21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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カテゴリ:縄文来福( 9 )

二年前の今頃に「気分はもう夏!」というタイトルで、スコールの下でプロレスごっこするカンボジアのフルチン少年の記事をアップしたら、それ以後は検索ワードのベスト3に「フルチン」が入るようになった。
そこで去年の今頃には「フルチン少年に興味のある奴、前へ出て来い!」という内容でアップしたら物凄いアクセス数で、今でも検索ワードベスト3に「フルチン」は健在だ。
世の中には「フルチン」をネット検索するフルチン愛好家っていっぱいいるらしい。
再三言っておくが、俺は「フルチン好きこの指止まれ!」という集合を掛けたんじゃない。
ドンッ(机を叩く音)
お前ら、仲間だと思って変なコメント寄せるんじゃねえ、という怒りの声だったんだかんな。
勘違いしなさんな。
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フルチンキックの図。こんなこと書いてまたフルチンが検索ワードに復活するんだろうか?俺って末っ子長男だからサービス精神が旺盛なのだ。

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兄貴にチキンウイングフェースロックを決められつつもカメラ目線なフルチン少年。唇が紫色に震えていてもプロレスごっこに夢中だった。俺にもこんな時代があった。




ところが今日初めて検索ワードランキングからフルチンが消えていた。
そして栄えある1位は「縄文カヌー」パチパチパチ(拍手)
以下、縄文関連が検索ワード上位に並んでいた。
いよいよこのブログもフルチン野朗のオアシスではなく、縄文マニアの梁山泊になりつつあるのか・・・なったらええのう。

以下は縄文来福(12回目)です。

数日後、大工さんは本当に作業場へ案内してくれた。
電源があるし、天井クレーンまで揃っている広くて立派な作業場だ。
ユニック車での運搬費と倉庫賃料、謝礼すらも不要だと念を押された。
好意に甘えて引越しする事にしたが、せめてものお礼として後で酒を差し出したら受取ってもらえた。
しかし引越後に最も感動したのは、屋内だと陽射しや風雨による体力の消耗が皆無という事。
それと地面が平らだと疲れ難く、作業効率も格段に良いという根本的な事だった。
気分も穏やかで安らげるのも新鮮だった。
日本で定住が始まったのは縄文時代とされている。
土器や弓矢、磨製石器、そして竪穴住居は縄文文化を支えた発明品だ。
私はこの時に竪穴住居に暮らし始めた縄文人の喜びを実感できた。
嵐の晩や雪に閉ざされた晩も、竪穴住居内には食料が蓄えられ、囲炉裏に火が赤々と燃えて安穏と眠りにつくことができたろう。
それは温かい羊水にプカプカ浮かんで眠る胎児の安らぎの記憶。
家とは、生き物の胎内回帰志向が生んだ安らぎの場のことなんだ、とその時思った。
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メコン河を挟んだ対岸がタイというラオス街ファイサーイにて。メコンを見下ろす寺の小坊主さん達の朝食準備風景。火を見入ってしまうのは万国共通。竪穴住居は火を守るために生れた建物という説に納得する風景。
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by jhomonjin | 2012-06-21 22:14 | 縄文来福 | Comments(4)
過去2回の不耕起の田植えでは、田植え後一週間も経つと三割程度の苗が枯れて植え直しをしていた、と前に書いた。
そこで農協のヘニャヘニャ苗では駄目だと悟り、今年は自分で初めての育苗をしたのである。
その結果、田植え後二週間経っても枯れた苗は皆無!・・・パチパチパチ(拍手の音)
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左が農協のお嬢さん苗の根っ子。右が俺が育苗した野武士苗の根っ子。背丈は変わらないけど、俺のは茎が太い。根っ子も長さと太さが断然立派。よく見ると太い根っ子から毛細管みたいなヒゲも沢山出ている。

