21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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カテゴリ:もののあわれ( 3 )

知人から、隣の上越市の某農家の土蔵に収蔵されていた漆のお膳やお椀が不用となり、焼却処分されるのだけど、欲しかったら貰ってくれぃと連絡があった。
俺が民俗資料を集めていることを知っている人からよくこんな情報が寄せられる。

そこで糸魚川から車で1時間ちょっと離れたその農家まで行ってきた。
多くの漆什器は組になって箱に入っていた。
重箱、お椀、銘々膳、お盆、酒器の数々。
大部分は輪島塗の高級品だが、全部で軽トラック二台分弱の量だ。
個人では所有できない大量のお宝を前に唖然とする。
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我が家の納戸を占領したお宝。これでも半分以下に減った状態。ある箱には墨痕鮮やかに「皆朱寺膳  慶応二年誂」・・・すべて朱漆の仏事用膳 慶応二年購入という意味・・・書かれた四足膳とお椀のセットが入っていた。

確か慶応二年といえば薩長連合が締結された年ではなかったか?
坂本竜馬や西郷さんと同時代の人が誂えたモノが目の前にあるって不思議な感覚。
同じ「皆朱 寺膳」と書かれた箱がまだ沢山あって、 文政だの大正だのと購入した年号が百年くらいに渡ってバラバラに書かれているので、三~四代くらいの歴代家長が少しづつ買い足していった状況が分かる。
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文政と年号が書かれた折敷膳二十枚組の箱。整体の恩師であるO先生の稽古場に貰われていった。O先生の稽古所は都会にありながら囲炉裏のある古民家で、会員も多く茶会なども開催するから活躍してくれるだろう。

緩衝材の包み紙も毛筆で書かれた反古紙や、戦前の新聞紙だったりして面白い。
「大本営発表 我が帝國海軍は印仏沖海戦にて敵輸送船団三十隻撃沈」なんて活版印刷された新聞紙自体も俺にとってはお宝だ。
因みに現在の新聞はコンピューター制御のオフセット印刷。
活字が大きくてまろやかな感じだが、活版印刷は植字工が一字づつブロック状の活字を組み込む職人技。
活字が小さくてクッキリした印象。
難しい漢字にはルビが振ってあるので、昔は新聞を読むだけで漢字の勉強になったんだなぁ、と実感。
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これが皆朱寺膳セット。同じ意匠、同じ寸法の四足膳とお椀のセットが、何世代にも渡って何度も注文できたってこと自体が尊い。伝統工芸の底力だ。作り手と使い手の共有された美意識。これこそ文化的というもの。

その家の仏間に通されたら、浄土真宗特有の絢爛豪華な仏壇が置いてあった。
仏壇の中を拝見させて頂いたら、初代は安永二年没と書かれていたので、江戸時代中期後半に始まった家系らしい。
江戸時代は質屋もしていた豪農だったようだ。
新潟の裕福な家は、越後特有の盲目の女旅芸人の瞽女(ゴゼ)さんが泊まる「瞽女宿」であった家が多い。
現在の家長に聞いたら、やはり戦前まではそうであったとのこと。
瞽女さんは、三人一組くらいで各地を門付しながら渡り歩き、集落の裕福な家に泊めてもらう。
夜にはその家の座敷に近隣の人々が集まって瞽女さんの唄を聴き、合間に各地の土産話しも聞くという即席の寄席のような家が瞽女宿だ。
瞽女宿の家は、来客の接待や瞽女の食事や入浴の面倒まで全て無料のボランティアだから、地域に富の還元をする篤志家ということになる。
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酒器らしき南部鉄瓶。なぜ酒器と分るかというと、蓋が鋳鉄ではなく朱漆が塗られた木製だからだ。普通の鉄瓶のように火にかけると漆が焦げるだろう。蓋なしで酒をお燗して、膳に出す時は蓋をして保温したのだと思う。

