「ほっ」と。キャンペーン

21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28

カテゴリ:祭り( 13 )

今年の春は氷雨が多い感じ。
待ちに待った四月十日の「けんか祭り」当日は曇り空。
最後の「お走り」時分には細くて冷たい雨がぱらついていた。
火照った体に気持ち良かったが、祭りが終わったら寒いのなんの。
今年も幼馴染みのKが祭りバカの本領発揮して暴れまわっていた。
あれだけ無垢に祭りに没頭できる奴も珍しいし、まったく羨ましい。
f0225473_22263130.jpg
祭りの当日と翌日にある舞楽の中の稚児の舞。国指定民俗重要無形文化財である。翌日の舞楽は最初は曇り空で雨も降っていなかったが、少しづつ風が強くなって本降りになってきた。


f0225473_2223265.jpg
祭りの翌日は直会。神社境内で神様と酒を共にする神人供食の儀式。早い話が宴会。途中から雨が降ってきたが、手慣れたもんでブルーシートで雨で風が吹き込まない工夫がサッと済んでしまった。頼もしい仲間たちだ。


f0225473_22292716.jpg
小雨降る中の二日目の舞い。曇天の舞いも迫力があって宜しい。全部で十二曲ある舞楽もこの後は本降りになってきたので中止になったが、天気の関係で見学者も少なかった。でも神様への奉納だからいいのだ。

小さい頃は「あんちゃ」と呼んでいた青年が今では孫のいる「じいちゃ」になっている。
「ボーズ」と呼んでいた子供が立派な「あんちゃ」になっていく。
祭りっちゃ、地元の顔なじみが一緒に年を重ねていく感じがいい。
同じ目的に向かっていく連帯感。これもいい。

祭りの締めくくりは、祭りを裏方として支えていた楽師達のところへ参加者一同が集まる。
笛、ほら貝、太鼓の衆(しょう)。

静かな笛の音色がピーーヒャーラー、ピーピッー、続いてほら貝のブオーブオーッで始まるゆったりと重厚な「三つ拍子」の太鼓が最初。
「三つ拍子」は、けんか祭りの間中、演奏されているBGMだ。
男たちは、次に演奏される「シャギリ」を待ち構えて固唾を飲んでいる。
「シャギリ」は、最後のラストスパートの「お走り」の時にだけ演奏される勇壮な曲調。
笛はピーヒャララー、ピーヒャララッの繰り返し。
太鼓はドンデンドーン、ドンデンドーンッの繰り返し。
この音が鳴ったら問答無用に神輿を担いで走る曲なので、子供の頃はグズグズしていると大人から「ほら、ドンデンドーン」鳴ったよ!と宿題や入浴を急かされたもんだ。
f0225473_22352518.jpg
「シャギリ」が鳴り出すと男たちは一斉に「わっしょい!わっしょい!」と囃し出す。この時間が堪らなく好きだ。
何時までも終わらないで欲しいと思うのは、一同の気持ちだろう。「いいぞう、来年までやっとれーいっ!」と野次が飛ぶ。

そして最後は「勝ち鬨」の太鼓
デーンドドーンッ、デーンドドーンッ、デーンデーンデーンデーンッ。
祭りに名残を感じつつ、男たちは涙を拭きながらも「わっしょい!わっしょい!」
楽師も残る力を振り絞って同じ太鼓を繰り返す。
「頑張れーいっ!」の声援、また声援。
祭りの最後を飾るに」相応しい憂愁を帯びた荘厳な曲調。
俺が死んだら、「勝ち鬨」で送って欲しいと思う。
迷わず、真っ直ぐにあの世に旅立てるだろう。
そんな曲調だ。
雨の中、嬉しいのでも悲しいのでもく男たちが涙で頬を濡らしている。
美しい風景。
祭りっちゃ、ええもんだ。
f0225473_2237436.jpg
去年は俺も「じょうば」・・・獅子・・・の役で、老人ホームに呼ばれて行ったら大変に喜ばれた。今年は若い「じょうば」を連れていった。反応のあるお年寄りや反応しないお年寄りたち。縁起モンだ。来年まで息災でおってくんないや!
[PR]
by jhomonjin | 2013-04-12 22:13 | 祭り | Comments(2)
10月24日(水)は糸魚川に春を呼ぶ天津神社の秋の例大祭。
春のケンカ祭りでジョウバ(獅子のこと)の役が付いたモン(者)は出んならん事になっとる。(出なければいけない)
公民館に集まってお神酒をやってから全員で金比羅さんに参拝。
ケンカ祭りの時と比べてギャラリーは皆無だからちと寂しいが、祭り仲間と和気あいあいと天津神社を目指す。
f0225473_2035136.jpg
金比羅さん参拝風景をジョウバの口からカメラを覗かせて撮影。「イヤーッ、撮ってんの!」って。俺は昔から人をびっくりさせんのが好きだ。金比羅さんはちっちゃい神社だけど、昔は漁師が多かったから大事な神社。

f0225473_209180.jpg
ケンカ祭りの時はジョウバは基本的に顔を出してはいけない。結構大変な役なのだ。でもこの日はこんな感じで終始ユルユルのリラックス状態。タバコなんか吸っちゃってる。

f0225473_2027242.jpg
故郷にこんなに立派な神社があるのは誇り。全国でも珍しい茅葺屋根で内部も荘厳。この神社はもともと産土神のヌナカワ姫を祀る「奴奈川神社」で式内社だが、中世に天津神社に合祀されて今は一宮と呼ばれている。

f0225473_20285343.jpg
能管、太鼓、ほら貝が奏じるのは、祭りを通して奏でられる「三つ拍子」、勇壮な「お走り」、軽快な「勝鬨」の三つの調べ。ただし正式な曲名は知らない。俺があの世に行く時は「お走り」で送ってもらえれば迷わず成仏できると思う。

f0225473_20351945.jpg
巫女舞いは二曲が奉納された。この組は右手に鈴、左手は刀印に結んでいたが、この前に舞った華冠の女性達は手に華盆を持っての舞いだった。日本の女性はこんな格好すれば誰でも凛々しい美人に見える。

f0225473_20402755.jpg
ご神事が終わったらジョウバの仕事は子供の頭を齧ること。頭が良くなると言われている。糸魚川幼稚園の園児が見学に来てた。先生にしがみついて泣き喚くのは年少組さん。耳を塞いでいる子はジョウバがパクパクする音を聞きたくないらしい。

f0225473_20522135.jpg
最初はおっかなびっくりの年長組さんも、今時は慣れてくると自分から頭を出してくる。俺の子供の頃はジョウバの顎で頭を叩かれたので、子供は本気で逃げ回っていた。ジョウバも雄叫びをあげて走って追いかけてきたもんだ。

