21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

<   2010年 05月 ( 10 )   > この月の画像一覧

木村秋則さんの著書に、心の純粋な人は指を出すと胡瓜が蔓(シンタロー読めるか?ツルと読むんだぞマンじゃないかんね。。念のため。)を絡ませてくれる、とあった。
子供や女性なら絡んでくるけど、疑り深い男性には絡んでくれない、と出ていたので、前からやってみたかったのだ。
整体でいう天真というやつだ。天心だったかな?

ちょっと自分の本性を知る様で怖かったけど、研修先のビニールハウスでやってみた。
とりあえず、胡瓜さんコンニチワ!と心の中で愛想を振りまきながら蔓に指を近づけていく。
ボクを信じて!と蔓に付いている細かいヒゲにそっと触れてみる。

橋本健という理学博士の著書「植物とお話しする方」・・・ごま出版に・・・植物に話しかける時は「赤ちゃんをあやすお母さんのように」とと書いてあったので、そんな心持で話しかける。
今日は寒いでちゅねぇ、元気でちゅか!と小さな声で会話を試みる。
人には見せたくない風景だ。

やった!ほんの数分で絡み付いてくるではないか。
注意深くないと目視できない位の速度だが、指にははっきりと蔓が絡んでくる感触が伝わってくる。
胡瓜さん、有難う!ボクを信じてくれたんだね、とお礼をつぶやく。
f0225473_6163378.jpg
胡瓜と指きり成功の証拠写真
筋肉もないのに結構、強く絡んでくる。








写真を撮影した後は、蔓から指を離す。昼休みが終わるからな。
せっかく信じてくれた胡瓜さんを裏切る行為だ。
俺の中で背徳心、ご都合主義、裏切り者という言葉が渦巻く。
指を離れた胡瓜の蔓の先端が、くるくる巻いて悔しそうに握りこぶしを握っている様に見えた。
これだから人間って信じられな~い!と、胡瓜さんの声を背中で聞いたような気がしたので、ゴメンネ、と呟いてビニールハウスを後にした。
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-28 06:22 | 田舎暮らし | Comments(0)
2週間続いた研修先の田植え作業もようやく一段落した。
プロの農家にとっては最も金になる米作りの中で、四月の苗作り(播種)が最初の大仕事だ。
続いて田起し、代掻き、そしてメインイベントの田植えで、この一連の田んぼ仕事が終わるまでは休日返上の非常事態になる。

俺は倉庫脇の荒地に、自分の不耕起の畑を開墾させて貰っている。
その畑の整備や種播きがあるので、毎朝5時くらいに起きて早朝の仕事(趣味の園芸タイムといっている)、仕事が終わってから暗くなって手元が見えなくなるまでその続き、となかなかのハードワ-クだった。
その合間を縫って、倉庫で遅くまでガラクタ工作の家具作りだ。お陰で殺風景だったアパートの部屋も様になってきた。
四月と五月の一日の労働時間は、平均しても12時間前後だろう。
そして俺だけは日曜日に休日を貰って、自宅の田んぼの田植えだ。
つまりここ二ヶ月は休み無く身体を動かして働いている。
しかし自分の仕事は疲れないし愉しい。だから自分の仕事は仕事では無いな、と思っている。
遊びだ。面白半分の遊び、という意味では無く面白くて愉しいけど真剣な遊びだ。

研修先の田んぼは大規模なので、どうしても機械を使った工場的な流れ作業の連続となり、肉体的にもそうだが何より心が疲れてくる。潤いがなくなってくるのだ。
また忙しい時に限って突発的な事件が起こる。
耕運機でコンクリートの用水枡を壊した、羊の柵が壊れて羊が脱走した等々。
こういった時は俺の出番だ。携帯電話で呼出され、持ってました!と共同作業から抜け出して勇んで現場に駆けつける。
大工工事、土木工事などは得意なので、即座に材料と資材を揃えて対応する。
いつの間にか研修先で職人というニックネームが付いた。
コンクリート仕事も、最初の仕事がセメントメーカーの研究室勤務だったので得意である。
こういう仕事は、自分のペースで得意な事に没頭できるので俺は好きだ。

それに自分の自然農法の仕事は全て人力によるので、これも実に良い気分転換だ。
小規模な仕事を一人で心ゆくまで丁寧に出来る。
人が機械の一部になってする仕事ではなくて、鍬や鎌を扱って肉体を駆使するのだ。面白く無い訳はない。
こういった仕事は、ゆったりした速度感や緻密さが、人の身の丈にピッタリ合っているのではないか、と思う。
そんな仕事に没頭していると、何だか瞑想している感じ、静かに焚火や空、水平線をボーっと見ている感じにも似たモードに入っていく。

その田植え中の忙しい最中、田んぼで面白い光景を観た。
畦際に大きなシマヘビがいた。
近寄って観察していたら、青カエルが自分からシマヘビの口に飛込んで食われてしまったのだ。
自ら飛込んで行った様に見えた、というのが正確なのかもしれないけれど、確かにそう見えたのだ。
一瞬の出来事だったので、見間違えかもしれない。
ヘビに睨まれたカエルとは言うけれど、ヘビの催眠術に掛かってカエルは自分から飛込んだのか、それともたまたまカエルがジャンプした先にヘビがいたのか?
そしてカエルを食んでいるヘビのすぐ横に、別のアオガエルが慌てるわけでも無く横を向いてジッとしていた。
f0225473_22311665.jpg
カエルを食べるヘビ
ちょっと分かりづらいが、シマヘビがカエルを食っている所。
俺は爬虫類が苦手なので、携帯電話でおっかなびっくり撮った。
これが俺の精一杯の接写。





もしかしたら、田んぼという「場」の中においては、ヘビもカエルも区別は無く一つのイノチとして存在しているのか?たまたまヘビとカエルという区別はあるにしても、それは掌における親指と小指ほどの違いはないのかも知れない。
主語はカエルを食べるヘビやヘビに食べられるカエルでは無く、田んぼだ。
食べ食べられする関係でも、田んぼの中で巡っている一つのイノチなのかなあ、と思えて仕方ない。
カズさんの「アマカムナ」というCDの中にある「たくさんの命 ひとつの命」の世界そのままの光景を観た気がする。

ジェームス・ラブロックというイギリスの科学者の「ガイア理論」もそんな事を言っている。
その理論に共鳴して連作され続けているのが、龍村仁監督の「ガイア・シンフォニー」というドキュメンタリー映画だ。
自然農法家の川口由一さんも繰り返しそんな事を言っていた。

唄の世界や人の理論、映画に感動共感する事はあっても、自分で目の当たりに体験して、実感を持てた経験が嬉しい。
都会にいたのでは出来なかった体験だ。
田舎暮らしも捨てたもんじゃない。
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-27 22:34 | 田舎暮らし | Comments(0)

カズさんからの贈物

カズさんから山菜のウドがクール宅急便で届いた。
f0225473_19283725.jpg
カズさんのウド
糸魚川のウドに較べたら極太サイズだ。
もちろん美味い。








