に泊まった時には、銭湯で朝風呂に行ってから、ここに行くのが愉しみ。
俺流江戸っ子ごっこだ。

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木馬亭
落語ではなく浪曲の専門小屋。浪曲も絶滅危惧種の芸能だ。
浅草演芸ホールのすぐ近くだが、空席が目立つ。浪曲は面白いのに、その事に気付いて無い人が多いのはもったいないねえ。

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新宿末廣亭
戦後のドサクサに建てられた古い寄席で、最も江戸の匂いが濃厚。
志ん生、文楽も出た高座が今でも現役だ。
初めて寄席に行く、という人に勧めるのがここだ。

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上野鈴本演芸場
上野駅から歩いて5分。鈴本と浅草演芸場は近いので、片方の出番を終えた噺家さんが銀座線に乗って移動しているのをよく見かける。

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追出太鼓
開演三十分前には二番太鼓が叩かれる。来い来いお多福来い来いの調子で叩く。
終演後は追出太鼓。
この太鼓を叩くのは楽屋内だが、上野だけは玄関で叩いてくれるので、上手い顧客サービスだな。

寄席は昼夜とも、最初の出演者は前座さんという若手。
前座さんは修行の為に高座に出るので、前座さんの落語は料金に含まれていない、とよく自虐ネタを言ったりする。
前座さんは開演前の十五分が出番なので、前座さんの落語を聴きたい場合は開演前に寄席に入っていなければならない。
前座さんは、出演者が入れ替わる度に座布団を裏返す「高座返し」や、出演者の名前が書かれた「めくり」を変えたり、出囃子の音曲の三味線以外の笛、太鼓、鐘の演奏も仕事のうちだ。
他の出演者の着替えを手伝ったり、着物を畳んだり、お茶汲み、ネタ帖(誰がどんな題の落語をしたのかを書き留める帳面)を毛筆で付けたりなんかの楽屋内の雑多な仕事もあり、これらの全てが前座修行だ。

次が三年前後の前座修行を終えた二つ目さんの出番。
前座と違って、二つ目さんは羽織を着る事が許されている他、師匠から教わった落語にアドリブや独自の工夫をする事も許されている。
それからの出演者は、二つ目さんの上の真打と、その合間に彩りとして出演する漫才、手品、音曲などの出演者だけだ。
プログラム全体の七割くらいが終わった時が二十分ほどの「中入休憩」。
前座さんが大きな声で「おなぁかぁいりぃ~」と太鼓を叩くのが合図だ。
売店で弁当(稲荷ずし、助六寿司など。弁当にまで江戸の匂いがする)を買ったり、煙草やトイレに行くのがこのタイミングだ。
後半の最初の出番は「食付き」といって、休憩でざわつく客席を鎮める難しい役になる。
最後の出演者は「トリ」という。
昔は寄席から出る出演料をトリの噺家が纏めて受けと取り、他の出演者に分け与えていたことからトリと呼ばれるようになったそうだ。
その時代は前座、二つ目、真打といった身分と相応の実力別によって、出演料の分け前が厳密に決まっていて、その割合の事を「ワリ」という。
ワリの合わない、という言葉の語源である。
前座、真打、ネタ帖、トリ、ワリなどという江戸時代から続く寄席の符丁が、現代の日本語に普通に生きている所が面白い。

寄席は江戸の匂いで満ちている。
9・11の同時多発テロが起きた時に、「ディズニーランドのようなアメリカの匂いのする所は危険です。しかも人がたくさんいてテロに狙われる可能性が高い。そこへ行くってぇと寄席はどうですか?アメリカの匂いは微塵も無いっ。それに・・・空席の目立つ客席を見渡して・・・お席にこんなに余裕があります。こんな時には寄席で安全に過ごすに限りますっ!」と噺家は言っていた。

トリの落語が終わると「追い出しの太鼓」が叩かれる。
太鼓が鳴り始めてからトリが頭を下げている間に、観客はさっさと出て行くのがエチケットだ。
追い出しは、出て行け出て行け、早く出て行けと叩くのだそうだ。
お後が宜しいようで・・・・
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by jhomonjin | 2010-09-02 10:42 | 失われゆく風景 | Comments(2)

