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21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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<   2010年 07月 ( 6 )   > この月の画像一覧

俺の研修先の農場は、車で海まで10分弱くらいの内陸にある。
普通の日本人ならその距離は海の近く、と感じるだろうが、家の裏がすぐ海という環境に育った俺にとっては内陸に違いない。
風景も平野部の田園地帯だし、人情も漁師街とはかなり違う。
毎日仕事の後は、自分の自然農法の畑を暗くなるまでしていたが、夏はやっぱり海だ。
浜っ子の血が騒ぐ。
畑の仕事は早朝だけにして、仕事の終了と同時に海水パンツにはき替え、バイクで海に飛んでいった。
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コンニャク
コンニャクもこんなに育った。俺と同世代以上の人しかわからないだろうが、「キャプテン・ウルトラ」に出てくる悪の宇宙人バンデル星人を彷彿させる姿だ。ジョー役の俳優は若き日の小林稔侍
だと知ってますか?

もちろん、バイクの荷台には足ひれと水中眼鏡、シュノーケルの三点セットを用意してある。
波乗りもいいが、生憎と最寄のサーフポイントまで三十分もかかるし、新潟県の海は夏場にサーフィンが出来る程の波が滅多に立たないのだ。
ただし、新潟市や柏崎市なら夏場でもロングボードで遊べる程度の波がある・・・場合もある。

俺のダイビングスポットのホームグランドは、実家の近くの親不知(オヤシラズ)の海だ。
ここは富山県との県境で、花崗岩の岩場があり、漁港近くでなければ牡蠣やサザエを獲っても問題がない、というおおらかさが良い。
数年前に長野の知人が海水浴に来る、というので当日の朝に親不知に行き、サザエがあまりにも獲れ過ぎて重みで浮上出来ず、せっかく獲ったサザエを半分捨てて帰ってきた事もある。
もちろん再度海に潜って捨てたサザエを拾ってきたが、それ位に豊かな良い海だ。

さて、仕事帰りにどこに潜るのか?
県内の海は、糸魚川市と新潟市近郊くらいしか潜った事が無いので、取合えず海に沿った国道8号線を北上してみた。
するとどうだ、バイクで10分で米山海水浴場、さらに5分で笠島海水浴場と、面白そうな岩場のあるスノーケリングスポットが次々とあるではないか。
さらに5分で鯨波海水浴場で、ここにも岩場がたくさんあるようだ。
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笠島海水浴場
海水浴場は、漁港の隣りにあり、この写真は漁港の守り神の弁天島。
日本国中、漁港近くの岩場には弁財天が祭られている事が多く、弁天島や弁天岩という名前になっている。何故か赤い鳥居がなんとなくセクシーだ。

まだ米山と笠島でしか潜ってないが、パラダイスは笠島海水浴場の外れにある牛ケ首という岩場だ。
半島状に突き出た岩が、牛が首を突き出した形をしている。
このポイントの特徴は、まず夏場に関わらず透明度が高い事だ。
岩場の周辺には砂がなく石だらけの浜である事と、周囲は断崖に囲まれて住宅が無く、生活排水が流れこんでこないからだろう。
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牛ケ首
岩の向こう側が笠島海水浴場。
岩から岩と沖まで休憩しながら泳いで行ける処が嬉しい。
岩の付け根にトンネルがある。




それに海中の地形が複雑で、岩がオーバーハングになったり、トンネル状になったりしているので、飽きないのだ。水深2mくらいの処でも充分に面白い。
魚影も濃く、イソギンチャク類、サザエ、牡蠣の貝類もいっぱいいる。但し、残念ながら禁猟区だ。
牛ケ首の特筆すべき点は、ダイビングスポットのエントリー方法だ。
笠島海水浴場の外れに、廃線になった長さ100m位の北越本線のトンネルがあり、そのトンネルを潜っていくしかエントリーが出来ないのだ。
真っ暗なトンネルを抜けると、急に風景が変わり別世界が広がるのだ。
ちょっと古いがアニメ「海のトリトン」に出てきそうな処だ。冒険心をくすぐるではないか。

今年はまだ数回しか潜ってないが、海の中は既に初秋になっているようだ。
30分も潜っていると体が冷えてしまう。
新潟の海は夏でも寒くて泳げないんでしょ?と何度か聞かれた事があるが、夏場に限っていえば、湘南の海と違いはない。
余談だが、初めて湘南の海でサーフィンした時は、海がドブの匂いがして幻滅したが、慣れは恐ろしいもので、いつしか気にならなくなってしまった。
でもやっぱり新潟の海は綺麗だ。
人も少ないし、透明度も伊豆のダイビングスポットより格段に高い。