糸魚川ではウドのシーズンは大分前に終わっていて、標高1,200mにある長野県の芝平村では今が盛りらしい。
かなりでっかくて立派なウドだ。
ウドの柔らかい先端はテンプラ、茎は酢味噌和え、皮は佃煮にして、丸ごと全部食べた。美味い!
自分の家族だけで食べるのは勿体無いし、鮮度の落ちない内に食べた方が美味いので、田植えを手伝って貰った後輩のやっちゃんや友達にもお裾分けだ。

海岸線に沿っている糸魚川では、ちょっと前までタケノコ贈り合戦が続いていたので、毛色の変わったウドは有難い。
タケノコ争奪戦では無く、タケノコ贈り合戦だ。
田舎ではどこでも同じだろうが、竹林を持っている人が「オラの家のタケノコ貰ってくんない。」と何本かづつ知人に貰ってもらうのだ。
タケノコは採らないと竹林が荒れるので、自分の所で食べる限度を超えたタケノコは、誰かに貰ってもらうしかない。
俺も今年は7本も貰ったし、実家でも何本も貰っているので、ここしばらくは筍ご飯と筍の味噌汁、煮物が続いている。パンダなら大喜びだろうが、流石に最近は食傷気味だ。
と書き込んでいると、タイミング良く高校の同級生のジュンちゃんが通り掛かりに「タケノコ貰ってくれんか?」と持って来た。
う~む、食ってやろうじゃないか。来るものは拒まずだ。
お返しにカズさんのウドを持たせる。

以前、長野の山奥で医師をしている友人一家が糸魚川に海水浴に来るというので、その日の朝に近くの親不知(オヤシラズ)の海岸に行って、牡蠣を採ってきて食わせた事がある。
随分と喜んでくれたけど、田舎暮らしの愉しさの一つに、遠来の客をもてなすのにお金で何かを買ってご馳走する、というノリではなく自分で採って来た物をご馳走するという行為がある。
その人らしいく本人が愉しんで採ってきたり、栽培したり加工したりした、質素で素朴なもてなしだ。

その友人の医師の家も、秋になれば近所のお年寄り達から松茸が毎年50本前後も届くのだという。
患者からの個人的な贈物を受け取る事は、医師の倫理に反する行為だと友人の医師も当初はお年寄りに説明して断っていたらしい。
しかし限界集落の無医村の診療所の開設に伴い、自ら志願して来た友人の医師に寄せる地元のお年寄り達の期待は大きい。
山奥のお年寄りにとって、頼りになる隣人という以前に、何より話し相手が増えたのだ。
愛想の良い元気な奥さんと小さな子供も三人連れて来た。
久し振りに聞く子供の笑い声、泣き声、喧嘩する声。

こんな老いぼれのオラでも山菜採りは誰にも負けねえ!と競って松茸を持って来るのだそうだ。
人に喜んで貰う行為をするのは、田舎の人でも都会の人でも誰でも愉しい事だ。
友人の医師は、そんなお年寄り達から喜んで松茸を貰うという事こそが大事で、普段は話す人もいないお年寄り達の誇りであり生甲斐なのだ、という事に気が付いたという。
友人の医師は、長野県の佐久総合病院の南相木村診療所で所長を務める色平哲郎という内科医だ。
国境無き医師団に加わったり、地域医療の最先端で八面六臂の活躍をしている。
また人権問題、エイズ問題、食料問題、社会問題などのコメンテーターとして、マスメディアの取材を多く受けたりしているので、興味のある人は著書など調べてみて下さい。

俺が都会にいる時に、お袋が「お世話になっている人にあげなさい。」と親父が山で採って来た山菜のゴゴミ(糸魚川ではコゴメと言う)を宅急便で送って来た。

ある事でお世話になった大金持ちにコゴミを持っていったら、奥さんから露骨に嫌な顔をされた。
「こういう物を貰っても食べ方も分からないし・・・」という事だ。
ザックバランな関係なので、お袋が書き添えたレシピを渡して「そう仰らずに、だまされたと思って召し上がって下さい。いらなかったらお友達にお裾分けして下さい。」と渡して帰ったが、内心穏やかな気分ではなかった。

数日後に奥さんに再会した際に、今度は満面に笑みを浮かべた打って変わった態度で、「先日は結構な物を頂いて有難う!あれから友達に上げようとしたら、友達からココミって高級食材で買うとお高い山菜なのよう、人にあげるのは勿体無いわ、って言われたのよ。食べてみたら美味しくって!本当にお高い物を有難う!」
この一言で、コゴミを送って来たお袋の親心が踏みにじられた気分がした。

コゴミは確かに見てくれの悪い山菜だ。派手な色彩や形では無い。
でも美味い。お高い物を頂いて有難う、では無い筈だ。
珍しくて美味い物を頂いて有難う、だろうと憤った。
しかも都会に暮らす息子がお世話になっている人に喜んで貰おう、というコゴミに託された親心が何故理解できないのか不思議だ。

都市生活者に限らず、物の価値を付けられた値段に見出す文化や人種も普通にいるのだろう。
奈良出身の知人も何か貰ったりすると「これ買ったら5,000円はするでぇ!」とすぐ金額に換算する。
都市生活者でも浅草のおばさんや、整体関係者ならそんな態度はまずとらない。
浅草のおばさんなら「田舎のお母さんから送って来たの?コゴミっていうの?へぇ、食べた事ないけど今夜さっそく食って見よう。一緒に晩飯食っていきな。本当にお母さんに感謝しなよ!」と言ってくれるだろう。
物の価値を値段ではなく、込められた想いに見出してくれる人種や文化もある。

カズさんがクール宅急便で送って来たのは、「すぐに食べてね。芝平のウドは高原のウドだから糸魚川のウドとは違いがあると思うよ。鮮度が落ちる前になるべく早く!」というメッセージだろう。
カズさん、芝平の味、確かに頂きました。美味かった!!
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-23 19:44 | 田舎暮らし | Comments(2)
「気分はもう夏!」とは俺の高校の時に流行っていた、ポパイというメンズファッション誌の二月号の表紙に書いてあったキャッチコピーだ。

書店でこのタイトルに衝撃を受けて思わず買ってしまって、その雑誌は今でも大事にとってある。
バリ島やハワイの現地取材、波乗りやヨットなどのマリンスポーツなどの特集だった。
今この雑誌を読み返してみると、それから数年後にウィンドサーフィンの歴史に残る伝説的な世界チャンピオンとなり、キング・ロビーと異名をとった当時16歳のロビー・ナッシュが取材を受けたりしていて、なかなかポパイの取材も先見の明があった事が判る。
f0225473_8194198.jpg
カンボジアのスコール
日本の秋から冬にかけてが東南アジアの雨季だ。
突然のスコールに大人達は雨宿り・・・

f0225473_8212943.jpg
その時、子供達は?
そんな大人達を尻目に子供達はスコールの中でプロレスごっこだ。
兄貴対4人の弟共のハンディキャップマッチ戦。
唇を青くして震えながらも大喜びで転げまわっていた。

f0225473_8263383.jpg
バイクを洗う少年
もう少し大人の少年は、クールにバイクの洗車だ。










なんで気分はもう夏なのか、というとお気に入りのフレーズなので初対面の人と住所交換などの時に座右の銘として使い続けている、という事もあるが俺の身体はすでに夏モードに入っているからである。

