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21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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前回のブログに書いた、ススキの穂のお茶の作り方を教えて欲しいとの要望があったので、この際にアウトドアでの簡単な野草茶の作り方を紹介する。

俺が実際に飲んだ事のある野草茶は、ススキの穂、薄荷(ペパーミントの事。在来種の野草です)、ヨモギ、スギナ、ビワ、カラスノエンドウ、竹の葉っぱ、笹の葉っぱから作るお茶で、これらは国内ならどこでも生えているので入手し易いのだ。
特に冬でも竹や笹の葉っぱなら簡単に見つかるので、俺が最もよく飲む野草茶は笹の葉っぱ茶だ。
香ばしくて上品な味わいがする。
作っている所を見ていない人に飲ませると、本当に笹の葉だけで作ったの?とびっくりされる。
笹の中でも熊笹のお茶は、秋田マタギが雪山で飲んでいるらしい。

他にもお茶になりそうな野草がありそうなので、色々試してみてください。

さて、作り方である。
焚火をつくったら、水を容れた薬缶を火に掛ける。
薬缶にも色々な形があるが、俺が愛用しているのは昔ながらの丸い薬缶である。
これなら凸凹している焚火の上に直接おいても何所かに馴染んでくれるので安定が良いし、焚火が丸い薬缶を包むように周ってくれるので熱効率もとても良い。
西部劇に出てくる様な円筒形のパーコレーターやコーヒーポットは恰好よいけど、底が小さいので直火だと安定と熱効率が悪く、取っ手が横に付いているので熱くなって扱い難いのだ。
またこの様な問題点は、吊り下げスタンドやグリルといった用具があれば解決できるが、その分荷物が増えてしまうので、俺は使わない。

薬缶を火に掛けている間に、そこらを歩いて野草を採集するわけだが、中にはヨモギやスギナなどを雑草だからと侮って、根っこごと引っこ抜いてしまう人もいるが、これはいただけない行為だ。
根っこを引っこ抜いてしまうと次の機会に再び採集できなくなるし、これは山菜採りの時も同様のマナーである。
俺の場合は、アウトドア遊びの時には、鉈、鋸、剪定鋏、ライター、水筒、薬缶、シェラカップ(火に掛けられる万能カップで、お椀やお玉の代わりにもなるスグレモノ)、調理用ナイフ、工作用ナイフ、懐中電灯、雨具は必携品なので、剪定鋏や鎌で野草を摘んでいる。

摘んだ野草は、そのまま薬缶に入れて煎じても良いが、軽く焚火で炙ってからの方が香ばしい。
ビワの葉っぱなんかは、カラカラに天日乾燥しないと、青臭いと思う。
ススキの穂はそのままで可。
面倒くさいので、何時もは摘んだ野草を洗いもせずに焚火で炙っただけで薬缶にいれる事が多い。
分量や煎じる時間は好みだ。
ペパーミント、ヨモギ、スギナなどは煎じるもの良いが、お湯に入れて5分ほど蒸らしてから飲むと上品な味わいになる。
焚火をするだけでも愉しいが、現地採集の野草茶によって、寛ぎ方は格別となる。
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by jhomonjin | 2010-09-25 21:56 | 田舎暮らし | Comments(1)
稲刈りを半日さぼって、縄文土器の野焼きをした。
メンバーは信州美麻の遊学舎の吉田比登志さんとパートナーの精子さん、書生(?)のシン君と俺の四人。
事前に頼んでなくても、焚火の炊きつけ用の枯れた杉っ葉や薪を持参してくれたり、ダッチオーブンのパエリアと現地採集のススキの穂でお茶を作ってくれたり、と至れり尽くせりのサポートをしてくれた。
持つべものは、予想される事態を自分で判断して動いてくれる友である。有難い。
精子さん、パエリア美味かったです!