祭りが終わって公民館に戻り、無礼講の直会(ナオライ)。
仕事を早引けして直会から参加する人もいたが、本当にみんなよく飲む。
そしていつも通りふらつく足で自宅に戻り沈没。
[PR]
by jhomonjin | 2012-10-26 21:07 | 祭り | Comments(0)
けんか祭りの余韻はまだ続く。
翌日11日は直会(なおらい)で昼間っから夜まで9時間以上も飲み続けた。
f0225473_2185984.jpg
直会は小雨の寒い夜だったが、連続9時間飲み続けた寺町男児は半袖、裸足で求められればセクシーポーズだってやぶさかではない。天真爛漫な男達。女もカラオケもも無しで子供に戻って飲み騒ぐ。

14日には寺町区の祝勝会。
21日には役の中で最も重要な「鳥爺(とりじ)」を祝う会。
最後は29日の俺の生まれ育った新町の慰労会。
例によって一升ごと熱燗された日本酒とタバコの煙で充満した「男の飲み会」である。
本当に我が故郷は人間離れした酒豪ぞろい。
f0225473_21142197.jpg
じょうばは一人で被る。齧る対象を発見すると走って行ってガジガジを頭を齧る。逃げたら追いかけて来るから、子供の頃は本当に怖かった。





さて、今年の俺は『じょうば』の役が付いた。
じょうばとは、獅子のことだけど、獅子舞いなどはしない。
見物人の頭を齧って徘徊するのだ。
頭を噛まれると頭が良くなると言われており、俺だって子供の頃から何度も噛まれているが、ちっとも「効いて」るという実感は無い。
けんか祭りは文字通りけんかをする荒っぽい祭りだが、数ある役目の中でじょうばだけは見物人と唯一の接点があり、祭りの進行にも関わる一種の狂言回し的存在で、子供にイチバン人気がある。
f0225473_21191015.jpg
じょうばが子供を泣かせてしまっても、「ええ子になれ」と周囲は暖かい眼差しで見守る。誰もが自分の子供の頃を思い出して優しい気持ちになるのだ。母親も心なしか引き攣っているのが愉快。

f0225473_21223293.jpg
泣き叫ぶ子供をうまくなだめるのが親の役目。「怖くないよ。じょうばさんにぱっくんして貰おうね」と自分が子供の頃に母親から言われたセリフを繰り返して口にするのが、糸魚川の女の歴史というもんである。

女ならケツを噛まれると安産するとも言われているが、これはどうも噛むほうが面白がってでっち上げたように思う。
基本的に縁起物だとされていて、無病息災・家内安全・商売繁盛のご利益があるとされているから、老舗ではじょうばに祝儀も出す。
f0225473_2128393.jpg
近所の保育園にも出張した。年少組さんは固まっていた。泣き喚く子もいたので、じょうばの口を開けてカメラを出して撮影したら受けた。悪ノリして口から手を出して握手して回った。きちんと正座しているのが偉い。

通常はじょうばが噛む対象は子供と若い女なので、祭りの間は逃げ惑う女子供を面白がって追い掛け回す。テーマソングに『森の熊さん』の歌を口ずさむ。
でも俺は神社に向う沿道を見物する老若男女の全てを噛む対象にした。
見物人にも祭り気分を味わって欲しいからだ。
お年寄りだと「じょうばに齧られるなんて七十年振りだわ!」なんて合掌までして感謝される。
そんなことしてたら、介護施設の職員さんから施設まで来て下さいと頼まれた。
痴呆や車椅子の老人達を片っ端から齧ってやった。
惚け防止になるよ、なんて言わない。
縁起モンだよ、オメデトウ!息災でおってくんないや、と言って齧って回った。
祭りっちゃ本当ね「ええもんだ」。
[PR]
by jhomonjin | 2012-04-15 21:35 | 祭り | Comments(2)
奔った、奔った、奔った。
昨日は曇り時々雨。
今日の祭りは快晴の祭り日より。
そして明日は曇りから雨の予報だ。
毎年誰もが言うのは「今年はええ祭りだった。」というセリフだが、今年もやっぱり「ええ祭り」だった。
例年の祭りでは人数にやや勝る寺町区が押上区の神輿を押し気味だが、今年はぶつかった神輿ががっぷり四つに組んで押しつ押されつ五分五分の好勝負。
俺のブログを観ているという東京糸魚川会の人から激励されたり、祭り見物に来ていた知人から振る舞いを受けたり、祭りの終わり方も愉しかった。
夕方、酔っ払って家に帰って一眠り。
二時間ほど爆睡してから腹が減って起きると、全身が筋肉痛で体が重い。
祭りの最中は夢中で分からないけど、こんな時に初めて祭りの激しさを実感する。
とにかく一年の区切りがついた。
糸魚川はこれから田植えの季節を迎える。
f0225473_2163941.jpg
数度に渡るケンカ神輿の後は「お走り」で祭りが終わる。全速で走って神輿を収めるのだ。その後各町は自分達の桟敷に戻って競って勝どきを挙げる。最後は万歳三唱で締めくくり。
[PR]
by jhomonjin | 2012-04-10 21:54 | 祭り | Comments(2)

だって祭りなんぢゃ!

糸魚川のなかでも俺の住まれ育った寺町区と隣りの押上区の男にとっての正月は4月10日である。
すなわち『けんか祭り』だ。
4月3日に役員抽選会、5日に勉強会、明日9日は衣装渡し、そして10日の本番、11日の直会、その後にも寄合が何回かあって、4月は祭りに明け暮れるのだ。
寄合があれば酒が付き物。
宴会が始まれば会場はタバコの煙で霞むし、ビールの栓がシュポシュポ開けられ、酒は一升づつヤカンで熱燗にされて出てくる。
f0225473_2131035.jpg
寺町区の勉強会の後の宴会。この後、どんどんと座が乱れてヘベレケになっていく。部屋の入り口に立つとタバコの煙で本当に部屋の奥が霞んで見えるから、便所から戻るとちょっとたじろぐ。