水中メガネ越しにアンドンクラゲの子供が無数に見えた。おでこと腕が刺されて痛い。
恰好悪いが手拭いでおでこを覆い、長袖を着て潜る。
海の中は盆過ぎ位の季節に様変わりしている。

一日の労働で汗ダクになった後に、誰もいない綺麗な海で遊べるなんて、最高の贅沢だな。
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by jhomonjin | 2010-07-25 20:34 | 田舎暮らし | Comments(2)
今の時期、農家は田んぼや畑の畦除草に追われる。
圃場に除草剤を散布してあっても、圃場の周囲や畦には沢山生えているからだ。
これは自然農法でも慣行農法でも同様だけども、稲に覆いかぶさる程に伸びた雑草は、作物への日当たりと風通しが悪くなるし、カメ虫などの害虫を田んぼに入れない為などの目的で、刈払い機(草刈機)などでの除草が必要となる。
研修先の農園では、自走式の大型除草機と、人間が手に持って除草する刈払い機を併用している。
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刈払い機
俺の場合は、腰を捻らず、腕力も使わず、刃の回転トルクに乗って、股関節の前後動とステップの踏み変えで左右に振っている。ハンドルも握らずに掌を上から軽く乗ておくだけだ。握ってしまうと機械の振動で疲れるし、シビレてしまうからだ。

俺は刈払い機による除草作業が好きだ。
機械を人間が扱うのではなく、人間が機械を扱う感覚が楽しいのだ。
ちょうどバイクに乗ってワイディングロードを走っている感じに近い。個人の工夫次第で作業効率や出来栄えに差が出来るし、エンジン音に包まれた孤独感がたまらない。

俺はこれまで色々な人の刈払い機による除草を見てきたが、その中でダントツの達人だったのが、藤沢の植木屋でバイトしていた時の親方のFさんだ。

ある時、草丈が2mを超える程に雑草が伸びたジャングル状の空き地を5人で横一列に並んで除草した。
刈払い機による除草は、刃の回転が反時計回りなので、右から左に刈払い機を動かせば刈られた雑草は自然に左に倒れていく。
田んぼの畦道を除草する場合は、最初に田んぼを右側見て、右の畦際を前進しながら刈っていって、終点で折り返して左の畦際を刈って戻れば、刈った雑草が田んぼに落ちないですみ、刈り残し無く綺麗に除草が出来る。これは農家なら誰でもやっている。

問題なのは、その時の様に雑草が背丈の高い雑草がジャングル状になっている場合だ。
その時は、仕事の効率を考えて、基本通りに地際を右から左へ刈払い機を動かせば取合えずは右側は地面が見える程には刈る事が出来たが、高さが2mもあるイネ科の雑草が倒れると、左側がグシャグシャに折り重なって地際から綺麗に刈れなくなってしまった。
倒れた雑草の下に刈り残しの雑草も埋もれてしまっている。
しかも葛などの茎の太い蔓草も生えていたので、シャフトに蔓が絡み付いて自由が利かず、他の職人さん達も刈払い機を目茶苦茶に振り回してい悪戦苦闘をしていた。
しかし親方のFさんだけはズンズン先に進んでいって、刈り後も綺麗だ。
倒れた雑草も一定方向に倒れている。
このことは、Fさんは規則的な動作の連続で仕事をしている、という事の証明になる。
動作に無駄が無いのだ。
職人さんのテイタラクを見かねてFさんが怒った。
「お前ぇら、ダメだ。みっともねえぞ。頭を使え!いいか、刈払い機の刃は左に回転してんだ。その回転トルクを上手く使えよ。それにこんなに背が高い草刈んのに、一発で仕上げようと思うんじゃねえ。俺のやんの見てろ!」
こう怒鳴って全員を集めてFさんの除草を見学させた。
Fさんの除草は、最初に雑草の真ん中くらいを右から左に刈り、戻りで左から右へ地際を刈っていく、という二段式除草だった。
見ていて気持ちが良い程に手際が良く、綺麗な仕上がりだ。
真似してみたが、全員Fさんの様には上手くいかない。