田んぼで撮った写真

今回は研修先の農場のある上越市大潟区で撮影した写真である。
全て携帯電話で撮影した。
俺の携帯電話もアウトドア主体の農作業で随分と傷んできた。
手が泥だらけの時に限って呼出しされるので、電源端子が錆びてきたり。いつか防水タイプにしないとぶっ壊れるね。
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夕方、近所の老婆がいつも決まった場所で遠くを見ている。
老婆の視線の先には米山がある。米山は標高1000mに満たない三角のピラピッド型の山で、古くから海上交通の目印になってきた。
また昔は米山を境に上越後と下越後に分割されていたらしいが、現在の行政区分は新潟を上越、中越、下越の3区分であり、この山が上越と中越の境になっている。

老婆の視線は米山だが、観ているものは何だろうか?
楽しかった子供の頃や、農作業と子育てに明け暮れた青春時代の思い出、死んでいった親兄弟や友達の事か?いずれにしても過去の記憶に想いを馳せているのではないだろうか。
その想いも流れる雲の様に、流れつづけているのだろう。

バブル経済の時に、湯沢市にリゾートマンションブームがあった。
NHKのドキュメンタリーでその後の湯沢市を取材していたが、この老婆と同じく、いつも遠くの山を観ているという老婆が、「いつもここに座って山を観ていたんだども、マンションが建ってから山が観えなくなって淋しいネ。」と言っていた。
糸魚川の老人なら海を観る処だが、この海も砂浜が痩せてきた、というのは前回にも書いた。
しかも今では広かった砂浜を片側2車線の国道が分断しており、交通量も多く信号も少ないバイパスなので、老人や小さな子供が国道を渡る事は至難なのだ。
だから国道越しに、コンクリートの防波堤とテトラポットの向こう側の海しか見えなくなっている。
便利や快適さと引き換えに、日本中の老人達のささやかな愉しみも奪われているのだ。

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さて、切ない話しの後には楽しいサービスショットだ。
このお姉さんは、苗箱の下に敷かれていたビニール製肥料袋に印刷されていた。
苗箱にビニール製の下敷きを入れないと、苗の根が張って箱から出しにくくなるから、肥料や堆肥のビニール袋をカッターで切って下敷きにするのである。
写真やお姉さんの雰囲気から見て、恐らく1950年代~60年代の撮影だろう。
一体、何時頃からこのビニール下敷きが使われ続けているのかは不明だが、当時の若者は、このお姉さんの印刷された肥料袋を見て「オラもこんな別嬪さんを嫁にしてぇ~!」と、農作業にいそしんだのかな?と思うと楽しいではないか。

昔、新潟市郊外の知人の家に祭りのおよばれに行った時の事である。
彼の家は築100年を超える大きな農家で、お互いに建築の仕事をしていたので、参考になるから是非に家に遊びに来てくれ、と祭りのおよばれついでに行ったのだ。
確かに昔ながらの立派な農家で、梁の柱もケヤキの極太材が黒光りしていた。
仏間に案内された時だ。
漆塗りの浄土真宗の立派な仏壇が作りつけられていて、それが彼の一番の自慢らしい。
俺が驚いたのは、仏壇よりも長押に掛けられた2枚の肖像写真である。
なんと勲章を体中に一杯付けた明治天皇と東郷平八郎(日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃滅した世界的に有名な海軍大将)の写真だ。多分、日露戦争の頃からずっと掛けられていたのだろう。
その事を伝えると、彼はこの二人をずっと偉いご先祖様だと思っていたらしい。のん気な男だ。

