21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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カテゴリ:縄文( 12 )

小雨の中、工房の屋根を七割ほど葺いた時点で本降りとなって工事は中断。
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ヒスイ仲間が使っていない50万円もする研磨機械を貸してくれるというので搬入した。170キロもある機械だから別の仲間から簡易リフトを借りて軽トラに積み込み、友人と三人で何とか工房に収めた。


工房は庭の中にあるので、大きな石をどかし、庭木の移植や雑草の草取りの後に地面の凸凹も極力均すなどの搬入路を事前に整備しておいたので、簡単に搬入できた。
自重170キロもある研磨機械は脚にキャスターがついているとはいえ、土のままの搬入路ではキャスターが埋まってしまうので石灰石の砕石を敷いておいた。
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糸魚川はヒスイだけではなく、石灰石埋蔵量も豊富だから、セメントメーカーが二社もある。ツテを頼って原石山で軽トラ一杯の砕石を入手してきた。石灰石は白いから庭に敷く砕石として最適だし、値段もトン当たり1,700円と格安。

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軽トラ一杯(約0.2㎥)の砕石を庭に敷いて道を作った。白く見えるのが石灰石で作った搬入路。これで雨が降っても靴が汚れなくてすむ。この入口付近から縄文土器片が出てきた。工房が完成したら発掘したい。

事件はその搬入路つくりの時に起こった。
雑草の草取りをしていたら、表土から土器片が顔を出したのだ。
我が家は古墳時代のヒスイ工房の上に建っているから、須恵器の破片ならよく拾える。
でも今回のは、明らかに縄文中期(五千~四千年前)の特徴のある土器片で、これは我が家で最古の出土品となる。
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こんな状態で表土に土器片が散らばっていた。周囲を指で引っ掻いて探したら30分ほどで小型バケツ1杯くらいの破片が採集できた。隆帯文や縄文が付いているから縄文土器に間違いはない。

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そしてなんと、手のひら大の破片には半人半蛙文(ハンジンハンアモン)や、蛟文(ミズチモン)がクッキリと施文されている。長野県富士見町の井戸尻遺跡から出土する「井戸尻式土器」の特徴だ。

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左が半人半蛙文の土器片で、右の赤っぽいのが蛟文の破片。ミズチとは水の精霊のことだ。自宅から土器様式が特定できる出土品が出て興奮。信州と交流していた四千年以上前の縄文人が住んでいたんだと感慨深い。

最初は我が目を疑ったし、あんまりクッキリと施文されているので俺の失敗作の破片がまぎれているのかと疑ったが、糸魚川ではまだ半人半蛙文の土器は作っていない。
おもわず「おっっ!!!」と声を出した。
近所に住む考古学者の土田孝雄先生に見せたら「大発見!」と一緒に喜んで頂く。
俺の自宅周辺は笛吹田遺跡という古墳時代の遺跡群だが、縄文晩期の出土品はあっても中期は初めての出土なのだ。
俺の家は宝の山だぁ。
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by jhomonjin | 2013-04-21 08:04 | 縄文 | Comments(1)
『刃物大全』が思いがけなく送られてきた。
送り手はワールドフォトプレス社の編集部で、取材協力のお礼だと手紙が入っていた。
これまで甲野善則先生など著者自身から献本していただくことはあっても、自分が関わった本では記念すべき初献本だ。
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改めてゆっくり読んでみたら、やっぱりこの本は素晴らしいの一言。石器から鉈・斧・大工道具・鋏・包丁とおよそ生活に必要な刃物の歴史から種類・分類・使い方やメンテナンス方法と全て網羅されている。看板に偽りない、正しくタイトル通りの『刃物大全』だ。









俺がタマゲタのが最後の方。
なんと不世出の大工道具鍛治として歴史に残る、千代鶴是秀のカンナやノミも紹介されている。
千代鶴は明治時代の名工だが、大工道具を国宝級の工芸品、美術品として通用するレベルまで高めた職人の鑑。
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これが俺の作ったバカ石器類。今ならもっとマシな石器が作れるようになったから恥ずかしい。

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これが千代鶴の紹介ページ。裏山とエベレストを同じ本の中で紹介するようなもんで、ワールドフォトプレスさんも酷なことしてくれる。ちょっとは嬉しい気持ちもあるが、千代鶴とでは雲泥の差は歴然。

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当時の心得ある大工は、いつか千代鶴の道具を!と修行に励んだそうだが、組ノミでも年収分位はしたようだ。でも千代鶴は妥協なき仕事を機械を使わず手作業でしていたので、生涯貧乏だったそうだ。

その千代鶴と同じ本に俺の石器が紹介されているなんて畏れ多いことだ。
素人の手慰み作品と、人間国宝級の職人がイノチがけで作った芸術作品。
まあ、出てしまったもんは仕方ない。
笑って許してもらおう。
皆さん良いお年を。
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by jhomonjin | 2012-12-30 22:07 | 縄文 | Comments(0)
ワールド・フォトプレス社発行のナイフマガジンのムック本『刃物大全』に、俺の作った石器が見開き2ページに渡って紹介された。
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これが問題のドーンという見開きページ。素人が趣味で作った石器をプロのカメラマンが撮影するという畏れ多い事態になってしまった。興奮して本屋で携帯カメラで撮影したからボケている。T書店さん、クリスマスだから許して!