俺は毎年五月の三社祭り前後になると、煙草が辛く感じるようになる。
三社が終わる頃には太ももの後ろ側が重もだるく感じる。
筋肉痛とは違って、だるいという感じだ。
これは整体の身体観でいうと、湿気の影響を受けて太ももの後ろが縮んできた、という特徴だ。
やがて煙草が渋苦く感じるようになり、煙草を吸いたいという欲求がまったく無くなり、いつの間にか煙草を吸わなくなっている。
現在はまだ煙草が吸えているので、完全に梅雨入りした訳ではない。
煙草がまったく美味くない、と感じた時が俺だけの梅雨入り宣言だ。

もちろんまだ五月中旬で、一般的には湿気の無い過ごし易い季節と言われているし、気象庁の梅雨入り宣言は一ヶ月以上も先の事である。
でも俺の身体にとっては、すでに梅雨間近と感じているのだ。
つまり気分はもう夏!なのだ。

今の季節、俺の身体は大気中の湿気を敏感に感じ取り、皮膚呼吸がし難くなるので、呼吸器に負担がかかるのだろう。その意味で整体では皮膚も呼吸器の仲間である。
したがって煙草でさらに呼吸器に負担を掛けまいとして、煙草が不味く感じるのだと思う。この七~八年の恒例の感覚変化だ。

今の感じだと、あと一週間もすると煙草を吸う、という想像すら湧かなく筈である。
だから煙草の買い置きは控える。俺の吸っている煙草は「アメリカンスピリッツ」という輸入煙草なので、田舎ではカートン買いするしかないからだ。
これから二月前後は煙草をまったく吸わないので、その間にパッケージを切らなくても煙草の鮮度が落ちて不味くなるのである。

俺は子供の頃から呼吸器が敏感な体質で、整体の身体観でいう5種体癖が濃厚で、身体の変動や異常が呼吸器に現れ易いのだ。

そして例年通りだと、気象庁の梅雨明け宣言よりも一ケ月くらい早く、まだ梅雨空であっても急に煙草が吸いたくなる。それが俺の梅雨明け宣言だ。
もしかしたらこの身体の変化は、旧暦の季節感と一致しているのかもしれない。

因みに俺は十四年前のインド旅から髭を伸ばしているが・・・といってもジャン・レノ風の刈り込んだ短い髭だ・・・髭を伸ばし始めてから数ヶ月は、雨が降る前には髭の先端が湿気で丸まってくる感じがして、じきに雨が降るぞ、という実感があった。
だから今でもバイクに乗っていると、雨合羽を着るタイミングが絶妙で、実に便利である。
バイクを走らせていて、髭が丸まり始めるとバイクを止めて雨合羽を着込む。その途端にバケツを引っ繰り返した様な土砂降りになった、という経験を何度もしている。
外で仕事をする時も、俺だけが雨合羽を持ってきていて、雨に濡れずにすむ、という事もよくある。
整体の稽古の後に外に出てみると大雨で、俺はバイクでも万が一に備えて折畳傘を持ってきているので、傘を持ってきていない人に傘を貸した事も何度もある。

季節が変わり、それに連動して身体も変わる。
自然と俺、という相対構造ではなく、俺も自然の一部なんだなあ、と思えてくる。
自分の身体が地球と歩調を合わせている、という実感がある事が愉しい。
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-21 23:38 | 身体感覚・身体文化 | Comments(5)
やっと不耕起の田植えが終了した。
今日のお手伝いは近所の若い女性のSちゃん。
お手伝いというよりも、田植えを体験してみたいとの事だったので、朝の一時間程度だけ手伝って貰った。

Sちゃんはカズさん繋がりで知合ったのだけど、同じ町内にもカズさん関係の縁があった事に驚く。
インドやタイで知合った日本人も、共通の友達がカズさんだったりしたしな。
タイで知合った男性などは、カズさんの今の奥さんの元旦那だった、という事もあった。
カズさんとはどんな前世の縁があるのかは分からないけど、初対面で意気投合して生涯の友達になったのはシンタロー以来ではないかと思う。

Sちゃんはアフリカ太鼓のジャンベやダンスを習ったり、登山をしたりの好奇心旺盛で行動力に溢れた女の子で、彼女の友達には醤油や味噌作りに挑戦している人もいるそうだ。
20代の若者にも、自分の生活を自分で作っていこう、生活技術を身に付けたい、という欲求を持った人たちがいることに、まだ日本も捨てたもんじゃねえなあ、と思う。

さて、先週植えた苗だが、寒かったせいか根が腐って枯れた苗が何本かあった。
今年は冷害になるのではないだろうか。
一般的な田んぼの冷害対策は、田植え後に深く水を張って、太陽熱で温まった水で苗を育てる方法である。
といってもそれは田植え終了後に当たり前にする事で、冷害対策としては特に苗の成長に合わせて水位を上げて、通常よりは水を深く張っていく位しかないのである。
今回はもちろん深水にするが、その方法に加えて前に作っておいた燻炭を田んぼの苗の上から振りまいておいた。
水面に浮いた燻炭が太陽熱を吸収して、水温上昇がアップするのではないか?との工夫である。
それに田んぼの泥に混ざっている雑草の種が発芽しにくくなるのでは?という期待もある。
このような方法をマルチングといって、通常はマルチと呼ばれている。
よく畑の上が黒いビニールで覆われているのがあるが、あれもマルチだ。

今日の仕事は田植えの残りと、慣行農法の田んぼの補植だ。
慣行農法の田んぼの一反少しは、プロに頼んで田起しと代掻き、田植えを機械で終了していたが、補植とは田植え機が機能的に田植え不可能な田んぼの隅や、苗が活着しなかった部分の手植えの事である。

作業をしながら、ある事に気付いた。
農作業をしていると、よく「今年の苗は根張りが悪い。」なんて聞く。
根張りとは、苗の根っこが発達せずに活着しにくい事である。発音はネハリではなくネバリだ。
粘りがある、のネバリの語源かも知れない、という気付きだ。

粘りは、ネバネバという擬態語が先なのか?それとも後なのか?
根張りと粘りでは意味が同一では無い解釈と、同一の解釈が出来る部分もあるので、これは偶然の一致なのか?それとも意外にも根張りが最初にあって、粘りとネバネバが後から出来たのか?

