21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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月末恒例の整体協会主催の京都稽古会の前日に、福井県にある若狭三方縄文博物館に寄ってきた。
ここには前期(七千年前)の鳥浜貝塚から出土した石斧の柄と丸木舟の実物と、そのレプリカがあるのである。

糸魚川の長者ケ原遺跡は週に一度は石斧の実物を観察しに行っているが、今年に入ってからは長岡市にある馬高縄文館に次いで、二箇所目の丸木舟探訪である。
何だか大願成就の為の巡礼をしているようだ。

富山に入ってから大雪の北陸自動車道でスピンして危うく大事故になりかけたが、早朝だったおかげで後続車も無く助かった。
俺の愛車は軽トラックなので、四輪駆動車といえどもケツが軽くて雪道には弱いのだ。
若狭ICを降りてからも雪は激しくなるばかりで、地元の車もあちこちでスピンしたり制御不能になって対向車線に滑ってきたりと大騒ぎだ。
ホームセンターを見つけて、セメント用の砂袋20キロ入りを四袋買った。
ケツを振らないように荷台の後ろで重しにするのだ。
除雪が間に合っていない道ではかなり滑っていたので、これで気持ちが大分楽になる。

博物館に到着すると、予め主旨を電話していたので学芸員の小島さんが事務所に入れてくれて色々と質問に答えてくれた。
小島さんは昼食を挟んで三時間近くも相手をさせてしまって申し訳なかったが、素人の質問に嫌な顔ひとつせずに懇切丁寧な対応をして頂けた。
小島さんにブログに出したいからと写真撮影の協力を頼んだら「是非とも宣伝して下さいね!」と快く許可をして頂く。
俺の「ハイ、しぜぇ~んに笑って下さい!」という無理な注文にニカッと笑ってポーズを取ってくれた。
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小島さん
艇庫を案内してくれた。指差しているのがレプリカ丸木舟で、上に積まれているのがFRP製丸木舟。
レプリカ作成もこの艇庫で行い、すぐ裏の三方五湖で進水式を行なうという羨ましい環境だ。

役人らしからぬ、シャレの解る青年だ。
気持ちの良い青年だったので俺の姪・・・美人の適齢期である・・・の婿にどうか?と思ってそれとなく聞いてみたら、既に結婚しているらしい。残念である。
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出土丸木舟
館内には実物が三隻あるが、すべて湖水域用の底の浅い丸木舟だ。これでは青森までの八百キロの遠洋航海は無理だろうが、色々と参考になった。マリンスポーツのSUPのように漕いでいたのでは?と閃いた。

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レプリカ丸木舟
黒い部分は焼いてある部分。ここまで浅いと、座るより立った方がバランスが取り易いのではないだろうか?





この博物館は、町立にも関わらず施設が立派だが、それ以上に行政の熱意が立派だ。
縄文祭りの開催や、丸木舟のレプリカ作り、出土丸木舟をモデルにしたFRPのカヌーなど何隻も持っていて、市民や観光客への縄文文化に親しむ仕掛け作りに積極的なのである。
博物館の友の会の活動も活発のようだ。
糸魚川の場合は、国指定縄文遺跡が二箇所もあるのに、博物館には学芸員が不在だし、市民グループの活動も遺跡公園の草刈ボランティアくらいしか活動をしていないので、羨ましい限りだ。

立地も若狭湾の陸封湖である三方五湖に面していて、風光明媚な野鳥の宝庫としても著明だそうだ。
それにここの丸木舟のレプリカは、近代工具を一切使用せずに全部石器だけで作られているのも特筆すべきだろう。
別れ際に資料や丸木舟製作時の記録DVDなどプレゼントして頂けた。

三方縄文博物館を後にしてから、近くの県立若狭歴史民俗資料館に行く。
ここにも実物の丸木舟が展示されているのである。
予めの電話連絡はしていなかったが、窓口で質問をすると奥から縄文コーナー担当者を呼んで来てくれた。
意外にも担当者は美人な学芸員さんであったので思わず緊張する・・・俺は相手が美人だと恥ずかしがり屋さんになるのだ・・・
ここでも丁寧な説明をして頂けたが、小島さんと同じく出土丸木舟の前での写真撮影を頼んだら恥ずかしがって撮らせて貰えなかった。
美人にして奥ゆかしいのである。
名刺は頂いているのだが、名前出しは気の毒なので「美人考古学者のAさん」という事にしておく。
これでは余計恥ずかしいかのう?