田舎には昔の物が何の違和感も無くそのまま残っている事がよくあって、こんな発見もあるので愉しい。

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最後は畦にあった鴨の巣である。
田植えの後に畦の草刈をしていたら、鴨がじっとしていた。
草苅機を止めて近寄っても、じっと俺を見て逃げようとしない。
怪我をして動けないのか?と1m近くまで近寄ったら、やっと逃げた。
卵を抱いていたのだ。小さな体に12個も卵を宿していたなんて、よく飛んでここまで来たな!と思う。もう一週間位で孵化すると思うが、蛇やカラスに食べられていないか?と心配しておる今日この頃です。以上!
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by jhomonjin | 2010-06-12 20:43 | 失われゆく風景 | Comments(2)
国道8号線は、糸魚川市と上越市の間の大部分はずっと海沿いを走っている。
国道の北側は日本海で、南側には山が迫り、集落はこの両側の狭い土地に伸びている。
この区間の国道沿いの細長い集落は、漁村が多い。
信号も少なく、景色が良いので俺の好きなドライブコースだ。
糸魚川市内は国道はずっと海沿いなので、嵐の時は車が波を被る事もある。
軽トラックが波を被って転倒した事もあった。
俺も台風の時に面白がって8号線をバイクで走っていて、頭から波を被ってヤバかった経験がある。
冬の北西風が吹いて、海が大荒れになると、波が砂浜を走るゴーという重低音と、防波堤にブチ当たる震動で家がガタガタ揺れた。
おっかなかったけど、そんな晩に親父が家にいると、心強かった。

学校授業で海の絵を描かせると、日本海側の子供は夕日の海、太平洋側の子供は朝日の海を書くことが多いらしい。高校生までは、毎日の様に海に沈む夕焼けを見ていたので、俺もそうだった。

見慣れた風景だが、今日の夕日も良かった。辺りが優しい桃色に包まれていた。
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夕凪の筒石港
BGMはクラプトンの「ワンダフル・トナイト」で決まりだな。
さざなみとウミネコの鳴き声のコーラス付きだ。





夕日も良いが、月も綺麗だ。
20年程前に真夜中にバイクで走った時なんかは、水平線に浮かんだ金色に光るでっかい満月が、海上を金色に光らせた帯で、俺のバイクをまっすぐに照らし出していた。まるで特殊効果の映画のワンシーンみたいだった。忘れられん風景だ。

さて、今日の写真は今日の夕方に撮ったばかりの筒石港がモチーフである。

・・・関係ないけど先日、ブログ観た人から写真を習った事あるんですか?一眼レフのカメラ使ってるんですか?と聞かれたぞ。ブログの内容は兎も角、写真の評判は結構良いな。
よくその手の質問があるのでこの際にお答えします。
俺はカメラを習った事は無いし、写真関係の本も読んだ事も無い、まったくのトーシロ(寄席の符丁で素人の事)です。
使用しているカメラも3万円代のコンパクトデジカメです。マニュアルすらもろくに読んでないから機能の半分も使ってないと思いますわ。ハイ。

筒石港は現在、新しいコンクリートの防波堤のある新港と、昔ながらの舟小屋が海に突き出した旧港の二つある。
この写真は無論、旧港だが、こんな木造の舟小屋を観ると、俺はグッと来る。
西伊豆や、能登半島東側にもこんな感じの侘びた漁港があった。
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筒石漁港
俺的グッと来る風景。
柱や壁材など、流木や古い舟材なども使っている。
下の写真の捩れた柱で作られた小屋など、作った人の得意満面が浮かぶようだ。

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古今東西、多くの漁師は舟として寿命が尽きた老朽船を保管(放置とも言える場合もある)しておくものだ。廃棄する手間や費用を惜しむ、という側面もあるが、命を託した舟は、たとえ舟としての寿命が尽きても単なるモノとして扱えない、という気持ちがあるからだ。

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船体を解体した場合も、板材にばらして何時かの用にとっておく。次の命に繋ぐのだ。木にも舟にもイノチが宿る、という了見だろう。そんな解体された舟板が、舟小屋の天井裏などに沢山しまわれている。この舟材達は、実際に何かに使われる事があるのだろうか?そう想うと、漁師の切ない気持ちが伝わってくるようだ。
この舟はシマイハギという木造和船独特の構造で、アジア式の多くの船と同様に竜骨の無い一種のモノコック構造である。国内の小型船舶の主流が漁船、ヨットやモーターボートも含めて木造船からFRP(強化プラスチック)船に取って変わられた現在、こんな漁船も絶滅危惧種だ。