ネバネバとかシトシト、動物の鳴き声のニャアニャア、ワンワンという擬態語や擬音語をオノマトペと言う。
俺はオノマトペに非常に興味がある。
ある言語学者が日本語ほどオノマトペが発達した言語は存在しない、と本に書いていたからである。
例えば「雨がシトシト降る」という日本語を中国語や英語に訳すと、「切れ間無く細い雨が降る」という訳になるそうだ。
この様なシトシトというオノマトペで情感を表現可能な言語は日本語だけ、と書いてあった。
これは日本の風土が、四季折々の季節の変化が明確で、比較的温暖で湿潤といった中庸な気候であり、それこそが日本人の感性の基盤であり日本文化の特徴となっている。日本が戦後の復興から産業などで世界をリード出来たのは、実はこれらのオノマトペによって微妙なニアンスを表現し、共有出来たからなのだ、という結論だった。
だから日本語を学ぶ外国人が困るのは、漢字とヒラガナ、カタカナの区別ではなくてオノマトペなんだそうだ。

面白い説である。
しかし学者や有識者が断言した言葉を疑ってかかるのが俺の流儀である。

そこで自分で調べたり、外国語に堪能な人や、旅行に行く度に外国人に片っ端から聞いてみた。

シトシトと雨が降る、という場合には確かに中国語や英語ではオノマトペではなく、形容詞で表現されるようだ。
しかしネパール語では、シムシムと雨が降る、と表現されるようである。
ネパール語では他にも、春の小川はカラカラ流れるとも表現するらしい。なんかネパール人は日本人に似た感性を持っているのかも知れない。
ベトナム語では、「ザーザーと雨が降る」を「アオアオと雨が降る」と表現するらしい。
バリ語では道をジャランと言う。ジャランジャランと繰り返すと散歩だ。
英語の幼児言葉で蒸気機関車をチュウチュウトレインと言うが、チュウチュウはシュシュポッポと同じ擬音語だ。
因みにインドから西の人は猫と犬の鳴き声は英語と同じだった。
東南アジアではネコはメオメオ、犬はホンホンと鳴く。ベトナム人だけ犬はガウガウと鳴くと言っていた。どうもこれは怒っている犬の鳴き声らしい。
同じく東南アジアでは雀はチップチップと鳴く。

東アフリカのスワヒリ語では、ポレポレはノンビリでピリピリで辛い。
ハワイ語ではマヒマヒでマッサージ。その他ホニホニなど多数。
どうも南の人は繰り返すだけの安直な言葉が多いのかねえ。あったかいから色々考えるのが面倒臭いのかね?
ハングル語では熟れた果物をマランマランと表現していた。
中国語では粛々や嫋々などの漢語表現を漢文で習ったぞ。

そこで整理する意味で、現時点で自分なりに理解出来ているオノマトペの比較文化論は以下の通りである。

①外国語の擬態語の特徴は、一音でも意味のある単語を繰り返す事で形容詞化する特徴がある。

②日本語の擬態語の特徴は、①と同様な擬態語もあるが、外国語との顕著な違いとして、一音では意味を成さない単語を繰り返す事で、言語で表現しきれない情感を表現でき、それは日本語を理解する人には共有の情感を持つ擬態語である。例・・・シトシトなど
ネパール語、ベトナム語、スワヒリ語、ハワイ語等の事例は、一音で意味を成すかどうかの判定が出来ていないので保留中。

③擬音語に限っては、どこの言語も聴こえたままの表現である。

前にあるところでこの内容で比較文化論の論文を書いたのだが、ブログではここまでが限界。
論文の主旨は、シトシト雨が降る、という情感を共有できるかどうかが、日本文化を真に理解しているかの境界であり、その理解には知的認識ではなく日本の風土と同化しているかどうかの感覚認識が重要な問題になってくる、という内容であった。

なんだか根張りからとんでもないところまで飛躍してしまった。
何の結論も出していないし、散らかし放題に散らかしたままである。スンマセン!

どなたか、面白いオノマトペをご存知な方、教えて下さい。
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-16 23:02 | 田舎暮らし | Comments(4)
なんだかこのブログは友人関係と、整体関係者ばかりにしか見られてないみたいなので、地元の糸魚川の人のネットワークを増やす為に、タイトルを「縄文人(見習い)の糸魚川発!」と変更することにしましたので関係各方面の皆様、今後ともに宜しくお付合いの程お願いします。

さて、今日は浅草の三社祭りの二日目である。
地元の人はサンジャマツリとはあまり言わず、サンジャサマとかサンジャと呼んでいる。

お神輿が出るのは土曜日からなので、あまり知られていないが本当の三社祭りの初日は土曜日ではなく金曜日である。
男装の芸者集が練り歩き「手古舞い」なんかするらしいが、平日なので俺はまだ見ていない。
二日目が土曜日で、浅草四十四ケ町とその他あわせて二百基近い町内神輿が浅草寺に集結する連合渡御がある。

浅草寺も地元の年配者は、カンノンサマと呼ぶ事が多い。
今日は浅草も天気が良かっただろうから、観音様の境内も二百基の神輿が立てる砂埃が物凄かったのではないかと思う。
そして夜のクライマックスである宵宮(浅草式の発音はヨミヤ)だ。
西浅草地区の場合は、提灯で飾られた町内神輿を各町会神輿庫から国際通りのビューホテル目指して集結して来て、ホテルの玄関前で天地を引っ繰り返した様な大騒ぎとなる。
今頃は神酒所(ミキショ・・・各町会毎の休憩所)で道路のアスファルトにどっかり座って、皆で楽しく飲んでいることだろう。
チクショウ、俺も行きてぇ~!

3日目は各町会選抜メンバーが午前三時に集まって浅草神社に行って、午前6時まで待機してから最大のクライマックスである宮出が始まる。

10年ほど前までは宮出も混沌としていたので、神輿を担ぐ担がせないの乱闘騒ぎがザラで、地元氏子より圧倒多数の地方からやって来た神輿同好会や、地元の暴力団が幅を利かせていたので、20人程度の選抜メンバーといえども地元氏子は神輿に近づくことさえ出来なかった。
迂闊に神輿に近づくと袋叩きにされてしまうのだけど、もっとも近づこうにも物凄い人波で、個人の意思では思うようには動けないので近づけないのである。
15年位前には神輿に乗っていた暴力団関係者が引き摺り降ろされて、ドサクサに紛れて殺されてしまった事もある。
宮出で神輿を担ぐのも命掛けだったのだ。
この時は、俺たちもモミクチャで自由に身動き出来ない状態で、遠くの神輿からボコッ、ドスッという鈍い音がするのを聞いていた。

現在は地元氏子がまず浅草神社から宮出をして観音様の前まで担いで、そこからは神輿同好会などの団体さんに交代する、という取決めになったので、俺もここ数年はナンチャッテ氏子として地元の人に混じって宮出で神輿を担いでいた。
そして本社神輿の町内巡行と夜の宮入で三社が終わる。
祭りの間は神輿、酒、メシ、僅かな仮眠の4ツのサイクルだけとなる。

よく何故で俺が、本来は地元氏子しか参加できない三社祭りの宮出や宮入に参加出来ているのか?と質問されるのだけど、長年のダチであるシンタローのお陰であるからだ。
シンタローの実家は西浅草にあるモンジャ屋である。