あれからジャングル状の荒地を除草するにつけ、Fさんの真似をしてみていたが、先日やっとそれらしきコツを掴んだ。

まず右から左に中段を除草する時には、右足を前に出した右半身に後傾気味に構え、刈払い機の刃を水平ではなく、左手首を半月(手の甲を外側に曲げる)にして左側を下げた斜めにして、上から右半身を叩き付ける様に左側に一気に除草する。
左から右に戻る時は、左手首を満月(掌を内側に曲げる)にして地際を水平だ。
この時に重要なのは、左肘を脇から離さない事と、刈払い機の刃先を正中線から外さない事だ。
これは古武術やお茶の稽古からの工夫だ。
そうするには、腰の回転が必要なのだが、それだと腰が痛くなるので、俺の場合は左右の股関節を前後にスライドさせて刃先の左右動を作っている。
子供の頃に習っていたボクシングでは、防御や攻撃によく股関節を動かして半身の入替えをするのだが、これはその応用だ。
こうすると左半身、右半身の入替えが素早く出来、股関節の動きで全身が連動して大きく身体が動いてくれるのだ。

手首を半月、満月にする、というのは、整体とお茶の稽古からの工夫と用語借用だし、古武術の師匠である甲野善紀先生の杖術や槍術でもこの手首の動きは多様されている。
右手首は、左手首を主導にして、逆に曲げれば良い。
左手首を満月にしたら、右手首は半月という具合だ。
「田んぼで学ぶ井桁術理」の処でも書いたが、やはり肉体労働には左の動きを主導にする、というのがポイントになる様だ。

この一連の動きを刈払い機の動きで見れば、刃先が左右に八の字に動いている事になる。
体感的には和船の櫓を漕いでいる感じに近い。

疲れや時間の流れを忘れて夢中になって草刈していたら、時刻は夜7時半をまわっていた。
一人だけで仕事をした場合は、いつの間にか整体の動法の稽古になってしまうのはよくある事だ。
思えばボクシング、ウィンドサーフィン、スノーボードとこれまで夢中になってきたスポーツも、上達の狭間には、「疲れも時間の流れも忘れて無我夢中になった」時を経験している。
いい感じだ。一皮剥けた感じで、なんだか嬉しい。
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by jhomonjin | 2010-07-19 00:07 | 自然農法 | Comments(0)
子供の頃から不思議に思っている事がある。
俺の実家には、猫と犬などのペットが絶えた事が無いのだけど、その疑問はペットを見ていて思いついた二つの疑問だ。

まず一つ目の疑問である。
例えば人間は身だしなみをするのに、鏡を見て確かめる。
寝癖や目ヤニがついてないか?髪型や服装のコーディネートがヘンテコかどうか?などである。
でも鏡を見て確かめて気を付けていても、他人から見たら着ている物が変だ、とか髪型が似合わない、なんて言われたりする。
ところが動物はどうだ?鏡を見て確かめていないのに、いつ見ても完璧に美しいではないか。
それに猫や犬は風呂に入らないのに、目立った汚れや不愉快な臭いもしない。寝癖だってついてないぞ。
野良の猫や犬さえ、模様はおろか睫毛やヒゲの生え方だって完璧に整っている。
今、実家にいる猫のナルー(ハワイ語で波の意味)は、雑種のさび猫の雌だ。
トラ猫や、ヨモ猫などの様には模様に統一性がまったく無く、薄茶色ベースに黒や焦げ茶の模様がランダムに混じり合っているが、それでも彼女を見ていると見飽きない位に綺麗だと思ってしまう。
模様のランダムさ加減や、色のグラデーションなんか完璧な美しさだと思う。
しかし対象が人間の女だと、髪型が似合う、似合わないだの、眉毛や鼻の形がもっとこうだったら美人なのに!なんて注文をつけたくなってしまうのは何故なのか?
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ラオスの猫
猫や犬の寝顔は、何故笑っているように見えるのだろうか?
これも子供の頃からの疑問だ。
人間の大人なら、眉間に皺を寄せている人もいるけどなあ。



俺は子供の頃から、木綿や麻のガサガサした感触の洗いざらしの青系の服が好きなので、10代後半から20代の頃は、よくブルージーンズにダンガリーシャツやシャンブレーシャツを着ていた。
高校生の頃、アイビーファッションにアウトドアテイストを取り入れたヘビー・デューティースタイルが流行っていたし、映画「グッバイ・ガール」や「ジョーズ」などで活躍していた当時のハリウッドスターのリチャード・ドレーファスをお手本にしていたつもりである。ドレーファスは、映画の中でよくこんな恰好をしていた。
何着も同じ系統の服を持っていたので、毎日着替えていても「何時も同じ服着ているな。」と友達から言われてムッとした事がある。
そういえば当時はワークブーツを履いていて、登山靴履いて学校に来たのかね?なんて聞かれた事もあったな。

動物なら生まれた時からずっと同じ模様でも誰からも文句は出ない。
しかし人間の場合は、いつも同じ系統の服を着ているだけで、他人から笑われたりバカにされたりするのは何故だ?