みんな勢いよくガブガブと酒を飲み、プカプカとタバコを燻らせ、ガハハハと屈託なく笑う。
若い女もカラオケも必要ない。
同じ寺町に暮らす男達が集まれば、ツマミに裂きイカと柿種、あとは酒とビール、タバコがあれば充分という清々しさ、潔さ。
こんな飲みかたをする人は都会では見た事がない。
酒やタバコは体に悪いなどという軟弱なことを言う奴は、少なくても祭りの期間の俺たち寺町の男にはいないハズだ。
メタボだってええわい、尿酸値過剰だってええわい、高血圧だってええわい。
だって、祭りなんぢゃ!四の五の言わんで飲めっちゃ!!
寄合の時に周りの男達の顔をつくづく見渡す。
みんなイイ顔しとる。よか男。よか酒。よか祭り。
寺町の男達はすでに戦闘モード全開である。
f0225473_2182243.jpg
4月8日時点の縄文カヌー。船首と船尾の船底の反り(ロッカー)に注目。糸魚川は海岸段丘が発達しているので、上陸の際に船底に反りがないと引っ掛かってしまうのだ。実物の縄文カヌーにはロッカーは見当たらないが、これは必要だ。

f0225473_2191169.jpg
船内は丸鑿で仕上げてある。俺は凸凹がきれいだと思うのだが、「きちゃない」と感じる人も多いようだ。グラインダーでツルピカに磨けばきれいになる、と教えてくれるのだが、嫌なこった。自分で丸木舟作ってそうしてくれい。
[PR]
by jhomonjin | 2012-04-08 20:56 | 祭り | Comments(4)
震災で自粛ムードのある昨今、糸魚川では例年通り、四月十日にけんか祭りを決行した。
祭りは神事であって、人間の為に行なうものではない。

だから何があろうと祭りをしないことには神様の罰が当る、と俺たちは自然に考える。

祭りは祓い清めであって、こんな時にこそ祭りは賑やかにやってやろうぜ、と意気軒昂となる。
また災難などに出逢ってしまった年を、更新して新たな年とする「年送り」的な意味がある。
祭りバカにとって、一年は365日では無いのである。
祭りとは年に一度のハレの行事をする事で、時の流れを司る年神様の生命力をリセットして強力にする行事なのだ。
正月が何で目出度いのか?
新年早々に目出度いと断言する事で、その年が目出度い年であったという既成事実にしてしまうのである。
これを予め祝うと書いて、予祝(ヨシュク)という。
f0225473_21482517.jpg
お練り
けんか祭りは稚児のお練りで始まる。最後の稚児が舞台に上がった瞬間に神輿が走り出す。今年は気合が高まって最後の稚児が上がる直前に神輿が走り出した。雅から荒ぶる祭りに豹変する瞬間だ。


けんか祭りに参加する男達は、ちょっと都会にはいないタイプの男達だ。
寄り合いがあると必ず酒がでて、みんなグビグビと酒を煽る。
ほとんど全員が煙草をスパスパ吸うから、会場は紫煙漂うどころかモウモウと霞んでいる。
よく火災警報器が鳴らないもんだ、と思う。
整体指導者にはヘビースモーカーが多いが、会員の中には一家揃って喘息で、家の子供は煙草の煙を吸い込むと死んじゃうの、なんていう人もいる。
本当に死ぬかどうか、寄り合いの部屋に閉じ込めてみたいもんだ。
f0225473_21542100.jpg
奔る!
神輿が走り出した瞬間。十人の白丁(ハクチョウ)が神輿を担ぎ、十一人の手引きが神輿を引張る。その他の人は神輿と共にひたすら奔る。今年の俺は白丁の大役だったが、最年長記録の更新だそうだ。

老いも若きも屈託無くよく笑うし、飲んで騒いで酩酊して千鳥足で帰宅する。
明日の仕事や家族の事など何も考えずに勢い良く飲む。
二次会が予定されていても、一次会からセーブしたりせずに全力投球で飲む。
翌日が健康診断だというのに、八時間もぶっ通しで飲んでいた人もいた。
豪快だ。でも昔の大人の男ってみんなこうだった。
席を同じにしていると、みんな男らしいなぁ、と酒の弱い俺は惚れ惚れと彼らを見入ってしまう。
年に一度のけんか祭りを生甲斐にしている男達だ。
大酒のみでヘビースモーカーばかりなのに、なぜか彼らに清潔感を感じる。
要するに健全な男達なのだ。
けんか祭りのある街に生まれて良かった。男で良かった。・・・とシミジミ想う。
この無邪気で豪快な大人達の飲みっぷりこそが祭りなんだ、と想う。
f0225473_21582089.jpg
けんか神輿
神輿をぶつけ合う直前。神輿で真っ向勝負の相撲を取るのだ。最前線で神輿を組ませる「組ませ」の役は命掛けの大役である。経験と度胸がいる。神輿の屋根が外れたら間違いなく潰されて死ぬだろう。

今年の祭りは特別だった。震災の年に相応しい祭りだった。
祭りの前に集会所で参加者達から義捐金を募った。
祭りの手拭いを縫って作った木綿の袋に各自が義捐金を入れていく。赤い紐が可愛らしい。
「重い銭(ゼン)より軽い銭の方がええやんだよ!」とドラ声で募金を呼びかけていた。
らしいなぁ、と思わずクスリとする。

今年の祭りが特別だったのは、義捐金の事ではなく、祭り本番でアクシデントが起こったのだ。
喧嘩を三回やっただけで、寺町、押上相方の神輿の屋根がぐらつきだした。
例年は激しく七回前後は喧嘩しても(神輿をぶつけ合っって相撲のように押合う)びくともしない神輿が、たった三回ぶつけ合っただけで屋根が落ちる危険性が発生したのだ。
五百年の歴史上、例のない事だそうだ。
協議の結果、危険なので最後に形だけ神輿を組み合わせて、クライマックスの「お走り」は歩く事になった。
お走りは競争で、俺の住む寺町が勝つと豊年、押上が勝つと豊漁という神占いでもある。
例年の半分以下の時間しか経っていないのに、唐突に祭りの終わりがやって来てみんな不完全燃焼だ。
呆然とする顔、憮然とする顔・・・。
普通は神輿を組合わせる時は、寺町と押上の「組ませ」が凌ぎを削って、それこそ本物の喧嘩になる事もある。
今年はお互いに「ええかっ、綺麗に組むんぞ。慌てんなや、ええなっ!」と声を掛け合っていた。
そして本当に綺麗に二基の神輿が組合さって、別れた。
みんな恰好良かった。

俺はお走りで担いで走る大役だったので、有難い事に最後に神輿を担いでいた。
太鼓がドンデンドンッというシャギリ調子になると、お走りが始まる。
例年はこの太鼓を合図に二基の神輿が激走するのだ。
今年は屋根が落ちないように静かにゆっくり歩く。
奇しくも祭り参加者と観客が同時に「わっしょい!わっしょい!わっしょい!」と声を出し始めた。
男達はみんな涙を堪えて「わっしょい!」と怒鳴っている。
何時もの緊迫感や迫力はなかったけど、境内が一つになった。
例年とは違った展開だが、何だか胸の奥底から感動が突き上げて来る。

糸魚川で避難生活をしている南相馬の人達も見物に来ていたらしい。
男達の益荒男振りを観て、少しでも元気になってくれい、と祈るしかない。
f0225473_2215864.jpg
お走り直前
動の喧嘩の後に、一瞬の静寂があって「お走り」が始まるが、今年は走らずに歩くのだ。万感を胸に収めて神妙にお走りを待つ白丁。



