21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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カテゴリ:姫川流域交流こどもプロジェクト( 2 )

前回投稿の美術部OB展の打上げで、聞き捨てなら無い事を耳にして、腹を立てている。
現在、糸魚川高校には正式の美術教師がおらず、非常勤教師が美術の授業を受け持っていて、自動的に美術部顧問になっている。

最近の新潟の県立高校は、美術教育に関して予算が削減傾向になっていて、正規の新任美術教師を雇えないらしいのだ。
あろうことか長老OBの重鎮である、市内で自転車屋をしているI社長にまで美術の非常勤職員になって貰えないか?と打診があったらしい。
気骨のあるI社長の事、依頼してきた校長に向かって「自転車屋のオヤジに高校の美術教育を任せようという事とはどういった料簡かっ!」と啖呵を切ったらしい。

実際に非常勤美術教師をしている後輩のIちゃんによると、最近の高校美術部員に絵を描かせるとイラストや風景写真の模写ばかりが多く、表現が画一的でレベル自体も相当に低いらしい。
美術部員のくせに、美術部の備品として油絵の具を用意するなら油絵を描いてもよいが、油絵の具を自分で購入するくらいなら描かないとまで言うのそうだ。
俺たちの高校時代の美術部員に較べて、熱意もそうだが技術の差が格段に低くなっているのだという。

俺の高校の頃は、海の家で監視員のバイトをして買ったプルシャンブルー、マリンブルー、コバルトブルー、エメラルドグリーンを使って、喜び勇んで海の絵を描きまくった夏の終わりの思い出や、展覧会に来た観客に俺の絵を売って欲しいと言われ、絵の具の購入代金欲しさに泣く泣く売った荒海の絵など、今思い出すと胸が熱くなる思い出が油絵の具には沢山ある。
油絵の具の匂いを嗅ぐだけで、高校生時代の一瞬の記憶が鮮烈に甦ってくる。

OB展にも現役高校美術部の出展があったが、確かにそれらの作品は、深みのない平面的な表現しか感じないものが多かった。つまり薄っぺらなのだ。
あるOBなどは、ここまで高校美術部のレベルが落ちたか!と打上げの席で何度も嘆いていた。
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うりかわ蓑
移住予定の小滝公民館に展示されていた蓑で、瓜皮蓑と漢字表記するらしい。瓜皮の樹という樹木の樹皮を剥いで作った昔のレインコートで、縄文時代にもあったと思う。
まだ作れる老人が生きているそうなので、小滝に移住したらプロジェクトの一環として先生になって貰って復活させたい。雪かきや梅雨時の農作業時には蒸れなくて長宝しそうだ。手技文化の復興である。

美術の先生というと、一風変わった個性的な人が多かった。
人間臭くて、反体制的な危険な匂いと、洒脱な雰囲気をあわせ持った魅力的な大人のイメージだ。
そういった個性的な先生もいなくなっていくんだろう。
そんな教師とは、生涯に渡って交流があったりする。
OB展に出品した長老達にも、かっての教え子が会場に来て挨拶していたし、出展した他のOB達も二代続いて長老OBの教え子だったりする。

絵を描くことの愉しさ、創造する喜びを何故学校で教えないのか?
表現する欲求を導き出し、絵画や造形で表現する能力を育成出来る指導者が不在のままで良いのか?
何かおかしいぞ、日本の教育!
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by jhomonjin | 2010-10-09 23:28 | 姫川流域交流こどもプロジェクト | Comments(2)
俺の人となりや外見は、バリバリの体育会系に見られるのだけど、高校時代は美術部で油絵を真面目に描いていた。
確かに剣道やボクシングもやっていたし、社会人になってからはマリンスポーツやアウトドア遊びばかりしてきたので、体育会系に見られても仕方ないし、落語好きで学生時代はアメ横で魚屋のバイトをしていたので、普段の言葉使いも江戸っ子風のべらんめえ口調だからなおさらだ。

しかし本当の俺は繊細で相当な恥かしがりやさんだ。
自分で自分の事を恥かしがりやさん、というから間違い無い筈だが、世間ではそうは受取らないらしい。困ったもんだ。
なんか照れ臭いから、照れ隠しに強気な態度を取ったりするのだが、どうも世間一般の人はそれを真っ正直に受取ってしまうのだな。
そういう真っ正直な受取り方をする人を、シャレの解らん奴という。
落語でも聴いて、もっとシャレの解る人が増えて欲しいもんだ。
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山田コーナー
最初は陶芸部門に設置する予定だったが、配置係りのA子ちゃんがキワモノ扱いして階段横の空スペースに設置される羽目になった。後輩といえども女は強い。黙って従った事でも俺のナイーブさが証明されようというもの。

