21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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今日、十二月二十九日で九ヶ月に渡る農業研修が終わった。
十二月は餅つきとお歳暮や正月商品の発送があるので、年間で最も忙しい時期だ。
発送担当者の帰宅は連日午前様になっている。
俺の送別会の話しは十月後半から出ていたけど、繁忙期でもあるし、俺は自分の事で人を煩わすのは嫌なので断り続けていたのだ。だから俺の葬式もいらんよ、と思っている。
猫のように、いつの間にか居なくなるのが俺の理想だ。

それでもクリスマスイブ・イブに有志による送別会、昨日は社員全員による別れの昼食会をしてもらった。
記念品として特大サイズの鏡餅と、会社のある中頸城型の平鍬が社員から贈られた。
昔から「一里違えば鍬違う」と言われただけあって、農具の中でも鍬はとりわけ多様性があるのである。
それは日本列島に地質や地形の多様性があり、それらに加えて気候による栽培植物の多様性があるから故だと思っている。道具好きな俺としては有難い贈物だ。
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鏡餅
会社で作っている特大サイズがプレゼントされた。赤のチェックリボンはバイトの女の子のアイディアらしい。鏡餅は表面がツルツルピカピカで、真ん丸い形である事が命。


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平鍬
プレゼントされた中頸城型の平鍬。柄に呪文のような文字が書かれているのは社員達の寄せ書き。
柄が長目なので俺には使い易い。




H社長からは会社で作っているギフト用餅詰合せセットのプレゼント。
S専務からは可愛い袋に入った入浴セット、MさんとKさんの女子アルバイターからはカリントウのセットのプレゼントを頂いた。
俺は子供の頃はカリントウ少年と呼ばれる位にカリントウが好きで、スーパーや旅先で見つけたカリントウは必ず買って試すのだ。
俺の一番好きなのは、松本市の「久星」というメーカーのカリントウだ。
プレゼントされたのは、掛川市の「パントーネ」という初めてのメーカー製だったが美味かった。
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餅ギフト
社長からの贈物。朝日池総合農場には各種の餅ギフトのセットがあるが白餅、豆餅、草餅、粟餅、玄米餅、ゴマ餅、紫蘇餅、ゴマ味噌餅など単品でも購入できる。
詳細はHPでチェックして下さいな。

お返しとして、俺も全員に糸魚川の地酒「加賀の井」の生酒五合瓶を贈った。
この蔵元は、新潟県内で最も古い酒蔵だ。
会社へは俺が作った注連縄を二本贈呈。直売所と餅加工所に飾って貰えるそうだ。

有難う御座いました、としか言葉は無い。
これまで意識して会社の名前はブログ上に出さなかったが、最後だからお礼として紹介しておく。
(有)朝日池総合農場という会社です。(www.asahiikefarm.co.jp/)
一般に市販されている餅は防黴剤などが使用されているようだが、朝日池の餅には一切の添加物は入っていない安心できる餅だ。作っていた俺が断言する。
何より美味いと評判も良いよ。
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by jhomonjin | 2010-12-29 22:01 | 田舎暮らし | Comments(0)
今年に入って夜半にミゾレやアラレが降った事はあったが、ついに上越地方の平野部でも初雪が降って、三日間は雪ダルマが出来る位は雪が積もっていた。
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初雪の日
去年の今頃は暑い東南アジアにいたし、十年以上も神奈川県に住んでいたので、新潟の冬の空気感が懐かしい。湿って重い雪は三日間降り続いて、今は吹き溜まりの雪が残るだけだ。これからドンドン降るよう!

初雪の日の夕方に運悪く携帯電話を屋外で落としてしまって、気が付いた時には雪に埋もれて見つからなかったのだ。
三日目に解けた雪の下から携帯が出てきたが、やっぱり壊れていて、携帯を買い換える事になった。
という訳で、十二月二十六日まで携帯が使えませんので、関係各方面はそのつもりでいて下さいな。
但し、同じメーカーなので、電話番号とメアドは変わりません。
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俺のバイク
神奈川では冬でもバイクに乗れたが、新潟では春まで車庫の中だ。新潟では車のスタッドレスタイヤを自分で交換する人が多く、タイヤ交換に慣れいる。俺ならタイヤ一本につき五分で交換可能だ。