執筆はご存知、21世紀の縄文人の強い味方にして国内有数の刃物の専門家でもある関根秀樹師匠。
四千円もする本だけど、石器から鉈・斧、包丁や鋏など古今東西の生活刃物の歴史からメンテナンス法など網羅していて、刃物に興味のある人なら一家に一冊の必携本となっている。
関根師匠から石器作りの依頼があったのは9月だったが,よもや2ページにドーンと載るとは思わなかった。
俺のことは糸魚川の縄文人って紹介してあって、日本海縄文カヌープロジェクトのことも書いてくれた。
流石にショーシイ(笑止と表記すると思うが、恥ずかしいという意味の糸魚川弁)けんども嬉しい。関根師匠からのクリスマスプレゼントだ。
メリークリスマス!
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by jhomonjin | 2012-12-24 21:37 | 縄文 | Comments(3)
某月刊誌のライターさんから石器つくりの依頼があった。
全国版の専門誌である。
どんな紹介のされ方がされるかは不明だし、沢山作ってくれと頼まれたが、全部掲載される訳でもないだろう。
でもみっともない石器が雑誌に出るのは嫌なので、過去に作った石器も研磨し直した。
新しくヒスイの磨製石器・・・ノミと斧・・・や軟玉ヒスイ(ネフライト)の磨製石器も作った。
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緑泥岩製の磨製石器。右が俺の家の敷地内から出土した実物で、左が俺の作った複製品。同じ石から出来ているようには見えないが、酸性土壌で変色したらしい。因みに俺の家は笛吹田遺跡という古墳時代の勾玉つくり職人の工房跡に建っている。

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透閃石、透緑閃石、蛇紋岩製の磨製石器。形状は縄文式の両刃のノミにした。片刃が出てくるのは弥生時代以降のようだ。一番下の透緑閃石製の石器は、チョウナ用に厚身にしてしてあり、刃も鈍角に研いである。

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手前はネフライト製石斧の実物と、向こうが俺が作った蛇紋岩製の複製品。実物は古道具市で買ったが、形状が片刃なので弥生時代の横斧(チョウナ)らしい。


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縄文時代のなんちゃってノミ。なんでなんちゃって、ってか?ノミの柄が出土していないからである。だからこの柄は俺の完全創作。柄の上から別材をきつく縛りつけて、その間に石器を差し込む構造だが、実物の石斧はこの方式が採用されている。

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横斧(チョウナ)。丸木舟を刳り抜く時には絶対必要な石器。木の幹の部分に石器をすげて、枝の部分を柄にしている。糸魚川の縄文人は、縦斧もこの形状で作っている。


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縦斧。乳棒状石器という断面が丸っこくなっている石器は、このように直柄(ナオエ)といって棍棒に石斧を差込む方式にする。但し糸魚川には乳棒状石器は出土していない。弥生時代に全盛期を迎える方式。


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乳棒状石器のアップ。石斧を入れる孔を刳り抜くのは大変だが、横方向にはほんの少し隙間をあけて、縦方向はピッタリと孔開けすると壊れ難くなる・・・らしい。石器に墨を塗って、汚れた処を少しづつ削っていく。


雑誌の中で石器の注文も受けられるようにしてくれるらしい。
石器作りしている人は全国に何人もいないだろうし、俺の知っている石器名人は既に高齢者だ。
糸魚川は石材が豊富で、縄文時代にはヒスイ以上に糸魚川製の磨製石斧が各地に運ばれていたようだから、地の利も良いし石器作りをしている人口の少なさもあるので、10年もしたらトコロテン式に日本一の石器つくり名人になれるかも?
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by jhomonjin | 2012-10-04 21:03 | 縄文 | Comments(0)
前回は富山県小矢部市の「桜町石斧友の会」による石斧で作った丸木舟の探訪記を書いた。
前回の写真にも載せたが、彼らの作った石斧の柄に注目して欲しい。
この形式の斧の柄は、小矢部市桜町の縄文遺跡(後期四千年前~三千年前)から大量に出土しているタイプだ。
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縄文木工
桜町遺跡出土のケヤキ製の容器。厚み4ミリから7ミリという石器で作ったにしては信じられない程の薄さで、浮き彫りと漆塗りまでされている。樹の性質を知りぬいた縄文人ならではの作品だ。

以前は縄文時代の石斧の柄というと、縄文時代前期(七千年前~六千年前)の福井県鳥浜貝塚遺跡から出土した形式である野球のバット状の樹木の柄の先端部に、石斧を嵌める孔を開けて嵌め込んだ直柄(ナオエ)形式が一般的に知られていた。
この形式は今でもパプアニューギニアで使用されているらしい。
直柄式石斧の欠点は、苦労して石斧に合わせて開口した柄を作っても、柄が折れてしまったり、逆に石斧が折れたりした時には生き残った石斧と柄のどちらかも使用できなくなる、という点である。

ところがここ数年は縄文遺跡の発掘に拍車がかって様々な発見が相次いでおり、どうも縄文時代中期(五千年前~四千年前)には桜町遺跡と同じ形式の柄に進化したようであるという結論になってきたようだ。
この形式は柄の部分が樹木の枝であって、石斧を装着する部分が樹木の幹を加工して作られている。
石斧の装着は、幹で作った柄の先端部に石斧を乗せ、その側面と上側の三面を板で挟んで紐で縛って装着するようになっている膝柄(ヒザエ)形式だ。
つまり使用中に斧が折れても、柄が折れてもどちらかが再び使用できるのだ。
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石斧の柄
桜町遺跡出土品。これを考え出した人の知恵の深さに敬服する。しかもこの加工を石器でやってのけているのだから恐れ入る。俺が作っている柄もこのタイプだが、チェーンソウと鉈、ノミを使って作っている。