さて、慌しい日々が続いていて、縄文来福のブログアップを忘れることが度重なっている。
それに途中の回にも抜けがあったようだ。
とりあえず以下は縄文来福(11回目)ですわ。

斧を振り続けて十日目、予定通りに芯材まで刳り抜くことができた。
しかし伐採当初から木口には青っぽい放射状模様が見えていて、その時点でひび割れになっていた。作業時以外はシートで覆っていたが、露天なので昼夜の温度差が激しく、作業時も陽射しが強烈だったから無理も無い。
気休めに木口に木工ボンドを塗って乾燥予防とした。
芯材を抜き終った安堵感に放心して丸太に見入っていたら、通り掛りの大工さんが車を止めて声を掛けてきた。
経緯や状況を話したら、「おまん相当疲れとるみたいだわ。木にも体にもようない環境だそいね、俺の作業場ね引っ越して来ないっちゃ。悪いこと言わんそいね、只で貸してやるわね。」と信じられない申し出をしてきた。
しかもユニック車で運搬までしてくれるという。
大工さんは、今は忙しいので暇な時に作業場に案内してやるっちゃ、と言い残して行ってしまった。疲れ過ぎて都合の良い白日夢でも見てるだろうか?でも大工さんの電話番号を聞いている。
まさしく天佑だ。ほんの束の間、疲れを忘れて笑みが浮かんだ。
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中央の黒っぽい線が心材。太い丸太だとチェーンソウや斧も自在に使えるので楽だけど、小滝丸の船首部は30センチしかないので苦労した。今から思うと露天で電動工具無し、単独という条件下でよくやったもんだ。
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by jhomonjin | 2012-06-16 21:11 | 縄文来福 | Comments(0)
禁糖を始めて2日目に泌尿器に変動が来た。
朝起きたら腎臓のあたりが重くてだるい感じ。
夜中にトイレに1~2回は起きるようにもなった。
泌尿器から身体の更新を始めてくれているのだ。
次いで呼吸器,それから心臓も動き出して(笑うな。真面目な話!)、呼吸器や心臓に関連した部位が賑やかに運動会をしている感じがする。
舌が渋くて膨れた感じがしてタバコが不味くなって吸わなくなったのが6月1日。
毎年入梅宣言の10日前くらいに同じ症状が出てタバコを吸わなくなるのだが、今年も例年通り9日目の入梅宣言だった。
キツい洋モクを日に1箱吸う俺にしては実にきっぱりとタバコを吸わなくなる。
でもこれはタバコを吸いたくなくなって吸わなくなるのだから禁煙では無い。
これで急にタバコが吸いたくなって吸い出した10日後位に梅雨明け宣言されるのが通例。
どういう訳だか俺の体感している梅雨って、気象庁発表より10日間くらい前倒しなのだ。
俺の身体は老廃物の排泄ムード一色な感じ。
過去の打撲もうずきだしてきた。
あと数日で下痢を起こして今年の禁糖が終わる予感。

さて、以下は縄文来福(10回目)です。
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一隻目の小滝丸作業風景。屋外の坂道の途中にあったので、足元には雪解け水が小川のように流れていた。今から思うと相当に過酷な環境だった。大昔みたいに思えるけど、去年の4月上旬の話だなんて夢みたいだ。