今回の祭りのアクシデントは、未曾有の国難に対して、俺たち一人一人がどうあるべきか?という神意だったと、俺たちは自然に感じる。

追伸
今年の祭りの写真は、リンクしている「一印蒲鉾」の凹ちゃんの提供です。
一印蒲鉾は糸魚川の老舗の蒲鉾屋さんで、俺と同じ寺町にあります。
糸魚川に来たらお土産にどうぞ!駅前や土産物屋でも買えますが、ネット販売もしています。
けんか祭りの寄り合いでは必ずツマミに出る伝統的な蒲鉾です。美味しいよ。
[PR]
by jhomonjin | 2011-04-12 21:29 | 祭り | Comments(4)
なんだかこのブログは友人関係と、整体関係者ばかりにしか見られてないみたいなので、地元の糸魚川の人のネットワークを増やす為に、タイトルを「縄文人(見習い)の糸魚川発!」と変更することにしましたので関係各方面の皆様、今後ともに宜しくお付合いの程お願いします。

さて、今日は浅草の三社祭りの二日目である。
地元の人はサンジャマツリとはあまり言わず、サンジャサマとかサンジャと呼んでいる。

お神輿が出るのは土曜日からなので、あまり知られていないが本当の三社祭りの初日は土曜日ではなく金曜日である。
男装の芸者集が練り歩き「手古舞い」なんかするらしいが、平日なので俺はまだ見ていない。
二日目が土曜日で、浅草四十四ケ町とその他あわせて二百基近い町内神輿が浅草寺に集結する連合渡御がある。

浅草寺も地元の年配者は、カンノンサマと呼ぶ事が多い。
今日は浅草も天気が良かっただろうから、観音様の境内も二百基の神輿が立てる砂埃が物凄かったのではないかと思う。
そして夜のクライマックスである宵宮(浅草式の発音はヨミヤ)だ。
西浅草地区の場合は、提灯で飾られた町内神輿を各町会神輿庫から国際通りのビューホテル目指して集結して来て、ホテルの玄関前で天地を引っ繰り返した様な大騒ぎとなる。
今頃は神酒所(ミキショ・・・各町会毎の休憩所)で道路のアスファルトにどっかり座って、皆で楽しく飲んでいることだろう。
チクショウ、俺も行きてぇ~!

3日目は各町会選抜メンバーが午前三時に集まって浅草神社に行って、午前6時まで待機してから最大のクライマックスである宮出が始まる。

10年ほど前までは宮出も混沌としていたので、神輿を担ぐ担がせないの乱闘騒ぎがザラで、地元氏子より圧倒多数の地方からやって来た神輿同好会や、地元の暴力団が幅を利かせていたので、20人程度の選抜メンバーといえども地元氏子は神輿に近づくことさえ出来なかった。
迂闊に神輿に近づくと袋叩きにされてしまうのだけど、もっとも近づこうにも物凄い人波で、個人の意思では思うようには動けないので近づけないのである。
15年位前には神輿に乗っていた暴力団関係者が引き摺り降ろされて、ドサクサに紛れて殺されてしまった事もある。
宮出で神輿を担ぐのも命掛けだったのだ。
この時は、俺たちもモミクチャで自由に身動き出来ない状態で、遠くの神輿からボコッ、ドスッという鈍い音がするのを聞いていた。

現在は地元氏子がまず浅草神社から宮出をして観音様の前まで担いで、そこからは神輿同好会などの団体さんに交代する、という取決めになったので、俺もここ数年はナンチャッテ氏子として地元の人に混じって宮出で神輿を担いでいた。
そして本社神輿の町内巡行と夜の宮入で三社が終わる。
祭りの間は神輿、酒、メシ、僅かな仮眠の4ツのサイクルだけとなる。

よく何故で俺が、本来は地元氏子しか参加できない三社祭りの宮出や宮入に参加出来ているのか?と質問されるのだけど、長年のダチであるシンタローのお陰であるからだ。
シンタローの実家は西浅草にあるモンジャ屋である。

奴とは20年前に、ネパール国境からヒマラヤ登山のベース基地であるポカラまでのローカルバスで偶然に乗り合わせた縁で、それから親戚付合いみたいになっている。
シンタローは柴崎西町会の青年部の顔役で、顔が利くのだ。

モンジャ屋は文字家(モンジヤ)という名前で、ルルブやピアなどの下町特集によく取材されている店で、シンタローのお袋さんが切り盛りしている。
場所はビューホテルの裏手の路地にある。
フーテンの寅さんに出てくるような下町情緒溢れる店である。

誰かを文字家に連れて行くと、おばさんは「ようこそお越し下さいました。文字家の女将でございます。いつも息子(俺の事)が、お世話になっております!」とちゃんと三つ指を付いて、丁寧だけども愛想好く、親しみのある挨拶をしてくれる。
ちゃんと男を立てるツボを心得ているのだ。こんな挨拶がさり気なく出来てしまうところが心憎い。

おばさんは、地元のヤクザにも顔が利く。
肩で風を切るヤクザといえども、おばさんとは子供の頃から顔見知りで、面倒見が良いから誰からもイチモク置かれているのだ。
ある事で警察と一触即発状態のヤクザを一喝して、謝らせて事無きを得た事もある。
「どっちが料理ショー」に、広島風お好み屋さんと対決して欲しいとオファーがあった時に、「テレビなんか出ちゃったら、イチゲンサンばかり押し寄せて来て地元の常連さんが入れなくなるし、恥ずかしいから断った」という気骨と奥ゆかしさを持ち、そして正しく下町の人特有の照れ屋さんでもある。

おばさんのハンドバックには、いつも文字家と書いてあるポチ袋・・・ご祝儀を入れるお年玉袋みたいな小さな封筒・・・が入っている。何かお礼や心付けをしたい時にすぐにご祝儀を渡せる心遣いである。
物事の道理をわきまえ、人情に通じ、あったかくて、日常の振る舞いが粋で、肝っ玉の据わった、絵に描いたような浅草の女将さんである。
おばさん、長生きして下さいよぅ!
台東区役所の人、古き良き浅草の伝統を保持する人として、おばさんを重要無形文化財保持者として都に申請しなきゃ。目指せ、いつか国宝!

