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21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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4年前に横浜の大船観音の裏手にある山林に囲まれた畑にツリーハウスを作った。
俺の趣味の一つに廃材利用のガラクタ工作があるが、これはその建築版だ。

これまでに五棟の小屋を作ったが、全ての建物に共通している点は廃材の利用である事で、現場あわせのツギハギだらけの建物なので「ハウルの動く城」みたい、とよく言われる。
何故だか子供の頃から人に見捨てられたガラクタを見ると、なんとか工夫して再生出来ないか?と燃えてくるのだ。(つまり俺は弱いモンの味方なのだ・・・かな?)
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ガラクタ工作最新版
拾った梯子で棚を作ってみた。
最上部の緑の横棒は、竹を差し込んだタオル掛け。






三棟目の四畳半サイズの納屋を見た友人が、子供の頃からの夢だったツリーハウスを是非に作って欲しいと頼まれた事から、その話しは始まった。
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三棟目の納屋
ツーバイフォー工法の応用で作った四畳半サイズの納屋。軒先にぶら下っている鎖は窓の固定用で、任意の高さで調整できる。廃材利用率60%位。



普段の俺なら人から頼られると「俺にまかせろっ!」・・・古今亭志ん生の「風呂敷」に出てくる兄ぃの仕草を連想して下さいな・・・と持ち前の義侠心で相談に乗るのだが、その当初はツリーハウスの作り方も知らないし、当の友人も資金は無いという事で即答はしなかった。
友人の話しでは、ブログでツリーハウスのワークショップ開催の通知をして、仲間作りと資金を集める計画だと言う。
そんな計画は俺にとってはまったく現実離れした話しで、誰が会った事も無ければ実績の無い一個人に金を出すもんか、と半ば呆れて「無理だと思うよ・・・」と煮え切らない返事をした。
資金の事もあるが、これまでの経験からド素人が何人いても足手まといになるばかりで、仕事の能率は俺一人のほうが断然良くなるのに決まっているからだ。

しかし、ツリーハウスの魅力は捨て難い。
映画「スタンドバイミー」に出てくる子供の隠れ家に憧れを感じる人も多いだろう。
あるいは少年時代に読んだハックルベリーに出てくるツリーハウスや、十五少年漂流記で少年達が棲家としたフレンチデン、ロビンソンクルーソーの丸太で囲まれた小屋なども。
本職の大工が作った家ではなく、素人があり合せの材料で作った創意工夫に満ちた小屋に魅力を感じるのだ。

俺の子供の頃も、あの映画に出てくる子供たちのように秘密基地でよく遊んでいた。
叔父の経営する土建屋の資材置場は海に面していて、近所の子供達の恰好の遊び場になっていた。
そこにはユンボやブルドーザー、ジープやダンプといった重機が鍵も掛けられずに置いてあり、かくれんぼや戦争ごっこ、忍者ごっこ、運転ごっこに夢中になった。
子供達の一番人気の遊びが、重機や資材の陰でガラクタや資材を利用しての秘密基地作りだ。
数日で職人に見つかって解体されてしまう運命だが、それでもみんな熱中していた。
たまに熱中し過ぎて、職人が近づいても気付かないでいると、怒鳴られて蜘蛛の子を散らすように逃げるのもスリルがあって楽しかった。

秘密基地では戦争映画の真似をして手榴弾に見立てた爆竹を投げあったり、導火線を長く伸ばして時限爆弾を作って逃げたりといった危険な遊びは大人気だった。あるいは爆竹をほぐして火薬を集めて新聞紙で包み直して小型のダイナマイトモ作ったりもした。
そんな遊びをするには、刃物やマッチは必須で、子供達のポケットには肥後の守(知らない人も多くなったが、当時は文房具店でも売っていた折畳み式の廉価ナイフだ)やマッチが常に入っていて、何でも工夫して遊んでいた。
雨や風が強くて浜辺で遊べない時など、皆で秘密基地に集まっては駄菓子屋で買ったホカホカの鯛焼きを喰ったりしていた。
有難い事に、その仲間達もまだ何人かは地元に残って、けんか祭りを支えている。

そうした大人達の目の届かないところで、子供だけで「隠れてナニカイケナイ事をする」経験は、実は物凄く大事なのではないだろうか。
イケナイコトといっても特別な事でなくて、「この話しは誰にも言われんぞ」「うん、誰にも言わん」と、他愛のないちょっとスケベな話をガキ大将から教えて貰ったりといった程度で充分なのだ。
あるいは親に叱られた子供は、夜になってもふて腐れて一人で秘密基地で遊んでいたり、といった経験である。・・・実際にあった話しです。俺の事じゃないけど・・・

小一の時に初めて一人だけで作った秘密基地をガキ大将に見せた時、「これ、本当におまん(お前の方言)一人で作ったんか?・・・これでおまんも一人前だわ!」と言われた時の誇らしさっていったら無かった。あの時の嬉しさが今もガラクタ工作に向かわせているのかも知れない。

叔父が亡き後は土建屋も解散して、今では更地となっている。
あれほどに広大に感じていた資材置場跡も、大人になってから立ってみると意外な程に狭いのだ。
子供時代の半分にも感じないのが不思議だ。胸がキュンとなる。
「スタンドバイミー」を観た時に、忘れかけていたあの時代の事を急に思い出した。
人生で最良の時代だったのかも知れない。
そして職人に見つかると怒られるとはいえ、彼らは学校や親にも苦情も言わず、立入禁止の柵も作らなかった大人達も実におおらかだった。古き良き70年代だ。

さて、ツリーハウスだが半年もする内にひょんな事から大きなウッドデッキの解体材が入手出来た。
丁寧に古釘を抜き、製材してみるとちょうど四畳半サイズのデッキが張れる見積もりだ。
友人にその事を伝え、提案して補足材や金物などの資材は仲間内に共同募金を呼びかけて補う事になった。
場所なら大船観音の裏の畑がある。資産家の友人が使っていない畑を無料で貸してくれているので、仲間内で自然農法をしていたり、俺が縄文土器の野焼きをさせて貰っている場所である。
三棟目の納屋の後ろにちょうどお誂え向きの大きなケヤキの樹もある。
そこは大船駅から車で10分もかからないというのに、雉や狸が出たりする人気の無い山林の中にあるのだ。