作業場はトタン屋根ほどの勾配のついた坂道の途中にあった。
立っているだけでも疲れる上に、雪解け水が常時サラサラと流れていた。
足はシンシンと冷え、足場も悪くよく躓いては転んだ。
こんな条件下では正確な墨出しは是非も無かったが、とにかく人力で移動できるまで軽量化しさえすれば、小滝森林生産組合の車庫に入れることが出来るのだ。
墨出しが終われば、船縁ラインの削り出しだ。
垂直方向にチェーーソウで切れ目を入れ、斧を水平に振って平らに均していく。
次は船内を抉って軽量化だ。
民族例では、丸木舟作りは伐採後の十日以内に芯材まで撤去すれば、ひび割れしないと報告されていたから、一心不乱に作業に没頭した。
朝晩は吐く息が白くなるほどに寒かったが、昼は強い陽射しでTシャツ一枚になって斧を振るった。
生木に直射日光や風を当てるのは禁物だ。
ひび割れの原因になるのだ。
体にも丸太にも劣悪な環境化での作業の連続で、何時しかすぐにしゃがみ込んだり、立眩みするようになっていた。色々な意味で孤独な作業だった。
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by jhomonjin | 2012-06-07 22:28 | 縄文来福 | Comments(0)
前にも書いたが、俺が保育園の年長さんの頃、原始人はどうやって真っ直ぐを作ったの?とお袋に聞いたことがある。
お袋は「糸を引張れば真っ直ぐの直線になるよと即答した。
俺が散々悩んだ問題を簡単に答えられてしまったので、ちょっと挑む心地になって「じゃ、まん丸は?」と聞くと再び「糸のかたっぽを押さえて、かたっぽをグルッと廻してご覧。まん丸になるよ。」と即答した。
この世の中で垂直とか水平、もっと突き詰めれば真っ直ぐとか直角、まん丸って簡単な原理の積み重ねで作り出されている。
縄文時代の丸木舟からスペースシャトルまで、原理は同じだ。
縄文カヌーもそうやって作っている。
都会の人たち、サバイバル技術の基本として覚えておいた方が良いぞ。
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丸木舟つくりの最初は、まず船底になる側を決めて水準器を当てる。一人作業なのでビス止めできる工夫をした。ジャッキを丸太の下に入れて、水準器の気泡が真ん中にくるようにジャッキを煽る。垂直になったらそれが基準線だ。

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よく考えたら前に真っ直ぐ問題の記事をアップした時に上の写真を使っていたので、サービスに水準器の固定方法を公開。ホームセンターで買ったL型金物をタッピングビスという金属にも固定できるビスで止めただけですわ。

以下は『縄文来福』(9回目)
ジャッキの活用で丸太を移動できるようになり、作業は捗った。
それまでは雪の壁と丸太の間が五十㎝もなく、斧が存分に振れなかったのだ。
樹皮剥きに三日間を要して次は墨出しだ。
丸木舟作りで最も重要で難しい作業である。
一般的に丸木舟作りは年輪が詰った側を船底とする。
年輪の詰った側は日当たりの悪かった側で(北とは限らない)、基本的に重いから船底に向くというのだ。
しかし実際に作ってみると幹の捻れや曲がり具合、節の観察を綿密にして、木の癖を読みきらないと良い丸木舟は出来ないということが解かった。
本に書いてある程は単純ではないのだ。船底側を決めたら、年輪の中心と船底が通る直線上に水準器をビス止めして、気泡が垂直を示す位置までジャッキで丸太を回転させる。
これが以後の基準となる重要な墨となる。
相棒がいれば気泡を確認して貰えるのだが、一人ではジャッキを煽っては気泡を覗くという繰り返しで微調整が難しい。
しかも丸太は坂道の途中に斜めに置かれている。これで正確な墨が出せるのか?
不安の中での作業が続いた。
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by jhomonjin | 2012-05-10 22:45 | 縄文来福 | Comments(0)
3月最後の休日に内部抉りの80%くらいまで完了。
横移動だけなら一人でも可能なくらいに軽るくなった。
木の内部に埋もれていた節が5箇所ほど露わになってきた。
多くの節は硬くて加工しにくいだけだけど、左舷船尾にそのうちに抜けそうな「死に節」もあってちょっと心配の種となっている。
それと心配の種は運搬用の車の手配だ。
明星丸は全長5.5mもあるので流石に軽トラというわけにはいかない。
誰かボランティアで2tトラック貸してくれる人、ご紹介して!
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3月25日時点。普通なら木の凸凹が平になるまで削ってから船体を加工するが、その作業は丸木舟の出来あがり寸法が小さくなってしまう。今回は凸凹をそのまま活かして少しでもでっかく作る了見だ。左の船縁が変な形状になっているが、ちゃんと線は通っている。