日本酒が好きなおばさんに「おばさん、美味い新潟の地酒を見つけたから、今度持って来るね。」と言ったら、「今度とオバケは出たためしが無いよ!」と間髪を入れずに返すあたり、落語に出てくるセリフのリズムやテンポは、昔の下町っ子の日常会話そのままだったんだなあ、と得心がいく。

以下はある日の俺とおばさんの会話。
「母ちゃんさ、下町生まれの下町育ちだからさ、ヒとシの区別が出来ないんだよ。だからさ、コーヒーがコーシー、飛行機がシコーキになっちゃうんだよぅ。」
「本当に言えないの?」
「本当に言えないんだよぅ。」
「言おうと思ってもどうしても言っちゃうの?」
「言おうと思ってもどうしてもどうしても言っちゃうんだよぅ。」
「でもさ、おばさん、さっきコーヒーがコーシー、飛行機がシコーキって、ちゃんと使い分けて喋ってたよね?」
「うるさいよ、お前は!」と頭をこずかれた。

こんな会話が日常的になされているのが、文字家さん一家だ。

でも面白いのは、文字家さんだけでは無い。
シンタローの家の近所に寿湯という銭湯が10年位前まであった。
寿湯の周辺は、昭和30年代までは噺家さん(落語家)や、浅草を舞台とするコメディアンが大勢住んでいて、よく利用した銭湯だったことから、ディープな演芸ファンには名前を知られた銭湯である。渥美清や荻本欽一、ビートたけしも浅草で芸を磨いた芸人さんだ。

落語好きで銭湯好きな俺は、シンタローの家に泊まる時はよく寿湯に行っていたのだが、ある時にシンタローに一緒に行かねえか?と誘ったら、嫌だと言う。
行くと知らないオジサンから「あんたMさんとこの息子さんだろ?おじさんはあんたのお父さん(故人)と友達だから背中を流してあげるよ。」と見ず知らずのオジサンと背中の流しっこをする事になるからだそうである。
面白いじゃないか!と嬉しくなる。

よく東京は寄集めで人情が薄い、なんて言う人がいるが、そんな人は浅草に来て馴染の店や友達を作ってみて欲しい。

文字家さんの最寄の駅は銀座線の田原町駅だ。
よく浅草演芸ホールを引けた噺家さんも乗って来る。
駅の階段を上がるとヤキソバの匂い。この匂いで浅草に来たんだぁ、といつも実感する。
浅草寺の五重塔の裏手には、朝7時から夕方4時までやっている「観音温泉」もある。入浴料金700円はちょっと高いけど、朝早くからやっていて、いつもガラガラなのが有難い。
金髪の人魚のタイル絵と、塩素消毒の臭いが、なんともレトロでバタ臭くて、下町情緒をそそる。
観音温泉で温まったら、歩いて5分の浅草演芸ホールでノンビリと落語三昧だ。
朝11時40分から夕方4時30分までが昼席。夕方4時40分から夜9時までが夜席。
いつ入っても出ても入場料2500円で、昼夜入替え無しで落語や漫才が堪能できる。
昼飯は文字家さんの近所の喫茶店ピーターのカレーか、富士の大海老天丼が美味い。
越後屋の稲荷ずしを買って、浅草演芸ホールで落語を聴きながらパクつくのも捨て難い。
晩飯は夕方5時から夜11時までやっている文字家さんで決まりだ。(混む事が多いので、予約をお忘れなく!)
これが俺の一日江戸っ子ごっこの定番コースである。

浅草の何が面白いって?
そりゃ、人だ。

去年の三社の直前に、シンタローの親父さんが急逝した。
喧嘩っ早くて頑固だけど、優しくて料理が上手、スポーツ万能で東京オリンピックの時には陸上の強化選手に選抜され、晩年は台東区の空手協会の理事。物知りで面倒見の良い人情家。
着物も似合うし、背広はイタリア製。帽子をいくつも持っているオシャレな親父さんだった。

親父さんが無くなって以来、浅草の風景の一部が欠けてしまったようだ。
浅草の風景は人の風景。人との出逢いが作った景色だ。
人間臭くて、あったかい街。それが浅草。六本木ヒルズ、副都心ビル群あっち行け、シッシッ!
皆さん、「メトロに乗って浅草へ」・・・上々颱風の名曲です・・・遊びにお出で!
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-16 00:20 | 祭り | Comments(4)
新潟県には国指定の重要無形民俗文化財、つまり祭礼儀式が現在11件ある。
そのうち3つが糸魚川に集中しているので、ある民俗学者は糸魚川を「神遊びの里」と評している。
神遊びとは沖縄方言(カミアシビー)に残っているように、神事などで神と渾然一体になった忘我の境地になって舞い踊る状態を指す。

糸魚川のけんか祭りでは、けんか神輿そのものではなく、その後に奉納される舞楽だけが国の重要無形民俗文化財に指定されているのだが、氏子達が神輿を宮入した後の狂騒はまさしく集団憑依状態で、一種の踊狂現象といえるだろう。

踊狂現象とは文化人類学の用語らしく、幕末の「ええじゃないか」がその典型とされている。

漫画家の星野之宣の代表作「ヤマタイカ」では、日本人の集団無意識には縄文以来の祭りへの狂気ともいえる渇望が潜んでおり、時代の動乱期や祭礼などで日常のタガが外れると、一気にその狂気が噴出して神と渾然一体になった忘我の境地で踊り狂う、として江戸時代に60年周期で流行した「おかげ参り」・・・「抜け参り」ともいう・・・や「ええじゃないか」、そして太平洋戦争は一億の国民が熱狂した踊狂現象であったとして描かれている。

秀逸なのは、最後の「おかげ参り」の流行から約60年後に「ええじゃないか」が起きており、その約120年後に太平洋戦争が起きている、とやや強引な仮説でストーリー展開をしている点だ。

どの事件にも国家システムからの束縛に対して、日本人の集団無意識に流れる国家概念の無かった縄文時代の狂気を呼び起こした結果の祭り騒ぎであって、「ええじゃないか」は薩長の知恵者が、そして太平洋戦争に関しては、政治家が司祭となり日本人に潜む狂気を巧妙に先導した祭りだった、としている。
そしてどの踊狂現象にも、共通した背景として伊勢神宮、もしくはその司祭である天皇が関わっていると着眼している点が面白い。
時代考証の矛盾などで若干の無理はあるにしても、史実に創造を巧みに織りこみ、民俗学の造詣の深さで一気に読ませてしまう説得力、画力は流石の一言。

漫画「ヤマタイカ」は、終戦から60年を経て日本人の集団無意識が狂気の臨界点に達しようとしており、今度の祭りこそは政治に利用させてはならないとして、沖縄の神人(カミンチュ)達が活躍して、縄文1万年と弥生以来2千年の仏教勢力とが呪術対決をして、近代都市や国家システムなどが根こそぎぶっ壊われていくのである。
戦後の荒廃した国土の復興から60年を経て、またゼロから日本を作りあげていく、つまり死の後の再生をしていく、という痛快無比にして荒唐無稽、壮大にして読むだけで日本史や民俗学の勉強になるという大変にスケールの大きな長編劇画である。
80年代に出版された劇画だけど、最近は文庫本で復刊されているので、祭りや縄文文化に興味ある人には事是非とも読んで欲しいですな。星野さんはホンモンの祭りをご存知だ。