そしてこの柄を見ると思い出すのが、ラオス南部のメコン河に浮かぶデット島の縄文おじさんだ。
このおじさんは炭焼き、河漁師、百姓、大工、木工家、コック、食品加工といつも何か忙しく働いていて、本職は何か?と聞かれた時に答えようのない生活をしている。
自分の事は自分でやってしまう逞しくて骨太な暮らしだ。縄文人はこんな暮らしだったと思う。
俺も何でも自分でやってしまうクチだが、日本でこんなことをやっていると「器用貧乏」と批判的に言われる事が多い。
しかし縄文人を器用貧乏と呼ぶ人はいないだろうし、俺は器用貧乏と言われた時には半分は嬉しい気分になる。半分はウルセーって感じだ。
阪神大震災みたいな巨大地震がやって来て、近代社会機構が麻痺しても俺は困らんけんね。
そんな時に、俺を器用貧乏と笑った人達が頼って来たら、「こんな事も出来んのくわっ!」と海原雄山のように笑ってやる。今から楽しみにしているんだが、なかなかそんな機会はやって来ませんですなあ・・・。
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ラオスの縄文人
これが斧の柄で、先端に筒状になった鉄斧を嵌め込んで使用する。おじさんが持っているのは、乾燥中の予備の柄。因みに旅の途中にも関わらずにおじさんと同じ斧が欲しくて買ってしまった。そしてこの後3ヶ月も重い斧を持って東南アジアとインドを旅した。







話しを元に戻すと、ラオスの縄文おじさんが使っていた鉄斧は、根元が筒状になっていて、自分で作った斧の柄にソケット式に差し込むようになっていた。
この方式だと枝の反発力を利用できるので、大きな力がいらないのだ。その代わりに大形の斧を装着すると柄の重量も増すので小型の斧しか使用出来ないという欠点がある。
だから斧の使い方は、力任せに振り下ろして「割る」のではなく、正確さと速度で「切って」いく感じの斧使いだ。
縄文おじさんとは言葉が通じないので、コミュニケーションは身振りと状況判断しか無いので、何時も会うたびにおじさんの身体が濡れている理由が分からなかった。
それに一緒にいてもよくキョロキョロとメコン河を見入っている理由も分からなかったが、それはおじさんが河に仕掛けた釣り針の点検しているのだという事が分かってきた。
おじさんの漁法はシンプルだ。
ミミズをテグスに刺した仕掛けを左手で持って、右手で泳いで河の中洲に張り出した樹木の枝に取り付けてくるだけだ。
あるいは竹ざおに同じ仕掛けを取り付けて川底に沈めてくるだけだ。この場合はペットボトルを浮きにしていた。
仕掛けを取り付けた枝がしなったり、ペットボトルが沈んでいれば魚が掛かった証拠なので、いつも河の方を見ていた訳だ。
獲れた小魚は塩漬けにして発酵調味料を作る。
大きな魚はぶつ切りにしてスープにする。自分で採集した野草を具にして、小魚の発酵調味料と塩や魚醤が味付けだ。胡椒も使うが、ラオスやベトナムは胡椒がやたら美味いので、お土産にお奨めだ。
こいつをもち米を蒸かしたご飯を右手でピンポン玉サイズに丸めてからスープに付けて食うのだ。実に美味い。
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サービスショット
おじさんは普段は自家製の葉巻を吸っているが、俺が持っていたインド製のビリーという細い葉巻に興味を持ったので何本かプレゼントした。吸っているところを写真に撮ろうとしたら、下唇にビリーを挟んでポージングしてくれた。お茶目である。








おじさんは、飯を食うのも、これらの作業も全てメコン河湖畔の木陰で行なう野趣溢れる生活を実践している。だから河畔にはテーブルセットと調味料や炊事道具を入れたキャビネットが置いてある。
メコン河がおじさんの家で、生活の全てという雄大な暮らしなのだ。
疲れたらハンモックで昼寝して、知人が来たら自家製の野草茶でもてなすので、通り掛りの地元の人の喫茶店みたいな感じになっている。
俺も来年からは縄文おじさんに近い生活が出来そうだ。
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by jhomonjin | 2010-12-12 21:12 | 縄文 | Comments(0)
念願だった縄文クッキーをついに作った。
作り方は関根秀樹先生の「縄文人になる」(山と渓谷社・1200円)に出ていたクッキーの作り方に準じた。
縄文関係の本は数々あれど、この本の特徴は火お越しから始まって、縄文土器の焼き方や石器作りなど、縄文人の衣食住についての具体的なハウツー本であることだ。
この手の本の場合、実際の作り方などは民族例などの紹介に留まっていることが多く、学術論文的で、よっぽどの縄文オタクか研究者でもない限り面白くないのだ。
その点、「縄文人になる」は縄文にちょっとだけ興味がある程度の人や、実際になんでもやってみたくなるタイプの人だったら具体的な縄文人の生活がイメージ出来て面白いだろうし、俺みたいな縄文人になりたいと思っている男にもうってつけの参考書になる。
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くぼみ石
こんな凹のある石がよく縄文遺跡からは出土する。凹にドングリを入れて固定して割る道具と推測されているが、やってみると凹が無くても簡単に割れるし、かえって凹にドングリをはめる手間がかるように思うのだが・・・?