以下は「縄文来福」の6回目
伐採は平成二十三年四月三日と決まった。
丸木舟作りの民俗例では、伐採時に関係者が集い、司祭が儀式執り行うのが一般的だ。その点は縄文時代も同じだったと思う。しかし当時のわたしにはまだ仲間もなく、神主を呼ぶお金もなかった。だから伐採一週間前と前日の二回、人気の無い夕方を選んで一人きりでお祓いをした。
構想十五年の夢が叶うのだと希望で胸が膨らむ、という気持ちは微塵も無い。むしろ生きた樹を自分の都合で伐採してしまうことの後ろめたさと、完成させることへの責任の重さが入り混じった畏れの気持ちしかなかった。
夕闇せまる頃、二m近い残雪の中から威風堂々とそそり立つ唐檜の前に蝋燭と線香を灯し、塩と米、酒を供える。拍手を打つと「パァーン、パァーン」と辺りの林に反響した。「貴方のイノチはけっして無駄にしません。小滝丸と名付けた丸木舟を作らせて頂きます。多くの人を乗せて、末永く喜んで貰える縄文時代の丸木舟です。未熟者ですが何卒、伐採をお許し頂き、丸木舟を作らせて下さい。」と唐檜に頼んだ。
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by jhomonjin | 2012-03-26 06:50 | 縄文来福 | Comments(0)
今日、3月4日は『縄文キッズ養成講座・縄文土器入門編』があった。
定員ちょうどの15名が参加して、けっこう盛況だったようだ。
来週は『縄文キッズ養成講座3・11震災の日に縄文の火起こしに学ぶ』だ。
月に一度は整体の講座も開いているので、テンテコマイの日が続く。
だから縄文来福(4回目)をアップするのを忘れてた。
来週は5回目をアップですわ。
それにしてもUターン帰郷して2年目、いつの間にか佳い仲間が増えたもんだ。
今回の企画者である小野さんと早津さん、除雪まで手伝ってくれた五十嵐さん、土田先生、水野さん有難うございました。

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土器作りを二時間で終えてから縄文カヌーの製作現場の見学会もするという欲張りな企画だったので、午前中は作業場の除雪だ。水野さんが買ったばかりの除雪機であっという間に車6台分の駐車スペースを作ってくれた。

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老若男女が程よく混ざってくれた。子供も大人も夢中になって粘土を捏ねた。還暦を越えたおじさんも童心に帰っていた。だから俺は「縄文キッズ養成講座」というネーミングにしているのだ。

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土器作りの後は縄文カヌーとご対面だ。大人は斧でカヌー作り体験、子供は俺が作った民族楽器で遊びまわっていた。プロジェクトの新規入会者も出てきている。今回の参加者に公民館の職員がいて、体験会の相談もあった。いい流れだ。


以下縄文来福(4回目)
企画書持参で最初に訪ねたのは、郷土史家の土田孝雄先生だ。
先生は大いに賛同されて、新聞に激励文の投稿までして頂いた。
ただ諸手を挙げて賛同してくれたのはごく少数派で、多くの人は話は聞いてくれても積極的に関与せずという反応だった。
中には行政やマスコミをスポンサーにしなきゃ絶対無理と、財源を問題視して計画を危惧する人もいた。
しかし無名で実績も無い一個人の、企画段階の夢物語に大金を出す程は世間は甘くないだろう。
だからこそ初年度は独力・自己資金で丸木舟を完成させ、計画主旨に賛同した仲間により市民団体を発足させることが第一。
二年度以降は各年度計画を着実に実現させ、経験を積重ねること。
そして青森までの航海が可能だと自他共に認める実力が伴うのに最低五年は必要という五ヶ年計画を建てたのだ。
わたしは夢の実現に必要なのはまずは情熱と行動、そして想いを一つにする仲間による組織作りこそが最重要であって、資金面はその後の課題だと思う。
多くの人を訪ね歩くうち、懸案の作業場提供の情報が舞い込んできた。
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by jhomonjin | 2012-03-04 23:12 | 縄文来福 | Comments(0)
日本海縄文カヌープロジェックトの企画書を読んだ人からよく言われるのだが、企画書は俺が書いたと思えない程に緻密な出来であるらしい。
全部で17ページもある。
しかし縄文来福の原稿を書いていて気が付いたのだが、俺の計画は肝心な所がつくづくご都合主義的だという点に我ながら驚く。
例えばイチバン金のかかる用材確保は、誰かから無料で分けて貰うという点。
それと作業場も計画主旨に賛同した人から無料で貸してもらうという点。
カヌーを完成させさえすれば、仲間が自然と集まって市民グループになるという点等々。

