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21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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俺はスーパーなどで市販されているコンニャクを食って、美味いと思った事は一度も無い。
嫌な臭いがするし、歯ごたえがあり過ぎて面倒くさい。味もあるようなないような、はっきりとしない処がぐにゃぐにゃとして男らしく無い奴、という印象を与える。はっきりとしない男は昔からコンニャク野郎!といってバカにされるではないか。
どちらかと言えば嫌いではないが好きな食い物ではない。
食べずにすむなら食べたく無いし、おでんに取り合えずお飾り程度に入れておくか、といったその他大勢の脇役といった位置付けの食材であった。枯れ木も山の賑わいってやつだ。
しかし味は無個性なのに臭みと歯応えで妙な存在感を主張するコンニャクに対して、ドリフの高木ブーに感じる「何もしないのに威張ってんじゃねえ。カトーや志村みたいに一生懸命に働け!」という突込みを入れたくなる気持ちも少なからず持っていた。

ところが以前に群馬県出身者の知人から、田舎からお袋さんの手作りコンニャクが送られてきたからとご馳走になってみたら、これがバカに美味い。コンニャク煮付けだけでご飯を三杯も御代わりした。口ン中が「オイチィー!」と歓喜しているのがわかったくらい美味かった。
表面はみずみずしくつるつるして、歯応えだってサクサクしている。色も透明感のあるほんのりした薄桃色ががった灰色で綺麗だ。何よりコンニャクはコンニャク芋が原料なんだな、と実感できる味と香り。
この時はその他大勢のごった煮ではなく、コンニャクだけの煮付けで堂々の主役である。
高木ブーだって、ドリフの中では脇役だったけども、最近は単独でアロハシャツを着てウクレレを弾いちゃったりして、ドリフ時代とはうって変わった癒し系キャラに転身している。ぷっくらとした福々しい顔つきに愛嬌を感じるではないか。
やる時はやるじゃないですか!とコンニャクと高木ブーを見直して、もうコンニャクをおでん界の高木ブーとは呼ばない事にしよう、と心に誓った。
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プラムの樹
連休に行って来た京都にて。
単なるサービスショットで文章とはまったく関係はありません。

最近はこのブログの写真を褒めてくれる人がたまにいるので、調子にのっている。










田舎暮らしを始めて挑戦してみたい事の一つに、自分で昔ながらの本物の食品を作ってみたい、という課題を持っていたので、早速「農文協」にメールして手作り食品の本を数冊注文した。
農文協とは、日本の農村や漁村に関係した様々な本を戦前から出版している出版社である。
誰が読むんだろう?というマイナーな学術書や実用書を地道に作り続けている偉い出版社で、出版目録を見ているだけでも面白いのである。
よく自然食レストランなどに置いてある「現代農業」という月刊誌の出版元でもある。
現代農業も、餅の保存法や濁酒の作り方、郷土料理、保存食品の作り方、廃材の有効利用方法などの生活に関する様々なアイデアが読者から投稿されていて、生活技術に興味がある人なら農業に関係していない人が読んでも面白いはずだ。

さて、本物のコンニャク作りである。
コンニャクはコンニャク芋が原料で、最初に擦ったコンニャク芋をアルカリで凝固させたコンニャク糊を作る。次に糊状になったコンニャクをンゴ状に丸めたり、型抜きして茹でて完成という実にシンプルな作り方である。
工程だけみると誰でも簡単に作れそうだが、シンプルなだけに奥が深く、美味しいコンニャクを作るのは熟練が必要なのだ。
コンニャク糊は食材としてだけでは無く、実際の接着剤としても優秀で、戦争中は和紙をコンニャク糊で張り合わせた大きな気球を作って爆弾を搭載した、風船爆弾という兵器を偏西風に乗せてアメリカ本土まで爆撃した・・・小規模の山火事を起こしたに過ぎなかった様だが・・・という漫画みたいな作戦も本当にあったのだ。小学生の頃、月間少年ジャンプのコラム欄に書いてあったぞ。唐傘の防水加工にも使われていて、他のどんな接着剤よりも水濡れに強く、安価で取り扱いが楽な糊が作れるからだ。

基本的にコンニャク芋は冬から春にかけての季節限定の食材だ。江戸時代にはコンニャク芋を乾燥させて粉末精製した精粉(せいこ)が開発されて、以降は年中コンニャクが食えるようになったらしい。
アルカリ凝固材には昔は囲炉裏の木灰から作った灰汁が使われたので、コンニャクの色は灰汁の色である薄い灰色をしている。黒い粒粒はコンニャク芋の取り残した皮の破片だ。
ここまでは昔からあった素材で、現在もこの材料で手作りをしている人も多い。

近年の市販品は、灰汁の代わりに苛性ソーダ(消石灰)などの化学薬品が多く使用されている。もともとコンニャクはシュウ酸などの臭いを含んでいてるのだが、市販品コンニャクの嫌な臭いは石灰系凝固材に由来する苛性ソーダ特有の石灰臭で、噛み切るのに苦労する歯応えもそこに由来する。
凝固材が石灰系の場合には、苛性ソーダのような鉱物由来にしても卵殻や貝殻などの生物由来でも、えぐみや石灰臭さはどうしても避けられないようだ。
営利目的でコンニャクを作っている場合は、コンニャク芋も生では無く、季節に関係なく安定供給可能な精粉が使用される。
このままだと灰汁の色が付かずにコンニャクは本来の白っぽいままなので、らしくするする為にヒジキなどで着色して、粒粒を作っているとの事。
つまり俺が美味くないと感じていたコンニャクは、工場で大量生産された本物とは程遠い「コンニャクもどき」だったのだ。

実家の近所にもコンニャク自慢のおばさん達が何人かいて、彼女達のような主婦が作るコンニャクはほとんどが茹でたコンニャク芋を擦り下ろした生地に、灰汁代わりに薬局で買った炭酸ナトリウム(ソーダ灰)を使って糊を作っている。
最初にコンニャクを茹でないと皮膚がかぶれていまうからである。それでも充分に美味い。

しかしコンニャクの本家本道は、昔からあった灰汁で凝固する方法である。
縄文時代にもコンニャク芋はあったらしいので、もしかしたら縄文人が食っていたかもしれないコンニャクである。
そしてコンニャクの横綱はなんといっても木灰ではなく、藁灰で作った灰汁を凝固材としたコンニャクであるらしい。
この方法はあまり知られていなく、作るのに手間がかかり難しい分だけ一番美味いコンニャクが出来るのだという。
先の通り、これらの昔からあるコンニャク製法は素材と作り方がシンプルなだけに、手抜きなどの誤魔化しが出来ないコンニャクである。
作った人の人間性や了見が如実に現れるという、ちょっと恐ろしい食い物なのだ。書は人也、コンニャクは人也だ。