今回に懲りて、新しい携帯は防水タイプで目立つ色にする予定だ。
百姓仕事には防水携帯電話は有難い。
おれ自身もこの九ヵ月で泥だらけの手で電話に出たり、水路に落ちて胸まで水に浸かったりという経験があったので、今まで携帯電話が壊れなかったのが不思議なくらいだ。

今までの携帯電話は黒い艶消しで渋くて気に入ってたのだが、夜に落としたので見つかり難ったのだ。
新潟では白色の携帯電話を雪の中に落として見つからなくなった、という話しをよく聞く。
百姓仕事していたら携帯を落として、緑色や茶色系統の携帯が草むらの中で見つかり難かった、とも聞く。
だから黒、緑、茶、白の携帯電話は選定外。
赤系統の色は、俺的には恥ずかしい。
俺の子供の頃の糸魚川では、男が赤い服など着ていると「女色を着とるっ!」と馬鹿にされたのだ。
それに糸魚川の男が燃える四月の「けんか祭」では、俺の生まれ育った寺町は緑色の半纏、隣りの押上は赤色の半纏なので、子供の頃から赤は敵の色として嫌っていた。
ガメラの血の色は緑だ。デビルマンの血の色も緑。
したがって俺にとって緑色は正義の色、赤は悪の色という刷り込みがあるのだ。
残る携帯電話の色は青、銀、オレンジ、黄色系統だが、防水タイプで同じメーカーの値段が安いやつ、という事で明るい青色の携帯電話に決定した。
新しい携帯電話は、方向が分かるコンパス機能や、月齢が分かる機能がついているらしい。
アウトドアで働いて遊んだりする俺には有難い機能だ。

これから農業体験をしたい人は、派手な色の防水携帯を買う事をお奨めしますわ。
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by jhomonjin | 2010-12-19 21:43 | 田舎暮らし | Comments(2)
前回は富山県小矢部市の「桜町石斧友の会」による石斧で作った丸木舟の探訪記を書いた。
前回の写真にも載せたが、彼らの作った石斧の柄に注目して欲しい。
この形式の斧の柄は、小矢部市桜町の縄文遺跡(後期四千年前~三千年前)から大量に出土しているタイプだ。
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縄文木工
桜町遺跡出土のケヤキ製の容器。厚み4ミリから7ミリという石器で作ったにしては信じられない程の薄さで、浮き彫りと漆塗りまでされている。樹の性質を知りぬいた縄文人ならではの作品だ。

以前は縄文時代の石斧の柄というと、縄文時代前期(七千年前~六千年前)の福井県鳥浜貝塚遺跡から出土した形式である野球のバット状の樹木の柄の先端部に、石斧を嵌める孔を開けて嵌め込んだ直柄(ナオエ)形式が一般的に知られていた。
この形式は今でもパプアニューギニアで使用されているらしい。
直柄式石斧の欠点は、苦労して石斧に合わせて開口した柄を作っても、柄が折れてしまったり、逆に石斧が折れたりした時には生き残った石斧と柄のどちらかも使用できなくなる、という点である。

ところがここ数年は縄文遺跡の発掘に拍車がかって様々な発見が相次いでおり、どうも縄文時代中期(五千年前~四千年前)には桜町遺跡と同じ形式の柄に進化したようであるという結論になってきたようだ。
この形式は柄の部分が樹木の枝であって、石斧を装着する部分が樹木の幹を加工して作られている。
石斧の装着は、幹で作った柄の先端部に石斧を乗せ、その側面と上側の三面を板で挟んで紐で縛って装着するようになっている膝柄(ヒザエ)形式だ。
つまり使用中に斧が折れても、柄が折れてもどちらかが再び使用できるのだ。
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石斧の柄
桜町遺跡出土品。これを考え出した人の知恵の深さに敬服する。しかもこの加工を石器でやってのけているのだから恐れ入る。俺が作っている柄もこのタイプだが、チェーンソウと鉈、ノミを使って作っている。