この様な海にスロープから舟を出し入れする方式の港では、昔は人力で巻き上げ機を廻していたが、・・・地方によって呼び方は色々あるみたいだが、英語ではキャプスタンだな。形状からいったらキャプスタンだけど、機能からいったらウインチかな?まあそんな処だ・・・現在は機械式のウインチだが、かなりな年代物だ。

俺の生まれ育った寺町の浜は、筒石港の様な天然のスロープに恵まれた地形ではなく、砂浜だったので、子供の頃は木製の巻き上げ機がいくつも砂浜に据えてあった。
高さ1・4m、直径2mくらいの大きさの木製である。
軸になる心棒には貫通した孔が交差する形で二箇所あいていて、舟を上げる時だけ長い力棒を差し込んで人力で巻き上げるのだ。
俺と同世代以上の人ならご存知だろうが、昔カルメン・マキという女性歌手が大ヒットさせた「時には母のいない子のように」という歌を唄う時のセットで、晩秋の砂浜らしい風景に、この木製巻き上げ機と干した魚網がバックになっていた。俺には郷愁を感じる風景だが、思えば昔の歌謡番組はセットに凝っていたねえ。

舟が浜に戻ってくると、漁師の家族や、砂浜で遊んでいたそこいらの子供が呼び集められて、まず舟の下に敷くレールになる長い丸太棒を平行して置かせられる。
ついで漁師に混じって子供らが勇んで海に入り舟を押し上げる。
その間に丸太レールの上に舟を乗せるコロ丸太を乗せるのだ。
舟からロープが投げられ、巻き上げ機に繋いで、今度は舟を押し上げる組と巻き上げ機の力棒を回転させる組、コロ丸太を順序良く並べていく組に分かれて舟を浜に上げていた。
結構な重労働だ。
子供らへの報酬は、「有難ナ!」という一言しかなかったけど、大人の力になれた、人の役に立てた、という満足感で一杯だった。

やがて糸魚川にも姫川港という巨大なコンクリートの防波堤を持つ港が出来て、寺町の漁師達も新しい漁港に移って、舟の上げ下げの重労働から開放された。
そして防波堤ができた事で、砂浜に砂が溜まらず、年々砂浜が痩せていくばかりになった。
小学生の頃は野球が出来た位に広かった砂浜も、今では大きな石だらけの狭い浜になっている。
舟を巻き上げる手伝いも、地引網を手伝う事もなくなった。
新潟では海の家の事を浜茶屋と呼ぶが、糸魚川の浜茶屋も次々と廃業していった。
寺町の浜茶屋は、土建屋の社長をしていた俺の叔父が経営しており、俺も高校生の夏休みに時は監視員のバイトをしていた。都会から遊びに来た可愛い女の子と、ささやかなロマンスもあった。
俺はホンモンのビーチボーイだったのだ。
現在では砂浜で遊ぶ子供も、夕涼みする老人達も往年の半分もいない。

糸魚川も「我は海の子」を地でいく世代は、俺の世代で最後となったようだ。
風邪気味の時なんかは、お袋から海で泳いでくれば治ると言われ、実際にそうだった。
擦り傷なんかも海水で治していた。いや、遊んでいる内に風邪や怪我の事を忘れてしまっていた、という方が本当かもしれない。
家の裏に海があっても、糸魚川の人から海が遠くなってしまった。
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by jhomonjin | 2010-06-11 21:30 | 失われゆく風景 | Comments(0)
ラオスの田舎に行くと、パチンコを鉢巻状に頭に巻いて遊んでいる少年によく出くわす。
俺の子供も頃もそんな奴がいたし、俺も同じ事をして遊んでた記憶がある。

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ラオスのパチンコ鉢巻少年
いかにも悪ガキって面構え。
実際に結構生意気だった。
エネルギーがあり余ってます。
こんな面構えが懐かしい、と思うオジサン達も多いはず。