奴とは20年前に、ネパール国境からヒマラヤ登山のベース基地であるポカラまでのローカルバスで偶然に乗り合わせた縁で、それから親戚付合いみたいになっている。
シンタローは柴崎西町会の青年部の顔役で、顔が利くのだ。

モンジャ屋は文字家(モンジヤ)という名前で、ルルブやピアなどの下町特集によく取材されている店で、シンタローのお袋さんが切り盛りしている。
場所はビューホテルの裏手の路地にある。
フーテンの寅さんに出てくるような下町情緒溢れる店である。

誰かを文字家に連れて行くと、おばさんは「ようこそお越し下さいました。文字家の女将でございます。いつも息子(俺の事)が、お世話になっております!」とちゃんと三つ指を付いて、丁寧だけども愛想好く、親しみのある挨拶をしてくれる。
ちゃんと男を立てるツボを心得ているのだ。こんな挨拶がさり気なく出来てしまうところが心憎い。

おばさんは、地元のヤクザにも顔が利く。
肩で風を切るヤクザといえども、おばさんとは子供の頃から顔見知りで、面倒見が良いから誰からもイチモク置かれているのだ。
ある事で警察と一触即発状態のヤクザを一喝して、謝らせて事無きを得た事もある。
「どっちが料理ショー」に、広島風お好み屋さんと対決して欲しいとオファーがあった時に、「テレビなんか出ちゃったら、イチゲンサンばかり押し寄せて来て地元の常連さんが入れなくなるし、恥ずかしいから断った」という気骨と奥ゆかしさを持ち、そして正しく下町の人特有の照れ屋さんでもある。

おばさんのハンドバックには、いつも文字家と書いてあるポチ袋・・・ご祝儀を入れるお年玉袋みたいな小さな封筒・・・が入っている。何かお礼や心付けをしたい時にすぐにご祝儀を渡せる心遣いである。
物事の道理をわきまえ、人情に通じ、あったかくて、日常の振る舞いが粋で、肝っ玉の据わった、絵に描いたような浅草の女将さんである。
おばさん、長生きして下さいよぅ!
台東区役所の人、古き良き浅草の伝統を保持する人として、おばさんを重要無形文化財保持者として都に申請しなきゃ。目指せ、いつか国宝!

日本酒が好きなおばさんに「おばさん、美味い新潟の地酒を見つけたから、今度持って来るね。」と言ったら、「今度とオバケは出たためしが無いよ!」と間髪を入れずに返すあたり、落語に出てくるセリフのリズムやテンポは、昔の下町っ子の日常会話そのままだったんだなあ、と得心がいく。

以下はある日の俺とおばさんの会話。
「母ちゃんさ、下町生まれの下町育ちだからさ、ヒとシの区別が出来ないんだよ。だからさ、コーヒーがコーシー、飛行機がシコーキになっちゃうんだよぅ。」
「本当に言えないの?」
「本当に言えないんだよぅ。」
「言おうと思ってもどうしても言っちゃうの?」
「言おうと思ってもどうしてもどうしても言っちゃうんだよぅ。」
「でもさ、おばさん、さっきコーヒーがコーシー、飛行機がシコーキって、ちゃんと使い分けて喋ってたよね?」
「うるさいよ、お前は!」と頭をこずかれた。

こんな会話が日常的になされているのが、文字家さん一家だ。

でも面白いのは、文字家さんだけでは無い。
シンタローの家の近所に寿湯という銭湯が10年位前まであった。
寿湯の周辺は、昭和30年代までは噺家さん(落語家)や、浅草を舞台とするコメディアンが大勢住んでいて、よく利用した銭湯だったことから、ディープな演芸ファンには名前を知られた銭湯である。渥美清や荻本欽一、ビートたけしも浅草で芸を磨いた芸人さんだ。

落語好きで銭湯好きな俺は、シンタローの家に泊まる時はよく寿湯に行っていたのだが、ある時にシンタローに一緒に行かねえか?と誘ったら、嫌だと言う。
行くと知らないオジサンから「あんたMさんとこの息子さんだろ?おじさんはあんたのお父さん(故人)と友達だから背中を流してあげるよ。」と見ず知らずのオジサンと背中の流しっこをする事になるからだそうである。
面白いじゃないか!と嬉しくなる。

よく東京は寄集めで人情が薄い、なんて言う人がいるが、そんな人は浅草に来て馴染の店や友達を作ってみて欲しい。

文字家さんの最寄の駅は銀座線の田原町駅だ。
よく浅草演芸ホールを引けた噺家さんも乗って来る。
駅の階段を上がるとヤキソバの匂い。この匂いで浅草に来たんだぁ、といつも実感する。
浅草寺の五重塔の裏手には、朝7時から夕方4時までやっている「観音温泉」もある。入浴料金700円はちょっと高いけど、朝早くからやっていて、いつもガラガラなのが有難い。
金髪の人魚のタイル絵と、塩素消毒の臭いが、なんともレトロでバタ臭くて、下町情緒をそそる。
観音温泉で温まったら、歩いて5分の浅草演芸ホールでノンビリと落語三昧だ。
朝11時40分から夕方4時30分までが昼席。夕方4時40分から夜9時までが夜席。
いつ入っても出ても入場料2500円で、昼夜入替え無しで落語や漫才が堪能できる。
昼飯は文字家さんの近所の喫茶店ピーターのカレーか、富士の大海老天丼が美味い。
越後屋の稲荷ずしを買って、浅草演芸ホールで落語を聴きながらパクつくのも捨て難い。
晩飯は夕方5時から夜11時までやっている文字家さんで決まりだ。(混む事が多いので、予約をお忘れなく!)
これが俺の一日江戸っ子ごっこの定番コースである。

浅草の何が面白いって?
そりゃ、人だ。

去年の三社の直前に、シンタローの親父さんが急逝した。
喧嘩っ早くて頑固だけど、優しくて料理が上手、スポーツ万能で東京オリンピックの時には陸上の強化選手に選抜され、晩年は台東区の空手協会の理事。物知りで面倒見の良い人情家。
着物も似合うし、背広はイタリア製。帽子をいくつも持っているオシャレな親父さんだった。

親父さんが無くなって以来、浅草の風景の一部が欠けてしまったようだ。
浅草の風景は人の風景。人との出逢いが作った景色だ。
人間臭くて、あったかい街。それが浅草。六本木ヒルズ、副都心ビル群あっち行け、シッシッ!
皆さん、「メトロに乗って浅草へ」・・・上々颱風の名曲です・・・遊びにお出で!
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-16 00:20 | 祭り | Comments(4)
今日も晴天だが肌寒い一日だった。
やっちゃんが朝から手伝いに来てくれた。
彼のお陰で仕事が飛躍的に進んだ事もあるが、彼の助言で大きな気付きがあった。

俺の経験した不耕起の田植えは、山梨県の長坂町(現北斗町)にある自然農法の農家での手伝いである。
最近は有名になりつつあるMさんという自然農法家の処で研修生として、Mさんの本家であった現在は無人の築100年の農家に一人で住んでの農業体験だ。