今回の探訪で、色々な発見や新たな疑問が湧いてきた。
まず、鳥浜貝塚出土の丸木舟の形状だ。
ここの丸木舟は全長6m×全幅63cm×高さ(舷側部の最高値)21cmで、舟としては浅すぎるのである。
この様な形状を船底にして、その上に板材を継ぎ足していく造船方法なら古墳時代から続く和船の伝統的な「ムダマ造り」や「ハギブネ」だが、出土品には板材を継ぎ足した形跡も無い。
波の無い湖水域専用の丸木舟にしても、高さが21cmで喫水線をその半分とすると、水面から船べりまで10cmくらいしかないことになって、これではちょっとした揺れで浸水するだろう。

しかし実物を観て閃いた。
十年ほど前から流行り出したマリンスポーツのスタンディング・パドル・ボードに似ているのだ。
頭文字をとってSUPと呼ばれている。
これは全長3m前後の専用サーフボードの上に立って、パドルで漕いで乗るマリンスポーツである。
この遊びは、慣れないとグラグラして安定性が無いのだが、熟練すれば波乗りも可能で、ハワイなどでは外洋レースも行なわれているらしい。
サーフボードの様にうつ伏せになって手で漕ぐよりは楽だし、またはカヌーのように座って漕ぐよりは見通しが利く上に持運びや収納に困らず安価なので、技術次第で多くの可能性が秘められた遊びなのだ。
信じがたい事に、数年前にはデューク金子という人が、伊豆大島から葉山までの65キロをSUPで8時間弱で漕ぎ渡っている。

その事を小島さんに伝えると、出土品に長さ1,7mの櫂(パドル)があって、座って漕ぐにしては長すぎると疑問に思っていたそうだ。
丸木舟に立って、三方湖を縦横無尽に漕ぎ行く縄文人がいたのかも知れない。
湖でも大風でウネリが生まれる事があるから、ひょっとして偶然にでも波に乗れたりしたら史上初のサーファーは若狭の縄文人ってことになる?
後日、長野県の「野尻湖ナウマン象博物館」に見学に行ったら、似たような喫水の浅い丸木舟が展示してあって、こちらは平安時代の出土品らしい。
記録に残っていないだけで、かってはSUPのように立って漕ぐ丸木舟が日本にはあったのかもしれない。

それと出土品とレプリカの際立った違いだ。
レプリカは首都大学の学生が作ったらしいが、DVDを観る限りは学生達はなかなか上手に石器を使っている。
特に女子学生達の石斧使いが見事で、キビキビと腰の決まった小気味の良い動きをみせている。
日頃から石器を使って実験をしているのか、実にどうも素人離れした動きなのだ。

しかし俺はレプリカと実物に大きな違いがある事に気付いた。
それは船首と船尾の杉丸太を斜めに削った部分で顕著で、出土品は木目が浮き出る程に滑らかな仕上げであるのに対し、レプリカはササクレが酷いのだ。
鉄の斧は切る感じだけども、石器の場合は千切っていく感じなのだと経験者から聞いている。
そして、石器で削った痕はどうしても表面はガサガサに荒れるらしい。
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出土品船首
表面には木目が綺麗に浮かび上がっている。材木は経年劣化で表面の柔らかい部分が減って木目が浮き出る事があるが、出土品は七千年も泥の中に埋っていたし、自然劣化にしては内側と外側も綺麗に木目が出ているので、磨き仕上げの可能性はあると思う。

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レプリカ船首
ガサガサに表面が荒れている。当時との技術の差もあるだろうが、最終工程で船体を焼いた後に萱束などを束ねた束子か、大きな砂岩などで焼け焦げた表面を削れば出土品のようにならないか?と考えている。

どこの遺跡でも出土した丸木舟の表面には焦げた痕があり、これは以下の理由が挙げられている。
①丸太を焦がして木質を脆くする事で、石器で削りやすくする為
②石器で削られてガサガサになった船体を焼く事で、表面のケバケバを無くして表面を締める為
③船体表面を焼く事で、表面の木質を緻密にして舟虫などの防虫効果とする為
しかし、①に関しては木工に詳しい人間なら否定的だ。
何故なら生木の段階で表面を焼いたりすると、表面と奥の含水率に極端な差が出て、ひび割れの原因となるからだ。