しかしラオスの子供の場合は、俺の子供の頃と違って空き缶や空き瓶を打って遊ぶ、などというレベルで終わらずに、実際に小鳥を打ち落とす本格的な狩猟ごっこなのだ。ペットショップで売ってそうな、打ち落としたばかりの緑色した小鳥を見せてくれた少年もいたし、雑貨屋にはパチンコ用のゴムも売られている。逞しいではないか。
中学生くらいになると、流石にパチンコを持って遊んでいる奴はいない。
なんとボウガンを背中に背負ったり、Tシャツの背中に入れて手ぶらで歩いていたりする。
ボウガンとは古代の中国で発明された横式の弓で、ライフルの様に目線で構えて引き金を引いて矢を弾く事の出来る弓である。日本だったら、そんな物騒な物を持って歩いているだけで警察に捕まってしまうよ。羨ましい!
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ボウガン少年
呼び止めて背中のボウガン見せてくれよ、と言ったらはにかみながらも見せてくれた。
この少年は刃渡り40cmの山鉈も持っていた。
頼もしい!













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ボウガンの矢羽
少年が作ったのか、少年の父親が作ったのかは不明。
竹を薄く割いて折り紙状に折畳んで矢羽を作ってある。
正しく用の美だ。



大人になると本物の小口径ライフルを持って山道を歩いていたりする。
パチンコ→ボウガン→ライフルと成長に合わせて狩猟道具が変わっていくのが面白い。
この事は、ラオスのような国においては、子供の遊びとは大人になる前の職業訓練になっている事を意味するのではないか、と思う。子供時代にたっぷり遊んでいれば、成人になった時に即戦力になるのだ。
遊びとは、本来そんな意味もあるのだろうと思う。
例えば独楽回しやメンコ、オハジキやゴム跳び、鬼ごっこやかくれんぼ。
慎重さと大胆さ、決断や推理、身体扱いや工夫をする事、ルールを不公平が無いように自分達で決め、遊びのメンバーによってハンデを付けたりといった、臨機応変の柔軟さや基礎体力が養われていくのであろう、と思う。

俺の学んでいる整体では、整体の前提条件として動法という身体扱いの技術体系を徹底的に学ぶ。
その課外授業として、刃物を使った稽古会を何度か開いた事がある。
刃物を扱うには慎重さと決断といった矛盾する感覚を同時に必要なので、その様な身体感覚を養うに好都合と考えたのだ。同時に稽古場で動法を学んでいるのだから、日常生活や労働に活かさない手はない、と考えた事もある。

晴天時には薪割り、雨天時には室内で木工を行なったが、老若男女とも刃物に慣れている会員が少なく、最初の内は危なっかしくて見てはいられなかった。
動法を学んで一般の人より格段に体が使える会員といえども、特に薪割りとなると重くて危険な斧にビビッてしまって、最初から腰がひけてしまうのだ。見るに耐えないへっぴり腰である。
慎重に狙いを定めると勢いが無くなり、斧が薪に命中しても割れない。かといって勢いよく斧を振ると薪に命中しない。この様な相反する行為を同時にしないと薪は割れないのだ。
そこで考案したのが、子供の遊びの釘刺しをさせる事である。
地面に五寸釘(長さ約15cm)を投げて狙った所に刺すだけで、ルールは無し。これは斧の恐怖心が無いので覚えが早い。鍬の時に書いたが、薪割りは左手の動きが決めてなので、右利きの人でも左手で斧扱いと同じ動線、動きで釘を投げさせるのだ。
薪割り初心者でも最初の三十分、人によっては一時間くらい釘刺しをさせるだけで、なんとか薪割りが様になってくれるのだ。
たかが遊び、されど遊びだなあ、と昔からある子供の遊びの奥深さに感動した。

ゲームボーイも良いだろう。パソコンで遊ぶのも良いだろう。しかしそれらはバーチャル世界の出来事にすぎない。ゲームボーイで遊んでばかりいると、現実との境目が曖昧になってきて、指の操作だけで何の感情もなく人を殺せる、近代戦の兵隊の養成にはなるかも知れない。それこそゲーム感覚で殺人の出来る兵隊予備軍の誕生だ。高校生の頃に流行ったインベーダーゲームに、子供ながら何か厭な感じがして、のめり込めなかった俺がいうのも何だけどね。

だからさあ、子供のうちは昔からある子供の遊びをうんとさせたらどうだい?ナイフで凧や竹とんぼを作らせてみたら?間違って指を切ったって良いじゃねえか、刃物で怪我をしたら痛いという経験と、怪我をしない工夫を学ばせたら?と関係各方面に言いたい。