民族例の紹介や学術論文の紹介ばかりの本がなんで面白くないかというと、記述内容に著者の実体験が反映されていなかったり、体験してもほんの少しやってみただけ、という程度だからだろう。
内容にリアリティーが無かったり、実際に体験した事のある人間からみたら明らかに間違った内容だったり、眉唾的な内容だったりするのだ。
サバイバル関係のハウツー本にもこの傾向が強くて、例えば無人島で道に迷ったら樹の切り株を探して、年輪が詰まったほうが北である、なんて紹介されていたりする。
一体、無人島に切り株があったりするのか?無人島でなくても林や森の中で切り株なんて滅多に見つからと思うぞ!
しかも年輪の詰まった方向が北であるなんて、平野の一本立ちしている樹ならイザ知らず、山の傾斜地なら東西南北に関係なく谷側の年輪が広くなるだろうし、さらに周辺の樹木の影響や、水脈との関係などで条件は違ってくる筈だ。
有名な学者の書いた民俗学の本だって、孫引きやパクリがあったり、実際に現地で調べると矛盾点や間違った記述が結構あったりする。
その点でこの本は関根先生が実際に試行錯誤しての結果を紹介しているので、縄文に興味のある人は必読ですな。

さて、クッキーは出来たが、どうも味のほうは不味くはないが、美味くもないという不思議な味と食感だった。人に食わせても「フ~ン」というだけで、二個目を食おうとしないのだな。
実際に縄文人が食っていたクッキーはどんな味だったのだろう。もしかしたら俺のクッキーを美味がってバクバク食うかもしれんけど。
材料はマテバシイ、スダジイ、クヌギなどのドングリと胡桃、栗をブレンドして、卵をつなぎとした。
年内はアパート暮らしで焚火が出来ないので、愛用の長火鉢(信じられないけど、いい年をした大人でもこの言葉を知らない人が結構いる。銭形平次がいつも座っている前に置いてある箱型の火鉢・・・といっても銭形平次を知らない若者も多くて、説明すんのに困るんよ)に石を置いて炭火で焼いた。
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長火鉢で焼いている所
今回は炭火の上に石を置く直火方式と、生地を直接灰の中に入れる二通りで焼いてみたが、次回は炭火の横に石を置く方式と葉っぱに生地を包んで灰の中に入れる方式の二通りでやってみたい。

アク抜きは上手くいったが、もっと美味くなる工夫のしどころは一杯ある。
色々な本に縄文クッキーのつなぎは山鳥の卵の代わりにウズラの卵を、と書いてあるのだが、果たして縄文人は野鳥の卵を年間にどれだけ採集できたのだろう?という疑問がある。
鶏だって昔は卵を毎日生まなかった位だし、ましてや縄文時代といえども野鳥の卵は簡単には入手できなかったろうと思うのだ。採取できる時期も限られていたのではないだろうか。
ところがドングリなどは遺跡から大量に出土している。
卵の代わりにひき肉や山芋をつなぎに紹介しているレシピもあるが、実際の縄文クッキーのつなぎも季節によって色々あったのだろう。
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完成!
食わした人は誰も美味いとは言わなかったが、不味いとも言わなかった。見た目は美味そうだけどね。






土器作りでも石器作りでも同じだけど、こういったものは本に詳細な作り方が書かれていても、行間に隠された勘所は実際に失敗を繰り返して体得していかなければダメなのだ。
まだドングリのストックは大量にあるので、来年のドングリ採取時期までもう5回くらいは挑戦できそうだ。
本だけ読んで生半可な知識をヒケラカスような縄文通にだけはなりたか無いケンね。
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by jhomonjin | 2010-11-07 22:42 | 縄文 | Comments(4)
俺が過去に作った事のある石器は、黒曜石の鏃(ヤジリと読むのだよ、シンタロー君)だけだ。
黒曜石で鏃を作る場合には、最初に黒曜石の塊を鹿の角の根元や哺乳類の大腿骨などをハンマーとして大割する。
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黒曜石の鏃
藤沢市出土の本物。青空古道具市で一個500円で買った。この元の持ち主は考古学好きで、中学の頃に趣味で発掘して集めた土器や鏃が、本人が亡くなってから遺族が古道具屋に大量に持ち込んだそうだ。

黒曜石は脆いガラス質で注意しないと砕け散ってしまうので、ただ闇雲に叩けばよいというのではなく、欲しい大きさと形になるように石の目を読んで注意深く割る。
その後は割れた黒曜石の欠片から、鏃に作り易そうな大きさの破片を選んで、鹿の角の先端を押し付けながらペキペキと割って成形して完成させる。
慣れると意外なほどに短時間で完成する。

石器には大別して、旧石器時代からあった打製石器と、新石器時代から出現する磨製石器がある。
但し、この時代区分は西洋の考古学の歴史区分を日本に当てはめればという事であって、実際の日本の旧石器時代には、刃先だけを磨製にした石器が存在している。
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本物の石器
これも古道具市で買った本物で上が磨製石器、下が打製石器。磨製石器は3,000円で買ったが、安いか高いかは賛否両論だ。上の磨製石斧は形状からしてノミだったらしい。