素人が昔ながらの方法だと灰汁を作るところから始め事になるので、まるまる一日はかかる大仕事だ。木灰の灰汁なら失敗も少ないらしいが、藁灰の場合はかなり難しいらしい。でもやってみた。
結果は悔しいが失敗である。風味が乏しく食感も柔らか過ぎるし、色も黒くなり過ぎた。
失敗の原因は藁が二年前の藁で灰汁を作った為と、勘による微妙な分量の加減や微調整が出来なかったからと推測できる。つまり経験不足で、レシピ通りやってもうまくは絶対にいかない代物なのだ。

思ったようには作れなかったが、出来たコンニャクを仲間達に刺身にして食わせてみると評判はすこぶる良い。臭みもなく芋の香りがするといっては醤油も着けずにワシワシと食ってくれた。えかった!
女性陣は冷やしたコンニャクに黄粉をまぶして黒蜜をかければ夏のデザートにピッタリと喜んでくれた。同席していたお茶の先生は、正式なお茶席で茶菓子として使える、と嬉しいアドバイスまでしてくれた。

こうなったら歯応えがサクサクして、透明感のある薄桃色をした、芋の香りと味の風味溢れる理想のコンニャクを目指して作り続けるしかない。コンニャクを極めたら次は豆腐だ。やる時ゃやるケン。

こうしてみると、昔の人にとってコンニャクや豆腐はご馳走だったんだな、と実感する。
便利さや安さを追求すると、本物が分からなくなってしまう事をコンニャクは教えてくれた。
子供の頃に好きだったアニメ漫画「いなかっぺ大将」の主人公は、ケンカに負けた野良猫(声優は愛川欣也だった)をニャンコ先生と呼んで尊敬していたが、これからは俺もコンニャクをコンニャク先生と呼ぼう。ただし俺の事をコンニャク野郎と呼んでくれるなよ。
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by jhomonjin | 2010-03-31 22:09 | 田舎暮らし | Comments(0)
中国とベトナム、ラオスの長距離バスには、二段式の寝台車がある。
どこの国の寝台バスも身長175cmの俺には狭すぎる事と、バスによっては寝台がフルフラットにならない事、座ると天井に頭が当たる位に低く飲食や着替えもままならない事などもあり、俺にはあまり居心地の良い移動手段では無かった。
しかし身長170cm以下の人で何所でも寝られる人なら、結構便利な乗り物だと思う。

最も劣悪だったのが北京から内モンゴルに向かう中国の寝台バスで、予約無しで出発直前のバスに乗り込んだ為に、最後部の6人用ベットに7人目として詰込まれてしまったのだ。すし詰め状態で寝返りも打てず、おまけに相当なオンボロバスで揺れも酷く、隙間風で寒い上に黄砂が吹き込んできて、喘息持ちじゃなくて良かった、と真剣に思った。
通路は荷物で溢れ返っていて通れるものではなく、トイレ休憩には窓から出入りする状況である。
二段ベットの高い位置にある窓から降りるには、足を先に出しておいて飛び降り、車内に入るには窓枠に懸垂して頭から這い上がるしかないのだ。埃と体臭でほとんど奴隷船だった。
垢で黒光りした湿気と埃を吸った枕と薄い布団をあてがわれ、ちょっとでも寝返りを打つと周りの中国人から文句を言われ、流石にぐっすりとは寝られたものではなかったが、そんなバスに外国人が乗る事は珍しいらしく、休憩時間には乗客からご飯や煙草、酒を振舞われ、今では楽しい思い出となっている。
そしてこの様な悲惨な状態でも隣りの中国人は鼾をかいて寝ており、生き物としての強さに圧倒され、最後には愉快になって仕舞うから不思議である。

ベトナムとラオスの場合はずっと快適なバス旅が出来るが、意外にもラオスのバスが最も新しく快適であった。今回はラオス南部のパクセーからベトナム国境に隣接したアッタプーまで寝台バスを利用した時の話である。

この時は弁当とミネラルウォーターのサービスもあり、またバス最後部にトイレもあって居心地も悪くなく、俺以外の乗客は朴訥で人当たりが柔らかいラオス人ばかりで気持ちよく旅ができた。俺の寝台は出入り口前の最前列の上段寝台だった。
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ラオスの寝台バス
最前列の寝台。。
写真に写っているのは隣のラオス人の兄ちゃん。
弁当は冷えた炒飯で不味いからと、俺にくれた。
言葉は通じないけど、気の良い奴だった。

途中のトイレ休憩で、小さな村に停車した時である。
休憩所は簡単なバラック造りの屋台と売店があるだけの街道沿いの農村で、バスが止まると待ち構えていた村の女達が、果物や野菜、お菓子や飲み物などを籠や笊に乗せてワラワラと車内に乗り込んで来た。
おばあちゃんや小さな女の子もいる。親族一同の女達って雰囲気だ。
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物売りの女達。
老婆から女の子など三世代に渡った編成だ。
焼鳥、もち米ご飯、嗜好品や飲み物、野菜や果物など売っていた。
足元に注目。
全員裸足だ。



女達はまずは最前列で外国人の俺を目掛けて殺到してくる。
こんな時は気の毒に思い何かを買ってやりたくなるものだが、あいにく弁当と水のサービスがあった事と、非常食用のビスケットと果物など持っていたので欲しい物がなく、なるべく視線を合わせないように狸寝入りか、持っているビスケットやミネラルウォーターを見せて「悪りぃな!」と仕草をして、俺が何も買う意思が無い事をアピールすしかない。
こういった物売り達は、ちょっとでも興味ありそうな視線をすると敏感にキャッチして、あわれを誘う、すがるような目付きで訴えてくるから断るのに骨が折れるからだ。
俺なりのバックパッカーとしての仁義を切っていると、女達は諦めて他の乗客を求めてバスの通路を奥に入っていく。
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通路の奥へ入っていく女達。
一日に何度かの現金収入のチャンスだから必死だ。


















次々とバスに乗り込んで来る女達に俺流の仁義を切っていると、ふとある事に気付いた。
彼女達はみんな裸足なのだ。
身なりは確かに貧しそうだけど、ビーチサンダルくらいは履いていても良さそうだ。
寝台から身を乗り出してバスの入り口を見たら、バスの外に彼女達のサンダルが脱いで置いてあった。
胸がつまった。バスといえども土足で他人の領域に入る事はしないのだ。
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ぐっと来た光景
女達のサンダルは、次々と降りる乗客に踏まれてバラバラになっていった。