現代の木工技術にも材木を焼く仕上げ方法がある。
ちょっと古いが、春日八郎の「お富さん」というナツメロの歌詞に出てくる「粋な黒塀 見越しの松に・・・」の黒塀がそれだ。
黒塀とは板材の表面を焼いて黒くした塀だ。
材木を焼いただけなら黒いままだが、さらに「ウズクリ」という一種の束子で表面を擦ると、焼けた黒い部分が削れて木目が綺麗に浮き出てくるのである。
俺は出土品の表面に浮き出た木目を見て、②の技法に加えて何かで擦って表面を滑らかにする磨き仕上げの工程があったのではないか?と感じた。
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長大な櫂
若狭県立歴史民俗資料館に展示されていた長大な櫂だが、展示ではその横に小型の櫂が並べられており、製作工程を現しているという説明がされている。しかし大きさや形状が違いすぎるので、まったく別な櫂だろう。
問題は一般的な櫂は全長1.4m前後であるに対して、この長大な櫂は全長2mを越えている事だ。練り櫂にしては羽の部分が大きすぎる。
形状と大きさから考察すると舵櫂に似ているが、手漕ぎの舟に舵櫂が必要だとすると、左右二列に漕ぐようなかなり大きな舟だろう。
アフリカではこのタイプのボートがあって、全長8m×全幅2m程の大形ボートをこのようにして漕いでいる。
西洋のカッターは左右に並んだ乗組員は後ろ向きにオールを漕ぎ、艫に舵取りが船尾中央に付けた舵を操るのに対し、アフリカの大形ボートは乗組員が前向きで櫂を漕ぎ、艫に立った舵取りが右舷に付けた舵櫂を操るのである。
縄文時代には丸木を刳り抜いたカヌーしか無いので、左右に並んで漕げるような船腹の広いカヌーは無かった筈だが、双胴カヌーなら可能性はある。

ポリネシア型の外洋航海用双胴船は大きな舵櫂が船尾中央に紐で括り付けてあるし、沖縄のサバニという小型漁船なら、帆走時は櫂を紐に通して固定して、舵としても使用する。
しかしこの二つは帆走船だ。
ひょっとすると帆走船の船尾につける舵櫂かもしれない。
西洋では舟の船尾中央に舵が付くようになるのは、14世紀以降だ。
それまでは船尾右舷に櫂のような舵を付けていたのである。
又は船尾の両舷側に舵櫂を装備して、風下側だけを海に落として使用する様式だ。
このタイプの舟は、いまでもオランダの湖水域などで使用されているらしい。
尤もこの場合は舵としてではなく、横流れ防止のスタビライザーとしての機能を持たせている。
海上交通では国際的に右側通行なのは、舵が右舷に装備されていたので右舷を庇う為と、左よりも右に舵が利く故の当時の名残である。
英語で舟の右舷はスター・ボード・サイドと呼ぶのは、ステアリング・ボード・サイドが訛ったのだという説がある。
だから接岸する時には必然的に出っ張りの無い左舷側という事になる。
英語で左舷はポート・サイドと呼ぶのはその為だ。
現在の飛行機も出入り口が左側にあるのは、港へ接岸するのは左舷側、つまり乗客の出入りは左側という14世紀以前の名残・・・だと俺は睨んでいる。
帆走船の出現は弥生~古墳時代以降というのが定説なのだが、縄文時代にも帆走カヌーがあった可能性だって否定できないと思うのだ。
ひょっとしたらひょっとするぞ!
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by jhomonjin | 2011-01-31 22:53 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(2)
新潟で一番読まれている新聞は新潟日報という地方新聞だ。
除雪のバイトで実家に帰ると、お袋が新潟日報の投書欄に土田孝雄先生の投稿があって、どうも俺の事を書いているらしいと教えてくれた。
土田孝雄先生とは、地元では有名な郷土史家で縄文や翡翠関連の多数の著作がある偉い学者だ。

投稿の内容は、「年頭に若者・・・俺の事だ。相手によってはまだ若者といって貰えるのである・・・がある企画書を持って訪ねて来た。企画の内容は糸魚川産の蛇紋岩で石器を作って、その石器で丸木舟を作る。そして丸木舟で海洋訓練をした上で、五年目には青森の三内丸山遺跡まで八百キロの航海をするという綿密な計画に基づいた壮大な内容であった。若者は石器作りや丸木舟作り、海洋訓練を市民に参加させる事で、五千年前に翡翠を三内丸山まで運んでいた糸魚川の縄文人にその英知と勇気を学び、地域の活性化と郷土愛の育成をしたいのだという。その心意気に私は元気をもらい、老骨に鞭打って協力を惜しまない・・・」といった内容だった。

偉い先生に褒められて嬉しかったが、表沙汰になった事でもう後戻り出来ない立場になってしまった。かなりなプレッシャーだ。
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丸木舟
1/500を杉の枝を削って作ってみた。奥が考古学的に問題の無い鰹節型の丸木舟だが、安定性が悪そうなのでアウトリガーを付けてみた。手前は沖縄の小型漁船サバニ型丸木舟。こっちのほうが凌波性と安定性は良いだろうが、最初に作るのは鰹節型だ。