あとはツリーハウスの具体的な工法だ。
専門書を読んだが、どの本も樹の幹や枝に材木をボルトや釘で固定しろ、と書いてある。
首都圏のツリーハウスの実物も観てまわったが、どれも本と同じ工法で作ってあった。

俺が樹ならそんな事はされたくないので、知人の大学の先生や木工家、植木屋(浅草の植木屋さんで検索して下さいな。北村造園のシンタローです。首都圏の人、庭木のお手入れを注文してやってくれい!)といった樹の専門家達に聴いてみたが、誰しも俺と同意見だった。

そこで樹には一切触れず、ケヤキを囲む形の高床式のウッドデッキを作る事になった。
ツリーハウスというからには屋根と壁はあるもんだが、そうなるとメンテナンスが面倒で、数年したらUターン帰郷する身の俺としては、10年後に責任が持てないので関係各方面には勘弁して貰った。

デッキを組むにしても地上3m近い高さだ。
基礎でケヤキの根っこにダメージを与えたく無かったので、整体で学んだ内観の技術を駆使して位置や向きを決めていった。

基礎部と建前だけ友人達に手伝ってもらって、あとは休みを利用して独力で一ヶ月で完成させた。
一度でも本気モードに入った俺は、何事も文字通り寝食を忘れて没頭する癖がある。
時間の感覚が無くなり、腹が減る事も忘れてしまうので、気が付けば暗くなってからフラフラになって、朝から何も食べて無い事に気が付くのだ。
自宅で縄文土器や工作を始めた場合は、平日であるにも関わらず新聞配達のバイクの音で夜明けが近い事に気が付いて慌てた、なんて事はザラで、そんな時は遊びに夢中になっている子供と同じなのだ。
そして俺にとって、そんな時間が無上の愉しみだ。

ツリーハウスは月見には最高の場所だ。
仲間を集めて焚火料理でもてなして、十五夜の会や満月ライブを何度も開いた。
俺は遊びの場を提供するだけで、後は参加者が各自に面白い集まりになる工夫をしてもらう。
料理も焚火のメインデッシュだけ作って、各自が人に喜んでもらえそうな料理を一品持寄り形式にする。参加者に勝手に愉しんでもらうのだ。
薪割り稽古会の会場にもなったし、ある友人はツリーハウスの横に藍の種を蒔くところから始めて、夏場限定の藍染教室の会場にしている。
ある満月の晩には、俺が作った縄文土器で、縄文時代にあった食材限定で鍋パーティーも開いた。

俺が糸魚川に帰郷する直前には、カズさんと友人のプスポス大谷がライブをやってくれた。
ポスポスはツリーハウスライブをずっと無料で出演してくれていた口琴奏者である。
焚火の爆ぜる音とアンプラグドの音楽。虫やフクロウも鳴いていた。
灯りはロウソクと焚火の炎だけだ。良いライブだった。そして良い晩だった。
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ツリーハウス
屋根も壁も無いウッドデッキだが、ケヤキは苛めてないのが自慢。
普段は人が訪れる事も稀な場所も、イベントの時には大勢遊びに来るので、ケヤキも嬉しいのでは?と悦にいっている。木登りをしたことの無い子供も、地上2.7mの見晴らしに大喜びだ。
冬の落葉したケヤキも良い姿。夏は木陰が心地よい。


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ツリーハウスのデッキ
デッキチェアも捨てられる直前を貰って補修した。
ここにいるだけで愉しい気持ちになる、とよく言われる。
俺はそんな声を聴くのが、ちょっと照れ臭いがなによりの愉しみだ。

10年も住んだ神奈川県の藤沢を離れる時、一人でツリーハウスとケヤキにお別れの挨拶に行った。
再び「スタンドバイミー」を観た時と同じ感覚が甦った。胸キュンだ。

今でもツリーハウスは畑をする人の憩いの場として、あるいは藍染の会や味噌作り、餅つきの年中行事の会場として人気者だ。

身体教育研究所の鎌倉稽古場では、月に一度の「藁の会」の会場にしている。整体の勉強に藁で足半(あしなか)という草鞋の一種を作る稽古をしている。興味ある人はお問合せしてみて下さい。
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by jhomonjin | 2010-04-25 22:17 | ガラクタ工作 | Comments(2)
新潟県には国指定の重要無形民俗文化財、つまり祭礼儀式が現在11件ある。
そのうち3つが糸魚川に集中しているので、ある民俗学者は糸魚川を「神遊びの里」と評している。
神遊びとは沖縄方言(カミアシビー)に残っているように、神事などで神と渾然一体になった忘我の境地になって舞い踊る状態を指す。

糸魚川のけんか祭りでは、けんか神輿そのものではなく、その後に奉納される舞楽だけが国の重要無形民俗文化財に指定されているのだが、氏子達が神輿を宮入した後の狂騒はまさしく集団憑依状態で、一種の踊狂現象といえるだろう。

踊狂現象とは文化人類学の用語らしく、幕末の「ええじゃないか」がその典型とされている。

漫画家の星野之宣の代表作「ヤマタイカ」では、日本人の集団無意識には縄文以来の祭りへの狂気ともいえる渇望が潜んでおり、時代の動乱期や祭礼などで日常のタガが外れると、一気にその狂気が噴出して神と渾然一体になった忘我の境地で踊り狂う、として江戸時代に60年周期で流行した「おかげ参り」・・・「抜け参り」ともいう・・・や「ええじゃないか」、そして太平洋戦争は一億の国民が熱狂した踊狂現象であったとして描かれている。

秀逸なのは、最後の「おかげ参り」の流行から約60年後に「ええじゃないか」が起きており、その約120年後に太平洋戦争が起きている、とやや強引な仮説でストーリー展開をしている点だ。

どの事件にも国家システムからの束縛に対して、日本人の集団無意識に流れる国家概念の無かった縄文時代の狂気を呼び起こした結果の祭り騒ぎであって、「ええじゃないか」は薩長の知恵者が、そして太平洋戦争に関しては、政治家が司祭となり日本人に潜む狂気を巧妙に先導した祭りだった、としている。
そしてどの踊狂現象にも、共通した背景として伊勢神宮、もしくはその司祭である天皇が関わっていると着眼している点が面白い。
時代考証の矛盾などで若干の無理はあるにしても、史実に創造を巧みに織りこみ、民俗学の造詣の深さで一気に読ませてしまう説得力、画力は流石の一言。