もちろん、彼女達は自宅でも土足はしないに違いないから、日常の生活スタイルそのままで裸足でバスに入っただけでしょう?と特別な感慨を持たない人もいるだろう。
でも違うのだ。俺が感動したのはそんな直接的な事では無いし、第一に他のラオス人の乗客は皆サンダルや靴を履いたままでバスに乗っている。(ベトナムでは乗客も土足厳禁だった)
バスの外に折り重なるように脱ぎ散らかされたサンダルを見て、太古から連綿と続く喜びや哀しみ、なにか切ないぐっと来る、時空を超えたアジアの女達の経験してきた歴史の重み・・・のような何かを感じたのだ。

同じアジア人といっても漢民族みたいに土足で家に出入りする文化もある。
また同じ中国人でも、朝鮮族自治州の農村では土間までは靴を履いて、オンドルのある一段高くなった居間や寝室では靴を脱いでいたし、都市部でも朝鮮族と漢民族共にアパートの玄関で靴を脱いでいた。
多民族国家である中国の文化は実に多様だ。
蛇足だが、日本人移民者の多いオーストラリアでも家の中が汚れないからといって、最近は日本人の習慣を取り入れて玄関で靴を脱ぐオーストラリア人家庭も少なくない様だ。
だから他人の領域には土足で立入らない、という彼女達の習慣を持ってアジアの文化とひとくくりに纏める事も出来ないと思う。
前にも言ったが俺は学者ではないし、ここで語りたいと思っている事も学術的な民族文化論では無い。
脱ぎ散らかせたれたビーチサンダルを通して、俺が感じたのは感覚的な印象体験なのだ。
ビーチサンダルは一つの象徴であって、その裏側に潜んでいる何か「ぐっと来るモノ」を俺は感じたのである。

こういう客観的な言葉に翻訳できない感動を、「もののあはれ」と昔の日本人は表現したらしい。
らしい、というのは俺は中学、高校と古典は赤点しか取った事のない落ちこぼれであったので(思いおこせば美術と体育、国語と歴史以外は赤点しかとった事は無いように思うが・・・)不確かだからである。

客観的な考察ではなく、感覚的な「ぐっと来る」あの感動を一言で表すなら、ウチとソトを分別する時に思わず出てしまう「慎み」という感覚の表れではないだろうか。

明治の頃は汽車に乗るときに履物を脱いで乗込む乗客がいて、汽車が出発した後のホームには履物が置かれたままになっていた、と落語で聞いた事がある。
面白いのは、よくこのブログに出てくるミュージシャンのカズさんの息子も、生まれて初めてバスに乗った時には靴を脱いで乗車しようとしたのだという。
平成の日本の子供にも、あの村の女達や明治人と同じ感性を持っている事が愉しい。
このような無意識にしてしまう行為にこそ、俺には興味が尽きないし、文化の奥行き、人間の美しさを感じる処である。
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by jhomonjin | 2010-03-31 14:56 | もののあわれ | Comments(0)

薪割り稽古会とは?

前回最後の方で、薪割り稽古について書いたので追記しておく。
帰郷してからは慌しくて、整体の稽古から遠ざかっている事もあり、稽古かわりの投稿である。・・・ちと苦しいな。

俺の学ぶ整体は、身体教育研究所という整体道場である。道場では整体を学ぶ者の必須として、動法という身体扱いの技術を学ぶ。
2年前に動法教授資格を貰ったので、自分でも稽古会を開くようになったが、前回書いたような経緯と、生まれながらの天邪鬼気質もあって「刃物を扱う会」を立ち上げたのだ。
(動法について詳しく知りたい方は、身体教育研究所のホームページhttp://www.keikojo.jp/をご参照下さい。)

何故、整体の稽古に刃物を扱う事が関係あるのか?
刃物という危険な道具を扱う事で、慎重さと大胆さという相反する行為を通して、養われる身体感覚を鍛える為である。別に樵の養成をしている訳では無い。
刃物は決断の利器、という言葉を確か甲野善紀先生から聞いた記憶がある。甲野先生の稽古会には動法の課外授業として個人的に参加して以来、刃物や民俗学などの分野でも大いに意気投合して現在に至っている。
決断とは・・・?昔の武士なら刀を抜けば切るか切られるか!という局面もあっただろうが、日常生活でも刃物を扱うには常に決断が付きまとうと思うのだ。
包丁で料理を作るにしても、鋏で工作するにしても、刃物を一度でも入れると、切られた物体は二度と元通りにはならないからである。刃物を入れるという事は、取返しのつかない行為をする事であって、そこから局面が大きく変わるからである。素早さと的確さ、そして行為の重々しさ。

もともとは個人で縄文土器を野焼きする為に薪割りを始めたのだ。どこの団体にも属さずに個人で縄文土器作りをするには、野焼きが出来るの場所と、薪の確保を全部自分でやるという事が必要になってくる。薪を運び込む為には軽トラックも誰かから借りてこなければならない。
つまり最初に人間関係が出来ていないと、個人では縄文土器が焼けないのである。
そういったプロセスでも何か大事な感覚経験が育っていくのだと思う。
そして土器作り自体も面白いが、薪割り自体の面白さにすっかりハマってしまい、気付けば斧と鉈が随分と集まった。
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斧と鉈のコレクションの一部
何本あるかよく把握できていない位たくさん持っている。







甲野先生にその事を話すと、刀の振り方で斧を扱うとうんと楽ですよと、古武術的な日本刀の振り方を応用した薪割りを教えて貰えたのである。先生も薪割りが大好きなのだ。
古武術的な、とは「重いモノは軽く、軽いモノは重く持つ」という、日本の技芸によくある身体技法を取入れた薪割り法の事である。
教えて貰った、といっても道場の隅で木刀を持って2~3回素振りを見せて貰った程度である。
でもそれで充分だった。あとは動法の理に適った薪割りを追求し続けていけば良いだけだ。追求し続けて、とは終わりが無い探求、という事を意味する。薪割り稽古会誕生の由来だ。薪割りも奥が深い。
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薪割り稽古会風景
第2回目に甲野先生もゲスト講師になってくれた。
道場よりもイキイキしてらっしゃるのでは?
場所は横浜の某所
同じ場所で土器の野焼きもしていた。










どんな薪割りをしているかと説明するには、実際に体験して貰らうのが一番だけど、現在はまだ帰郷したばかりで薪割りを再開する環境が整っていない為に、稽古会としては未定です。興味ある方は5月に出版予定の「焚火読本」という新刊本に、俺の薪割りが紹介されるらしいのでご参照下さい。但し、どんな本が出来るのかは俺も知らない。
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by jhomonjin | 2010-03-26 21:32 | 動法・整体 | Comments(6)
ラオスの田舎に行くと、パチンコを鉢巻状に頭に巻いて遊んでいる少年によく出くわす。
俺の子供も頃もそんな奴がいたし、俺も同じ事をして遊んでた記憶がある。