けんか祭りが終わって2週間が経った。
先週には市内の早川地区のけんか祭りがあった。今週は能生(ノウ)地区の白山神社(旧奴奈川神社)の例大祭があった。
山里である早川のけんか祭りは豪快で朴訥だ。漁師町の能生の祭りは雅やかで格式があるが、神輿のけんかは無い。
f0225473_2333734.jpg
早川区の神社は山の上にあり、麓の日光寺でけんか祭りをする全国でも珍しい神仏混交の祭礼。
写真は神社の石段を降りてくる所。

f0225473_2363464.jpg
能生の祭りは雅やか。白山神社も糸魚川一宮である天津神社も茅葺屋根で、これも全国的には珍しい。しかも白山神社は拝殿に土足で入る事が出来、大きな囲炉裏まである。目の前が海という清々しい神社。

この二つの祭りを足して2で割って規模を大きくすると、ちょうど糸魚川のけんか祭りになる。
しかしどこの祭りにも優劣は無い。それぞれに良い祭りだ。
氏子達にとっては年に一度の春送りの儀式であり、これから始まる田植えシーズンに向けての初夏を迎える大事な祭りなのだ。

ある人が「浅草の三社祭りを観たけど、神輿に較べてビルが大き過ぎて、妙にアンバランスなところがおかしかった。フフフ!」と笑っていたが、この時は本気で首を絞めてやろうかと思った。
そんな事は本物の祭りを体験した事の無い、単に祭りを傍観しているだけの門外漢の戯言で、一度でも祭りで「狂った」事のある人なら、他人の土地の祭りをバカにした態度を取ったり、批評めいた事は絶対に言わないと思う。
祭りバカにとっては誰でも自分の土地の祭りこそが最高で、世界に唯一無為の祭りに誇りを感じているのである。バカにしやがるとただじゃおかねえ、と息巻く勢いなのだ。

糸魚川地方の一連の春の祭りが全て終わった。盆と正月が一緒に来て去っていった気分。
燃え盛る炎が次第に落ち着いてきて、熾き火になってくようだ。
俺達祭りバカは、結してこの熾き火を消したりはしない。胸の内に大事に仕舞っておいて、次の祭りに再び燃え上がらせるのだ。
そして事ある時にも燃え盛らせる。地震・雷・火事・喧嘩なんでもこいだ。
それは個を超えて連綿と受け継がれていく炎だ。
俺が初めてけんか祭りに出た時に叔父から言われた「祭りっちゃ、ええもんだろう?」って言葉は、時代を超えて受け継がれていく。
その事を想うと、なんだか無性に嬉しくなる。

追記
土曜日にけんか祭りがローカル局でテレビ放映された。毎年三十分番組枠だったのが、今年はダイドードリンコがスポンサーになって1時間枠の豪華版となり、祭りを支えている人たちの想いなども丁寧に編集されており、「勇壮な祭り」というステレオタイプな視点だけで無く、祭りに掛ける人々の熱い想いが伝わる内容になっていた。
番組では祭りの専門家というサイバー大学の教授が解説していて、「日本中の祭りを観てきたが、糸魚川のけんか祭りは、観客も一体になって熱狂する他には類例の無い祭り」と評していた事が嬉しい。
早く来年の四月にならんかねえ。あと340日が待ち遠しいわい。
[PR]
by jhomonjin | 2010-04-25 02:17 | 祭り | Comments(2)
けんか祭を終えてすぐに汗臭い祭り装束のまま、祭見物に来たカズさん一家と千葉のまっちゃんを連れて稚児ケ池に行った。
稚児ケ池は俺の家のすぐ裏の小高い丘にあり、前にも書いた奴奈川姫命の入水の地、と伝承のある瓢箪型の小さな池だ。地元でも稚児ケ池の存在を知っている人は少なく、普段は訪れる人も稀な淋しい杉林のなかにその池はある。
しかも池といっても付近は近代になって植林された杉の為か、現在は水の枯れた萱の生い茂る沼地となっており、特に案内板も無い細い遊歩道の脇にあるので説明されないと分からないのだ。
f0225473_2019960.jpg
稚児ケ池
小さな池といっても奥行きは結構ある。50mプール二つ分は優にあるだろう。
右手のこんもりした半島状の杉林がカズさんが選んだご神事の場所。



初めてカズさんに逢った時に、カズさんはライフワークとして縄文人の御魂の鎮魂神事をして、各地を歩いていると話してくれた。
その時に俺は我が意を得たり、と奴奈川姫にまつわる話をしたのだ。
縄文時代から糸魚川は翡翠の産地として名高かった事、古墳時代の始め頃に糸魚川は奴奈川の郷と呼ばれ、縄文系らしい奴奈川族が出雲に侵略された事、族長である奴奈川姫が出雲に拉致されたが逃げ帰って故郷で非業の死を遂げた事、俺の実家は奴奈川族の拠点付近にある事、糸魚川一宮である天津神社の氏子は奴奈川族の子孫であるかも知れない事、俺の中では、けんか祭は先祖の奴奈川族の鎮魂の祭でもある事、などなど個人的な思い入れ話を興奮して喋ったのだ。
こんな与太話しにカズさんは非常に興味を持ってくれて、今回のけんか祭に来てくれる事になったのだ。

その荒振るけんか祭のと同じ日の内に、是非ともカズさんを稚児ケ池に案内したかったのだ。何かが起る予感がした。
稚児ケ池にはそれまでに何度か一人で来てはいたが、そこはちょっと張り詰めた気配のある場所で、気の弱い人なら途中で引き返したくなる感じのする処だ。

前日に下見していたのに何故か道に迷った。
同行のまっちゃんが「なんだかケモノの臭いがするけど、近くで牛か豚でも飼ってるんすか?」と変な事を言い出す。バカ野郎、俺ん家はそんな田舎じゃねえ!お前ぇの体臭と違うんかい?肉の喰い過ぎだ、ダイエットせんかい!と返すが、確かに変な臭いがする。・・・まっちゃんは体重100キロの相撲取り体型です。俺は彼をトトロに最も近い人類と呼んでいる・・・。

稚児ケ池に着くと、カズさんは迷いもせずに場所を決め、早速に鎮魂の神事の支度にかかった。
まず供物を並べ火打石で火を起す。初対面の時に教えた火打石による火越し技術は、独自に工夫を凝らして達人の域に入っていたのは流石。カズさんも真剣な人だ。