そしてこの柄を見ると思い出すのが、ラオス南部のメコン河に浮かぶデット島の縄文おじさんだ。
このおじさんは炭焼き、河漁師、百姓、大工、木工家、コック、食品加工といつも何か忙しく働いていて、本職は何か?と聞かれた時に答えようのない生活をしている。
自分の事は自分でやってしまう逞しくて骨太な暮らしだ。縄文人はこんな暮らしだったと思う。
俺も何でも自分でやってしまうクチだが、日本でこんなことをやっていると「器用貧乏」と批判的に言われる事が多い。
しかし縄文人を器用貧乏と呼ぶ人はいないだろうし、俺は器用貧乏と言われた時には半分は嬉しい気分になる。半分はウルセーって感じだ。
阪神大震災みたいな巨大地震がやって来て、近代社会機構が麻痺しても俺は困らんけんね。
そんな時に、俺を器用貧乏と笑った人達が頼って来たら、「こんな事も出来んのくわっ!」と海原雄山のように笑ってやる。今から楽しみにしているんだが、なかなかそんな機会はやって来ませんですなあ・・・。
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ラオスの縄文人
これが斧の柄で、先端に筒状になった鉄斧を嵌め込んで使用する。おじさんが持っているのは、乾燥中の予備の柄。因みに旅の途中にも関わらずにおじさんと同じ斧が欲しくて買ってしまった。そしてこの後3ヶ月も重い斧を持って東南アジアとインドを旅した。







話しを元に戻すと、ラオスの縄文おじさんが使っていた鉄斧は、根元が筒状になっていて、自分で作った斧の柄にソケット式に差し込むようになっていた。
この方式だと枝の反発力を利用できるので、大きな力がいらないのだ。その代わりに大形の斧を装着すると柄の重量も増すので小型の斧しか使用出来ないという欠点がある。
だから斧の使い方は、力任せに振り下ろして「割る」のではなく、正確さと速度で「切って」いく感じの斧使いだ。
縄文おじさんとは言葉が通じないので、コミュニケーションは身振りと状況判断しか無いので、何時も会うたびにおじさんの身体が濡れている理由が分からなかった。
それに一緒にいてもよくキョロキョロとメコン河を見入っている理由も分からなかったが、それはおじさんが河に仕掛けた釣り針の点検しているのだという事が分かってきた。
おじさんの漁法はシンプルだ。
ミミズをテグスに刺した仕掛けを左手で持って、右手で泳いで河の中洲に張り出した樹木の枝に取り付けてくるだけだ。
あるいは竹ざおに同じ仕掛けを取り付けて川底に沈めてくるだけだ。この場合はペットボトルを浮きにしていた。
仕掛けを取り付けた枝がしなったり、ペットボトルが沈んでいれば魚が掛かった証拠なので、いつも河の方を見ていた訳だ。
獲れた小魚は塩漬けにして発酵調味料を作る。
大きな魚はぶつ切りにしてスープにする。自分で採集した野草を具にして、小魚の発酵調味料と塩や魚醤が味付けだ。胡椒も使うが、ラオスやベトナムは胡椒がやたら美味いので、お土産にお奨めだ。
こいつをもち米を蒸かしたご飯を右手でピンポン玉サイズに丸めてからスープに付けて食うのだ。実に美味い。
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サービスショット
おじさんは普段は自家製の葉巻を吸っているが、俺が持っていたインド製のビリーという細い葉巻に興味を持ったので何本かプレゼントした。吸っているところを写真に撮ろうとしたら、下唇にビリーを挟んでポージングしてくれた。お茶目である。








おじさんは、飯を食うのも、これらの作業も全てメコン河湖畔の木陰で行なう野趣溢れる生活を実践している。だから河畔にはテーブルセットと調味料や炊事道具を入れたキャビネットが置いてある。
メコン河がおじさんの家で、生活の全てという雄大な暮らしなのだ。
疲れたらハンモックで昼寝して、知人が来たら自家製の野草茶でもてなすので、通り掛りの地元の人の喫茶店みたいな感じになっている。
俺も来年からは縄文おじさんに近い生活が出来そうだ。
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by jhomonjin | 2010-12-12 21:12 | 縄文 | Comments(0)
十五年ほど前に青森の三内丸山遺跡に行った。
団体さんに学芸員が説明しているのを横で聞いていたら、聞き捨てならない事を言っていた。
曰く「三内丸山で出土した翡翠は、新潟県糸魚川市から舟で運ばれてきた物です・・・」
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富山の縄文人
「桜町石斧友の会」の山本会長。レオナルド熊に似た容貌だが、熱血漢で親切に色々教えてくれた。帰りに小矢部名物のカブラ鮨とニシンの麹漬けをお土産に持たせてくれた。歳の離れた盟友がまたひとり出来た。縄文カヌーの前にて撮影。