その答えに最近ようやく巡り合った。
整体の師匠の野口裕之先生の公開講話で、そのものズバリの答えがあった。
残念ながら整体協会は会員制なので、その答えをここで公開する訳にはいかない。
どうしても知りたい人は、会員になって野口先生の講話に参加するか、直接俺に聞いて下さいな!

さて、それと疑問はもう一つある。
動物には種類によって、それぞれ固有の色と模様を持つものが多い。
例えばライオンやトラ、トンビとカラスは誰が見ても見分ける事が出来る。
大きさや形が似ていても、色や模様が違うからだ。
ところが家畜やペットといった動物の中で、猫、犬、馬だけは色や模様にバリエーションがあるのは一体何故なのか?
家畜の中でも鶏やブタ、牛には品種別はともかく、概ね同じ色と模様を持っている。
この疑問には、これまでに周囲の物知りに聞いて周ったが、納得のいく答えに出会っていなかった。
ところが、一人だけ即答で会心の答えをしてくれた人がいる。

このブログによく登場してもらっている古武術研究家の甲野善紀先生だ。
甲野先生曰く、「猫や犬、馬は他の家畜と違って、人間の愛玩動物でしょ?交配を何度もさせて模様に多様性を持たせた事もあるだろうけど、むしろ模様に多様性を持つ事でより人間に愛されるように自ら変化していったんでしょ。」だと!
流石に物知りの先生である。そこいらの物知りとは桁が違う。大いに納得した。
ダーウィンの進化論を根底から覆す、斬新な進化論を即答するなんて、感服した。

そういえば、ヤフーのホームページに時たま特集されているペット自慢の投稿写真で、猫が座椅子にふんぞり返って座っている写真を見た事がある。
それは猫ではなく、疲れた年配のお父さんが休日にボーっとして寛ぐ姿であった。
知人の猫好きの女性(智ちゃんの事ですよう、読んでますかぁ!)にその写真を見せたら、彼女の猫も座椅子にふんぞり返って「フーッ」とため息を付くそうだ。
長年猫を飼い続けて来た我が家でも、猫が仰向けにふんぞり返って座っている姿など見た事は無い。

この事を甲野進化論で俺なりに解釈すれば、「ネズミが日本家屋にいなくなって来た現在、飼い猫の存在価値はネズミ捕りの有益動物としてではなく、より人間の愛玩性にシフトされつつある。したがって猫は人間の生活スタイルや、家屋事情の変化に合わせて、人間に愛され種の存続を図る活路を擬人化に見出してきた。」
こんな進化論はどうだろうか?
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by jhomonjin | 2010-07-11 21:04 | 生命の不思議 | Comments(0)
梅雨入り前後から、不耕起の田んぼに泥虫が大量に発生した。
泥虫とは稲の害虫である。葉っぱに米粒から小豆大の大きさの泥の粒が付いたように見える小さな芋虫で、成虫すると小さな赤い甲虫になるらしい。
泥虫とはよく名付けたもので、ちょっと見には小粒の泥が付いているようにしか見えない見事な擬態だ。
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泥虫
泥状の粒を取って見ると、中には黒っぽい芋虫がいる。
茶色に変色した部分が食害の跡。
白い蛹になっているのもある。




俺の田んぼには一切の農薬、除草剤は使用していないので、少々の食害程度なら覚悟しているので見逃す事ができるけど、一枚の葉っぱに10匹も鈴なりになって稲の葉っぱを食い荒らしているのを見て、流石に焦った。
なかには白茶色に立ち枯れている稲もある。
それに狭い範囲に五本前後の苗を密植する慣行農法の田んぼと違って、俺の不耕起の田んぼは広い範囲に苗を二本植えしているので、いくら分結して茎の数が増えているとはいえ稲株の数が少なく、余裕が無いだけに深刻な事態と成り得ないのだ。