漫画「ヤマタイカ」は、終戦から60年を経て日本人の集団無意識が狂気の臨界点に達しようとしており、今度の祭りこそは政治に利用させてはならないとして、沖縄の神人(カミンチュ)達が活躍して、縄文1万年と弥生以来2千年の仏教勢力とが呪術対決をして、近代都市や国家システムなどが根こそぎぶっ壊われていくのである。
戦後の荒廃した国土の復興から60年を経て、またゼロから日本を作りあげていく、つまり死の後の再生をしていく、という痛快無比にして荒唐無稽、壮大にして読むだけで日本史や民俗学の勉強になるという大変にスケールの大きな長編劇画である。
80年代に出版された劇画だけど、最近は文庫本で復刊されているので、祭りや縄文文化に興味ある人には事是非とも読んで欲しいですな。星野さんはホンモンの祭りをご存知だ。

けんか祭りが終わって2週間が経った。
先週には市内の早川地区のけんか祭りがあった。今週は能生(ノウ)地区の白山神社(旧奴奈川神社)の例大祭があった。
山里である早川のけんか祭りは豪快で朴訥だ。漁師町の能生の祭りは雅やかで格式があるが、神輿のけんかは無い。
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早川区の神社は山の上にあり、麓の日光寺でけんか祭りをする全国でも珍しい神仏混交の祭礼。
写真は神社の石段を降りてくる所。

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能生の祭りは雅やか。白山神社も糸魚川一宮である天津神社も茅葺屋根で、これも全国的には珍しい。しかも白山神社は拝殿に土足で入る事が出来、大きな囲炉裏まである。目の前が海という清々しい神社。

この二つの祭りを足して2で割って規模を大きくすると、ちょうど糸魚川のけんか祭りになる。
しかしどこの祭りにも優劣は無い。それぞれに良い祭りだ。
氏子達にとっては年に一度の春送りの儀式であり、これから始まる田植えシーズンに向けての初夏を迎える大事な祭りなのだ。

ある人が「浅草の三社祭りを観たけど、神輿に較べてビルが大き過ぎて、妙にアンバランスなところがおかしかった。フフフ!」と笑っていたが、この時は本気で首を絞めてやろうかと思った。
そんな事は本物の祭りを体験した事の無い、単に祭りを傍観しているだけの門外漢の戯言で、一度でも祭りで「狂った」事のある人なら、他人の土地の祭りをバカにした態度を取ったり、批評めいた事は絶対に言わないと思う。
祭りバカにとっては誰でも自分の土地の祭りこそが最高で、世界に唯一無為の祭りに誇りを感じているのである。バカにしやがるとただじゃおかねえ、と息巻く勢いなのだ。

糸魚川地方の一連の春の祭りが全て終わった。盆と正月が一緒に来て去っていった気分。
燃え盛る炎が次第に落ち着いてきて、熾き火になってくようだ。
俺達祭りバカは、結してこの熾き火を消したりはしない。胸の内に大事に仕舞っておいて、次の祭りに再び燃え上がらせるのだ。
そして事ある時にも燃え盛らせる。地震・雷・火事・喧嘩なんでもこいだ。
それは個を超えて連綿と受け継がれていく炎だ。
俺が初めてけんか祭りに出た時に叔父から言われた「祭りっちゃ、ええもんだろう?」って言葉は、時代を超えて受け継がれていく。
その事を想うと、なんだか無性に嬉しくなる。

追記
土曜日にけんか祭りがローカル局でテレビ放映された。毎年三十分番組枠だったのが、今年はダイドードリンコがスポンサーになって1時間枠の豪華版となり、祭りを支えている人たちの想いなども丁寧に編集されており、「勇壮な祭り」というステレオタイプな視点だけで無く、祭りに掛ける人々の熱い想いが伝わる内容になっていた。
番組では祭りの専門家というサイバー大学の教授が解説していて、「日本中の祭りを観てきたが、糸魚川のけんか祭りは、観客も一体になって熱狂する他には類例の無い祭り」と評していた事が嬉しい。
早く来年の四月にならんかねえ。あと340日が待ち遠しいわい。
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by jhomonjin | 2010-04-25 02:17 | 祭り | Comments(2)
けんか祭を終えてすぐに汗臭い祭り装束のまま、祭見物に来たカズさん一家と千葉のまっちゃんを連れて稚児ケ池に行った。
稚児ケ池は俺の家のすぐ裏の小高い丘にあり、前にも書いた奴奈川姫命の入水の地、と伝承のある瓢箪型の小さな池だ。地元でも稚児ケ池の存在を知っている人は少なく、普段は訪れる人も稀な淋しい杉林のなかにその池はある。
しかも池といっても付近は近代になって植林された杉の為か、現在は水の枯れた萱の生い茂る沼地となっており、特に案内板も無い細い遊歩道の脇にあるので説明されないと分からないのだ。
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稚児ケ池
小さな池といっても奥行きは結構ある。50mプール二つ分は優にあるだろう。
右手のこんもりした半島状の杉林がカズさんが選んだご神事の場所。



初めてカズさんに逢った時に、カズさんはライフワークとして縄文人の御魂の鎮魂神事をして、各地を歩いていると話してくれた。
その時に俺は我が意を得たり、と奴奈川姫にまつわる話をしたのだ。
縄文時代から糸魚川は翡翠の産地として名高かった事、古墳時代の始め頃に糸魚川は奴奈川の郷と呼ばれ、縄文系らしい奴奈川族が出雲に侵略された事、族長である奴奈川姫が出雲に拉致されたが逃げ帰って故郷で非業の死を遂げた事、俺の実家は奴奈川族の拠点付近にある事、糸魚川一宮である天津神社の氏子は奴奈川族の子孫であるかも知れない事、俺の中では、けんか祭は先祖の奴奈川族の鎮魂の祭でもある事、などなど個人的な思い入れ話を興奮して喋ったのだ。
こんな与太話しにカズさんは非常に興味を持ってくれて、今回のけんか祭に来てくれる事になったのだ。