この時、一行全員がペキッ、パキッ、バキッと小枝を折るような、枯れた小枝が落ちるような音があちこちからするのを聞いていた。こんな人家近くで猿でもいるのか、それとも小鳥やリスが滅多に来ない人間が来たので驚いて逃げているのかねえ?と話していたのだ。
まっちゃんは相変わらず「牛というよりケモノの臭いがする」といい続ける。
他の人も「確かにケモノっぽい臭いがする!」といい始めた。稚児ケ池の雰囲気はいつも通り張り詰めた気配のままだ。
夕闇が迫る時刻なので嫌な事を言いやがる、と内心「このヤロー、余計な事いってんじゃねぇや!」と毒づいた。

その内にカズさんは実に巧みに美しい焚火を起し、唐突に歌を唄い始めた。
「あなたのまなざしに 私の胸が開く~中略~めでても めでても あふれる愛の泉~後略」
カズさんの名曲「愛の泉」だ。(アルバム ai no izumi  収録曲)
カズさんの声と歌には潤いがある。しっとりとした静けさとを感じる。
そう涙だ。カズさんの歌には涙を感じる。哀愁の涙、悲愁の涙、郷愁の涙、それに歓喜の涙。
でもけっして恨めしいとか悔しいとかのネガティブな涙では無い。太古から未来まで、なんだか切ない涙で繋がっている。
f0225473_2026291.jpg
禊ぎの時の炎
カズさんのご神事中の写真代わりに。
何故だか炎は見飽きない。スワヒリ語では焚火にじっと見入ってしまう事を「火を夢見る」というのだそうだ。好きな言葉。


歌を二曲続けた後にお祈りとちょとした儀式。参加者に米を配って焚火に投じさせた。
これでご神事が終わりました、とカズさんは言うと、供物の煎餅やチコレートを皆に配って食べさせた。神人共食の儀式だ。カズさんは祭りのやりかたを心憎いまでにご存知なのだ。
お菓子で直会(なおらい・・・祭りの後に神からの供物のお裾分けを共に食する宴会)をしていると、ほぼ全員が同時にある事に気付いた。
先程までの小枝を折るような音がまったく聞こえなくなっているのだ。
そして急に聴こえ始めたかのように楽しげな小鳥のさえずりが耳に入ってきた。辺りの気配も緊迫感が失せて清々しい空気感に変わっている。
夕闇迫る、と思っていた空さえ透き通って明るく見え、ケモノ臭さもまったく消失していた。
あきらかに場が変わった。
なんか淒ぇ処に居合わせてしまった、と実感した。おい何か淒ぇぜ!淒ぇよな?とまっちゃんと顔を見合わせる。
稚児ケ池に到着してから三十分程の出来事だ。
それにしても、あの小枝の折れるような音はラップ現象というものだったのか?

いっておくが、俺はUFO方面以外は神秘的な体験は皆無だし、人里離れた縄文遺跡で数多くの野宿を経験してはいるが、何も劇的な現象には遭っていない。
占いや予言の類、ニューエイジ系や精神世界方面の話ばかりする人がいると半径5m以内には近づきたくない男だ。したり顔で抹香臭い話しや、実体の無い話しをする奴は苦手なのだ。
でも確かに場が変わったのを実感した。

春日大社の宮司さんの著書に、「祭とは本来、神と人の間を吊り合わせるという意味があるから間吊りなのです。神と人が一体になって、神のエネルギーを頂く儀式・・・云々」というような書いてあった。
この事はけんか祭に出るようになってから実感する処だったが、荒振る動のけんか祭のすぐ後に、カズさんは歌で優しく静の祭を執り行ってくれた。

奴奈川姫が稚児ケ池で入水自殺した、とは公式文書に記載されている事では無く、口伝伝承に過ぎない。単なる伝説の域を出ないかもしれない。でもあの場の気配は確かに喜んでいるように感じた。
こんな事もあるんだな、と俺も嬉しくなった。こういう時に祭りバカがする事はひとつしかない。
手締めだ。

ご神事の最後には、やっぱり手締めでしょう!と提案して、寺町の中でも俺の生まれ育った新町式の独特の手締めをする事になった。音頭は浅草の鳶頭の音頭取りのアレンジだ。
「それではご神事を目出度く執り行う事が出来ましたので、新町式の手締めを致します。不肖、私が音頭を取らせて頂ますので、皆様方におかれましては宜しくご唱和の程、お願い致します。稚児ケ池の皆さん方も宜しく頼むよぉう!ではいきます。いっよーっ、シャシャシャンシャン、シャンシャン!おうっ!シャシャシャンシャン、シャンシャン!パチパチパチ(一同の拍手)これで万時メデタク手締めと相成りました。皆さぁぁぁんっ、有難ぉぉぉうっ!!」と蛮声を上げると、一行も池の周囲に向かって有難ぉぉぉうっ!おめでとぉぉぉうっ!!と負けずに大声を張り上げた。
まずは万々歳だ。メデタシメデタシ。空には不思議な形の雲が浮かんでいた。
f0225473_20321454.jpg
ご神事の後の雲
参加者は鳳凰が羽根を拡げているようだ、とか三体の龍が飛んで行くようだ、とか言い合った。
あの場を共有したなら誰でもそう感じると思う。自然科学的な解釈など、あの時の様な体験をした事の無い人に任せておけばいい。それこそが縄文時間、縄文感覚だ。

これにて稚児ケ池奇譚一巻の読み終わり。チョン!
(俺は祭りバカだけでなく、落語、講談、浪曲などの日本の話芸バカでもある。)

追伸 このブログを書いた翌日の夜遅く、市内の鬼伏(おにふし)という所で車がパンクした。
鬼伏は出雲が攻めて来た時に粛慎人の夜星武命が一度は撃退に成功したが、二度目に攻めて来た時に敗れて降伏した地である。
日本の古代史の常として、敗者は鬼と呼ばれ、鬼が伏した地であることからこの地名になったと伝えられている。
何か縁があるのだろうな、と思っている。黙祷!
[PR]
by jhomonjin | 2010-04-12 23:43 | 祭り | Comments(4)
いよいよ四月十日。遅かった桜の開花も前日からの晴天で一気に七分咲きとなった。
スッコーンと抜けた青空の下、絶好の祭日和。
四の五の説明はせん。
以下、写真で年に一度の男たちの熱い戦いを堪能してくんない!
f0225473_1619624.jpg
祭の朝
旭日に翻る日章旗と寺町の旗。
禊ぎ会場の浜の降り口に立っている。昔は野球が出来る位に広かった浜が、港に防波堤を作ってからは年々砂浜が狭くなっていき、今では石ころばかりになってしまった。

f0225473_16204821.jpg
禊ぎ
役員挨拶の後、男たちは雄叫びを上げて海に入る。
北アルプスの凍るような雪解け水で身を引き締め娑婆っ気を絶つ。これで本気モード全開だ。
盛大な焚火が焚かれ、お神酒を頂いて決意を固める。