場所は姫川流域こども交流プロジェクトの基点となりつつある小滝小学校のグランドだ。
本来なら空気の乾燥して、天候も安定した十月から十一月頃に野焼きをしたかったのだが、十月上旬に糸魚川高校美術部OBによる美術展があり、そこへ出展するために無理なスケジュールになったのだ。

一般的に縄文土器を作った事のある人の大部分は、博物館などのワークショップなどでの体験だろう。
しかしその様なワークショップでは、縄文土器作りの全工程の半分程度も体験していないという事を理解していている人は、どれだけいるだろう。
ワークショップの参加者は、与えられた粘土で土器を造形をするだけで、野焼きは準備も含めて学芸員さんがやってくれるのを、振る舞いの焼き芋を頬張りながら見学するくらいしかやらないのだ。

俺の様に個人で土器を焼く人は、まず最初に粘土を買うか自家採掘して野焼きできる粘土に加工する手間がかかる。
次に野焼きをする場所と薪の確保、薪割りが必要になる。
それから土器作り、そして野焼きだ。
これら全てを個人がこなすには、まず人間関係の絆を深めて色々な情報網を持つ事が前提となる。
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薪割り
甲野先生直伝の古武術式薪割りは、重い刀を回剣する要領で右脇から斧を上げていく。
「軽い物は重く、重い物は軽く持つ」という茶道の道具扱いにも通じる動き。
この方式だと軽く斧が振る事ができ、命中率と安全性も上がる。

この違いは、お金を払ってディズニーランドで冒険ゴッコをする事と、個人が情報を集めて自己責任のもとに自分のお金と知恵、体力を使って本物の冒険をする事くらいに違うと思う。
ディズニーランドでいくらスリルを味わっても、他人に安全を委ねた予定調和の世界でしかない。
個人で冒険を味わうには、例えば砂漠をバイクで横断する場合は、ルートの情報収集と予備のガソリン、スペアタイヤなどの交換部品、食料、飲料水は全て自分で考えて準備して、運転技術は無論の事、修理技術の習得は必須となる。
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炙り焼き
縄文土器はいきなり野焼きするのではなく、時間をかけて土器の水分を飛ばしていく。
正面の土偶はシン君の作品。初めて作ったにしては上手い。センスが光る。
薬缶にはススキの穂のお茶が入っている。香ばしいぞ。

話しを縄文土器に戻すと、粘土と野焼きの場所、薪を確保できても、薪を野焼き場所に運ぶ手段の確保や薪割り用の斧や鉈の準備、そして薪割りの技術は必須だろう。
俺の場合は薪割り自体が楽しくなって、いつの間にか鉈で十丁、斧で五丁程が集まってしまった。
甲野善紀先生が考案した古武術の動きによる薪割りも、多分俺が最初に習って薪割り講座を開催したのだ、と思う。・・・現在は他でもやっているようです。
この事で、日本の刃物文化史の第一人者である関根秀樹先生にも取材を受けた。
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本焼き
本焼きは一時間前後で終了する。野焼きは風の影響をモロに受けるので、その温度変化の揺らぎが土器に映し出される。小滝小学校を背景に、奥から比登志さん、精子さん、シン君。

縄文土器を作った事がある、なんて本当は気軽に言えるもんじゃないのだ。
俺にとって、そのような問題をひとつづつ乗り越えていく過程自体が、縄文人になる修行だ。
知識や体験に厚みが出て、知恵が付いて様々な応用がきくようになるんだ、と自負している。
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by jhomonjin | 2010-09-19 22:11 | 縄文 | Comments(3)

稲刈り終了

不耕起の田んぼの稲刈りが終わった。
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ハサ木
今年は二段で済んだが、俺の子供の頃は八段にハサ木を渡した。
最上段に登ると能登半島が見えたし、うんと空気が澄んだ時には、見えないと言われている筈の佐渡も見えた。