その荒振るけんか祭のと同じ日の内に、是非ともカズさんを稚児ケ池に案内したかったのだ。何かが起る予感がした。
稚児ケ池にはそれまでに何度か一人で来てはいたが、そこはちょっと張り詰めた気配のある場所で、気の弱い人なら途中で引き返したくなる感じのする処だ。

前日に下見していたのに何故か道に迷った。
同行のまっちゃんが「なんだかケモノの臭いがするけど、近くで牛か豚でも飼ってるんすか?」と変な事を言い出す。バカ野郎、俺ん家はそんな田舎じゃねえ!お前ぇの体臭と違うんかい?肉の喰い過ぎだ、ダイエットせんかい!と返すが、確かに変な臭いがする。・・・まっちゃんは体重100キロの相撲取り体型です。俺は彼をトトロに最も近い人類と呼んでいる・・・。

稚児ケ池に着くと、カズさんは迷いもせずに場所を決め、早速に鎮魂の神事の支度にかかった。
まず供物を並べ火打石で火を起す。初対面の時に教えた火打石による火越し技術は、独自に工夫を凝らして達人の域に入っていたのは流石。カズさんも真剣な人だ。

この時、一行全員がペキッ、パキッ、バキッと小枝を折るような、枯れた小枝が落ちるような音があちこちからするのを聞いていた。こんな人家近くで猿でもいるのか、それとも小鳥やリスが滅多に来ない人間が来たので驚いて逃げているのかねえ?と話していたのだ。
まっちゃんは相変わらず「牛というよりケモノの臭いがする」といい続ける。
他の人も「確かにケモノっぽい臭いがする!」といい始めた。稚児ケ池の雰囲気はいつも通り張り詰めた気配のままだ。
夕闇が迫る時刻なので嫌な事を言いやがる、と内心「このヤロー、余計な事いってんじゃねぇや!」と毒づいた。

その内にカズさんは実に巧みに美しい焚火を起し、唐突に歌を唄い始めた。
「あなたのまなざしに 私の胸が開く~中略~めでても めでても あふれる愛の泉~後略」
カズさんの名曲「愛の泉」だ。(アルバム ai no izumi  収録曲)
カズさんの声と歌には潤いがある。しっとりとした静けさとを感じる。
そう涙だ。カズさんの歌には涙を感じる。哀愁の涙、悲愁の涙、郷愁の涙、それに歓喜の涙。
でもけっして恨めしいとか悔しいとかのネガティブな涙では無い。太古から未来まで、なんだか切ない涙で繋がっている。
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禊ぎの時の炎
カズさんのご神事中の写真代わりに。
何故だか炎は見飽きない。スワヒリ語では焚火にじっと見入ってしまう事を「火を夢見る」というのだそうだ。好きな言葉。


歌を二曲続けた後にお祈りとちょとした儀式。参加者に米を配って焚火に投じさせた。
これでご神事が終わりました、とカズさんは言うと、供物の煎餅やチコレートを皆に配って食べさせた。神人共食の儀式だ。カズさんは祭りのやりかたを心憎いまでにご存知なのだ。
お菓子で直会(なおらい・・・祭りの後に神からの供物のお裾分けを共に食する宴会)をしていると、ほぼ全員が同時にある事に気付いた。
先程までの小枝を折るような音がまったく聞こえなくなっているのだ。
そして急に聴こえ始めたかのように楽しげな小鳥のさえずりが耳に入ってきた。辺りの気配も緊迫感が失せて清々しい空気感に変わっている。
夕闇迫る、と思っていた空さえ透き通って明るく見え、ケモノ臭さもまったく消失していた。
あきらかに場が変わった。
なんか淒ぇ処に居合わせてしまった、と実感した。おい何か淒ぇぜ!淒ぇよな?とまっちゃんと顔を見合わせる。
稚児ケ池に到着してから三十分程の出来事だ。
それにしても、あの小枝の折れるような音はラップ現象というものだったのか?

いっておくが、俺はUFO方面以外は神秘的な体験は皆無だし、人里離れた縄文遺跡で数多くの野宿を経験してはいるが、何も劇的な現象には遭っていない。
占いや予言の類、ニューエイジ系や精神世界方面の話ばかりする人がいると半径5m以内には近づきたくない男だ。したり顔で抹香臭い話しや、実体の無い話しをする奴は苦手なのだ。
でも確かに場が変わったのを実感した。

春日大社の宮司さんの著書に、「祭とは本来、神と人の間を吊り合わせるという意味があるから間吊りなのです。神と人が一体になって、神のエネルギーを頂く儀式・・・云々」というような書いてあった。
この事はけんか祭に出るようになってから実感する処だったが、荒振る動のけんか祭のすぐ後に、カズさんは歌で優しく静の祭を執り行ってくれた。

奴奈川姫が稚児ケ池で入水自殺した、とは公式文書に記載されている事では無く、口伝伝承に過ぎない。単なる伝説の域を出ないかもしれない。でもあの場の気配は確かに喜んでいるように感じた。
こんな事もあるんだな、と俺も嬉しくなった。こういう時に祭りバカがする事はひとつしかない。
手締めだ。

ご神事の最後には、やっぱり手締めでしょう!と提案して、寺町の中でも俺の生まれ育った新町式の独特の手締めをする事になった。音頭は浅草の鳶頭の音頭取りのアレンジだ。
「それではご神事を目出度く執り行う事が出来ましたので、新町式の手締めを致します。不肖、私が音頭を取らせて頂ますので、皆様方におかれましては宜しくご唱和の程、お願い致します。稚児ケ池の皆さん方も宜しく頼むよぉう!ではいきます。いっよーっ、シャシャシャンシャン、シャンシャン!おうっ!シャシャシャンシャン、シャンシャン!パチパチパチ(一同の拍手)これで万時メデタク手締めと相成りました。皆さぁぁぁんっ、有難ぉぉぉうっ!!」と蛮声を上げると、一行も池の周囲に向かって有難ぉぉぉうっ!おめでとぉぉぉうっ!!と負けずに大声を張り上げた。
まずは万々歳だ。メデタシメデタシ。空には不思議な形の雲が浮かんでいた。
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ご神事の後の雲
参加者は鳳凰が羽根を拡げているようだ、とか三体の龍が飛んで行くようだ、とか言い合った。
あの場を共有したなら誰でもそう感じると思う。自然科学的な解釈など、あの時の様な体験をした事の無い人に任せておけばいい。それこそが縄文時間、縄文感覚だ。