f0225473_20434151.jpg
天津神社拝殿
珍しい茅葺屋根の神社
神輿の担ぎ手達が次々と参拝していく。今年も息災で祭に出る事が出来した。有難うございます。怪我の無いように、ええ祭ができますように、と皆の願いはひとつ。

f0225473_20473228.jpg
出番を待つ二基の神輿
けんか神輿の後に奉納される舞楽の舞台に鎮座する二基の神輿。
狩衣の男たちは笛、太鼓、ほら貝の楽士。

f0225473_20523376.jpg
お練り
稚児の巡行。神の依り代である稚児は汚してはいけない為に、お練りの間は稚児抱きによって肩車され地面に触れさせない。稚児抱きは長時間じっと我慢の相当きつい役。戦いの序曲は雅で静かだ。

f0225473_2135874.jpg
けんか祭開始!
稚児が舞楽台に乗った刹那、怒号と共に神輿が走り出して戦いの火蓋が切られる。
緑の装束が寺町の手引き。お互いの手を晒で繋いで全身全霊をかけてゴンゴンと神輿を引張る。

f0225473_21105298.jpg
激突する神輿
向こうが一の神輿の押上。手前が二の神輿の寺町。真っ向勝負の相撲を取る。神輿がきしみ壊れていく。男たちの骨もきしみ装束が破れていく。どっちも負けんなやー、と観客も一緒にエキサイトする。

f0225473_21303512.jpg
しばしの休息
喧嘩をひとしきりした後、一の神輿が走って戦列を離脱。互いに距離が取れると僅かな休息が取れる。
水を飲み、梅干を頬張り乾きと疲れを癒す。乱れた装束を調えるのもこの時だ。赤い装束は押上の手引き。
子供の頃は赤は女色、押上のヤンドモ(野郎共)は男の癖に赤を着とる!とバカにしていた。
押上の赤は悪の色、寺町の緑は正義の色。だってガメラの血の色は緑だモン!って思っていた。俺って可愛かったんだな、と今になって思うが、当時は本気にそう思っていたので、いまだに赤の服が着られないでいる。三つ子の魂百までもだ。

f0225473_21152947.jpg
互いに一歩も譲らない勝負が走って離れ、ぶつけては走って離れと八回前後繰り返される。
けんかの回数は疲労具合を見て両町会の運営委員で協議して決定する。男たちは限界まで全精力を絞り出す。みんな本気だ。
f0225473_21582551.jpg
歓喜!
祭の最後はお走りで競争だ。砂埃を巻き上げ、最後の力を振り絞って全力疾走する。勝敗は関係ない。いかに自分は誠実に全力を尽くしたか?バカになりきったかが問われる。神輿を拝殿に収めると男たちは我勝ちに自分たちの桟敷に駆け戻り勝鬨を挙げる。感極まって泣き崩れるモンもおる。歓喜!歓喜!歓喜!文字通り我を忘れて神と一つになる。寺町万歳!押上よう頑張った!

f0225473_22502944.jpg
稚児の舞い
動のけんか祭の後は静の稚児の舞いで締めくくられる。
全十二曲の舞楽は国指定民俗重要無形文化財だ。室町時代に糸魚川に入ってきた大阪四天王寺の流れを汲む白山修験の影響である。

f0225473_2211620.jpg
戦い終わって
名誉の負傷。眉間の向こう傷は男の勲章。笑顔が爽やか。真っ向勝負をやり遂げた男の顔だ。

f0225473_22133258.jpg
若者を労う組ませ
組ませはぶつかる神輿の最前線で両町会の神輿を組ませる危険な仕事。青法被とも呼ばれ、経験豊富で信頼のおける切込み隊長だ。根性と度胸、人望がないと勤まらない。戦いの後はベテランが若者を労い、長老がベテランを労う姿がいたる処で見られる。祭バカは皆、熱血漢で情に厚く涙もろい。

f0225473_22241595.jpg
じょうば!
糸魚川では獅子は「じょうば」といって、獅子舞はせずに子供の頭を齧って歩く。頭を噛まれると頭が良うなる、と親達はこぞってじょうばに頼むが、子供はいい迷惑。多くは泣き叫んで逃げ惑う。じょうばに噛まれて頭が良うなるんなら、糸魚川のモンは天才ばっかになってる筈だけんどもねえ。

f0225473_2238230.jpg
お願いします!
男の子だから怖くないね!と母親に連れられて5歳の少年がじょうばの処に連れられて来た。複雑そうな表情が可愛らしい。
女性は尻を噛まれると安産になる。ええ子供できるわんぞう!と女子高校生専門に追い掛け回す奴もいる。時にはスカートめくりまでする奴もいるが、追われるほうも見ている人達も皆笑っている。セクハラなんか問題にせんのだ。おい、じょうば!あっちにええケツの女おるぞ!とけしかけたり。日本の神話に出てくる世界がまだ残っている。おおらかなのだ。

f0225473_2243524.jpg
名残の桜
明けて本日四月十一日は雨のシトシト降る寒い一日だった。
人と縁日屋台でごった返していた参道もひっそりしている。
こうして熱かった祭が静かに終わっていく。つわものどもの夢の跡だ。

祭を終えてストレス解消になったから明日から元気に働けるでしょう?と聞く人がいる。そう考えるのは本物の祭を知らない人だ。昨今の形骸化して観光目的のイベント化した祭しか知らない人だろう。
年に一度の待ちに待った祭を終えると、少なくても一週間はボーとした時期がある。欲も得も無い真っ白けの状態になる。ちょうど最終回の「明日のジョー」みたいに。
余剰エネルギーなど消耗しきって真っ白になって燃え尽きているからである。

こうして人生をリセットしてゼロからまた自分を創り直す。そしてまた来年全部ぶっ壊すのだ。
一度死んで、また生まれて育っていく様は、縄文土器に施文された螺旋文様そのままに感じる。
縄文人の世界観はその様であったと思うし、縄文土器に投影されたその世界観は始めも終わりも無く、ひたすら回転しながら進み続ける未来永劫のイノチを現しているのではないか?と思う。「宇宙の構造は螺旋にある」とは、日本の地球物理学者の草分けである寺田寅彦が最晩年に残した言葉だ。寺田も同じ事を実感していたのではないだろうか。
祭も然り。
祭をしていると先祖達の経験や熱い想いが俺たちに入って来るのを感じる。そして何故だか胸が熱くなる。
いつかどこかの誰かサンの熱い想いを継承して、俺たちもまたいつかどこかの誰かサンになっていくのだろう。
[PR]
by jhomonjin | 2010-04-11 23:58 | 祭り | Comments(3)