お袋に相談したら、梅雨初期の一時的な現象で、大雨が降ると流されるので心配ないが、気になるなら稲を箒で払えば泥虫は簡単に落ちるとの事。
残念ながら今年の新潟は、入梅しても大雨がなかなか降ってくれていない。
休日に帰宅する度に田んぼで箒を振って泥虫を落としていた。
隣りの田んぼは、除草剤や農薬を使っているので、青々とした稲に成長している。
俺の田んぼは、稲株も少ないし、泥虫の食害で稲の葉先が白っぽく変色しているので、みすぼらしく見える。
食酢や木酢液を散布する事も検討したが、泰然自若としたお袋の態度を見て、経過を待つ事にした。

どうやら俺の田んぼは、泥虫からは楽園に見えるらしく、付近の田んぼから集まって来ているらしい。
これは川口由一さんや木村秋則さんといった、自然農法の先達が辿って来た初期の苦労と、同じ経験を辿っているのだろう。その意味ではちょっと嬉しいが、複雑な心持である。
泥虫は、余剰の栄養分や、これまで使い続けて来た有機肥料や除草剤、農薬の浄化をしてくれているんだ、と観念して黙々と泥虫を払い続けた。雑草も多いのも同様と、取り続けていた。
不耕起の田んぼの除草は、鋸鎌を地面の中に鎌の刃先を入れて地際から除草するのが川口由一さん式の除草だ。こうすると根っこが残るので、暫くするとまた雑草が生えてくるが、2,3回繰り返せば雑草に勢いがなくなる、という考え。
根っこを残す事で世代交代が緩やかになり、土の中で根っこが土の養分となってくれるからだ。

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現在の田んぼ
川口さん式の不耕起の田んぼでは、除草は一度に全部行なわずに、一条毎に交互に除草するので、雑草のある条と除草した条が縦縞模様となる。
雑草があると生態系が急激に変化せずに虫達の住処となってくれるからだ。要するに稲の成長が雑草の勢いに負けなければ良いのだ。


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除草鎌
三角ホーという除草用の鎌で、最近の俺のお気に入りだ。
柄が長く腰を屈めなくてすむので楽なのだ。刃先は研いで鋭くしてあるので、地際を素早く引くだけで雑草がスパスパと切れる。条間が通常よりも広い一尺五寸(45cm)もあるから出来る技である。


不思議なのは、除草剤を使っていない田んぼをどうやって虫達は見分けているのか?という事だ。
匂いなのか?それとも五感とは違った何かなのか?
それに見るからに丈夫そうな稲には泥虫が少なく、弱々しい稲に集中している事である。

有難い事に、今週は昼間は晴天続きだったが、夜半に大雨が続いてくれた。
田んぼに行ってみると、立ち枯れた稲は別にして、大部分の白茶色に枯れかけていた稲の葉先が黄緑色に甦っている。泥虫も激減した。
正しく恵みの雨だ。
隣りの田んぼのおじさんも、ここまで回復するとはビックリした、と俺の田んぼを見て唸っていた。

整体では、身体の変調が回復する事を「治る」とは言わずに「経過した」と表現する。
風邪を引いても、癌になってもこれは変わらない。
症状を問題視せずに、症状は何かの欲求表現であって、その経過を辿り症状の後ろに隠されている何かを探る事が重要なのだ、と教わる。
「症状即療法」というのは、誰の言葉だか知らないが至言だ。
整体指導者は、その導き役だ。
これと真逆なのが、熱が出たら熱を下げる工夫をする、咳が出たら咳を止める工夫をするという考え方。これは西洋医学的な発想。
整体の師匠は、「反対を与えてはいけない。要求に応えてはいけない。病気を観るのではなく、人を観るのがプロの整体指導者である。」とよく口にする。
その事は頭では分かっているつもりだ。
でも実際の現場に立つと、すぐに反対を与えたり、要求に応えようとしてしまう自分に気付いて苛立ってしまう。
肩が痛い、腰が痛い、冷え性で困る・・・こう訴えられると、症状に反対を与える事、つまり治す方策を考えてしまうのだ。

自然農法の草分けである福岡正信は、「ほったらかしと放任は違うのだ。」と何度も著書に書いている。しかし、この違いを具体的な方法論では説明してはいない様だ。
この具体的な違いについても、頭では分かっているつもりが、実際の現場に出るとどうしていいのか分からなくなってしまう。