黒曜石は打製石器の仲間だが、弓矢つまり黒曜石の鏃が登場するのは新石器時代からだ。
日本の場合は、縄文時代イコール新石器時代と区分されている。
俗に縄文三点セットといって、発掘遺跡から縄文土器と磨製石器、竪穴住居が確認できれば縄文時代の遺跡だと断定できるのだそうだ。

打製石器はただ割って成形していくだけなので、石の割れ方の癖さえ掴んでしまえば、短時間で完成出来る。
俺は石には詳しくないけど、実物の打製石器を観察すると堆積岩が使用されているようだ。
堆積した石なので、割り易いからだろう。
「始めにんげんギャートルズ」という俺が一番好きだったアニメーションがあって、石斧でマンモスと戦う場面がよく出てきた。
旧石器時代なら打製石器で狩りなどをしたかもしれないが、縄文時代には大形獣が激減した時代で、打製石器はもっぱら鍬やスコップなどの農耕器具や土工用具だったのではないかと推測されている。
確かに打製石器は薄くて脆そうな印象があり、持ってみると意外にも軽い。

では磨製石器の用途は何かというと、なんと木工用だと推測されている。
磨製石斧で樹を切り倒し、木材を加工する技術が発展した。

前期(七千年前~六千年前)以降には、内丸ノミ型の磨製石器が出土するようになる。
この石器は、材木の内側を削っていく用途に適している。
この石器の発明により、ただの丸木舟から刳り舟に造船技術が進歩した。
刳り舟とはカヌーの事だ。
舟の安定性と積載性、凌波性能の向上は、外洋航海を可能にした事を意味する。

中期(五千年前~四千年前)の遺跡では、石ノミでホゾ孔を開けて「貫構造」や「渡り蟻継ぎ」という高度な継手まで駆使して、家屋などの構造物を作っていた事が確認されている。

木を刳り抜いて器を作る「刳り物」も出現した。
新潟県内の縄文遺跡では、液体を注ぐ用途らしい、取っ手付きの注口器が製作途中の物から完成品まで出土しているので、職人さんの様に職分化が進んでいた可能性も匂わせている。

ヒノキを竹ヒゴのように細く薄く加工して、籠を編んだ上に漆を塗った「籃胎漆器」も存在した。
籃胎漆器は防水性のある軽い籠であり、今でもラオスの田舎では日曜雑貨として使用されている。
この時代には漆が接着剤や防水材料といった実用面以外にも、木工品や土器に装飾として使われている。
黒地に赤の模様を持つ、漆塗りの櫛まで出土しているのだ。

木工用の道具を持つ事で、技術が飛躍的な進歩を見せ、暮らし向きは安定した。
縄文時代は世界初の土器文化とされ、土器による食生活の向上にスポットが当てられ勝ちなのだけど、磨製石器を自分で作りを始めると、縄文時代は実は「木工の時代」でもあったのだなあ、と気が付く。
初めて自転車に乗れた時、初めて自分のバイクや自動車を手に入れた時に感じた、「世界が広くなった感じ」を、磨製石器を手に入れた縄文人も感じたのではないだろうか。

縄文クッキーを作るには、石のひき臼でドングリを粉にする必要がある。
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縄文時代の石臼
長者ケ原遺跡出土の石臼で、現代人からみると臼というよりは擂り鉢に近い。砂岩製で上面が綺麗に凹まされている。
拳大の丸石も大量に出土しているので、ドングリなんかを潰していたと推測されている。

この手の臼は今でもインドで日常的に使用されている。
インド人は、こいつでカレーのスパイスを作るのだ。
石臼は平べったい砂岩を窪めた形状になっている。
石臼とセットで、丸い石も大量に出土しているので、この窪みにドングリを入れて、丸石でスリ潰していたらしい。
鉱物マニアには聖地のように思っている奴がいる程の姫川といえども、河原を探して歩いても平べったくて中央が窪んだ砂岩が拾える可能性は、当然ながら低い。
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翡翠
三内丸山出土の翡翠大珠レプリカ。縄文時代から奈良時代初期までの国内の遺跡から出土する翡翠は全て糸魚川産。そんな事から糸魚川を聖地だと思っている鉱物マニアが本当にいる。この話しは面白いので後日!

どうせ磨製石器を作るのに砂岩の砥石が必要となるから、平らな砂岩を砥石として使い続ければ、その内に削れて凹みが出来て石臼も同時に作れるだろう、と一石二鳥の作戦を取る事にした。
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by jhomonjin | 2010-10-24 23:04 | 縄文 | Comments(0)
秋の味覚の代表というとまず新米だろう。それからキノコや栗、柿、梨なんか連想する。
縄文人の秋の味覚の代表ならキノコ、栗は同じだろうが、胡桃やドングリなどの堅果類は絶対に外せないだろう。
21世紀の縄文人を目指す俺としては当然、縄文料理は避けて通れない。
縄文クッキーを作るのだ。

縄文クッキーと通称される遺物は、正式にはクッキー状炭化物という。
縄文クッキーは、狩りの時の携行食だとか冬の保存食などではないかと推定されている。
以前はその分析結果から栗、ドングリ、胡桃などの木の実の粉末と、山鳥の卵、山芋、肉や骨、骨髄などのミンチを混ぜて焼いたクッキー、またはハンバーグ、またはお焼き状の食い物と推定され、縄文関連の本などでよく紹介されていた。
その後、報告論文の分析方法が疑問視されて、考古学的には縄文クッキーの成分や製作方法などが白紙に戻っているようだが、依然としてワークショップで作られ続けている。