この付近では刈り取った稲をハサ掛けして乾燥する人は大分前からいない・・・らしい。
ほとんどの人は兼業農家で後継者がいないので、田んぼ仕事はプロに委託しているからだ。
プロはコンバインで稲刈りと脱穀を同時にしてしまい、持ち帰った籾を機械乾燥するので手間の掛かるハサ掛けは必要ないのだ。
この土地にハサが建ったのは何年振りなのか分からないけど、ハサを建てて稲を掛けた。

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雲南省のハサ木
東南アジアでは、脱穀した籾を地面に広げる「地干し」をよく見かけるが、タイの博物館で読んだ小数民族の本には、雲南省のカレン族のハサが出ていた。多段式のハサ木は近代に普及した日本独自の形式と思っていたが、世の中は広い。

俺の場合は刈り取りも機械(バイインダー)では無く、手刈りだ。
刈った稲を藁でまるけて、ハサに掛ける。
まるける、とは纏めた稲束を縛る事をいうが、これは稲束に去年の藁数本を掛けてから空中で二回転ほどクルクルと廻してから藁の先端を掛けた藁に捻じ込む結束方法だ。
実に安直な縛り方だが、このままでも自然に解けるという事は無く、結束にかかる時間も一束当り僅か十秒もかからないのだ。
先人の知恵に学ぶ事は多い。

モクモクと作業するが、こういった手作業は何だか波乗りをしている時の感じに似ている。
ビリヤードをしている時の感じにもちっと近い。
意外に思うかも知れないけど、波乗りって実はすごく静かなスポーツなのだ。
もっとも人によってその感じは随分と違うようで、波乗りをしている時は頭の中にガンガンとヘビメタが流れている、なんていう奴もいる。
俺の場合は、静寂のイメージだ。
鎌で稲を刈る時のザクザクという音、手応えに時を忘れる。

コンバインで稲刈りと脱穀を同時にして、機械乾燥をするという事はどういう事なのか?
刈り取ったばかりの籾はかなり水分を持っている。触ってみると湿っているのが分かる程だ。
それを強制的に短時間で機械乾燥するので、とりあえずは籾の水分は理想的な状態に管理はされている。
流通している米のほとんどが、この方式で乾燥された米だ。

ハサ掛けの稲の場合は、籾を下にした状態で一~二週間ほど自然乾燥するので、その間に稲藁に残った滋養分が籾に伝達され米の熟成が進む、と言われている。
手間と時間をかけた分だけ、何が変わるのか?味なのか?生命エネルギーなのか?
それとも何も変わらないのか?

あなたなら、機械乾燥された米とハサ掛けの米と、どっちが食いたいか?
どっちにしても農協に出荷すれば同じ値段が付く。

日本の秋の風物詩の一つであるハサ掛けの風景は、確実に消滅に向かっている。
もしかしたら、俺が糸魚川でハサ掛けする最後の人間になるのかもしれない。

来年は古代米も作ってみたい。
今年は雑穀の畑はほんの少しだけだったが、アマランサス、モチ黍、タカキビが結構収穫できたので、来年はもっと大規模に作付けしてみたい。
こんな事でも地道に愉しんでいると、後に続く人達が出てくるのではないか?と望んでいる。
いつか日本全国どこを探してもハサ掛け風景が見つからなくなった時、糸魚川にだけ残っていれば、オランダの風車みたいなもんで、それだけで観光名所、世界遺産になる可能性もあるぞ。
来たれUターン、Iターン希望者。田んぼが君を待っているぞ!
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by jhomonjin | 2010-09-18 22:41 | 自然農法 | Comments(1)

趣味は昼寝と焚火です!