歴代の家長は、孫子の代まで使える家財として、漆の什器を集めてきたに違いない。
仏事で大勢の参会者が集まった時に、子孫が恥ずかしい想いをさせたくないという親心か?
時が流れ、平成の世には百年以上に渡って祖先達が集め続けた「お宝」が無用の長物。
今は田舎でも冠婚葬祭はセレモニーホールで済ます事が多いから、無理もない。
漆の什器には、三々九度の杯と酒器といった婚礼セットまであった。
昔は人の誕生から成長、死に至るまで、すべて家の中での出来事だった。

輪島塗も江戸時代と現代では様変わりしている。
今でも本物の輪島塗は、三代前が切って乾燥しておいたアスナロの椀木地をロクロでひいて、漆を塗っては研いでという工程を何度もして完成に至る。
ところが今時は、プラスチック製の椀木地に化学塗料に天然漆を2%混ぜて塗装しただけで「本漆」と表示して売ってもいいそうだ。
通商産業省は何やってんだ。
「プラスチックにペンキ塗った漆椀」は、江戸時代の作り方からすれば漆製品モドキだが、そんなモドキでも都会の有名デパートでは高級品として扱われるらしい。
安かろうのモドキが、本物の存在価値を駆逐していくのが現代。
大量生産大量消費の論理が、伝統工芸の世界とは明らかに異質で、同列に扱うこと自体がナンセンス。
そして本物の価値を知らずに、ブランド信仰で高価な買い物をするのが現代人の審美眼と価値観。
つくづくモノの本当の価値を知らないってことは情けない。
通商産業省の人達は、自分たちの決めたことが伝統工芸を根底から覆していくことに心が痛まないのだろうか?
役人が決めた約束事で日本文化が破壊されていくのだ。
その構造が続く限りますます伝統工芸が衰退し、良心的な職人が食えなくなっていく。

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鶴亀の吉祥図柄の蒔絵が施された会席膳と、お洒落な小型丸盆。知人の古道具屋から朱漆が塗られた什器は仏事用と聞いていたが、吉祥図が描かれていることから祝儀の席用か?でもツートンカラーの丸盆って凄いセンスだ。

さて、問題は軽トラ二台分の漆の「お宝」の置き場だ。
既に俺の自宅にはたんまりと漆製品がある。
そこで整体の仲間にメールしまくったら、都会在住の稽古仲間から良い反応が来た。
整体関係者には、本物志向の人が多い。
田舎の稽古仲間は、それぞれ家に漆什器を大量に保管している人が多いので駄目。
十組セットの四脚膳だって、バラにして花台や飾り物の台としてなら都会の人でも使える。
各稽古場の受付台や調度品にどうですか?江戸時代の貴重品ですよ、花台に転用すれば素敵ですよ、と声を掛けた作戦が成功したようだ。
輪島塗のお椀だって、日常使いにすれば粗食でも文化的で豊かな食事風景といえる。
もしかしたら本物の輪島塗で食事した最後の日本人になったりして・・・。
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お宝には瀬戸物も多くあったが、割れ物は遠慮した。中でも目を惹いた徳利だけ頂いてきた。一輪挿しによさそう。釉の溶け方が素朴でポッテリした印象に温もりを感じる。現代陶芸にはない朴訥さに人間臭さを感じた。

大師匠の許可も貰って、試しに一月の京都稽古会にサンプルを持っていったらあっという間に貰手が現れた。
評判は良かったし、予約注文も貰ったから、納戸問題も解決の見込みが付いた。
これからは京都稽古会に行く度に少しづつ持っていき、稽古場の隅に展示させて貰うことにもなった。
お金も少し貰って、稽古場の営繕費として少しは寄付できたら一石二鳥。
とにかく漆什器を頂いたお宅のご先祖様と、それらを作った職人さん達も哀しい想いをさせなくて済みそうだと思うと、ちょっと安心。