そこの田畑は、八ヶ岳と甲斐駒ケ岳、富士山が同時に見える風光明媚な場所で、田んぼは山地を開拓したダンダン田んぼで、砂質の多い乾いた田んぼだった。
水さえ入れなければ、すぐにでも畑に転用も出来るし、水を入れたら入れたですぐ抜けてしまう、いわゆる「ザル田」である。

ところが俺の家の田んぼは平地の粘性土壌の田んぼで、水気が多く不耕起の田んぼであっても、水を入れる前から田植えが出来そうな湿田だ。

田植えをするのに作付け縄を作った、と前に書いた。
Mさんの所でもそうしていたし、その師匠格である川口由一の著書「自然農・栽培の手引き」(南方新社)にもそう書いてある。

通常の田植えは、田起しと代かきをして田んぼを水平の沼状にしているので、田植えの前には田植え定規や田植え枠といった道具で、田んぼ表面の柔らかい泥に田植えの目安にする格子模様を押し付けていく事が出来る。
その格子の交差点に田植えをしていく訳だ。

不耕起の田んぼでは、田起しと代かきをしていないので、田んぼ表面は雑草だらけの硬めの泥土になっている。したがって格子模様を付けていく事が出来ないので、作付け縄と定規が必要になってくるのである。

初日は作付け縄を張って定規に合わせての田植えだったが、今朝やっちゃんはこの湿田では効率が悪いと考えて、控えめに「俺のオヤジは手で田植えをしていた頃は、レーキ状の木で作った櫛で最初に線をい引いていましたが、そっちの方が効率が良くないですか?」と言ってきた。

なるほど、言われてみればMさんの所の様な乾いた田んぼなら作付け縄と定規が必要だろうが、俺の家の田んぼの様な湿田なら最初に作付けの線を引いてしまえば、あとは苗を植えていくだけだ。
即刻採用とし、すぐさま車で家に返り端材をかき集め、横木に条間である一尺五寸(約45cm)間隔で先を尖らせた木の歯を固定してゆく。持ち手をT字に付ければ完成だ。
急いで田んぼに帰って試してみる。この間、往復と製作時間を含めて三十分の早業だ。
大工仕事が得意で、端材を捨てずに取っておくとこういう時は便利だ。
野球のグランドでT字の道具でマウンドを均す時に使うトンボに、櫛の様に一定間隔の歯を付けただけだ。
使ってみると確かに早い。
これで縦の線は引けた。あとは引かれた条間の線に沿って、株間を一尺間隔(約30cm)の目見当で苗を植えていけば良い。
この目見当で、という所が気に入った。
人間の身体感覚が介入する余地が残った作業は愉しい。
当然、俺とやっちゃんでは一尺と感じる長さは違うし、俺にしても同じ長さを保持出来ている訳は無く、そのバラバラ具合が素晴らしいと思うのだ。

そう、バラバラなのは人間らしさ故であって、機械でない証拠だろう。
機械的でない作業をする事は何故か愉しい。
人間性の復興だ。名付けて田んぼルネッサンス!
シンクロナイズドスイミングを観ても、俺は美しいと感じない。
何故、うら若いお嬢さんにロボットの様な一糸乱れぬ演技を求めるのだろう?
あれが美しいと思える人、手を挙げて!

基本的に条間の一尺五寸さえ守っていれば、草取りは楽なのだからこれでいいのだ。
江戸の乱れ植えと、近代の条植えの融合だ。
実際にこの方式で田植えをすると、速度も速いし、夢中になる位に愉しい。
大発見だ。
川口由一は、「自然農法は、農業の方法論ではなく、各人が農業と向き合い、気付きをしていく場の事です。川口式の農法論ではなく、自然の理に沿った農法なので、私は川口式農法とは名付けません。各人が各人の土地に合った農法を発見していかなければならないのです。それが自然農法の草分けである福岡正信さんの提唱する、粘土ダンゴ農法で失敗した私の気付きです。」と言っていた事が身に染みた。
興味ある人は、川口由一さんの著書「自然農から農を超えて」カタツムリ社をお読み下さい。

俺もやっちゃんのアドバイスで、自然農を方法論としていた事に気付いた。
さて、来週は田植えの残りと除草だ。やっちゃん、ご苦労様。そして有難う!

追記
という訳で、来週の土日は浅草の三社祭りだけど参加出来なくなりました。
シンタロー、マッチャン、そして浅草の皆さん、連続出場記録は15年で途切れてしまいますが、来年はきっと参加します。今年は越後から応援しとりますケン!
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-09 20:45 | 田舎暮らし | Comments(3)
初日、興奮の為か朝5時には自然に目覚める。
何かやらかす時は毎度の事ながら小学生の遠足前夜みたいで、ちっとも成長しとらんねえ、と笑ってしまう。
自宅玄関前で準備していると、高校の美術部の後輩のやっちゃんがマウンテンバイクで通りがかり立ち話。チェーン除草のアドバイスをした後輩とは奴の事だ。

「これから不耕起の田んぼの田植えだ。糸魚川では多分初めての試みだ。珍しいぞう。面白いぞう!もし興味と時間があったら手伝いに来てもなんら問題ないぞう。君自身の人生経験にとって、きっと有益だと思うぞう。手伝いしなくても見学だけでも話しの種になるぞう!!」と散々言っておいたら、昼から本当に手伝いに来てくれた。有難い。
やっちゃんは高校時代はジャニーズ系の美男子だった。
だった、というのは・・・まあ、髪の話しは無しにして、とにかく昔から良い奴だ。

通常の田植えは暖かい時期で水も温いので、俺の田植え定番スタイルは、Tシャツに海水パンツ、裸足という東南アジアの田植え仕様だ。
海水パンツといってもそこはオシャレな俺の事だから、アメリカの一流アウトドアブランドのパタゴニア製のサーフィン用トランクスである。柄はもちろんアロハ模様だ。
対してやっちゃんはスエットシャツにジャージ、長靴という正しい日本の兼業農家スタイル。
トレードマークの濃紺の帽子がイカス。奴は何故か飲み会でもけっしてこの帽子を取らない。
まあ、そんな事はどうでもよろしい。
f0225473_2259266.jpg
不耕起の田植え風景
田植えをするやっちゃん。
右側の元気な草が雑草。
糸魚川でも俺の住む寺町は昔から住宅街が近く、近年はどんどん田んぼが家に変わっている。

今日は日中は暖かいものの風が吹くとちょっと肌寒く、夕方にはすっかりと体が冷え切っていた。
泥に浸かりっぱなしの指先と足は、感覚が麻痺してジンジンと痛いくらいだ。
今日は半分弱の田植えが終了した。
明日はもっと効率良く仕事が進むだろう。田植えが残れば来週やれば良い。

慣行農業の耕した田んぼなら、手植えでも2.5畝の田んぼなら一日で田植えが終わっていたハズである。
しかし不耕起の場合は耕していない分、雑草の処理と不陸(地面の凸凹)調整が不十分で、除草と不陸調整をしていたので時間が4倍くらいかかったのである。