これにて稚児ケ池奇譚一巻の読み終わり。チョン!
(俺は祭りバカだけでなく、落語、講談、浪曲などの日本の話芸バカでもある。)

追伸 このブログを書いた翌日の夜遅く、市内の鬼伏(おにふし)という所で車がパンクした。
鬼伏は出雲が攻めて来た時に粛慎人の夜星武命が一度は撃退に成功したが、二度目に攻めて来た時に敗れて降伏した地である。
日本の古代史の常として、敗者は鬼と呼ばれ、鬼が伏した地であることからこの地名になったと伝えられている。
何か縁があるのだろうな、と思っている。黙祷!
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by jhomonjin | 2010-04-12 23:43 | 祭り | Comments(4)
いよいよ四月十日。遅かった桜の開花も前日からの晴天で一気に七分咲きとなった。
スッコーンと抜けた青空の下、絶好の祭日和。
四の五の説明はせん。
以下、写真で年に一度の男たちの熱い戦いを堪能してくんない!
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祭の朝
旭日に翻る日章旗と寺町の旗。
禊ぎ会場の浜の降り口に立っている。昔は野球が出来る位に広かった浜が、港に防波堤を作ってからは年々砂浜が狭くなっていき、今では石ころばかりになってしまった。

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禊ぎ
役員挨拶の後、男たちは雄叫びを上げて海に入る。
北アルプスの凍るような雪解け水で身を引き締め娑婆っ気を絶つ。これで本気モード全開だ。
盛大な焚火が焚かれ、お神酒を頂いて決意を固める。

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天津神社拝殿
珍しい茅葺屋根の神社
神輿の担ぎ手達が次々と参拝していく。今年も息災で祭に出る事が出来した。有難うございます。怪我の無いように、ええ祭ができますように、と皆の願いはひとつ。

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出番を待つ二基の神輿
けんか神輿の後に奉納される舞楽の舞台に鎮座する二基の神輿。
狩衣の男たちは笛、太鼓、ほら貝の楽士。

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お練り
稚児の巡行。神の依り代である稚児は汚してはいけない為に、お練りの間は稚児抱きによって肩車され地面に触れさせない。稚児抱きは長時間じっと我慢の相当きつい役。戦いの序曲は雅で静かだ。

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けんか祭開始!
稚児が舞楽台に乗った刹那、怒号と共に神輿が走り出して戦いの火蓋が切られる。
緑の装束が寺町の手引き。お互いの手を晒で繋いで全身全霊をかけてゴンゴンと神輿を引張る。

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激突する神輿
向こうが一の神輿の押上。手前が二の神輿の寺町。真っ向勝負の相撲を取る。神輿がきしみ壊れていく。男たちの骨もきしみ装束が破れていく。どっちも負けんなやー、と観客も一緒にエキサイトする。

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しばしの休息
喧嘩をひとしきりした後、一の神輿が走って戦列を離脱。互いに距離が取れると僅かな休息が取れる。
水を飲み、梅干を頬張り乾きと疲れを癒す。乱れた装束を調えるのもこの時だ。赤い装束は押上の手引き。
子供の頃は赤は女色、押上のヤンドモ(野郎共)は男の癖に赤を着とる!とバカにしていた。
押上の赤は悪の色、寺町の緑は正義の色。だってガメラの血の色は緑だモン!って思っていた。俺って可愛かったんだな、と今になって思うが、当時は本気にそう思っていたので、いまだに赤の服が着られないでいる。三つ子の魂百までもだ。

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互いに一歩も譲らない勝負が走って離れ、ぶつけては走って離れと八回前後繰り返される。
けんかの回数は疲労具合を見て両町会の運営委員で協議して決定する。男たちは限界まで全精力を絞り出す。みんな本気だ。
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歓喜!
祭の最後はお走りで競争だ。砂埃を巻き上げ、最後の力を振り絞って全力疾走する。勝敗は関係ない。いかに自分は誠実に全力を尽くしたか?バカになりきったかが問われる。神輿を拝殿に収めると男たちは我勝ちに自分たちの桟敷に駆け戻り勝鬨を挙げる。感極まって泣き崩れるモンもおる。歓喜!歓喜!歓喜!文字通り我を忘れて神と一つになる。寺町万歳!押上よう頑張った!

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稚児の舞い
動のけんか祭の後は静の稚児の舞いで締めくくられる。
全十二曲の舞楽は国指定民俗重要無形文化財だ。室町時代に糸魚川に入ってきた大阪四天王寺の流れを汲む白山修験の影響である。

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戦い終わって
名誉の負傷。眉間の向こう傷は男の勲章。笑顔が爽やか。真っ向勝負をやり遂げた男の顔だ。

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若者を労う組ませ
組ませはぶつかる神輿の最前線で両町会の神輿を組ませる危険な仕事。青法被とも呼ばれ、経験豊富で信頼のおける切込み隊長だ。根性と度胸、人望がないと勤まらない。戦いの後はベテランが若者を労い、長老がベテランを労う姿がいたる処で見られる。祭バカは皆、熱血漢で情に厚く涙もろい。

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じょうば!
糸魚川では獅子は「じょうば」といって、獅子舞はせずに子供の頭を齧って歩く。頭を噛まれると頭が良うなる、と親達はこぞってじょうばに頼むが、子供はいい迷惑。多くは泣き叫んで逃げ惑う。じょうばに噛まれて頭が良うなるんなら、糸魚川のモンは天才ばっかになってる筈だけんどもねえ。

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お願いします!
男の子だから怖くないね!と母親に連れられて5歳の少年がじょうばの処に連れられて来た。複雑そうな表情が可愛らしい。
女性は尻を噛まれると安産になる。ええ子供できるわんぞう!と女子高校生専門に追い掛け回す奴もいる。時にはスカートめくりまでする奴もいるが、追われるほうも見ている人達も皆笑っている。セクハラなんか問題にせんのだ。おい、じょうば!あっちにええケツの女おるぞ!とけしかけたり。日本の神話に出てくる世界がまだ残っている。おおらかなのだ。