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ラオスのパチンコ鉢巻少年
いかにも悪ガキって面構え。
実際に結構生意気だった。
エネルギーがあり余ってます。
こんな面構えが懐かしい、と思うオジサン達も多いはず。

しかしラオスの子供の場合は、俺の子供の頃と違って空き缶や空き瓶を打って遊ぶ、などというレベルで終わらずに、実際に小鳥を打ち落とす本格的な狩猟ごっこなのだ。ペットショップで売ってそうな、打ち落としたばかりの緑色した小鳥を見せてくれた少年もいたし、雑貨屋にはパチンコ用のゴムも売られている。逞しいではないか。
中学生くらいになると、流石にパチンコを持って遊んでいる奴はいない。
なんとボウガンを背中に背負ったり、Tシャツの背中に入れて手ぶらで歩いていたりする。
ボウガンとは古代の中国で発明された横式の弓で、ライフルの様に目線で構えて引き金を引いて矢を弾く事の出来る弓である。日本だったら、そんな物騒な物を持って歩いているだけで警察に捕まってしまうよ。羨ましい!
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ボウガン少年
呼び止めて背中のボウガン見せてくれよ、と言ったらはにかみながらも見せてくれた。
この少年は刃渡り40cmの山鉈も持っていた。
頼もしい!













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ボウガンの矢羽
少年が作ったのか、少年の父親が作ったのかは不明。
竹を薄く割いて折り紙状に折畳んで矢羽を作ってある。
正しく用の美だ。



大人になると本物の小口径ライフルを持って山道を歩いていたりする。
パチンコ→ボウガン→ライフルと成長に合わせて狩猟道具が変わっていくのが面白い。
この事は、ラオスのような国においては、子供の遊びとは大人になる前の職業訓練になっている事を意味するのではないか、と思う。子供時代にたっぷり遊んでいれば、成人になった時に即戦力になるのだ。
遊びとは、本来そんな意味もあるのだろうと思う。
例えば独楽回しやメンコ、オハジキやゴム跳び、鬼ごっこやかくれんぼ。
慎重さと大胆さ、決断や推理、身体扱いや工夫をする事、ルールを不公平が無いように自分達で決め、遊びのメンバーによってハンデを付けたりといった、臨機応変の柔軟さや基礎体力が養われていくのであろう、と思う。

俺の学んでいる整体では、整体の前提条件として動法という身体扱いの技術体系を徹底的に学ぶ。
その課外授業として、刃物を使った稽古会を何度か開いた事がある。
刃物を扱うには慎重さと決断といった矛盾する感覚を同時に必要なので、その様な身体感覚を養うに好都合と考えたのだ。同時に稽古場で動法を学んでいるのだから、日常生活や労働に活かさない手はない、と考えた事もある。

晴天時には薪割り、雨天時には室内で木工を行なったが、老若男女とも刃物に慣れている会員が少なく、最初の内は危なっかしくて見てはいられなかった。
動法を学んで一般の人より格段に体が使える会員といえども、特に薪割りとなると重くて危険な斧にビビッてしまって、最初から腰がひけてしまうのだ。見るに耐えないへっぴり腰である。
慎重に狙いを定めると勢いが無くなり、斧が薪に命中しても割れない。かといって勢いよく斧を振ると薪に命中しない。この様な相反する行為を同時にしないと薪は割れないのだ。
そこで考案したのが、子供の遊びの釘刺しをさせる事である。
地面に五寸釘(長さ約15cm)を投げて狙った所に刺すだけで、ルールは無し。これは斧の恐怖心が無いので覚えが早い。鍬の時に書いたが、薪割りは左手の動きが決めてなので、右利きの人でも左手で斧扱いと同じ動線、動きで釘を投げさせるのだ。
薪割り初心者でも最初の三十分、人によっては一時間くらい釘刺しをさせるだけで、なんとか薪割りが様になってくれるのだ。
たかが遊び、されど遊びだなあ、と昔からある子供の遊びの奥深さに感動した。

ゲームボーイも良いだろう。パソコンで遊ぶのも良いだろう。しかしそれらはバーチャル世界の出来事にすぎない。ゲームボーイで遊んでばかりいると、現実との境目が曖昧になってきて、指の操作だけで何の感情もなく人を殺せる、近代戦の兵隊の養成にはなるかも知れない。それこそゲーム感覚で殺人の出来る兵隊予備軍の誕生だ。高校生の頃に流行ったインベーダーゲームに、子供ながら何か厭な感じがして、のめり込めなかった俺がいうのも何だけどね。

だからさあ、子供のうちは昔からある子供の遊びをうんとさせたらどうだい?ナイフで凧や竹とんぼを作らせてみたら?間違って指を切ったって良いじゃねえか、刃物で怪我をしたら痛いという経験と、怪我をしない工夫を学ばせたら?と関係各方面に言いたい。

近頃の子供はナイフで鉛筆も削れない、と嘆く大人が実は何も出来なかったりする実例をうんと見てきた。
危険だからといって子供に刃物を持たせないのではなく、むしろ小さい頃から積極的に刃物を砥がせ、鉛筆が上手に削れるようになる機会を奪わない事。そうすれば怪我をしながらでも刃物の便利さと危険性が身に染みるだろう、と思う。
学校でそのような事を教える授業があれば良い、とは思わない事もない。しかし家で包丁を研ぐ大人の姿や、刃物を自在に扱う大人の姿を見ていれば、自然と子供は興味が湧くのではないか?。
少なくても俺の場合は、祖父が包丁を研ぐ後ろ姿を、格好いいな、大人になったら祖父みたいになりたいな、と興味津々に見入っていた。そして誰もいない時に包丁を研いでみた。怪我もたくさんしたが、今では自分で研いだ良く切れる刃物で木工をする喜びを知っている。人生がその分、豊かになった。
今の日本には、必要あれば子供に興味を持たせつつ、刃物扱いの様な基本的な生活技術を教える事の出来る大人の存在が身近にいない、という事が一番の問題だろう。
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by jhomonjin | 2010-03-26 02:37 | 失われゆく風景 | Comments(2)
大昔の地殻変動により、日本列島を地質的に東西に分けるフォッサマグナが形成され、その西日本と東日本の境目がちょうど糸魚川だ。糸魚川・静岡構造線である。
去年は市内に点在するこのフォッサマグナの露頭などが国内初のナショナルジオパークに認定されて、なんの変哲も無いありふれた地方都市が地域活性化に色めき立っている。
フォッサマグナを境に東西が分かれるのは地質構造だけでなく、その影響で源氏蛍の発光周期や植生も分かれるのだと、小学校で習った記憶がある。
面白いことに、縄文の昔から方言や民具、風俗など、文化的にも東西の境なのだそうだ。