近頃の子供はナイフで鉛筆も削れない、と嘆く大人が実は何も出来なかったりする実例をうんと見てきた。
危険だからといって子供に刃物を持たせないのではなく、むしろ小さい頃から積極的に刃物を砥がせ、鉛筆が上手に削れるようになる機会を奪わない事。そうすれば怪我をしながらでも刃物の便利さと危険性が身に染みるだろう、と思う。
学校でそのような事を教える授業があれば良い、とは思わない事もない。しかし家で包丁を研ぐ大人の姿や、刃物を自在に扱う大人の姿を見ていれば、自然と子供は興味が湧くのではないか?。
少なくても俺の場合は、祖父が包丁を研ぐ後ろ姿を、格好いいな、大人になったら祖父みたいになりたいな、と興味津々に見入っていた。そして誰もいない時に包丁を研いでみた。怪我もたくさんしたが、今では自分で研いだ良く切れる刃物で木工をする喜びを知っている。人生がその分、豊かになった。
今の日本には、必要あれば子供に興味を持たせつつ、刃物扱いの様な基本的な生活技術を教える事の出来る大人の存在が身近にいない、という事が一番の問題だろう。
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by jhomonjin | 2010-03-26 02:37 | 失われゆく風景 | Comments(2)
大昔の地殻変動により、日本列島を地質的に東西に分けるフォッサマグナが形成され、その西日本と東日本の境目がちょうど糸魚川だ。糸魚川・静岡構造線である。
去年は市内に点在するこのフォッサマグナの露頭などが国内初のナショナルジオパークに認定されて、なんの変哲も無いありふれた地方都市が地域活性化に色めき立っている。
フォッサマグナを境に東西が分かれるのは地質構造だけでなく、その影響で源氏蛍の発光周期や植生も分かれるのだと、小学校で習った記憶がある。
面白いことに、縄文の昔から方言や民具、風俗など、文化的にも東西の境なのだそうだ。

また日本国内では電気の周波数が東西で50Hzと60Hzと違っているが、これは明治の頃に各地に出来た発電所が、電気の周波数を東西で統一しなかった事が原因で、何かと不便なので統一しようという機運もあったようだが、古くからある糸魚川の水力発電所が問題となって統一出来なかったらしい。
つまり東西日本の電気の周波数の違いも糸魚川が境目。
その関係から、JR西日本管轄の日本海側の北端も糸魚川駅である。新潟県にJR西日本の駅があるのも不思議だ。
糸魚川駅を新潟方面の北に向かう電車は、駅を出てから5分ほどで車内の電気が一時的に消えてしまうのは、電気の周波数を切り替えている為なのだ、といつか鉄道マニアの同級生が言っていた。
面白いではないか。大昔の地殻変動が自然科学的にも、人文科学的にも、産業にまで影響を残しているのだ。

その糸魚川駅も、これから新幹線が開通する事で大きく様変わりする。
地元のランドマークであった赤レンガ造りの車庫が解体されるのである。
新幹線の駅舎新設が主な理由。移設しようにも老朽化と採算の問題で、一部のみ保存して解体されるのだ。
糸魚川に帰省する度に、この古風で洒落たレンガ車庫を見ると、なぜかほっとしたものである。
近所の糸魚川小学校の生徒達は写生大会になると、よくこのレンガ車庫を格好のモチーフにしていた。
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郷愁の糸魚川駅レンガ車庫
小学校の入学式の帰り道、ここで蒸気機関車が煙を吐いていたのを覚えている。あの日が北陸線最後の蒸気機関車の運航日だった、と大人になってから聞いた。

先週はそのお別れセレモニーがあって、大勢の鉄道マニアが集まったらしい。
そしてその跡地には、全国どこでも似たような味気ないコンクリート製の新幹線駅が出来るのだ。寒々しい乾いた風景になる予感がする。