鉱物は科学分析すれば概ねの産地は推測できるのだけど、なんで五千年も前の出来事なのに舟で運ばれてきたと断言できちゃうのか不思議だったので、団体さんが帰った後にその事を学芸員に質問してみた。
学芸員の話では、新潟県以北の縄文遺跡では翡翠の出土が山形と秋田が極端に少なく、三内丸山を中心とした青森で急激に増えるので、翡翠は糸魚川から舟でダイレクトに運ばれてきたと推測できるのだという。
俺はそれまで、糸魚川の翡翠が村から村へと陸路から少しづつ青森まで運ばれていたのだとばかり思っていた。
海育ちの俺としては血が騒ぐ話しだ。俺はウインドサーフィン、ヨット、カヌー、ダイビングなどのマリンスポーツが趣味だ。猛然とファイトが湧いてきた。
この時に何時か糸魚川に帰郷したら、縄文カヌーを作って三内丸山まで行くのだと決意した。
その時がついにやってきたのだ。
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石器
桜町石斧友の会で作った石器で、上が斧で下が鐇。柄は樫のようだ。樹の幹と枝を使った斧の柄が出土しており、そのレプリカだが、出土品の実物はヤマツバキが使用されている。

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鐇のアップ
鐇はチョウナと読む。木の表面を削ったり、内側を削ったりする時に使用する。石器は機械で切断と研磨をしたとの事。
因みに俺は機械は使わずに全て手作業をしている。

まずは石器作りと平行して情報収集である。
糸魚川から青森まで600キロある。
港や商店の無い時代にカヌ-でそれだけの距離を航海するには、食料や陸揚げ時に必要なコロ丸太最低二本は必要になる。
現在日本で出土した最大の縄文カヌー推定全長は8mだ。
縄文カヌーは各地でレプリカが作られているが、すべてモノハル(一本の胴体)のカヌーで、櫂で漕ぐ形式だ。
出土品は破損が激しい為にカヌーの完成時の形状が不明なので、帆走可能なカヌーだったかどうかは不明だから、無難な線でモノハルの手漕ぎカヌーに再現しているらしい。
ハワイのアウトリガーという腕木がついた海洋カヌーなら、全長7mで4人乗りだから、全長8mのカヌーなら乗組員は4人位が妥当だろう。
もしモノハルの8mの手漕ぎカヌーで600キロを航海するとなると、航海日数は2週間前後は必要だろう。この2週間という根拠は後述する。
しかし果たして8mのカヌーに4名が2週間航海するだけの食料と資材が積み込めるのか?それに交易に必要な翡翠も積まなくてはならない。
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縄文カヌー
船名は「さくら丸」全長7mの4人乗りで船体は杉製。図面無しで現場あわせで作ったそうだ。木工やカヌーの知識が無い、と言っていたがよく出来ている。山本会長の人徳ゆえに、良い仲間が集まった結果だろう。

縄文時代には、伊豆沖約50キロにある神津島で産出する黒曜石が関東の縄文遺跡から出土している。
式根島は伊豆からは近くに見えるが、手前には幅100キロ、平均流速5キロで北上する黒潮が流れている。
この海峡を手漕ぎで横断可能なのだろうか?
俺は帆走していた可能性は充分にあると思っている。
またモノハルでは積載量と安定性に限界があるので、モノハルのカヌーを横に繋いでカタマラン(二本胴の舟)にしていた可能性もあるだろう、と思っている。双子舟という言葉も残っているし、日本書紀には枯野とか軽野という快速舟の記述があり、これはカヌーのことではないか?という説だってある。
考古学的にはモノハルの手漕ぎ舟しか断言できないのだが、江戸時代に発達した北前船だって実物は現存していないのだ。カタマランの帆走舟だって可能性としては考慮するべきだろう。

情報収集していくうちに、富山の小矢部市の「桜町石斧友の会」という市民グループが3年前に石斧で縄文カヌーを作って、小矢部から糸魚川に来たという事が分かった。
小矢部の縄文遺跡からも糸魚川の翡翠が出土しており、市民の有志が110キロの航海を二泊三日で成功させたのだ。
この時は100m程の沿岸を2~4キロ毎に乗組員が交代していくリレー方式で、初めてカヌーを漕ぐ人も多かったようだ。平均時速は3キロ前後だったようだ。
そのメンバーで110キロを二泊三日なら、漕ぎなれた体力のあるメンバーなら2週間あれば可能だろう。
帆走なら沖に出て、千島海流に乗ればもっと早いはずだ。
で、早速に石器友の会の会長に会いに行ってきた。(続く)
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by jhomonjin | 2010-12-05 21:26 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)