でも今日も俺の知らないどこかで、お宝が捨てられたり燃やされたりしているんだろうな、と思うとやるせない。
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by jhomonjin | 2013-02-09 23:29 | もののあわれ | Comments(1)

道で出会った捨て猫の話

ある寒い朝、人気の無い道の真ん中に子猫が座っていた。
座っていた、というよりは腹が減って動けない感じだ。
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文字通り明日をも知れない状態なのに無邪気そうな寝顔の捨て猫。いじらしいではないか。この前は何時メシ喰った?今度は何時メシが喰える?雪が降ったら何処で寝る?せめて夢の中だけでも楽しい思いをしてくれい、と祈った。

ガリガリに痩せているし、薄汚れた感じから捨て猫らしいが、猫好きならこんな時に車を止めて他の車に轢かれないように道端に逃がしてやるだろう。
俺もそうしたし、ポケットに禁煙用のキャラメルがあったので投げてやった。
ちょっと怯えて遠巻きにしてたので静かに後ずさりしたら、子猫はフニャフニャハグハグ言いながらキャラメルを貪り食った。
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目をシロクロさせながらキャラメルにむしゃぶりつく子猫。よっぽど腹が減ってたんだろう。キャラメルが歯にくっついて喰い難そうだったけど美味そうに喰っていた。5粒程放り投げておいたが、歯ぁ磨けよう。

この道は人気が無い分、車がスピードを出して通るからかなり危険だし、もう11月に近いから雪が降り出したら子猫は生きてはいけないだろう。
後ろ髪を引かれる想いで子猫と別れた。

あの道を通る度に子猫の安否が気になって、まだ生きているのか?道端に子猫の死体が転がってないか?と車の速度を落として辺りを見回す日が続いた。
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何回か目のキャラメル弁当をやっていると、家族でドライブ中の女の子が「ニャンニャンだ!」と寄ってきた。「オヤツ持ってたらやってよ!」と声を掛けると、おばあちゃんらしき女性が車から御菓子を持ってきてくれた。今日もなんとかイノチを繋げた。

子猫は相変わらずぐったりと道端に座り込んでたり、寝転んでいたりした。
あたかも人目に触れることで、誰かに拾われるのを待っているか、車に引かれて自殺しようとしているかに見えた。
誰が捨てたのか?自分を捨てた飼い主に非情を訴えているのかも知れない。
見捨てておけなくて、見かける度にキャラメルを放り投げてやった。
「頑張れよう、一粒で300m走れるってキャラメルなんだぞ。生きてさえいれば誰かに拾われるチャンスあんだから、諦めるなよう!」と胸のなかで呟く。

拾ってやりたいが、我が家にはナルーという気の強いメス猫がいるので、気が合わなければ虐められてしまうだろう。ナルーも捨て猫だったが、もう11歳だ。

子猫と出会ってから6日後の今日、奇跡が起こった。
昼寝していた子猫にキャラメルを投げて激励(?)をしていたら、車で通りがかった女性が声を掛けてきた。
「その猫ちゃんは飼い猫ですか?」
俺がこれまでの経緯を話したら、女性は「う~ん、家にも猫がいるし・・・、親がまた猫拾ってきた!って文句言うだろうしなぁ・・・」と呟いている。
脈ありだ。
女性は一度車に戻って、猫用の裂きイカみたいな食い物を出してきて子猫に投げてやった。
最初はフーッと警戒してた子猫も、ご馳走を貪るうちに女性に馴れて近づいてきた。
なんと最後は女性の膝にスリスリと擦り寄ってきた。
この女性はよほど猫好きオーラが出ているらしい。優しそうな女性だ。
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なんてこった。奇跡の女神が登場してくれた。この女性が新しい家族になってくれた。
プロ野球の野村監督の座右である「念づれば現ず」という言葉は、俺の整体の大師匠の造語らしい。現じたよ、本当にっ!