また日本国内では電気の周波数が東西で50Hzと60Hzと違っているが、これは明治の頃に各地に出来た発電所が、電気の周波数を東西で統一しなかった事が原因で、何かと不便なので統一しようという機運もあったようだが、古くからある糸魚川の水力発電所が問題となって統一出来なかったらしい。
つまり東西日本の電気の周波数の違いも糸魚川が境目。
その関係から、JR西日本管轄の日本海側の北端も糸魚川駅である。新潟県にJR西日本の駅があるのも不思議だ。
糸魚川駅を新潟方面の北に向かう電車は、駅を出てから5分ほどで車内の電気が一時的に消えてしまうのは、電気の周波数を切り替えている為なのだ、といつか鉄道マニアの同級生が言っていた。
面白いではないか。大昔の地殻変動が自然科学的にも、人文科学的にも、産業にまで影響を残しているのだ。

その糸魚川駅も、これから新幹線が開通する事で大きく様変わりする。
地元のランドマークであった赤レンガ造りの車庫が解体されるのである。
新幹線の駅舎新設が主な理由。移設しようにも老朽化と採算の問題で、一部のみ保存して解体されるのだ。
糸魚川に帰省する度に、この古風で洒落たレンガ車庫を見ると、なぜかほっとしたものである。
近所の糸魚川小学校の生徒達は写生大会になると、よくこのレンガ車庫を格好のモチーフにしていた。
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郷愁の糸魚川駅レンガ車庫
小学校の入学式の帰り道、ここで蒸気機関車が煙を吐いていたのを覚えている。あの日が北陸線最後の蒸気機関車の運航日だった、と大人になってから聞いた。

先週はそのお別れセレモニーがあって、大勢の鉄道マニアが集まったらしい。
そしてその跡地には、全国どこでも似たような味気ないコンクリート製の新幹線駅が出来るのだ。寒々しい乾いた風景になる予感がする。

話しは変わるが、だいぶ前に都内にある江戸時代から続く、ある寄席(ヨセ;年中無休の落語の演芸場)が、経営困難で閉鎖される時にも、大勢のファンが詰め掛けたそうだ。
最終公演が終わり、寄席を出てからも別れを惜しんで帰らないファンに向かって、落語家の立川談志が「仕舞いになってから慌てて来ンじゃねえ!お前ぇらが来ねえから潰れたんじゃねえか!」と怒っていた、と聞いた事がある。

そこにあるのが当たり前に感じている人や動植物、物や風景も同じだろう。
朱鷺やミツバチ、メダカも絶滅危惧種になってから騒いでも遅いのだ。
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by jhomonjin | 2010-03-25 21:33 | 失われゆく風景 | Comments(2)
田舎に帰って自然農法の田んぼをやるぞ、と張り切っていたら、思わぬ事態に直面した。
お袋が言うには、実家の耕運機が老朽化していて、何年も使っていないから動くかどうか分からないらしい。
ここ数年の糸魚川周辺の兼業農家は、高齢化と農業後継者がいない為に、田んぼの運営はプロに委託する形が多いのだ。新幹線が通るので土地を手放した家も多いらしい。
なに、耕運機が無くても耕さない不耕起の田んぼなら出来るだろう、と応えると稲刈り機も脱穀機も同じだと言う。
稲刈り機は無くても我が家の田んぼは小さいので、人力でなんとかするにしても脱穀機が無いときつい。
東南アジアではラオス南部で足踏み式脱穀機を使っていたが、他の地域では田んぼの真ん中で稲束を板に打ちつける簡単な脱穀方法(労働的には大変だけど)をとっていた。
東南アジアの温暖な二期作地帯では、台風などの災害が少ない為に稲は米が脱粒し易い品種だから可能なのだ。
日本の稲は台風被害を防ぐ為に、稲が倒伏しにくく米も落ちにくい品種改良がなされてきたので、足踏み式脱穀機はともかく、叩き付ける式の脱穀は無理だろう。
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ラオスの脱穀
ヌンチャク状の棒で稲束を挟み板に打付けて脱穀する。
バリ島では手に持って脱穀していた。




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雲南省の稲架
関東甲信以南のほとんどが一段架けの稲架で、北陸以北は七段~八段架けの多段架け方式の稲架。
雲南省にも多段架け方式の稲架があった事に驚く。谷地で稲の乾きが悪いのだろう。
(タイで見つけた図鑑参照)

さらに重大な問題があった。
籾すりである。籾すりとは籾殻を落とす作業で、明治の頃は唐臼という大きな碾き臼で作業していたらしいが、俺の子供の頃は各地区の共同作業場に収穫した米を持ち込んで、籾すり機による作業をして貰っていた。
籾すり機は個人で所有するには大きくて高価であるから、兼業農家は個人所有出来ないのだ。
俺の地区の籾すり場が、米作りする人が少なくなってきて維持出来なくなり、かなり前に閉鎖していたのである。困るではないか。

当該管轄官庁である県の地域振興局に相談に行った。行政は法整備や指導などが専門で、具体的な解決策には不干渉な立場であるにも関わらず、親切な人達で一緒に困ってくれたが問題の解決にはならない。

プロに米作りを委託すれば、コンバインで稲刈りと乾燥を同時にやってくれるので、稲架(ハサ)に稲を掛ける作業が不要である。したがって非常に楽である。
しかし秋の風物詩である黄金色に光る稲束が稲架に架けられた風景が無くなり、乾燥と熟成を待つ稲が風にそよぎ、独特の乾いた臭いを放って鼻腔をくすぐる事も無くなっていく。

日本の風景が失われていく。
農家では庭先で鶏を放し飼い出来なくなった。鳥インフルエンザの問題で、鶏を他の野鳥と接触させてはいけないという行政指導で、屋根付きの鶏小屋に閉じ込めておけ、という事だ。

牧歌的なそんな農村風景が日本から消滅しつつあるのだ。
意欲のある農業の担い手が、農村地帯はともかく俺の住む糸魚川のような地方都市では、プロに委託した機械仕掛けでないと米すらも作れない環境になってきている。
なんとかしなきゃな。
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by jhomonjin | 2010-03-25 11:08 | 失われゆく風景 | Comments(0)
前回は日本ミツバチを主役に環境問題を書こうと思っていたら、いつの間にかカズさん賛歌になってしまった。恐るべしカズさんの吸引力。カズさんに興味を持った人はホームページからCD買ってみて下さいな。歌は人也、ですわ。