北陸地方はこの数日、雷雨続きだ。
お盆から続くプロジェクト騒ぎ、新潟での稽古会、横浜での指導者稽古会などで身体が休まる日が無かったのだが、雨で農作業が出来ないお陰で、週末は数ヶ月振りに寝て過ごした。

雨の隙間を縫って一週間振りに不耕起の田んぼを見回ったら、稲穂も先端に茶色味が増し、既に稲刈り時期になってきている。
雨の気配のする土曜の夕方、慌ててハサ木を建てる。
小学校の時に手伝って以来の仕事で、初めて一人で建てたにしては短時間に頑丈に建てられた。
揺すってもグラグラしない。
これで稲刈りの準備は完了だ。後は天気待ち。

ハサ木とは、刈り取った稲を日干す為のもので、地方によっては呼び名や形態に相当なバリエーションがある。
新潟の場合は、田んぼの中ではなく、田んぼの外に七段から八段位の多段式に横木を渡し、三段位までなら一人で稲を掛け、それ以上の場合は一人が地上から稲株を放り投げ、ハサ木に跨ったり梯子に乗ったりした人がそれを受け取りハサに掛ける、という作業をする。
ハサの上に乗るのは身の軽い子供か、男に決まっていて、俺も少年時代にこの作業を手伝っていたから、それでかなりバランス感覚が養われた気がする。
最上段は地上4m程はあるから、慎重さも身に付く。

畦際にハンの木を等間隔に植えて、ハサの柱にする地域もあるが、糸魚川の場合は長さ5m前後の丸太を地面に孔を掘り、掘っ立て式に建てて横木を渡す
ハンの木には窒素固定の作用もあるらしい。先人の知恵に感服する。
関東や信州、甲州なんかは一段式を田んぼの中でハサ木を作る。
この形態の違いを調べたら面白い事が分かってきたが、それは別の機会に譲る。

今回は久し振りに思う存分に昼寝したので、昼寝の話しをしたい。

犬や猫の寝顔は何故、笑っているように見えるのか?
子供の頃からの疑問の一つである。
人間の場合は、ポカンとした顔だったり、歳をとった人の場合は眉間に皺を寄せたりして、どう見ても楽しそうには見えなかったりする。
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タイの市場にて
無心に眠る子供の姿は微笑ましい。

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ラオスの市場にて
東南アジアの市場では、よくこんな昼寝風景に出くわす。市場で働く周りの大人達も誰彼なく子供を見守っているのだ。
硬くて冷たいタイルの床は、昼寝には向いている。

それと夢の問題だ。
俺の夢には色が付いていて、夢とは誰もそんなもんだと思っていたが、多くの人は白黒だという。
白黒の夢なんて見てみたいもんだ。
映画だって、「カサブランカ」や「ローマの休日」をカラーで観たいなんて思わない。
黒沢明も小津安次郎も白黒映画時代のほうが俺は好きだ。

東南アジアでは、犬や猫のように人間も屋外で昼寝している。
木陰に吊るしたハンモック、タイル貼りの床の上なんかで、大人も子供も快適そうに昼寝している。
水上家屋や高床式の家屋の場合は、床板に隙間があって風通しが良いのだ。
それにゴミも自然と下に落ちるので便利でもある。
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カンボジアにて
トンレサップ湖という巨大な湖の周りには、湖上にテラスを張り出したレストランが沢山ある。カエル料理、蛇料理が名物。
こういったレストランには必ずハンモックがあり、カンボジアのハンモックは椰子の繊維で作った綱で編まれた良品。東南アジアの他の国でもハンモックは売っているが、ナイロン製で蒸れるのである。
むさ苦しい毛脛を出してご満悦な日本人旅行者。

ガイドブックにはおろか、タイの地図にも載っていない南部タイの小さな孤島での昼寝体験は、これまでの人生ベスト3に入る昼寝だ。
それは海岸沿いのジャングルの中に建てられた、竹と椰子の葉っぱだけで出来た高床式の雑貨屋さんで昼寝させて貰った時の事。
島唯一の食堂兼任の雑貨屋さんは、夜は島民の社交場になる。
社交場とはいっても、タイ南部の島はイスラム教徒が多いので、酒も飲まずにコーラとビスケットなどで、店の前に作られた手製のベンチに座って静かに談笑するだけだ。
朴訥とした和やかな雰囲気だ。俺は子供達にプロレス技を掛けて遊んでもらっていた。
島民のほとんどは漁師だ。全部で50人もいないだろう。
島には電気、水道は無い。
灯りは石油ランプと蝋燭に頼っている。