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名残の桜
明けて本日四月十一日は雨のシトシト降る寒い一日だった。
人と縁日屋台でごった返していた参道もひっそりしている。
こうして熱かった祭が静かに終わっていく。つわものどもの夢の跡だ。

祭を終えてストレス解消になったから明日から元気に働けるでしょう?と聞く人がいる。そう考えるのは本物の祭を知らない人だ。昨今の形骸化して観光目的のイベント化した祭しか知らない人だろう。
年に一度の待ちに待った祭を終えると、少なくても一週間はボーとした時期がある。欲も得も無い真っ白けの状態になる。ちょうど最終回の「明日のジョー」みたいに。
余剰エネルギーなど消耗しきって真っ白になって燃え尽きているからである。

こうして人生をリセットしてゼロからまた自分を創り直す。そしてまた来年全部ぶっ壊すのだ。
一度死んで、また生まれて育っていく様は、縄文土器に施文された螺旋文様そのままに感じる。
縄文人の世界観はその様であったと思うし、縄文土器に投影されたその世界観は始めも終わりも無く、ひたすら回転しながら進み続ける未来永劫のイノチを現しているのではないか?と思う。「宇宙の構造は螺旋にある」とは、日本の地球物理学者の草分けである寺田寅彦が最晩年に残した言葉だ。寺田も同じ事を実感していたのではないだろうか。
祭も然り。
祭をしていると先祖達の経験や熱い想いが俺たちに入って来るのを感じる。そして何故だか胸が熱くなる。
いつかどこかの誰かサンの熱い想いを継承して、俺たちもまたいつかどこかの誰かサンになっていくのだろう。
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by jhomonjin | 2010-04-11 23:58 | 祭り | Comments(3)
明日はけんか祭り前日。
奇しくも信州の諏訪大社下社では、あすから三日間に渡って7年に一度の御柱の最大の見せ場「木落し」が行なわれる。
なぜ奇しくもなのか?諏訪大社下社の御祭神であるタケミナカタ命の母親が、糸魚川の産土神である奴奈川姫命なのだ。
けんか祭りは古代に出雲との戦いに屈服し、その後さらに出雲を破った大和からも征服された奴奈川族の末裔による祖霊鎮魂の祭りである、というのが俺の説。

大和との戦いに破れ、出雲から追われたタケミナカタは、母の故郷を頼ってヌナカワの郷(糸魚川地方)を経由して信州へ逃れ落ち、地元の神々と戦い破って奪い取ったのが諏訪湖の北西岸側であったらしい。それが諏訪大社下社の由来だ。敗れた地元の神を祀ったのが諏訪大社上社。同じ諏訪の地にありながら諏訪湖を挟んで下社と大社が分かれているのはこの為である。

よく古代出雲族を大和に破れた悲劇の王朝として紹介される事が多いのだけど、それが俺には癪に障る。
出雲も他の地を征服して統一してきたのであろう、と思う。古事記や日本書紀には出雲の大国主(八千矛の神など多くの異名と記述がある)が越の美しく賢い奴奈川姫に求婚して生まれた子供がタケミナカタと記述されてはいるが、それらは勝者側の記録でしかない。
敗者側である糸魚川の記録では、出雲が攻めてきて一度は撃退したが、二度目には敗れて奴奈川姫が連れ去られた、とされている。そして姫は能登(多分、気多大社あたりだろう)から逃げてきたが、追い詰められて俺の家のすぐ裏にある稚児が池に入水自殺した、とも記録が残されている。俺の家の周辺は奴奈川族の本拠地であって、当時の古墳跡に自宅敷地がある。
面白いのは、出雲を迎撃したのは奴奈川郷にいた粛慎人(シュクシン、ミシハセ)の夜星武命(エボシタケルノミコト)と記述されている事だ。
粛慎人はシベリアから沿海州地方にかけて存在した狩猟民族で、古墳時代前後の糸魚川に何故シベリア系の外国人がいて出雲と戦ったのか?浪漫をかき立てられる。

出雲もそして次にやって来た大和も、縄文の昔から国内唯一ともいえる翡翠の産地であった奴奈川の郷を支配下に置きたかったのだろう。出雲大社の宝物である翡翠の勾玉は糸魚川産の翡翠であるし、天皇家の三種の神器の一つである八尺瓊勾玉もそうではないか?とする説もある。そして奴奈川姫は自らの生命を賭して奴奈川族の助命嘆願をした、とも伝えられている。
国敗れて山河有り、とはいうが奴奈川族は敗れても子孫はどっこい生きている。

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市内の黒姫山
海上から識別できる独立峰は、昔から海洋民族の信仰の対象である事が多い。糸魚川の縄文人は青森の三内丸山遺跡まで舟に乗って翡翠を交易していた。彼らにとって黒姫山は故郷の象徴であった事だろう。マイカントリーロードだ。

寺町と押上が激しくけんかするのも、古代の戦いの再現や弔い合戦とする郷土史家もいる。もちろん古今東西の喧嘩祭りの類例の通り、山の神(寺町)と海の神(押上)が激しくぶつかりあうという事は、破壊の後の再生を意味する豊年豊漁の呪術、という意味もあるだろう。
真偽の程はどうでも、今も奴奈川族は生きている、と祭りの度に思うし、年々その想いは強くなる。

明日は祭り見物にカズさん一家もやって来る。祭り当日は浅草三社仲間のマッチャンも千葉から駆け付けて来る。
カズさんは長野県の伊那谷に住んでいるのだけど、途中にある諏訪大社を御柱見物もせずに飛び越えて、糸魚川の奴奈川姫に御参りしたい、のだという。
有り難い事だ。今も奴奈川族が熱い心を持って生きている、という生き証人になってもらわんといけん。
糸魚川の美味い魚と山菜を「ごっつぉ」・・・ご馳走・・・するぜね!
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by jhomonjin | 2010-04-09 00:33 | 祭り | Comments(1)