最近、ミツバチの大量死が問題になっていて、しばらくご無沙汰している古武術研究家の甲野善紀先生も危機感を持たれて、各方面で問題提起をされているようだ。

ちょうどカズさんに逢う半年位前に、ある会合で偶然隣りに座った女性と雑談していたら、彼女はペットとして日本ミツバチを都内の自宅マンションのベランダで飼っている、と聞いて彼女の首を絞めんばかりの勢いで色々話しをして貰った。

彼女は三五出版という出版社の編集者で、彼女が編集に携わった‘ハチミツの「危ない話し」‘という出版直前の本を一冊持っていて、その本を奪いとるように買い取った事を覚えている。

その本には、国内で市販されているハチミツは、純粋ハチミツと表記してあっても、大量生産の為に未成熟なままの蜜を熱処理をして酵素やタンパク質が変質したり分解していたりして、本来の風味や成分でなくなっている、との事だ。
しかも残留農薬などが検出されるなど、とても興味深い事がたくさん書かれている。

なぜミツバチが大量死するのか?
畑に散布される殺虫剤のネオニコチノイドが原因である、という。
ミツバチだけでなく、他の昆虫もたくさん死んでいる。
ミツバチがいなくなると、直接的にはハチミツが食べられなくなる事は自明だけれど、ミツバチは野の草花の受粉の担い手であって、その担い手が絶滅に瀕している、という事でもある。そのうちに野の花も咲かなくなる。大根も胡瓜も稲すらも実を結ばなくなる。
無論、生態系は崩れ問題は各方面に波及していく。

以前、新潟市の郊外で早朝に波乗りしようと、防風林を抜ける海岸道路を車で走っていた時である。
途中で市の職員が交通封鎖していて、その理由として防風林に松くい虫が発生したので、消毒の為に農薬を空中散するが、基本的に農薬は人体に無害であるが車体の塗装が剥げる恐れがあるから、と説明していた。
おかしいではないか?
車の塗装が剥がれる程の危険性のある農薬が人体に無害とは理解しかねる。
農薬が雨で海に流れ込めば魚はどうなるのか?魚を食っても大丈夫なのか?他の虫や鳥はどうなる?土壌のミミズやバクテリアは?

朱鷺はかって日本国中にいたらしい。
朱鷺色と呼ばれる薄桃色の羽根を、仏壇の埃を払う為の羽根箒として珍重されて乱獲されたり、農薬で昆虫が大量死した為に餌が無くなり絶滅した、と聞いている。なぜ同じ事を繰り返すのか?

植木屋でバイトしていた時である。
街路樹の剪定をしていたら、近所の人が来て街路樹から毛虫が出るので消毒して欲しいという。
毒を撒いて毛虫を窒息死させておいて、消毒は矛盾してんだろ、と突込みたくなった。
散毒と言えっ、と呟いた。消毒薬を散布すると視野が暗くなり、吐き気がしばらく続いた。
第一、毛虫が何をしたというのだ?・・・気持ち悪いから退治して欲しいのだそうだ。
きっとあのオバサンの子供は、いじめっ子に違いない、と思った。

西洋ミツバチも日本ミツバチも、人間の為に花の蜜を集めているわけでは、無論無い。
生きんが為に必死なのだ。小さな体でせっせとイノチを繋ごうと花を探し、蜜を集めているだけだ。理不尽ではないか。
何故に人間の都合で無駄に死ななければならないのか?毛虫も松くい虫もそして朱鷺も。そしていつか人間が絶滅危惧種になるに違いない。

個人ではいかんともしがたい大きな問題だけども、憤っているばかりでなく自分に出来る事は何か?
まずは大量生産される安いだけの「モドキ商品」は極力買わず、価格に惑わされずに素性の知れた本物を知る事だと思う。
本物のハチミツ、本物の豆腐、本物の米、本物の野菜・・・・・。
小規模でいいから、まずは本物とはどんなものなのかを知り、出来る範囲で実践していこうと思う。

手始めに無農薬の米と野菜を作り、日本ミツバチを飼おうと思っている。
消泡剤の入っていない大豆の風味のちゃんとする濃い味の豆腐や、着色していない芋の風味のツルツルサクサクしたコンニャクなど、昔の味を再現してみたい。
田舎には昔の生活を知っているお年寄りがかろうじて残っている。田舎暮らしはそこが魅力だ。
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by jhomonjin | 2010-03-25 01:30 | 田舎暮らし | Comments(2)
現在日本で消費されるハチミツは、95%が輸入品でありそのほとんどが西洋ミツバチが採蜜したハチミツなのだという。
しかし日本には在来種の日本ミツバチが昔からいて、縄文人もこのハチミツを食っていたらしい。そしてこの二つの蜂は、まるで性質が違うのだ。

大柄で黒と黄色の派手な模様の西洋ミツバチは、好んで派手な色彩の花から採蜜する、紀元前から交配を重ねて家畜化に成功したミツバチである。
人の都合に合わせて、大量のハチミツが安定して採集できるように改良されてきた蜂なのだ。いわばブロイラーみたいなもんである。
対して日本ミツバチは、小柄で地味な色彩で、西洋ミツバチが見向きもしない小さく地味な花を好む野生の蜂だ。性質もおとなしい。
小柄な日本ミツバチは西洋ミツバチに較べて採蜜量が極端に少ない事と、居心地が良くないとすぐに巣から逃げていってしまう気難しさを持っているので、プロの養蜂家でも商売にはならず、田舎のお年寄りの小遣い稼ぎや、趣味として飼っている人が大部分らしい。
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日本蜜蜂
地味で小柄。
好んで地味な花の蜜を吸うなんて、奥ゆかしいではないか。
ブヨと間違えやすいルックスだけども、おとなしい性質で、脅かさなければ刺される事はないそうだ。

俺はいつか田舎に帰ったら、日本ミツバチを飼って、縄文人も食っていたというこのハチミツを食ってみたいと思い続けていた。
いよいよ帰郷を決意した去年の冬、誰か日本ミツバチを飼っている人を知らないか?と顔の広い知人に尋ねて紹介されたのが、長野の山奥在住でシンガーソングライターをしている大村和生さん。
通称カズさんである。
カズさんも前から縄文時代に興味があって、縄文文化や火起し技術、土器造りなどを教えてくれる人に逢いたかったんだ!ついに出逢ったねえ、と初対面から意気投合したのである。
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自作の巣箱を説明するカズさん
ステージでは格好良いミュージシャンでも、ここでは長靴が定番さって。
決まってます。