この家は若い頃に漁師をして金を貯めた店のご主人が独力で建てたそうだ。
高床の下には、放し飼いの鶏が駆け回っている。さっき食ったカオパット(タイ風焼き飯)に入っていた卵の生みの親だ。
潮風が椰子の葉を揺らし、サラサラと音を立てる。時たまゴーと海鳴りが聴こえて、ユサユサと小屋を揺らす。
俺は竹で編まれた床にごろ寝する。
隣りにはこの家の3歳になる女の子も小さな寝息をたてている。
絵に描いたような南国の昼寝風景だ。
コーココッコッ、と鶏の鳴く声。ゴーッと海鳴り。サラサラと椰子の葉擦れ。
何故か急激にホームシックになって、沈むように眠りに入った。
それ以前も以後も、旅先でホームシックになった事は無いのだが、この時ばかりは糸魚川の実家にすぐさま帰りたくなった。
俺の実家は海沿いの住宅街にあるので、海鳴り以外はあの島との共通点はない。
冬の季節風が吹くと、地響きを立てて押し寄せる怒涛の振動で、家が揺れる北国の街だ。
南国にいながら、北国の冬が急に恋しくなった。
実家の居間で、誰か家族の気配のするコタツに入ってウツラウツラと、起きているのか眠っているのか判然としない夢うつつの状態になっている気分がした。
昼寝から醒めてしまってからは、そんなホームシックは忘れてしまったが、眠っている間に心は故郷に帰っていたんだなあ、と思えた。
いい昼寝だった。
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by jhomonjin | 2010-09-12 23:25 | 旅先にて | Comments(5)
整体の指導者の研修会で、五ケ月振りに上京した。
バイクで新宿に到着したのは、夜の10時くらい。
久し振りのネオンの街は、未来都市の風景で、映画「ブレードランナー」の世界そのものだ。
糸魚川にもネオン街はあるが、高層ビルビルもないし、ネオンの数も種類も桁が違う。
第一に祭りでも無いのに、夜の10時過ぎに、多くの人がゾロゾロと歩いている風景を地方都市で見る事はない。

浅草のシンタローの家にやっかいになって、研修前の二日間を落語三昧で過ごした。

落語は物心ついた子供の頃から好きなのだ。
子供の頃は落語そのものよりも、噺家さんの佇まいを観るのが好きだった。
なんだか噺家は、風呂上りのようなサッパリとした雰囲気を醸し出している。
特に襟足の涼やかさ。小ざっぱりとした雰囲気。一言で言うと小粋なのだ。
過剰ではない、清潔感、必要最小限といったキーワードが相応しい。
その雰囲気に江戸の匂いを感じた。
学生の時にアメ横の魚屋でバイトしてたのは、落語に出て来る江戸っ子に憧れて、そんな江戸の雰囲気を感じたくて、その中にどっぷりと浸かってみたかったからだ。

寄席という言葉を知らない人の為に説明をしておく。
寄席とは、落語や浪曲、講談といった江戸の和芸を専門に上演する小さな劇場の事だ。
基本的に年中無休で、昼から夕方までを昼席、夜を夜席のそれぞれ別のプログラムが上演されている。
都内には現在、新宿・池袋・上野・浅草に四つの寄席が残っている。
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浅草演芸ホール
観光客が多いので、猥雑で雑多な雰囲気でそこが魅力でもある。
シンタローの家に泊まった時には、銭湯で朝風呂に行ってから、ここに行くのが愉しみ。
俺流江戸っ子ごっこだ。

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木馬亭
落語ではなく浪曲の専門小屋。浪曲も絶滅危惧種の芸能だ。
浅草演芸ホールのすぐ近くだが、空席が目立つ。浪曲は面白いのに、その事に気付いて無い人が多いのはもったいないねえ。