話しは変わるが、だいぶ前に都内にある江戸時代から続く、ある寄席(ヨセ;年中無休の落語の演芸場)が、経営困難で閉鎖される時にも、大勢のファンが詰め掛けたそうだ。
最終公演が終わり、寄席を出てからも別れを惜しんで帰らないファンに向かって、落語家の立川談志が「仕舞いになってから慌てて来ンじゃねえ!お前ぇらが来ねえから潰れたんじゃねえか!」と怒っていた、と聞いた事がある。

そこにあるのが当たり前に感じている人や動植物、物や風景も同じだろう。
朱鷺やミツバチ、メダカも絶滅危惧種になってから騒いでも遅いのだ。
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by jhomonjin | 2010-03-25 21:33 | 失われゆく風景 | Comments(2)
田舎に帰って自然農法の田んぼをやるぞ、と張り切っていたら、思わぬ事態に直面した。
お袋が言うには、実家の耕運機が老朽化していて、何年も使っていないから動くかどうか分からないらしい。
ここ数年の糸魚川周辺の兼業農家は、高齢化と農業後継者がいない為に、田んぼの運営はプロに委託する形が多いのだ。新幹線が通るので土地を手放した家も多いらしい。
なに、耕運機が無くても耕さない不耕起の田んぼなら出来るだろう、と応えると稲刈り機も脱穀機も同じだと言う。
稲刈り機は無くても我が家の田んぼは小さいので、人力でなんとかするにしても脱穀機が無いときつい。
東南アジアではラオス南部で足踏み式脱穀機を使っていたが、他の地域では田んぼの真ん中で稲束を板に打ちつける簡単な脱穀方法(労働的には大変だけど)をとっていた。
東南アジアの温暖な二期作地帯では、台風などの災害が少ない為に稲は米が脱粒し易い品種だから可能なのだ。
日本の稲は台風被害を防ぐ為に、稲が倒伏しにくく米も落ちにくい品種改良がなされてきたので、足踏み式脱穀機はともかく、叩き付ける式の脱穀は無理だろう。
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ラオスの脱穀
ヌンチャク状の棒で稲束を挟み板に打付けて脱穀する。
バリ島では手に持って脱穀していた。




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雲南省の稲架
関東甲信以南のほとんどが一段架けの稲架で、北陸以北は七段~八段架けの多段架け方式の稲架。
雲南省にも多段架け方式の稲架があった事に驚く。谷地で稲の乾きが悪いのだろう。
(タイで見つけた図鑑参照)

さらに重大な問題があった。
籾すりである。籾すりとは籾殻を落とす作業で、明治の頃は唐臼という大きな碾き臼で作業していたらしいが、俺の子供の頃は各地区の共同作業場に収穫した米を持ち込んで、籾すり機による作業をして貰っていた。
籾すり機は個人で所有するには大きくて高価であるから、兼業農家は個人所有出来ないのだ。
俺の地区の籾すり場が、米作りする人が少なくなってきて維持出来なくなり、かなり前に閉鎖していたのである。困るではないか。

当該管轄官庁である県の地域振興局に相談に行った。行政は法整備や指導などが専門で、具体的な解決策には不干渉な立場であるにも関わらず、親切な人達で一緒に困ってくれたが問題の解決にはならない。

プロに米作りを委託すれば、コンバインで稲刈りと乾燥を同時にやってくれるので、稲架(ハサ)に稲を掛ける作業が不要である。したがって非常に楽である。
しかし秋の風物詩である黄金色に光る稲束が稲架に架けられた風景が無くなり、乾燥と熟成を待つ稲が風にそよぎ、独特の乾いた臭いを放って鼻腔をくすぐる事も無くなっていく。

日本の風景が失われていく。
農家では庭先で鶏を放し飼い出来なくなった。鳥インフルエンザの問題で、鶏を他の野鳥と接触させてはいけないという行政指導で、屋根付きの鶏小屋に閉じ込めておけ、という事だ。

牧歌的なそんな農村風景が日本から消滅しつつあるのだ。
意欲のある農業の担い手が、農村地帯はともかく俺の住む糸魚川のような地方都市では、プロに委託した機械仕掛けでないと米すらも作れない環境になってきている。
なんとかしなきゃな。
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by jhomonjin | 2010-03-25 11:08 | 失われゆく風景 | Comments(0)