反対を与えない事、要求に応えない事、ほったらかしと放任の違いについて、これらの事は各自が実際の現場を通して気付いていく事なのだろう。

泥虫のお陰で、得難い経験を積んだ。
木村秋則さんは、リンゴの害虫であるハマキ虫のお陰で様々な気付きが出来た、とハマキ虫ちゃんと呼び、自身によるハマキ虫の手描きのイラストをトレードマークにしているそうだ。
木村さんに較べたら小さな経験でしかないけど、泥虫の食害を経過を経験した事で、何だか一皮剥けた気がする。
整体の師匠、自然農法の先達、俺にはこれからやろうとしている事の指針となる人達がいる。
個人としてはゼロからの出発だけども、こうした灯台役の存在は心強い。
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by jhomonjin | 2010-07-10 23:25 | 自然農法 | Comments(0)
土からにょきりと突き出た、斑模様の茶色の得体の知れない植物を見て、これが何であるのかを即答出来る人は、滅多にいないだろう。
形状はタケノコに似ているが、色と模様だけ見ると爬虫類か両生類を思わせる。
正体はコンニャク芋の茎である。
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コンニャク芋の茎
もう少しで茎の先端が開いて葉っぱが広がる。
収穫は秋で、コンニャクは根っ子の芋の部分を擦り下ろして作る。
手前が大豆で、右側奥が稲苗。稲も扇型に開いて成長してきた。
稲苗を畑に定植した時は、周りの人からすぐ枯れる、と言われていたが、物は試してみるもんだ。

コンニャク芋を植えると最初は赤い芽が出て、やがてくすんだ茶色の皮に覆われ、すくすくと伸びて茎になる。
この茎が40センチ前後にまで成長すると、先端が割れて緑色の葉が開いてくるのだ。
なんだかエイリアンの誕生みたいで、このコンニャク芋からプルプルしたコンニャクが出来るとは、ちょっと信じ難い。
俺も初めてのコンニャク芋栽培なので、次にどんな展開になるのかは未知であるが、刻々と変化し続ける姿に驚きの連続だ。

同じ畝に植えたコンニャク芋とコンニャク芋の株間には、大豆を植えた。
枝豆が好物だし、豆科の植物は大気中の窒素を土壌に取込んで固定してくれるので、栽培植物の周りや間に植えると、土壌が豊かになり栽培植物の成長に貢献してくれている。
農薬や肥料を使用しない自然農法では、大豆は一石二鳥の大活躍だ。
植物自体が肥料分になってくれるので、この様な植物を緑肥と呼ぶ。
緑肥にも色々あるが、豆科ではクローバー、蓮華なども知られており、他にも麦類も米の収穫が終わった端境期の田んぼに生やしておくと、他の雑草が生える余地が無くなる抑草効果もある。
蓮華の場合は、春先に赤紫の小さな花が咲いて綺麗だし、麦類の場合は根っこが土壌に深く入る為に(種類によっては2m前後)土壌の中の硬い層である硬盤を壊し、土壌を細かく砕き柔らかくする効果がある上に、麦の収穫も出来る。

この畑は、空き地を春先に開墾した俺用の自然農法実験畑である。
他にはアマランサツ、タカ黍、モチ粟の雑穀類と、人参、大根が植えられている。
田植えで余った稲苗も畑に植えてある。水稲が畑でどれだけ生長出来るのか?
普通のコシヒカリの苗が畑で陸稲として収穫できるのか?興味が尽きない。
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アマランサス
種まきしても一月位は発芽しなかったので、諦めていたがなんとか本葉が出てくれた。
たじろぐ様な不思議な形の赤い花が咲くらしい。
収穫できたらご飯に混ぜて食いたい。

人参と大根、大豆、稲苗も畝を作らずに、雑草の合間に植えたので、知らない人が畑に入ると「あっ、そこは踏んじゃダメ!あっ、左足の右には大豆があるよ!」と俺に怒鳴られてしまう事になる。
まるで地雷原みたいで、足の踏み場に四苦八苦する人を見ては楽しんでいる。

近所の農家は、俺の畑を見て「雑草が多くて大変ですねえ」と気の毒がっているが、それでも近所からの苦情を言われない程度に除草はしてあるのだ。
本当は必要最小限の除草に留めたいのだけど、そうなると真面目な農家からみると「雑草の種が飛んできて困るし、害虫が増えて自分の畑に来るのではないか?」と心配の種になるから、エチケットとして道際などはある程度は除草する。