糸魚川高校美術部OBには、県の美術界の大御所もいて、戦後しばらくは糸魚川高校美術部OB主導による「視展」という美術展が精力的に行なわれていた。
その関係から、県内出身で後に国際的な名声を得た美術家も輩出してきた歴史があるらしい。
その歴史あるOB美術展が、いつしか行政主導の「市展」という形態になり、市内在住の美術愛好家に門戸を開いた事から、次第に求心力が失われてきたらしいのである。
平たく言えば、趣味レベルのアマチュア画家が大量に美術展に作品を出品し始めてからレベルが下がったのだ。
あるらしい、とは今日そのOBによる美術展があって、打上げに参加したOBから聞いた話しだからなのだ。
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縄文土器
本物みたいですね、と後輩のミヤタが言った。都内で美術教師をやっている1年後輩だ。おい、デブになったな。貫禄ですよってか!
先輩後輩の仲は、いくつになっても変わらないのが嬉しい。

俺の四歳下の美術部OBのひとりで、長老格と親交のあるミツル君がその事に危惧を抱いて、「糸美展」としてOB展を復活させたのが3年前だ。
そして第二回目の美術展が今週の土日にあった。
参加者は約30名。最年長85歳から最年少16歳までのOB,OG、現役美術部員達だ。
会場設営の準備段階から、全員が高校生に戻って和気あいあいと愉しい雰囲気だった。
歳がうんと離れていても、先輩後輩の関係がそのままなのがおかしい。

勿論、俺も縄文土器と手作り民族楽器を出展した。
来場者には、民族楽器で自由に遊んで貰ったので、特に親子連れに喜んでもらったようだ。
俺の出展作品が果たして、美術として位置づけされるかどうかは疑問だが、静かに鑑賞するだけの通常の美術展には無い、美術に親しみを抱いて貰う役割は果たせたようだ。
参加したOBで、県内美術界の大御所から「おまん・・・あなた、という意味の糸魚川方言・・・の作品が一番個性的だったわ。」と捉えようによっては厭味にも聞こえる褒め言葉を頂いたので、取敢えずはウケた事は確かだ。

土器もそうだが、民族楽器を作るには、技術の他にその楽器の持つ本来の意味や、文化的背景を理解する必要がある。
民族楽器作りをするという事は、刃物を取り扱う技術(技術家庭科)、木の性質を識る事(理科)、楽器の扱い方(音楽)、楽器の持つ意味(歴史・民族学・民俗学)など様々な分野を学ぶ、という事になるのだ。
楽器に彩色する場合にも、岩絵の具を使って、古代人の色彩感覚や絵の具の歴史、美術的センスも学ばなくてはいけないのだ。
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民族楽器
自由に手にとって遊んで下さい、という事にした。
自分でも作ってみたい人は、関根秀樹先生の本を購入して下さいな。





ところが学校の音楽教育では、音階理論からスタートしてしまうので、本来は楽しいはずの音楽を苦痛に感じる子供を大量に作ってしまうのではないだろうか。
少なくても俺には音楽理論が難解だったし、小二の時に変声期に入ってしまい、ガラガラのハスキーボイスしか出なかったので音楽の時間が苦手だった。
体育や美術教育も然り。
最初に理論ありき、ではなく愉しさがないと子供は興味を持たないだろう。

俺は今後、こんな事を通して学校のカリキュラムでは学べない、分野横断的で総合的な教育プログラムを学べる場を作っていきたい。
この夏から「姫川流域交流こどもプロジェクト」を仲間とスタートさせたが、来年から本格的にこんな事を実践していくつもりだ。
縄文土器作り、石器作り、縄文絵の具作り、縄文料理、民族楽器作り、木工、薪割り、焚火、自然農法、郷土料理作り、雪国の生活体験教室、海の遊びと牡蠣やサザエ獲り教室、山菜採りとその加工などなど、実行していきたいプログラムが山ほどある。
そんな体験をしてみたい人達を各地から誘致して、これから移住を計画している小滝という翡翠の原産地である限界集落を賑やかにしていきたいのだ。

みなさん、ぜひ遊びにお出で!
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by jhomonjin | 2010-10-03 23:52 | 姫川流域交流こどもプロジェクト | Comments(3)