遺物ではドングリや胡桃、栗の残滓も大量に発掘されて状況証拠は揃っているので、縄文クッキーの存在は確かだ。
学者じゃないので難しく考えずに縄文クッキーを作って見る事にした。
小麦が日本に渡って来る以前からあった、おやきの一種だと思ったほうが自然ではないだろうか。
内容物や製法も地方や季節によって違っていただろうし、お袋の味や故郷の味という具合に各家庭や集落毎に違いもあったろうと思う。

例えば納豆の食い方だ。
西日本の人には納豆嫌いが多いが、東日本には納豆好きが多いという地域差がまずある。
食い方で一般的なのが、納豆を器に入れて攪拌、醤油投入、さらに攪拌、各自のご飯茶碗に適量を取り分けるという四段階方式だろう。
横着にも器に納豆を入れる手間を省いて、納豆の入っていた発泡スチロール容器の中で攪拌以下の作業をするのが三段階方式。家族が少人数だとこの方式を採用している家も多いのではないだろうか。
豪快なのが、炊飯器の飯の上に大胆にも納豆をガバッと入れて、しゃもじで攪拌、醤油投入、さらに攪拌、各自のご飯茶碗に納豆ご飯をよそうという変形四段階方式だ。
東北地方では納豆に砂糖を入れる人もいる。少量の砂糖混入で泡立ちが良くなるのだそうだ。
卵を混ぜるのが好きな人、醤油だけのプレーン味で勝負する人、中には切干大根や若布、ゴマなんかも入れる人がいる。
薬味も長ネギ派、ワケギ派などなど。浅草の友人は七味唐辛子を必ず入れる。
納豆ひとつでもこんなに食い方が違うのだ。
まだ逢った事ないけど、醤油代わりに納豆にマヨネーズを投入している人だっているかもしれない。

縄文時代は一万年以上も続いていたから、縄文クッキーのバリエーションだって相当あったのではないだろうか。
だから雑穀も入れてみようと思う。
乾し葡萄や乾しイチジクなんかで甘味を付けてもいけるのではないか?
ヨモギやハッカ、シソで香り付けなんかどうだ?と考え出すと愉しくて止まらなくなってしまう。
因みに、整体の師匠であるダン先生は講義で、「考える」の古語はカム・ムカエルで、神迎えるなんだと仰っていた。
本来の「考える」とは、神様を迎え入れることだなんて面白いではないか。
古代人にとって閃きや妙案だったりは、神様が降臨したという事で個人の所有物ではない、という事になるのか?

ドングリなら都会でも公園で拾って歩いている人がいる。
深夜の世田谷付近の環八の歩道で、何か拾っているオバサンがいたので聞いてみたら、街路樹の銀杏との事だった。
オバサン曰く、昼間だと怪しまれるからとの事だったが、真夜中の方が怪しいぞオバサン。

糸魚川なら長者ケ原遺跡公園に行けば、栗、胡桃、ドングリの樹が生えている。
今年は異常気象だったせいか、ドングリ類が不作のようだ。
そのせいか街外れで熊が多数目撃されている。気の毒な話しだ。
遺跡公園での一番人気は栗らしい。すでに落ちているのはイガばかりだ。

胡桃は栗より食べるまでの手間が掛かるからか、拾う人が少ないらしく、比較的楽に拾える。
しかし大きな胡桃は毎日が日曜日の暇な人達に拾われた後らしく、落ちているのは小さな胡桃ばかりだ。
糸魚川の胡桃は鬼胡桃なので、ただでさえ小粒だから出来るだけ大粒でないと割る時の手間が大変だ。
辺りを見回して人影が無い事を幸いに、胡桃の樹に登って熊の様に揺さぶって胡桃を落とす。
三内丸山のような観光客の多いメジャー遺跡だと、こんな事は許されないだろうなあ・・・と思いつつ、ボトボト落ちる胡桃の音を聞くと満面に笑みがこぼれる。

栗はうまい具合に知人からビニール袋一杯のお裾分けがあった。
ドングリはクヌギとマテバシイがバケツに半分弱は採集できた。
胡桃は外皮を除けばバケツに一杯はあるだろう。

胡桃は水に漬けて外皮を腐らせる。
ドングリは水に浸して、浮いたのは虫食いなので捨てて、沈んだものだけそのまま漬けておいてシブ抜きだ。
本当は清流に浸しておきたいのだが、実家のある糸魚川市内では清流など無く、バケツの水を取り替えて我慢しておく。
栗は茹でてから、数珠玉のように糸で繋いで乾燥させて勝栗にする。

数週間後には乾燥させて粉にするのだ。
粉にするには砂岩製のひき臼が必要だ。
次回(その2)では、ひき臼の製作を紹介する予定ですわ。
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by jhomonjin | 2010-10-17 23:53 | 縄文 | Comments(4)
吉田さんと逢った翌々日、晴れたので朝から遺跡に行ってみたら吉田さんがいた。
お手伝い出来る事がありますか?と聞くと、最初は「ええわね」と遠慮していた吉田さんも、色んな事を話込むうちに、足場の仮設や梁返しなどの手元(助手という意味の現場用語)をさせて貰う事になった。