自然農法では地面が見える程の除草は、土壌の乾燥を招き、夏場の地温が高くなり過ぎる、として栽培植物の成長に阻害にならない程度に留めておく。
刈り取った雑草は、薄くその場に敷いておく。厚く敷いてしまうとナメクジなどの虫が繁殖して、せっかくの植物が食害を受けてしまうので、薄く敷いておく。
刈り取った雑草が沢山ある場合には、面倒でも畑の脇に除けておいて、枯れてから刈り取った場所に敷いておく。
その事で土壌に水分が保たれ、次の雑草が生えるまでの期間が長く取れる。マルチング効果だ。
また畑に栽培植物しかないと、餌を求めて来た虫の恰好の餌食となるので、雑草があるという事は虫達に多種多様な餌場を供給する事となり、結果として栽培植物の食害が最小限度に抑えられる事になる。
この多種多様な、という処が大事なのだ。
だから自然農法の畑では、少量の品種を大量に作るのではなく、多品種を少量づつ作る。
逆に一般的なプロの農家は、少品種大量生産の方が手間も掛からず儲かるとされている。
米作り専門農家はスーパーで野菜を買うし、トマト専門農家は他の野菜や米をスーパーで買っているのが現実だ。
大規模な農家ほど機械化が進んでいるので、鍬や鎌といった昔ながらの農具はほとんど使用しなくなってきている。

多品種少量生産の面白みは、前回の記事の東京の下町や、京都の町屋を歩いている時に感じる楽しさ、心の安らぎと同質である。
多様性は素晴らしい。
この事は、国家概念や一神教を持たなかったであろう、縄文時代までの日本列島人の心の在り様に通じると思うのだ。

とはいっても、俺も試行錯誤の段階なので、大きな事は言えない。
除草の時期、度合いや間隔など、まだまだ改善の余地は沢山あるし、どこを改善したら良いのかさえ、まだ解っていないレベルでしかないだろう。
整体でもよく機・度・間の事が稽古の課題になる。機とはタイミング、度とは度合い、間とは間隔の事だ。
タイミングは「今だ!」という時は既に遅いのだ。
甲野善紀先生から聞いた事だが、江戸時代の武術指南書に「今という時では既に遅い。イという間にマは過ぎ去っている。」という意味の言葉があるそうだ。
考える間もなく、絶妙のタイミングで行動に移っていないと駄目だろう。

こんな事からも、自然農法と整体の共通項を見出し、相互に高めあう事が出来るのではないかと思っている。
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by jhomonjin | 2010-07-04 11:47 | 自然農法 | Comments(0)

京都は町屋が面白いぞ。

整体の稽古で、往復800キロをバイクで京都にいってきた。
高速道路を使えば、休憩期間も入れて時間にして片道6時間だ。
俺のバイクは250CCのオフロードバイクで、すでに走行距離は8万キロのばあさんバイクとなったが、実に健気に走ってくれる。
バイク好きな人なら、この手のバイクで800キロのツーリングをする事と、延べ走行距離で8万キロになっている事に皆、びっくりする。
車でもそうだが、長く乗ったバイクは、持ち主の気持ちとバイクが感応する。
だから、そろそろ乗り換え時期かねえ、と仲間とバイク談義する時には、俺のバイクに聴こえない様に、声を潜めて仕舞う。
そんな話しばかりしていると、バイクが拗ねて調子が悪くなるし、第一にバイクが可哀相だ。
だから労る気持ちで高速巡行速度を80キロに保ち、「有難う。よく頑張ってるな。帰ったらオイル交換するかんな!」とタンクを左手で優しく撫でて走っている。

京都には、ゲストハウスという安宿が多い。
ゲストハウスは基本的に素泊まりで、ドミトリーという大部屋なら2000円前後、ひと部屋貸切なら4000円前後で宿泊可能だ。
宿泊客は外国人や、大学生が多いので、話し好きな人には良いが、あまりにも大学生ばかりだとうるさくて、俺好みの静かで居心地の良いゲストハウスは少数だ。
小うるさい規則ばかりのゲストハウスも敬遠している。
しかも今回は整体の稽古が目的で、信じられないだろうが、少数の男性だけの特訓が真夜中まであるので、宿に帰るのは朝の2時~3時となる。
翌朝は10時からの稽古なので、この3日間の京都稽古期間の平均睡眠時間は3時間から4時間前後となり、静かでゆったりと寛げる宿は必須となる。