カズさんの家は30年前に廃村になった山奥にある築百三十年の農家だ。カズさんの風貌はどことなくチベット人みたいだけど、その暮らしも不耕起の自然農法による自給用の畑で野菜を作り、電気はあるものの水道は小川の水が水源で、風呂は薪風呂という、本当にチベット人みたいな生活を家族と楽しんでいる。
自分の子供も三人、誰の手も借りずに自宅出産したという筋金入りの「生活者」であり、まさに21世紀の縄文人なのだ。尊敬しとります。

先日の三連休に日本ミツバチを捕まえる為の誘引材として、去年採集した蜜蝋を貰いに行ったのだが、里の村からカズさんの家まで深夜の往復で、鹿を30頭、狸を1匹、イタチを1匹見た。それ位な奥深い山で、冗談抜きに人より鹿と猪の方が多いのだ。日本もまだやるではないか、と嬉しくなった。
(カズさんの事を知りたい人は http://amanakuni.net/kazu/shipira.htmlを見て下さい)

カズさんの住む村は芝平(シピラ)という。電話で村の名前を聞いた時から、響きがアイヌ語っぽくて、何か縄文つながりの予感がしたのだが、ドンピシャで700年位前までアイヌ民族が住んでいたらしい。
同じ日本とは思えない程に凄まじい星空。街灯や人家の灯火さえも見えない漆黒の闇。
聞こえるのは小川のせせらぎと風の音、鳥や獣の鳴き声だけ。
薪ストーブの暖と、小川の水を引込んだ薪風呂が最高のご馳走だ。勿論俺も薪割りと薪拾いくらいは喜んで手伝わせて貰う。
芝平に来てみれば、カズさんが作り、唄う歌がこの土地での生活があってこそなのだ、と誰でも納得するだろう。頭で作った観念的な歌ではなく、生活そのものがカズさんの歌なんだなあ、と。
なにより時の流れがまったく気にならないのが凄い。
日向ぼっこをしながら、薪ストーブにあたりながら、語り合っても語り尽くす事なく、いつも気が付けば夜になって、もう遅いから今晩は泊まっていきなさいよ、という流れになるのだが、この時を忘れる感覚がいつも不思議な感じで、これこそ縄文時間だ・・・といつも思う。

それにカズさんとミツバチとの出逢い方も面白い。気難しい日本ミツバチが、飼って下さいと言わんばかりに向こうの方からやって来たんだそうだ。詳細はカズさんのホームページに譲るとして、俺の家は田舎といえどもカズさんの家とは違ってコンビニまで歩いて5分の地方都市にある住宅街(カズさんの家からコンビにまで車で一時間!)。果たして蜜蜂がやって来るのか?乞うご期待。
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by jhomonjin | 2010-03-23 23:39 | 田舎暮らし | Comments(0)
工業デザイナーの秋岡芳夫は、今日我々が目にしている様々な日用品や工業製品をデザインした事で知られる優れたデザイナーであったばかりだけでなく、工芸プロデューサーとしての業績も残しており、自身も創意工夫に長けた玄人はだしのアマチュア工芸家でもあった。それに伝統工芸、木工やデザイン方面の多数の著作もあり、そのどれも大変に面白い。

秋岡は著作のなかで、日本の文化を箸を例にとり、箸は挟む、掬う、切る、刺すと一つの道具に多様な使用方法、機能性がある事から、一器多様の文化であると言える、としている。
それに対して西洋ではスプーン、ナイフ、フォークと一つの道具は一つの機能性しか無い、一器一様の文化と言えるのではないか?と結んでいる。
確かに日本と西洋という大雑把な比較では、日本は一器多様の文化特質の傾向が認められるのではないか?と俺も思う。

しかし実際に日本以外のアジア諸国を歩けば、特に東南アジアは日本以上に一器多様文化である事に気が付く。
箸は中国が本場だけども、中国文化圏(台湾含む)やその文化的影響の強い国々(朝鮮半島、ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、マレーシア等)では食事の際に茶碗を手に持ったり、茶碗に直接口を付けるのは下品とされており、お粥やスープ類にはレンゲを日常的に使うので、その点に関してだけなら茶碗を手に持ち直接口を付けて良い日本は、一器多様と言えるだろう。
(アジアにおいて、何故日本だけがそうなのか?この事については後日に考察してみたい。)

例えば前回の鍬である。
日本では「一里違えば鍬が違う」と言われる位に地方毎に多様あるが、アジア諸国で俺が見てきた鍬は、どこの国でも似たような唐鍬ばかりで、大きさも形状も大きな違いは無いのである。(朝鮮半島では農村地帯を見てないので保留中。)
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唐鍬を使うインド人の土方
唐鍬は柄が短く小型で刃が厚く頑丈に作られている為、粘性土や伐根、根切り、筍採り等で活躍する。

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唐鍬で木を伐る男
タイ ピッサヌロークにて。
万能選手の唐鍬でも、流石に直径30cmを超える樹木伐採には苦戦していた。
根気良く少しづつ続ければ、何時か何とかなるだろう、という了見。
いかに東南アジアは一器多様か、という好例。
しかしいくらなんでも、唐鍬と樹が痛々しい。




日本の鍬の場合は、構造上の分類、機能上の分類、形態上の分類と少なくてもこの三つの分類方法がないと正確な鍬の説明が出来ない位に多種多様のだ。
我が家も含めて現在ではホームセンターで売られている大量生産品の鍬を使用する農家も多いと思うが、かって鍬は村の鍛冶屋の注文による受注生産品であり、柄のすげ方まで言及すると同じ土地、家族内でも使用者毎に違いがあった、と言えるのではないだろうか。
だから家庭菜園を始めたばかりの人から「鍛冶屋が造った、一生モノの鍬が欲しいのだけど、どこで買えば良いの?」と聞かれても、土質や地形、誰が何の目的で、という最低この事が明確でないと、家庭菜園程度ならホームセンターで安い平鍬を買ってみたら?と相談者ががっかりするようなアドバイスになってしまうのである。

日本で最も代表的な鍬は平鍬だが、平鍬にも用途別に柄の長さと角度、鍬本体の長さ、幅、厚み、形状など随分と多様性がある。
唐鍬は粘性土の開墾や土木作業(現場ではトンガと呼ぶ事もある)に使用されるが、農家においては筍採りや根っこ切りといった、脇役的な使われ方が多い鍬である。
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我が家の鍬各種
左から平鍬、備中鍬、唐鍬(大小)
唐鍬の大はアジア各国でよく見るタイプ。





東南アジアやインドでは、現在でも村の鍛冶屋どころか街中でさえも鍛冶屋が健在な地方都市もあり、鍬もハンドメイドはしているが、唐鍬しか見た事は無く、サイズや形状もそれ程の違いは無い様である。
勿論、農家でも唐鍬以外は使っているのを見た事は・・・今の所は無い。