目標に真摯に取組んでいれば、きっと誰かが助けてくれるという他力本願な了見で一貫している点が実にラテン気質というか、大雑把なのだ。
でも取りあえずは初年度は計画通りに事が運んでいる。
会員数も少しづつ増えて、じきに30人に達しそうな勢いだ。
なんとかなるもんだ。
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2月19日時点には作業場の入り口にはこんな雪の階段ができた。毎週末の度に雪で埋もれて作りなおしていたが、今週はほとんど雪が降らず、気温も高かったので、峠は越したようだ。やれやれだ。


以下は縄文来福(3回目)「なんとかなるさ・・・」の巻

『最初で最大の関門である用材確保はクリアーできた。
次の関門は丸木舟の製作場所の確保だ。
唐檜はそれほど太くないから推定で全長5m程度の小型丸木舟となりそうだ。
しかし小型と言えども全長5mが収まる作業スペースには心当たりが無い。
当初は独力・自己資金での活動になるだろうし、人から馬鹿げた夢想だと笑われても当然だろう。
しかし実際に丸木舟を作ってさえしまえば、理解者も増えていくに違いないと覚悟を決め、まずは情報収集に精を出した。
丸木舟出土の博物館や、実際に丸木舟を作ったことのある人を訪ね歩いたのである。
資料も随分と読んだ。
それらの情報を元に、構想十五年の想いを一気に企画書にまとめたら十七頁にもなってしまった。 
そして企画書持参で知人や役所回りである。
多くの人に計画を話している内に、作業場所の問題も解決するだろうという作戦だ。
伐採予定の春先まであと三ヶ月ある。
それまでに何としても作業場を確保しなければならないのだ。
何とかなるさ、と呟きつつ人を訪ね歩く日々が続いた。』
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by jhomonjin | 2012-02-23 22:30 | 縄文来福 | Comments(0)
月末恒例の整体勉強会で京都に行ってきた。
俺の愛車は軽トラだが、片道420キロを高速道路で約七時間かかる。
この距離を軽トラ移動は無謀だとよく言われるが、俺はあまり苦ではない。
しかし軽トラは空荷だとケツが軽い。
つまり重量バランスが悪い尻軽車となるのだが、そんな状態では4WDにしていてもエンジンの駆動が地面に伝わり難い特徴がある。
去年の一月は軽トラで京都に向かっている途中の高速道路で、除雪が追いつかない程の大雪になって一回転半のスピンをしてしまった。
幸い早朝で後続車がいなかったから大事には至らなかったが、今回は助手席に40キロの砂袋と、荷台の後輪上部に100キロ前後のコンクリートブロックを積んでみた。
結果は大正解で、直進性もよく、気になっていた燃費もリッター当り1キロほど悪くなっただけだった。
なにごとも諦めないことだね・・・。