不耕起初年度なので、随分と時間をかけて不陸調整をしたのだが、水を張ってみたら不陸がまだある事が分かり、そのまま田植えも可能だったのだが、今年その調整をやっておくと来年度以降の仕事が楽になるので均しを丁寧にしたのだ。
初年度なのでなるべく慎重に仕事を進めた、という事もある。

これから不耕起の田んぼを始めたい人は、春先に一度水を張って不陸の点検と調整をする事をお奨めします。
またその段階から深水を張って、田植えの二週間くらい前まで水気を嫌う雑草が生い茂らない工夫も検討して見てください。
もしくは稲刈り前にクローバーや蓮華、麦の種を稲の上にばら撒いて他の雑草が生えない緑肥の工夫をしたり、稲刈り後に籾殻や米糠、藁などで田んぼを覆い隠すマルチの検討ですな。
今年の刈り入れ後は、俺も籾殻と米糠、燻炭、藁の合わせ技でマルチをしてみるつもりです。
緑肥も検討しますが、なるべく他の場所から別の物を持ってくるという方法ではなく、田んぼから出た籾殻や米糠、藁を戻す、という方法が整体的な農法かと考えています。

いずれにしても不耕起の田んぼは、年数を重ねる程に徐々に仕事が楽になっていくと思います。
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-08 23:17 | 田舎暮らし | Comments(0)
明日、土曜日に不耕起の田んぼの田植えを決行する。コーフンしとります。
田植えに当たって用意した秘密兵器が二つある。
作付け縄とバカ棒である。いずれも廃材利用だ。
作付け縄とは、田んぼの端から端へと目盛りを打った縄を張って、一定間隔に苗を植える縄の事だ。買えば6,000円くらいする。
f0225473_23363941.jpg
自作の作付け縄
縄だけ買った。目盛りはこれから付ける。
縄を巻いてある方がクルクル周るのは普通だけど、L字形の側も塩ビパイプの所でクルクル周り、どちら側からでも縄を巻き取れる工夫がしてある。

バカ棒は建築用語だが、正式には定尺とって、やはり目盛りを打った棒で一定間隔に苗を植える目安にする。

作付け縄を長手の縦ラインの目安にして、バカ棒を横手ラインの目安にすれば、きちんとした升目に苗を植えていける理屈だ。
今年は升目を一尺五寸(455mm)×一尺(303mm)にする予定なので、通常の300mm×200mm前後の升目よりはかなり大きな升目となる。
つまり同じ面積の場合は株数は少なくなるが、苗は広々とした空間に育つ事になるので、太くて丈夫な稲に育ち、一株の稲の粒数も多くなり、結果として収量は変わらなかったりする。
それに不耕起の田んぼは除草する為の空間がそれくらいは必要なのだ。

民俗学者の宮本常一によれば、江戸時代の中期後半までは田植えは「乱れ植え」・・・学者によっては乱雑植えと表記している・・・といって、各人の手の届く範囲で適当に植えていたらしい。
そして苗を植えるのは後退しながらであったという。

特に中国・九州地方では大田植えといって、田植えになると近郊近在から大勢の人が集まり、太夫役の男達が笛太鼓で囃して田植え唄を唄ったものであったという。
若い未婚の娘は赤い襷、主婦は白い襷をかけて未婚か既婚を人目で見分けられる様にして、嫁探しや見合いの場でもあり、祝祭色が濃厚のハレの労働儀礼であったようだ。
普段は家族単位の農作業もこの日と同じく人手がいる秋の稲刈りばかりは、同世代の男女も集まるので、お喋りしながら、愚痴を言い合ったり、スケベな話などに花を咲かせての楽しい労働だ。
スケベな話は田の神が喜び、豊作となるのだと歓迎されていたようだ
田植え唄も然りで、新婚さんや未婚の若い男女をターゲットにして、即興を交えてスケベな唄が唄われたらしい。
田植え唄に限らず、日本の労働歌には暗喩も含めてスケベな歌詞が多いようだ。
興味ある人は「越後杜氏」「日本のワークソング」といったCDがあるので聴いてみたらいい。
因みに黒沢明の七人の侍の最後の方に、大田植えの場面が出てくる。

その乱れ植えが現在の様な条植え(きちんと一定間隔にして植える方法)になるのが幕末くらいから。
何故なら乱れ植えだと苗の間隔に過密な所と疎らな所が混在して、稲の育ちにバラつきが出てしまう事と、田の除草がやりにくい為である。
その時を境にして、田植えは後退ではなく前進していく方式に切り替わったのだという。
現在でも条植えでも後退していく地方はあるが、一般的には線を見ながら真っ直ぐに植える為に前進していく方式が多いようだ。
宮本は、乱れ植え時代の田植えは遊びの要素が強く、条植えの田植えになると労働色が強くなった、としている。

どうせ自分の田んぼをやるなら、俺も面白い方がいいに決まっている。
昔風の後退式で田植えをやる!
整体の師匠も、日本人は前進ではなく後退する身体感覚の民族だ、といっていたしな。
ただ、乱れ植えだけは来年以降に試す予定だ。
今年は基本に忠実に、ある程度の収量を確実にあげたいからだ。
ただでさえ不耕起の田んぼに初挑戦の男が、これまで慣行農法の田んぼだった場所で周囲の反対を押し切って始めるのだ。
初年度は不耕起の田んぼとしての場が出来ていないというリスクは承知の上だ。
これで米がとれなかったら、ほらみたことか!と関係各方面からバカにされるに決まっている。

とにかく今の内からメデタイ!と断言する。
予祝といって、先に結果を「良かった!」と断言する呪術だ。
正月が「明けましておめどとう」というのは、ここに由来する。・・・と思うぞ・・・
年が明けただけで何がオメデタイのか誰も知らないし、何も考えずに言っている事だ。
今年は良い年でありますように、では本当ではなくて、今年は良い年だった!と断言して、その言葉を成就させようという無意識があるのではないか?と俺は思う。
とにかくメデタイ!
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-07 23:51 | 田舎暮らし | Comments(0)
今日、近所に住む高校の美術部の後輩が遊びに来たのだが、彼の家も兼業農家で、田植え後の除草に苦労しているというので簡単な除草方法を伝授してやった。

と言っても、俺もまだ試した事は無いので効果の程は数ヵ月後でないと不明である。

実際に田んぼ仕事をした事のある人なら良く理解できると思うが、耕運機や稲刈り機のある現代の一般的な農家では、農作業で一番大変なのが田植え後の雑草取りなのだ。
ヒエやコナギといった雑草は稲と同じ環境を好むので、放っておくとえらい勢いで繁殖する。
こいつを取っておかないと稲の養分が足りずに育ちが悪くなり、実りも悪くなるから大問題なのである。
田んぼを知らない人から見ると、田んぼ仕事というと田植えや稲刈りを連想すると思うが、それらは人手はかかるが労働的には楽で、普段は孤独な作業の多い田んぼ仕事でも人手が多いので賑やかで楽しいハレの仕事なのだ。振る舞いのオヤツやご馳走も出る。