結局、女性は子猫をエコバックに入れて家に連れ帰ってくれることになった。
子猫はケガをしてたし、感染症などの予防などの為に週明けには獣医に診せるそうだ。
世の中、満更でもない。
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by jhomonjin | 2011-10-22 18:05 | もののあわれ | Comments(6)
中国とベトナム、ラオスの長距離バスには、二段式の寝台車がある。
どこの国の寝台バスも身長175cmの俺には狭すぎる事と、バスによっては寝台がフルフラットにならない事、座ると天井に頭が当たる位に低く飲食や着替えもままならない事などもあり、俺にはあまり居心地の良い移動手段では無かった。
しかし身長170cm以下の人で何所でも寝られる人なら、結構便利な乗り物だと思う。

最も劣悪だったのが北京から内モンゴルに向かう中国の寝台バスで、予約無しで出発直前のバスに乗り込んだ為に、最後部の6人用ベットに7人目として詰込まれてしまったのだ。すし詰め状態で寝返りも打てず、おまけに相当なオンボロバスで揺れも酷く、隙間風で寒い上に黄砂が吹き込んできて、喘息持ちじゃなくて良かった、と真剣に思った。
通路は荷物で溢れ返っていて通れるものではなく、トイレ休憩には窓から出入りする状況である。
二段ベットの高い位置にある窓から降りるには、足を先に出しておいて飛び降り、車内に入るには窓枠に懸垂して頭から這い上がるしかないのだ。埃と体臭でほとんど奴隷船だった。
垢で黒光りした湿気と埃を吸った枕と薄い布団をあてがわれ、ちょっとでも寝返りを打つと周りの中国人から文句を言われ、流石にぐっすりとは寝られたものではなかったが、そんなバスに外国人が乗る事は珍しいらしく、休憩時間には乗客からご飯や煙草、酒を振舞われ、今では楽しい思い出となっている。
そしてこの様な悲惨な状態でも隣りの中国人は鼾をかいて寝ており、生き物としての強さに圧倒され、最後には愉快になって仕舞うから不思議である。

ベトナムとラオスの場合はずっと快適なバス旅が出来るが、意外にもラオスのバスが最も新しく快適であった。今回はラオス南部のパクセーからベトナム国境に隣接したアッタプーまで寝台バスを利用した時の話である。

この時は弁当とミネラルウォーターのサービスもあり、またバス最後部にトイレもあって居心地も悪くなく、俺以外の乗客は朴訥で人当たりが柔らかいラオス人ばかりで気持ちよく旅ができた。俺の寝台は出入り口前の最前列の上段寝台だった。
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ラオスの寝台バス
最前列の寝台。。
写真に写っているのは隣のラオス人の兄ちゃん。
弁当は冷えた炒飯で不味いからと、俺にくれた。
言葉は通じないけど、気の良い奴だった。

途中のトイレ休憩で、小さな村に停車した時である。
休憩所は簡単なバラック造りの屋台と売店があるだけの街道沿いの農村で、バスが止まると待ち構えていた村の女達が、果物や野菜、お菓子や飲み物などを籠や笊に乗せてワラワラと車内に乗り込んで来た。
おばあちゃんや小さな女の子もいる。親族一同の女達って雰囲気だ。
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物売りの女達。
老婆から女の子など三世代に渡った編成だ。
焼鳥、もち米ご飯、嗜好品や飲み物、野菜や果物など売っていた。
足元に注目。
全員裸足だ。



女達はまずは最前列で外国人の俺を目掛けて殺到してくる。
こんな時は気の毒に思い何かを買ってやりたくなるものだが、あいにく弁当と水のサービスがあった事と、非常食用のビスケットと果物など持っていたので欲しい物がなく、なるべく視線を合わせないように狸寝入りか、持っているビスケットやミネラルウォーターを見せて「悪りぃな!」と仕草をして、俺が何も買う意思が無い事をアピールすしかない。
こういった物売り達は、ちょっとでも興味ありそうな視線をすると敏感にキャッチして、あわれを誘う、すがるような目付きで訴えてくるから断るのに骨が折れるからだ。
俺なりのバックパッカーとしての仁義を切っていると、女達は諦めて他の乗客を求めてバスの通路を奥に入っていく。
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通路の奥へ入っていく女達。
一日に何度かの現金収入のチャンスだから必死だ。


