この仕事の足場は独特だ。
現在の建築現場だと足場は単管足場という鉄パイプ製や、ビケ足場という鋼製組み立て式などが一般的だ。
しかし茅葺職人の足場には、杉丸太を藁縄で縛る伝統的な足場が残されている。
単管にしろビケにしろ、足場を組むのに最低四本の柱部材を必要とする。
ところが茅葺職人の足場では、最低二本で済んでしまうのだ。
ドキュメンタリー映画「芸州かやぶき紀行」で足場を組むシーンを見て興味を覚え、実際に自分で組んでみたいと思っていたが、やっと念願がかなった。
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丸太足場
手前の二本柱だけ地面に打った杭に固定してある。次いで横に丸太を渡し、斜めに立てかけた丸太に梁丸太を柱から渡して固定する。
地面のデコボコや高低差も簡単に調整できるスグレモノ。

最初の手元仕事は足場作りだ。
この足場は実に上手く考えられている。
吉田さんと組んだのは高さ2m強、幅4m程の足場だったが、確かに二本の柱しか使わずに、横から押してもびくともしない程にがっしりと組めた。
丸太の結束方法は稲架と基本的には同じだが、驚くべきは最後の結束方法が稲を「丸ける」方法と同じで、ザク縄を一回転捻って差し込むだけの簡単なロープワークである事だった。
それでも単管足場よりしっかりとしている。
しかも仮設で20分程、解体に5分程しか掛からなかったし、人数が一人でも可能な作業だ。
実際にやってみると、こちらの方が単管足場よりも現場合わせがしやすい事も分かった。
地面にデコボコや高低差があるとビケ足場ではお手上げだが、丸太足場なら現状地盤のままに自在に足場が組んでいけるのだ。
単管でも調整は可能だが、手間が掛かるし、人数だっって二人は欲しいところだ。
多分、縄文時代にもこんな足場があったんだと思う。
ちなみにかってのインドや中国では、高層ビルでも竹製の足場が見事に組まれていたが、最近は日本と同じ単管足場が増えてきたようで、面白くなくなってきた。
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仕上げ
仕上げは茅切り鋏で整える。吉田さんの悩みのがこの鋏の予備が無い事。近隣では入手不可能となったと相談されたので、心当たりに相談してみたが、どなたかこの鋏を持っている方、買わせて頂きますのでご連絡の程を!

足場が完成した後は、足場の上にいる吉田さんに、必要と思われる道具や資材を手元に置いて、すぐ渡せる用意をしておいた。これは手元として当然の心得だ。
吉田さんもハサミ取ってくんない、縄取ってくんない、と声を掛けるやいなや「アイヨッ!」と返事と共にすぐに手渡れるので、俺の手元振りに気を許してくれたようだ。
段々と高度な仕事をさせてくれるようになった。
いつか田舎暮らしを考えている人は、建築や土木方面の現場仕事でバイトでもして、現場仕事に馴れておく事をお奨めする。
技術の習得は無論だが、現場の空気感を知っていると先が読めるのだ。

やって見たかった技術で、梁返しもさせて貰った。
これは茅束を結束して固定する技術で、表にいる親方が刺し金という長さ約80cm、直径2cm弱の鉄製の針に結束縄を取付けて茅に突き刺し込み、家の内側にいる手元が結束縄を外し、梁を跨いで再び差し込まれた刺し金に結束縄を取付けて茅束を縫い込んでいくのである。
本来の茅葺屋根にはもっと長い刺し金を使うそうだが、遺跡の場合には予算の都合と、あまり立派に修復しては雰囲気が出ないとの市教育委員会の意向で、薄くしか茅が葺けないから短めの刺し金を使っているのだそうだ。
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吉田さんの手
茅葺人生六十年以上の男の手だ。爪は度重なる霜焼け、ひび割れで厚くカサブタの様に変色、変形している。男の顔は履歴書というけれど、こんな手こそ人生を雄弁に物語っている。

今回の修復は一週間くらいとの事で、次回の来年までは修復の手伝いは出来ないが、来年は俺も自由業だから、もっと手伝う積もりだ。
しかも来年は能生の白山神社の屋根の修復も予定されているそうだ。
こっちはでっかくて、茅の厚みも三尺(90cm)を超えるホンモンだ。
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茅葺職人の風貌
茅葺の仕事は、夏は直射日光の下、冬は寒風吹きさらしの中で、茅でチクチク肌を刺されながらの辛い仕事だが、大工よりは日当が良かったらしい。
新潟の場合は真冬は仕事が出来ないので、出稼ぎに行く。どこに出稼ぎにいっても辛抱強くて実直な越後人は歓迎されたらしい。
越後杜氏なんかその代表だろう。最後は吉田さんのアップで締めくくろうと思う。
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by jhomonjin | 2010-10-12 00:00 | 縄文 | Comments(14)
縄文時代の関連本ならどの本にも必ず出てくる糸魚川の遺跡がある。
長者ケ原遺跡と寺地遺跡である。
前者は中期(5,000年~4,000年前)、後者は後期(4,000年~3,000年前)の翡翠の工房を持つ縄文遺跡で、それぞれ国指定重要遺跡になっている。
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長者ケ原遺跡
巨大な火焔土器が遺跡の目印だ。
火焔土器の本場は信濃川流域の中越地方だ。本場モンは国宝に指定されていて、豪快でデザイン的にも優れているが、糸魚川の火焔土器はちょっと野暮ったくて地味目だ。