そこで除草となるのだが、その仕事は蒸し暑い中を腰をかがめて田んぼを這いずり回らなければならない重労働だ。腰がすぐに痛くなる。
稲もどんどんと生長するので、稲を折らない様に気を使い、おまけに稲の穂先で顔や首筋、腕がちくちくと刺されて痒くなったりもする。

それが嫌なら除草剤散布、というのが一般的なのだが、俺たちの様に除草剤は使いたく無いという場合は、嫌でも手で除草するしかないのである。

くだんの除草方法だが、日本で初めて林檎の無農薬栽培に成功した青森の林檎農家である木村秋則さんの著書に紹介されていた方法である。
なんと田植えの数日後に、田んぼの上を車のタイヤのチェーンをズルズルと引きずって歩くというのだ。
f0225473_8194242.jpg
チェーン除草機
廃材使用率100%の試作1号。
ちょっと怖いが、木のフレームに紐を付けて苗の上を引きずって歩くだけ。
竹箒でも作ってみて、どれが効果があるか試す予定。



当然、まだ10センチ前後の稲苗はチェーンに倒されてしまうのだが、2~3日で元に戻ってくるだけの生命力があるのだという。
そして稲苗は「踏まれた事で強くなる」という性質があって、逆にヒエやコナギは根っこから抜けてくるらしい。
これを一週間おきに3回するだけとの事。
前提条件として、春先の田起しをなるたけ浅く荒く行なわなければならないという、これまでの常識と間逆な工夫が必要らしい。頭の固い人にはちょっと真似出来ない事だ。
それと田植え後は5cmから10cmの水深の深めに水を張る事。
木村さんはこの方法で、除草が大変なのでもう田んぼは止める、という老夫婦を再び田んぼ仕事に復帰させたのだ、と書いていた。

そして偉大な出版社である農文協の月刊誌「現代農業5月号」では、各地の農家が工夫を凝らした田んぼ除草の実例の特集記事が出ている。
ある農家は300円の竹箒を2本使った人力除草機を、ある大規模農家は耕運機にチェーンを付けて引張っる式の動力除草機といった具合に、各人各様の工夫の為所が、土地柄や田んぼの規模、人柄などが浮き彫りになってきて実に面白いのである。

俺も本格的に個人で農業をするのは初めてだが、この2ヶ月間は農業三昧である。
やってみて分かったのは農業という仕事は個人の工夫の為所が満載で、サラリーマンするよりずっと面白いという事だ。
俺も昔は一部上場企業のサラリーマンだった事がある。セメントメーカーの研究員だ。
その次が橋梁の設計技師、建築リフォーム店の店長、神奈川県の藤沢土木事務所で護岸設計の非常勤職員をしていた事もある。・・・トモちゃん、読んでるか~?・・・
アルバイトに至っては江ノ島の磯料理屋で板前、板金屋、植木屋、大工、建築会社の営業(打合せ・設計・見積・現場管理)など様々の仕事を経験してきた。

そして現在は研修生として糸魚川の隣りの上越市にある総合農場で経験を積ませてもらっているが、百姓とは百の仕事をする人とはよく言ったもんで、この仕事はこれまでの経験が随所に活かされていくのだ。

ある時は壊れたコンクリート枡の修理で左官屋、ある時はヤギの柵の補修で大工、ある時は納屋のトタンの補修で板金屋、ある時は用水路の泥上げ掃除で土方、ある時は加工品の餅を搗く餅屋といった様に、総合的な農業をするには色々な仕事が必要になってくる。
先日は籾殻を焼いて燻炭(クンタン 土の改良材に最適)を作ったから炭屋もやった事になる。
これは面白かった。俺個人の勉強なので、朝5時半から始めて仕事の合間に様子を見ながら、夕方から夢中になって気が付いたら夜の11時になっていた。まったく疲れも空腹も感じない位に楽しかった。
f0225473_8233724.jpg
燻炭製作風景
三角錐の煙突ベース中で焚火をして煙突を差込み、あとは籾殻を被せて籾殻が焼けるのを待つ。焼け過ぎると白い灰になってしまうので、均一に黒い炭化状態になるように切り返すタイミングが肝心。

それに社長から余剰気味の卵の処理方法を相談されて、燻製卵を提案したら即刻に燻製屋の仲間入りをする事にもなった。この時は段ボールやドラム缶で燻製器を作って試作してみた。

前回のツリーハウスの顛末記を呼んだ人は感じたかもしれないが、俺は工夫する事自体が好きなのだ。

それにしても弱弱しい苗の上を重い金属のチェーンを引きずって歩く、とは物凄い逆転の発想ではないか。

俺の家の田んぼは一反五畝あり、その内の25mプール分位が耕さない不耕起の田んぼだ。
畑はともかく、田んぼの不耕起はまだ一般的ではなく、お袋も含めて周りの人は懐疑的なのだが、是非に挑戦してみたいのだ。
一般的に自然農法と呼ばれている農法だが、自然農法には有機農法も含めて様々な解釈があるので、ここでは不耕起農法と言っておく。
原則は奈良の川口由一さんが提唱する「草や虫を敵としない自然の理にのった農法」である。
これに成功すれば、田越しと代かきといった田植え前の大仕事が無くなり、したがって耕運機が必要無くなるのである。
耕運機が必要無いとうい事は、設備投資しなくても農業が可能という事で、ガソリンなどの資源も消費せず、金もかからないから兼業農家にうってつけな農法に違いないのだ。
金もかからず環境にも優しく、体力が付いて工夫の為所が満載なので、これは楽しくないわけが無い。しかも無農薬の米や野菜が食べられるのだ。つまりこれはレジャーだ。
不耕起農法は、兼業農家だけでなくとも、都会の趣味でやっている家庭菜園のレベルにも最適で、農業を仕事でなくレジャーとして付き合える人々がもっと増えたら、日本も随分と変わる、と思う。
そうなったら森林や海浜を開拓してゴルフ場やテーマパークを開発しても儲からなくなり、したがって環境破壊が無くなる。
5月連休の渋滞も無くなるぞ。

この農法は、田んぼは金がかかるし(肥料代、ガソリン代、耕運機や田植え機、稲刈り機などの設備投資など)体力も時間も無いからもう止めて、スーパーで安い米を買えばいいだろうと離農する農家が激増している、日本の農業が抱える問題解決の糸口になるかもしれない。
その問題の解決無くして食料自給率の底上げは不可能だと思う。
しかもこの農法は,、農薬はおろか基本的に肥料も撒いたりしない循環型の農法なので、21世紀の縄文人に相応しい農法と言えるだろう。

ここで紹介したチェーンを引きずるのは、従来の農法である耕した田んぼ(不耕起などの一般的では無い農法に対して一般的な農法は慣行農法という)の事例である。
果たして俺の様な不耕起の田んぼで通用するかどうかはやってみなければ分からない。
工夫に工夫を重ねる事になるかも知れない。
ワクワクしますなあ、まったく。
[PR]
by jhomonjin | 2010-05-04 21:56 | 田舎暮らし | Comments(5)