今回の宿は、「ボーダー」というバイクと自転車旅専門の宿で、俗にいうライダーズハウスだ。
なんと素泊まり1000円で、10畳くらいの和室を自由に使わせてくれる。
梅雨時期で平日だったので、宿泊客は俺一人だ。
ボーダーの本業は、上京区の住宅街にある米屋さんである。
二条城の近くで古い町並みの中、銭湯や定食屋さん、喫茶店も近くにあるので、便利このうえ無い。

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京都の住所表示
仁丹とは、なんともレトロな住所表示である。
町内によってデザインが変わるので、歩いているだけで楽しい。
上京区と右から書かれている所を見ると、戦前からの物かも知れないが、それ程錆びていないので、デザインを変えずに戦後に作った物なのか?大事に手入れしているから戦前から残っているのか?そんな推理をする事も楽しい。

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悉皆屋さんの看板
悉皆屋(シッカイヤ)とは、死語になってしまったが、着物の何でも屋さんの事。
仕立て、染み抜き、洗い張り、染めといった着物に関する専門家である。
首都圏にも悉皆屋さんはあるが、仕立て以外は京都の悉皆屋さんに取り次ぎするだけになってきているそうだ。
京都の町屋地区を歩くと、頻繁に目にする。


ボーダーは、バイク好きの米屋の息子さんが、北海道に多いライダーズハウスにヒントを得て、離れをバイク好きの交流の場にしていたのだが、若くして癌で亡くなったのだという。
現在のオーナーはその親父さんで、息子さんの供養で宿を存続させているのだ。
親父さんはバイク乗りでは無いが、ライダー達と話す事で、息子さんを偲ぶ事を愉しみにしている。

雨の晩に到着して、翌朝起きて見たら、俺のバイクにレインカバーが掛けられていた。
息子さんの遺品だろう。
稽古から深夜、宿に戻ってみると、蚊取線香が交換されていた。
気楽に自由にさせてくれてはいるが、さり気ない気配りが嬉しい。
実に良い宿だ。
親という漢字は、木の上に立って子供の成長を見守る、という字義があるのだと、確か「三年B組金八先生」で武田鉄矢さんが言っていたぞ。
亡くなった息子さんと親父さんの関係も、その様なものだったのだろう。
きっとおおらかな良いヤツだったに違いない。

京都というと、神社仏閣や祇園、史跡巡りの観光を楽しむ人が多いと思うが、俺は早朝や深夜の町屋を見て散歩するのが好きだ。
東京では浅草に似ていて、古い屋並みが残っていて、普通の家の他に職人さんの工房兼住居や老舗のお店などが混在していて、建物にバリエーションがあるからだ。
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吹きガラス
歪んだガラスに注目!
吹きガラスとは、板ガラスを型に入れてプレスする以前の、吹いて作っていた時代のガラスである。
たかがガラスと言うなかれ。これが割れると、二度と同じガラスは入手不可能となった現在、貴重な年代物だ。
何時からこのガラスが嵌っているのかは不明だが、大事に使っているのだろう。
手摺りがうっすらと赤茶色がかっているのは、紅殻の名残だ。かっての京都の町屋は、どの家も玄関周りが赤茶色の紅殻が塗られていたのである。

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蔵の錠前
老舗の油屋さんの蔵の錠前。
レトロである。錠前も死語になってきた。知らない人、手を挙げて!






上京区だけでなく、京都市内の古い住宅街には、デザインの均質さはあっても、建物の目的にバリエーションが多い。
家の近くに八百屋も魚屋も、喫茶店、蕎麦屋、定食屋、悉皆屋、銭湯だってある。
町自体がデパートなのだ。町内で何でも揃う。
しかもお店の人も同じ町内の住人で、気心の知れた仲だから変な商売は出来ない。
近年流行りの郊外の大型店舗は迷子になる位に広いし、何故だか目的のテナントに辿りつくまでがイライラする。
チクショー!と怒りっぽくなるのは、俺だけか?
しかし京都の町屋地区なら、ノンビリと散歩しながら買い物が出来る。
疲れたらアンミツかお汁粉、コーヒーでも飲めば良い。
つまり車を持っていない人や老人には暮らし易い街である。車の入れない狭い路地が多いから、猫にも優しい街だ。
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サービスショット
猫には屋根が似合う。
カラスが猫をからかって、近くに寄って来るが、猫が飛びかろうとするとサッと飛び立って逃げていく遊びを何度もしていた。カラスが一枚上手だ。哺乳類より鳥類の方が賢い、という逆転が面白い。
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by jhomonjin | 2010-07-03 09:05 | 旅の民俗学 | Comments(0)