祭りバカ

月曜日に寺町区の「けんか祭り」の勉強会があった。いよいよ祭りは今週末だ。
氏子総代から祭りの歴史の話しのあと、各役ごとに分科会を開いての作戦会議だ。といっても飲みながらの親睦会がメインで、酔う程に先輩諸氏からのアドバイスや若手の挨拶まわり、所信表明などで大いに気勢を挙げた。

俺は高校を出てからずっと故郷を離れていたが、幼馴染達には地元に残ってけんか祭りを支え続けてきた奴もいる。彼らは皆すっかり貫禄も付いていい顔になっている。
子供の頃から「末はヤクザかゴロツキか」と言われていた悪ガキが、今では誰が見ても納得の人情味のある、頼りがいのあるいい男になっているのだ。

特にKは若手から「祭りの時のKさんは、祭りの中の祭りって感じがします。俺もKさんみたいになりたいですよ。」と手放しで信頼を置かれているのだ。確かに今のKの言葉には力がある。リアリティーと重みを感じる。心に響く言葉が自然に出てくるのだ。

若い頃のKは確かにワルだったし、今も知らない人が見たら怖そうと思える顔つきをしている。
しかし体格的には標準的で見た目が押し出しが強そうなわけではなく、腕っ節も特に強いわけでは無い。
弁舌爽やかでも無い。だから人望があるといっても番長的な人望とはちょっと違う。

無防備といえる程の良い奴。何時でも一生懸命で、天真爛漫な子供っぽい稚気と大人のケジメを同時に持ち、責任感と面倒見の良さに溢れる、いざという時に頼れる奴、って感じがする。言動は乱暴かもしれないが誠実で正直な奴だと感じる。ちょっと褒め過ぎか。

祭りは人を育て、男を磨く。

よく本屋で「人を動かす言葉」みたいなビジネス書を見るが、Kを見ていると人は言葉で動くのでは無く、「人に接して感動した時に動く」のだと実感する。内容のある人が話せば人が動くのであって、内容の希薄な奴が借り物の知識を使ってどんな言葉を使っても人が動くもんか!と思う。

Kが若手に檄を飛ばしていた。「ええか、神輿ぶつける時ゃ前だけ見てぶつかれや。おっかなくても目は瞑るなよ。神さんだけちゃんと守っとりゃええやんだっちゃ。最後は想いだけだぞ。例えばさ、去年の三回目に神輿が上手く組めたって言っても、そりゃその時だけで終わっとる。成功は忘れんきゃ駄目なんだわ。失敗した事だけ若いモンに伝えりゃええんだそいね、おりゃあえて失敗だけ教えるんだわ。ええかっ、同じ組み方でやっても二度と同じようには組めんやんぞ。絶対に上手くいかやんぜ。毎回条件が全部違うわんじゃ、100点満点は絶対無いやんぜ、想いをぶつけりゃええやんだっちゃ!ただ前だけ見とれや!わかったな!」と。

まるで整体指導者や古武術研究家みたいな事をさらっと言ってのけるのだ。一度の成功事例を金科玉条にせずに毎回方法論を更新していけ、なんて並みの人間では出て来ない言葉だと思う。
若い衆は皆、正座して彼の言葉を聞き漏らすまいとしている。真剣な眼差しだ。俺も横で聞いていて感動した。奴は言葉は自分の言葉を腹の底から出している。ホンモンだ、と再認識した。
彼は高校を出てから何かの修行を特にしていたのではない。ただ地道に働いて家族を養い、祭りに生甲斐を感じて誠実に生きてきただけだ。
格好よすぎるぜ、K!
長老達も格好良い。先輩諸氏や後輩達も良い顔をしている。この場には私という主語は存在しない。
主語は「俺たち寺町のモン(者)」だ。そして何世代にも渡って創り上げて来た共有された「この場」こそが主語だ。
みんな祭りバカだ。この連中と同じ仲間で、同じ場を共有しているというだけで、生きてて良かった、とシミジミ思う。
今年も絶対にええ(良い)祭りとなるに決まっとる!と確信した。
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by jhomonjin | 2010-04-06 22:44 | 祭り | Comments(1)
毎年四月十日、十一日は、糸魚川の「けんか祭り」がある。
先週末に寄合があって、役の抽選会があった。
糸魚川市の人間でも、寺町区と押上区に在住の成人男子か、生まれ育った男にのみ参加が許される祭りだ。
男に生まれて良かった、と思えるのは「けんか祭り」に参加する度に思う事だ。
よくぞ寺町の男に生まれけり、と先祖に感謝したくなる。だからけんか祭りに参加する男たちは祭りの前後、先祖の墓参りに三々五々黙ってても行くし、特定の宗派への帰属意識はなくても、先祖崇拝の念はかなり強い。
現代日本に生まれて、男に生まれて良かった!と心底から実感できる人はなかり幸せな人生を歩んでいる人ではないだろうか。
そんな男たちにとって、けんか祭りは盆と正月が一緒に来るようなもんだ。
近頃の都会の祭りでは、観光の集客目的と担ぎ手達が休日で参加しやすくする為に土日開催の祭りが多いようだが、糸魚川では昔のまま曜日に関係無く、四月十日と十一日で不動ある。参加者は仕事を休んで参加している。そこが偉い!と思う。
人間の都合に合わせたレクレーションやイベントに堕落していない、神様の為の神事としての祭りだから当然ではある。

この二つの町は海岸沿いに並んでいる。今は勤め人ばかりだが、昔からこの地区の人々は半農半漁で生計を立てていた。既に無くなってしまったが、子供の頃は海岸に漁師小屋が並んでいて、漁師たちが網の繕いをしていた風景を覚えている。「我は海の子」の世界がそのままにあった。

室町時代の頃、俺の生まれた寺町の漁師で「甚兵衛」・・・屋号はジンベサ・・・が夢でお告げを受けて以来、四百年以上続いているのが、けんか祭りである。今でもジンベサは続いていて、祭りでは重要な役を担っている。ひょっとすると、けんか祭りの起源は縄文時代にまで遡る可能性もあると思う。
祭りの舞台は天津神社。寺町と押上が二基の神輿をぶつけ合って喧嘩するのだ。ちょうど神輿で相撲を取る格好である。神社境内を拝殿を挟んで東西の陣地に別れ、時計回りに周っては頃合を見計らってぶつけ合う。ぶつけ合っては先行の神輿が走って逃げ、後行の神輿も走って追いかける、という事を十回前後行なう。
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けんか祭りの後に奉納される舞楽。
二十番ほどある内の最後に奉納される「陵王」
大阪四天王寺の影響であるらしい。
国指定民俗重要無形文化財である。
片田舎には珍しい雅な舞いである。