さて、今回は縄文来福の2回目の転載だ。
まだファンレターは来ていないらしい・・・
みなさん、糸西タイムスさんにドシドシと出版要望のお手紙を出してくださいな。
みなさんの清き一票で青森に近づけるのだ。
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本文と関係ないが、市場の隅で昼寝するタイの子供だ。京都の稽古はかなりハードだから、帰宅すると俺もこんな状態で眠りこける・・・と言いたい所だが、大人だから仕事があってそうもいかない。こんな時は子供と猫が羨ましい。

以下、縄文来福記事
丸木舟作りの最初の難関は用材の確保だが、買えば当然高額だ。
だから誰か不用な巨木を伐らせてくれないか?と暢気な思念をしていた。  
ところが本当にそんな機会がやってきたのだ。
糸魚川にUターン帰郷した年のある夏の日、所用で訪れた小滝区で「この樹、でかなり過ぎて明星山なんちゃ見られんやんなったそいね、伐りゃええんだわ。」と地元の人達が話している場に居合わせたのだ。
この樹とは、廃校となった小滝小学校に生えている樹高約三十m、胸高直径八十㎝程の立派な唐檜である。
わたしは色めき立った。
まさに願っていた通りの場面に直面している。
初対面にも関わらず、話していたMさんに「本当に伐るなら俺に伐らせて下さい!縄文時代の丸木舟を作って青森まで航海したいんです!」と息せき切って計画を話した。
結果は快諾だ。お礼として謝礼は無論だが、丸木舟の船名は小滝に因んで小滝丸にすること、伐採は唐檜の水分が少なくなる春先の堅雪時分に予定していること等をMさんに告げて別れた。
念ずれば現ず、だ。
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by jhomonjin | 2012-02-01 07:31 | 縄文来福 | Comments(0)
これから糸西タイムズさんで毎月第1・3・5水曜日に連載が始まる「縄文来福」をブログでもアップしていきます。
これまで俺のブログ観て興味を持った東京のテレビマスコミ関係者から電話取材やら直接取材やらを何回か受けてきたが、ろくにブログを読みもせずに縄文カヌープロジェクトについて根本的なことを何度も聞かれて辟易しております。
仕事中に突然取材電話貰っても、マスコミ受けする気の利いた端的表現なんか出来ねぇよ!
仕事と遊びでは思考回路が違うんだかんな。
だからマスコミ関係者は、「縄文来福」のカテゴリーを時系列で読んで貰えればプロジェクトの概容が把握できると思うので、まず予備取材をしてからメールやら電話をくださいな。
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本文とは関係ないけど、小滝丸の船首内側部分。手繰チョンナという道具で削り出してある。中には電動工具でツルピカに磨けばいい、なんてお節介を焼く人がいるけど、俺は手仕事の荒々しさを残してある方が好きだ。

以下「縄文来福」記事

「この翡翠大珠は、五千年前に新潟県糸魚川市から日本海を丸木舟で直接運ばれて来たものです。」と学芸員は断言した。
もう十五年以上も前に青森の三内丸山遺跡を訪れた時の事である。
記録の無い大昔の事が何故断言できるのか?と質問したら、途中の山形・秋田の縄文遺跡から翡翠の出土が極端に少ない事から、海上ルートだと断言できるのだという。
「糸魚川には遊ぶ所がなぁ~も無い。」という話しを子供の頃から何度も聞いていたので、私は漠然と糸魚川って面白くない所なのだと思い込んでいた。
ところが我が五千年前のご先祖様は、今風に言えば地場産業を起業して、日本海を縦横に航海する海洋民だったらしいのだ。
面白い。
当時私は都会で暮らしていたので、何時かUターン帰郷したら自分で丸木舟を作り、青森まで航海して翡翠の海上ルート説を実証してやろうと決意した。
自分の趣味の木工とマリンスポーツ、考古学が同時に楽しめるのだ。
面白く田舎暮らしが送られそうだ。
「日本海縄文カヌープロジェクト」はこうして始まった。
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by jhomonjin | 2012-01-19 22:43 | 縄文来福 | Comments(0)