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新宿末廣亭
戦後のドサクサに建てられた古い寄席で、最も江戸の匂いが濃厚。
志ん生、文楽も出た高座が今でも現役だ。
初めて寄席に行く、という人に勧めるのがここだ。

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上野鈴本演芸場
上野駅から歩いて5分。鈴本と浅草演芸場は近いので、片方の出番を終えた噺家さんが銀座線に乗って移動しているのをよく見かける。

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追出太鼓
開演三十分前には二番太鼓が叩かれる。来い来いお多福来い来いの調子で叩く。
終演後は追出太鼓。
この太鼓を叩くのは楽屋内だが、上野だけは玄関で叩いてくれるので、上手い顧客サービスだな。

寄席は昼夜とも、最初の出演者は前座さんという若手。
前座さんは修行の為に高座に出るので、前座さんの落語は料金に含まれていない、とよく自虐ネタを言ったりする。
前座さんは開演前の十五分が出番なので、前座さんの落語を聴きたい場合は開演前に寄席に入っていなければならない。
前座さんは、出演者が入れ替わる度に座布団を裏返す「高座返し」や、出演者の名前が書かれた「めくり」を変えたり、出囃子の音曲の三味線以外の笛、太鼓、鐘の演奏も仕事のうちだ。
他の出演者の着替えを手伝ったり、着物を畳んだり、お茶汲み、ネタ帖(誰がどんな題の落語をしたのかを書き留める帳面)を毛筆で付けたりなんかの楽屋内の雑多な仕事もあり、これらの全てが前座修行だ。

次が三年前後の前座修行を終えた二つ目さんの出番。
前座と違って、二つ目さんは羽織を着る事が許されている他、師匠から教わった落語にアドリブや独自の工夫をする事も許されている。
それからの出演者は、二つ目さんの上の真打と、その合間に彩りとして出演する漫才、手品、音曲などの出演者だけだ。
プログラム全体の七割くらいが終わった時が二十分ほどの「中入休憩」。
前座さんが大きな声で「おなぁかぁいりぃ~」と太鼓を叩くのが合図だ。
売店で弁当(稲荷ずし、助六寿司など。弁当にまで江戸の匂いがする)を買ったり、煙草やトイレに行くのがこのタイミングだ。
後半の最初の出番は「食付き」といって、休憩でざわつく客席を鎮める難しい役になる。
最後の出演者は「トリ」という。
昔は寄席から出る出演料をトリの噺家が纏めて受けと取り、他の出演者に分け与えていたことからトリと呼ばれるようになったそうだ。
その時代は前座、二つ目、真打といった身分と相応の実力別によって、出演料の分け前が厳密に決まっていて、その割合の事を「ワリ」という。
ワリの合わない、という言葉の語源である。
前座、真打、ネタ帖、トリ、ワリなどという江戸時代から続く寄席の符丁が、現代の日本語に普通に生きている所が面白い。

寄席は江戸の匂いで満ちている。
9・11の同時多発テロが起きた時に、「ディズニーランドのようなアメリカの匂いのする所は危険です。しかも人がたくさんいてテロに狙われる可能性が高い。そこへ行くってぇと寄席はどうですか?アメリカの匂いは微塵も無いっ。それに・・・空席の目立つ客席を見渡して・・・お席にこんなに余裕があります。こんな時には寄席で安全に過ごすに限りますっ!」と噺家は言っていた。

トリの落語が終わると「追い出しの太鼓」が叩かれる。
太鼓が鳴り始めてからトリが頭を下げている間に、観客はさっさと出て行くのがエチケットだ。
追い出しは、出て行け出て行け、早く出て行けと叩くのだそうだ。
お後が宜しいようで・・・・
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by jhomonjin | 2010-09-02 10:42 | 失われゆく風景 | Comments(2)