この舞いが祭りの最後。
男たちは万感の想いを寄せてこの舞いを見守る。









天津神社は糸魚川の一宮で、御祭神は天津神であるニギハヤヒの命だけども、本来は併祭されている奴奈川神社の祭りであったように思う。
奴奈川神社は式内社で、式内社とは平安期に日本で最初に公式記載された神社の事であって、由来はかなり古いという事になる。御祭神は奴奈川姫命(ヌナカワヒメのミコト)と大国主の命の二柱の国津神。
詳細は省くが、俺は奴奈川姫命こそがこの祭りの主役であり、かっては奴奈川郷と呼ばれた糸魚川地方の産土神であると確信している。

祭りの時に、神輿を引張って走る役付を「手引き」という。両町会とも十一人づついる。
この役は百貫(約375キロ)ある神輿を引張って走るだけに、馬力のある若手が担当する。若手ではないけども、Uターン記念に自分をリセットする」意味で、今年は俺も立候補した。

走る神輿を担ぐ役付は「白丁」という十人だ。昔この話をしたら、400キロの神輿を十人で担ぐなら、一人頭40キロだから担げない事はないですね、と行った都会モンがいたが、首を閉めてやろうかと本気で思った。
一瞬だけなら誰でも担げるだろう。3分間担いだら泣きたくなると思う。
戦国期の甲冑で重い物なら総重量40キロ程になるらしいが、それは身にまとって全身まんべんなく重量が分散しているから案外に楽なんだそうだ。それでも長時間の着用は堪えるだろうから、そんな甲冑を着用するのは直接的に戦闘に参加しない大名クラスの騎馬武者に限る。しかし神輿の場合は肩の一点で重量を支えなければならないのだ。
しかも神輿を担いで走るのだ。尤も自分から能動的に走る事は不可能だ。手引きが神輿をゴンゴン引張るので、走るというよりは転ばない様に足をバタバタと出し続ける、という事になる。祭りの最初と最後だけは絶対にこの役が担ぐ事になっている。

この二つの役は過酷なので立候補が建前になっている。
万が一に蹴躓いて転んだりした場合や醜態を曝した場合は、「一生男として認められない」と釘を刺されているので、立候補するもの相当の覚悟が必要だ。物凄いプレッシャーの中で役目を全うした時の安堵感、達成感は経験者でないと分からないだろう。昔はこの二つの役を終えて一人前と言われたそうだ。
祭り社会とは無縁な男ならピンとこないと思うが、失敗したら罰金ではなく、男として認められない、という暗黙の了解のほうが、逃げ場が無いだけ怖い。

最も責任が重いのは、「組ませ」といって、ぶつかる神輿の最前列に踏み止まって両町会の神輿がきっちりと組合さるようにする役だ。経験と度胸が必要で、この役は立候補ではなく任命によって決まる。
地元に残っていた幼馴染達が活躍している。いってみれば最前線で指揮を執る実行部隊長だ。

他の大勢の人たちは「黒法被」といって喧嘩の時に神輿を押したり、祭りの途中に白丁に休憩をさせる為に代わりを務めたりといった遊軍的な存在で、両町会で百五十人~百八十人位ずつの陣容だ。当日にならないと総勢が判明しないので、両町会の人数が合わない事が普通だ。人数が少ないと喧嘩には不利だが、気合で負けない事が大事だ。両町会総勢四百名ほどの想いが、年に一度の祭りで爆発する。

祭りのクライマックスは、お互いの消耗具合を両町会の長老同士で協議してスタートする「お走り」である。
神社をぐるりと一周するレースである。寺町が勝てばその年はの豊年、押上が勝てば豊漁だ。
毎年交互に東西の陣地を入れ替えるので、東の一の神輿の町会が予め半周のハンデが付けられており、必ず勝てるようになっている。したがって勝ち負けに拘る事はなく、いかに全身全霊をかけて祭りに没頭したか?という事が問われるのだ。昔、郷土出身力士の黒姫山という関取がいたが、ニックネームをデゴイチといった。例え横綱が相手でも、小細工抜きで蒸気機関車のように頭から突っ込んでいく押し相撲の力士だった。その心意気だ。

参加者はそれぞれ色々な想いを持って祭りに臨んでいる。
俺の場合は25年振りの帰郷で、心機一転して若い衆に混じって人生の節目を飾るつもりだ。
ある人は孫が生まれたので、孫にじいちゃんの雄姿を見せんといケンとか、せがれが成人になって祭りに参加するので、まだ若いモンには負けられんねえ、とか結婚や出産、親の死などそれぞれが何らかの想いや覚悟を持って祭りに参加しているのだ。
祭りは人生の節目の覚悟、ケジメを求める。

俺の叔父は82歳の最年長で、今年も祭りに出られたのも元気で息災であったお陰なんだわいの、有難いのう、また来年も元気でおらんならん、と毎年言っている。
元漁師のあるじいさんは、心臓病の持病で祭りを引退したはずが、若い衆の草鞋の身支度を手伝っている内に興奮してきて、家族の反対を押し切って半纏に着替えて神輿に飛込んでいった。こんな老人の為に祭り会場の控え場には予備の祭り装束が揃えてあるのだ。粋なはからいだ。
いいじゃないですか、祭りで死ねたら本望でしょう、と思う。

ただ俺たちは打ち身や肋骨にひびが入ったりしても誰にも内緒だ。怪我をするのは気合が入ってないからだ、とバカにされるからだ。現代のような訴訟社会において、このような古い日本人らしい身の律し方は美しい、と思う。

既に戦闘モードに入っている。一年をかけて高めてきた祭りへの熱い想いが臨界点にきているのだ。
役を全うできるように、怪我をせんように、無事で祭りが終わりますように、と皆の想いが一つになろうとしている。
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by jhomonjin | 2010-04-04 23:32 | 祭り | Comments(2)