次々とバスに乗り込んで来る女達に俺流の仁義を切っていると、ふとある事に気付いた。
彼女達はみんな裸足なのだ。
身なりは確かに貧しそうだけど、ビーチサンダルくらいは履いていても良さそうだ。
寝台から身を乗り出してバスの入り口を見たら、バスの外に彼女達のサンダルが脱いで置いてあった。
胸がつまった。バスといえども土足で他人の領域に入る事はしないのだ。
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ぐっと来た光景
女達のサンダルは、次々と降りる乗客に踏まれてバラバラになっていった。







もちろん、彼女達は自宅でも土足はしないに違いないから、日常の生活スタイルそのままで裸足でバスに入っただけでしょう?と特別な感慨を持たない人もいるだろう。
でも違うのだ。俺が感動したのはそんな直接的な事では無いし、第一に他のラオス人の乗客は皆サンダルや靴を履いたままでバスに乗っている。(ベトナムでは乗客も土足厳禁だった)
バスの外に折り重なるように脱ぎ散らかされたサンダルを見て、太古から連綿と続く喜びや哀しみ、なにか切ないぐっと来る、時空を超えたアジアの女達の経験してきた歴史の重み・・・のような何かを感じたのだ。

同じアジア人といっても漢民族みたいに土足で家に出入りする文化もある。
また同じ中国人でも、朝鮮族自治州の農村では土間までは靴を履いて、オンドルのある一段高くなった居間や寝室では靴を脱いでいたし、都市部でも朝鮮族と漢民族共にアパートの玄関で靴を脱いでいた。
多民族国家である中国の文化は実に多様だ。
蛇足だが、日本人移民者の多いオーストラリアでも家の中が汚れないからといって、最近は日本人の習慣を取り入れて玄関で靴を脱ぐオーストラリア人家庭も少なくない様だ。
だから他人の領域には土足で立入らない、という彼女達の習慣を持ってアジアの文化とひとくくりに纏める事も出来ないと思う。
前にも言ったが俺は学者ではないし、ここで語りたいと思っている事も学術的な民族文化論では無い。
脱ぎ散らかせたれたビーチサンダルを通して、俺が感じたのは感覚的な印象体験なのだ。
ビーチサンダルは一つの象徴であって、その裏側に潜んでいる何か「ぐっと来るモノ」を俺は感じたのである。

こういう客観的な言葉に翻訳できない感動を、「もののあはれ」と昔の日本人は表現したらしい。
らしい、というのは俺は中学、高校と古典は赤点しか取った事のない落ちこぼれであったので(思いおこせば美術と体育、国語と歴史以外は赤点しかとった事は無いように思うが・・・)不確かだからである。

客観的な考察ではなく、感覚的な「ぐっと来る」あの感動を一言で表すなら、ウチとソトを分別する時に思わず出てしまう「慎み」という感覚の表れではないだろうか。

明治の頃は汽車に乗るときに履物を脱いで乗込む乗客がいて、汽車が出発した後のホームには履物が置かれたままになっていた、と落語で聞いた事がある。
面白いのは、よくこのブログに出てくるミュージシャンのカズさんの息子も、生まれて初めてバスに乗った時には靴を脱いで乗車しようとしたのだという。
平成の日本の子供にも、あの村の女達や明治人と同じ感性を持っている事が愉しい。
このような無意識にしてしまう行為にこそ、俺には興味が尽きないし、文化の奥行き、人間の美しさを感じる処である。
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by jhomonjin | 2010-03-31 14:56 | もののあわれ | Comments(0)