もっとも鍬ばかりでなく、鎌や包丁、鉈や斧、各種大工道具も同様で、日本ほど道具に多種多様なバリエーションを持つ国はちょっと珍しいのではないか?と思う。
かっては鑿や玄翁(金鎚)の柄や、鉋の台などの大工道具は、店先で金属部分だけが売られていて、大工は自分好みに柄や台を自作していたのだという。
つまり店先では半製品が売られていて、買った人が自分に合わせて完成させる、という形態であったので、同じ玄翁でも大工の数だけ多様な玄翁があった訳である。
現在の若い大工でも、玄翁くらいは頭だけ買ってきて、柄は自分でコダワリの材質(白樫、牛殺し等。なんと竹製も見た事がある!)で、好みの長さと太さ、形状(内側に湾曲した柄など)に工夫してすげている人も多い。世界に一つだけの自分の手に合わせて造った、つまり自分の身体の一部なので、他人との道具の貸し借りは論外である、という世界である。

鍬に限っていえば、もしかしたら日本以外のアジア諸国では、昔から牛馬に引かせる犂(すき)による耕運が一般的であったので、人力による鍬は多様性を持たなかったのかもしれない。
日本の場合は、西日本や関東平野の大規模な営農では、中世には既に牛による耕運が普及していたらしいが、東北では明治以降になって牛馬が農耕に使役され始めたらしい。
しかし日本全体では国土の七割が森林で山がちな為に、ズブズブと腰まで沈んでしまう深田や、小規模営農、棚田に代表される小さな田んぼなど、田んぼ自体が一様でなく多様性に富んでおり、その多様性に人が合わせる為に鍬に多様性が生まれた、と言えるのかもしれない。
コトによると、多くの農民は貧しくて牛馬を買えない、養えない故に鍬が発達していった、という経済事情などもあるだろう。
それにしてもラオスやベトナムの山奥でもやはり鍬は唐鍬であったし、日本の鍬の多様性は田んぼ自体の多様性があったという前提条件があった上で、大工道具と同様に、何か日本人の「工夫好き」な民族性がそうさせているようにも思えてならないのだ。
鍬を始めとした道具類の多種多様性は、日本列島という風土の上に咲いた花、であるように思える。土地が変わればタンポポでさえ色が違う様に。
つまりその多様性こそが日本文化というやつではないだろうか。
秋岡の言う一器多様の文化論はある側面では卓見だとは思う。
しかし、一つの物が多様な機能を持つ、という本来の意味の裏側に、一つの物でも百花繚乱の多種多様な独自性を持つ、という隠された意味も俺は見出したい。
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by jhomonjin | 2010-03-16 02:15 | 道具による文化比較 | Comments(2)
帰郷してはや一月。
都会では簡単に見つかる仕事が、田舎ではなかなか見つからない。
暇をもてあましていたので昔なら波乗りかスノボでもするのだけど、この時期に波乗りする歳でもないし、スノボは金がかかる。
退屈なので田んぼ仕事でもやろうかと、まだ相当に時期が早いけど、田んぼの内側グルリに溝堀をして排水を促してみた。
家の田んぼは一反五畝、つまり自家用の米くらいしかとれない広さだけども、土地が低いので水が溜り易く、深田の部類で農作業が大変となるので、本当は稲刈り後に溝堀をして冬の間に田んぼの排水をして乾燥させておくべきなのだ。
しかし糸魚川中心部あたりでは、もともと兼業農家が多く、米価も安い事もありわざわざ苦労して米を作らなくても会社勤めして米は買えばいいだろ、と小さな自給用田んぼといえども後継者がいなくなってきており、人手不足と高齢化で、今では秋の溝堀なんてする人は誰もいないのだ。・・・いたら御免・・・

まだ誰も田んぼにいない3月上旬、冷たい北西風のなか風と泥除けに雨合羽を着て、田植えができる程にグシャグシャになっている田んぼに入ってみる。
俺自身、田んぼに溝堀をするのは、かれこれ12年振り。八ヶ岳南麓で自然農法農家のMさんの家に居候してた時以来である。あの時もインド返り直後だったなあ、と感慨深い。

時折降るアラレや氷雨も火照る体には心地よいけど、指先と首から上が痛いほどに凍えてくる。
しかし慣れてくると、ひと鍬毎に溝がスパスパと起きてくる事が快感。
そうなれば冷たさは忘れて没頭してしまう。

俺は縄文土器を作るので、薪割りも自分でするし薪割り教室を開く位に薪割りが好きなのだ。趣味が高じて今では斧を5本、鉈を10本程も持っている。

鍬も薪割りも基本は同じだから、こんどは溝堀教室でも開くか。「田んぼで鍛える身体術・溝堀編」や「貴女も田んぼで綺麗になる!誰でもできるお気軽ダイエット特集」なんて。女性週刊誌の編集の人、企画にどうですか?
とにかく左手の引きが肝心だ。
左半身を後ろへ引いて右半身にする。
左手主導で右手を添えて、去年の切株の少し向こう側に狙いを定めて一気に鍬を打ち下ろす。
この時、肩を支点とした単純な振り子運動ではなく、蒸気機関車の車輪の外側に付いているクランクの様に左肩、左肘に吊られて右肩、右肘が自然に連動すればなんの労力感も無く鍬が土にめり込む。
土に鍬を打ち込んだ刹那、身体を左に開いて鍬に掘起した土塊を乗せたまま左肘を後方に引く。
狙い処と角度、タイミングが合えば、連続した動作で掘起した泥が斜め後ろに飛んでいく。
ボーリングでストライクを取るより、アスレチッククラブでベンチプレス100キロ上げるより気持ちがいいし、建設的だ。
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V字型に掘られた溝と、開通して水路になった状態。
溝右側の土塊が鍬に乗せたまま一動作で飛ばした土塊。

天気になって水位が下がると乾きが早い。


この一連の動きは、恩師の一人で古武術研究家の甲野善紀先生の「井桁術理」に通じるし、学んでいる整体の身体扱いの基本になっている動法にも通じている。
こんど甲野先生にお逢いしたら伝えよう!
足掛け三日ほどこの仕事をしたが、筋肉痛は初日に右の手首と掌が重苦しくなった位でほとんど無し。若干、二日目に腰、三日目に背筋に張りが出た程度。
上等だ。腰と背筋が張るのは、久し振りにボクシングをした時と同じ。腕に余計な力が入っていない証拠だ。
自得したボクシングのコツ;パンチは腕では無く、膝で打つべし!打つは三割、引き七割。
本日の教訓;溝堀は左半身を動かすべし!打ち下ろし三割、引き七割。
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by jhomonjin | 2010-03-14 23:22 | 動法・整体 | Comments(4)