糸魚川に産する翡翠は、縄文時代前期(7,000年前)くらいから宝玉として加工されてきたが、これは翡翠を珍重する文化としては世界最古だ。
中国文化圏でも翡翠は珍重されるが、名前は同じ翡翠でも中国文化圏の翡翠は鉱物的には別物の軟玉で、日本の翡翠と異なり加工し易いらしい。
しかし日本の翡翠は硬玉であり、ダイヤモンドに次ぐ硬度を持っているので加工は簡単ではない。
時代的にも縄文の翡翠文化の方がかなり古い。
加工の困難な硬玉翡翠を珍重してきた文化は日本の他にインカ帝国らしいが、こちらも何世紀も後の文化だ。
その翡翠の工房を持つ世界最古の遺跡が長者ケ原遺跡だ。

後輩のM君からのメールで、長者ケ原遺跡の復元竪穴住居の茅葺屋根を補修するので、職人さんが来るらしいと情報があったので行ってみた。
長者ケ原は実家から車で10分足らずの距離にある。
この遺跡は日本海を見渡せる丘陵の美山公園の一部にあり、遺跡自体は全体の二割程しか発掘が済んでいない「宝の山」なのだ。

遺跡周辺は雑木林に囲まれていて、今の季節だと遺跡公園のいたる所に栗や胡桃、ドングリが落ちている。
拾った棒っ切れで下草を除きながら、散歩がてらビニール袋を持って胡桃を拾っている地元の人達も多い。
糸魚川ではハレの日のご馳走が笹の押し寿司で、具には胡桃が欠かせないのだ。
俺も今日は三十分足らずでスーパーの大形ビニール袋に山盛りの鬼胡桃を拾った。
今年の冬はこいつで縄文クッキーを作ってみたい。
遺跡には湧き水もあって展望が非常に良い。
つまり縄文人が好んで住む環境が整っているのだ。

この遺跡は住居跡が広場を囲むように円形に配置されている。
関東から北陸にかけてみられる典型的な中期の集落形態で、円形集落と呼ばれている。
この事から当時は身分階級や貧富の差など無い、平等なムラ社会であったろうと推測されている。

広場の中央には墓が集中しており、縄文人たちは生活の中心で祖霊を祀り、死者と共に暮らしていた事が分かる。
住居に囲まれた広場に墓場があるというと、ちょっと現代では考えられないが、死の捉え方が現代とはかなり違ったのだろう。
死者と共に暮らすなんて、捉えようによっては愉しそうだ。
死への恐怖や、孤独死なんて縄文人には無縁だったかも知れない。
生と死が対極的ではなく、混然一体となった世界観だったのではないだろうか。
そのせいか、感覚の鋭敏な人をこの遺跡に連れていくと、この地が何かとても優しい雰囲気に包まれている、と口々に言う。
カズさん一家もそうだったし、甲野善紀先生の奥さんもそうだった。
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集落の広場
手前に並んでいる立石が墓石。
広場では祭祀が行なわれていたと推測されている。雑木林の向こうには、日本海が開けている。




昼近くに遺跡に着くと、ちょうど茅葺職人さんが軽トラックに茅を満載して竪穴住居の処にやって来るところだった。
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吉田さん登場
現場に着いて辺りを見回したら、軽トラックがやって来る所だった。
こんな時の俺は、いつも絶妙のタイミングで現場にいるのだ。




茅を荷降ろしする手伝いをしながら、色々話を聞いた。
職人さんは市内の能生谷(ノウダニ)の吉田さんといって、糸魚川最後の茅葺職人だそうだ。
御歳78との事だが、耳がやや遠いのを除けば達者で快活なお年寄りだ。

茅葺に使う資材は一抱え幾らと決めて、能生谷の年寄り衆に十一月下旬から十二月に河原や休耕田に生えている茅を刈り取って貰っている事、茅は一冬越せば春には乾いて使用できる事・・・温暖な東南アジアでは、刈り取った茅を日干ししてから使用する・・・、竪穴住居の茅は本当は全部葺き替えた方が綺麗に仕上がり仕事も楽なのだが、市では予算の都合で部分補修しかさせて貰えず、満足な仕事が出来ない事など色々と聞かせて貰った。
チャンスがあれば是非お手伝いさせて下さい、と頼んで他の仕事で戻る田中さんと別れた。
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現調する吉田さん
本当は全部一時に直せりゃいいんだけんさ、市のしょう(衆)は予算ないそいね、毎年少しずつ直してくんないて言うんだわね、とお役所仕事に不満気味のようだった。でも優しくて気さくなお年寄りですよう。

広島の茅葺職人さんを記録した「芸州かやぶき紀行」というドキュメンタリー映画で、老茅葺職人に弟子入りした外国人や若者が修行するシーンがあったが、この職業も絶滅危惧種になった。
現在では茅葺屋根を葺き直すより、トタンを被せてしまう家が多い。
茅葺技術の伝承は、職人さんの頭数が問題になる以前に、茅が生えている河原がコンクリートで覆われてしまったり、きちんと修復すると五十年は持つ技術に対して、減価償却や市場原理といった経済理論優先の施主が茅葺屋根を敬遠させている、という現状が問題だ。
若い世代がこの技術に興味を持っても、茅葺職人では食っていけない現実があるのだ。
続きは次回!
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by jhomonjin | 2010-10-10 00:33 | 縄文 | Comments(4)