俺は正月から九日間かかってこの企画書を作って、すでに県会議員、市長、市の財政企画課、文化財保護課、観光課などの行政方面や、土田先生のような民間の有識者(あまり好きな言葉ではないがね!)など関係各方面に協力の要請をして周っている。
このブログに度々登場する和光大学の縄文人、関根秀樹先生からも協力する旨のメールを頂いた。

1、石器を作って、その石器で杉を伐採して、丸木舟を作る。
2、丸木舟の海洋訓練を重ねて、年度毎に航海目標を定めて五年度には青森まで航海する。
3、石器作りや丸木舟乗船の体験学習会を開催していく
4、以上の事を実現する組織として「糸魚川縄文カヌークラブ」を結成する。
5、これらの計画を「日本海縄文カヌープロジェクト」と名付ける。
箇条書きするとたったこれだけだが、企画書はA4サイズに十五枚に渡ってびっしりと書いた。

この計画は、十五年程前に三内丸山遺跡に行った時から温めていた企画だ。
十五年分の想いが籠められているので、十五枚の企画書では書き足りないくらいだったが、それでも読む人の苦労を考えてかなり削ったのだ。
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実験中
生木から丸木舟を作った時の乾燥収縮率の調査。一般的な木工は材木を乾燥させてから加工に入るが、石器だと生木の内でないと削れないのである。こんな周到な調査を俺もやる時にゃやるのだ。

新潟の県職員は「行きたく無い三途の川」といって、新潟県最西端の糸魚川市、最東端の津川市、佐渡の相川にある三ヵ所の事務所への転勤を嫌がるのだそうだ。
この三ヵ所には県の端っこであるという他に川の字が付くからそう呼ばれているらしい。

彼らにしてみれば県庁で定年を迎える事がステイタスなので、視線は常に県庁所在地である新潟市に向けられている。
新潟市から見れば糸魚川は富山と長野の県境にあるドン詰りの街だ。
糸魚川の若者も、糸魚川には遊ぶ所も仕事も無いといって都会に出たがる人も多い。
それでも故郷への想いは強い人が多くて、ある後輩はお嫁に行く時の条件として、盆と正月だけは実家に帰して貰う事を約束させて他県に嫁いだ女の子もいる。
都会に就職して家を持っていても、帰郷した時には「今は大阪へ旅に出ている」なんて言い方をする人も多い。
身は都会に在っても、心は糸魚川にあるらしい。
俺は跡継ぎなので、何時か帰郷する事にしてそれまでは好きな事をしていくけんね、とずっと故郷を離れていたし、子供の頃は「長男じゃなかったら、冒険家になって世界の果てを探検したい」という夢を持っていた。
故郷の事は好きだったけど、土地に縛られる運命に恨めしさも感じていた。
糸魚川には俺の好きな名画座も寄席も無い。
だから今の内に遊ばなきゃ、と都会生活を満喫していたのである。

ところが、三内丸山遺跡から出土した翡翠は、五千年前に糸魚川の縄文人が丸木舟に乗って三内丸山まで運んで来たと推測されていると学芸員さんから聞いた時から、俺の故郷に対する想いは俄然変わった。

糸魚川の縄文人は海洋航海民族だったのである。俺の浜っこの血が騒いだ。
糸魚川の縄文人とは、縄文時代の糸魚川人の事であって、つまりは俺達の先祖だ。
ご先祖様は青森まで特産品の商売に行っていた「潮っ気」のある船乗りだったのだ。
海の男だ。カッチョいいではないか!

糸魚川産の翡翠は、北は北海道の礼文島から、南は沖縄本島の糸満市の縄文遺跡まで広く出土している。
古墳時代には出雲、更に最西端は南朝鮮の遺跡からも出土している。
流石にこんな遠くにまで糸魚川から直接的に翡翠が運ばれていたとは思わないが、現在は新潟県の西の外れと県職員から嫌がられる糸魚川市でも、大昔は世界に広がる海の玄関口だったんだ!という発見があったのだ。
裏日本ではなくて表日本であり、県庁所在地から離れた僻地ではなくて文化発信の港町だったのだ。
ちょっと強引だが、今で言えば横浜や神戸、ニューヨークやリバプールみたいな港町だ。
それに天皇家の三種の神器の一つ、「やさかにの勾玉」は糸魚川の翡翠だとする説もあるぞ。
海は世界に繋がる玄関口だ。糸魚川は世界に開かれている!
俺の好きなイギリスの船乗りの格言
「陸の人間にとって海とは地の果てであるが、船乗りにとって海とは世界の始まりである。」
どうだ?これが潮っ気というもんだ。カッチョいいだろ!?

キーワードは「世界に開かれた海」と「海を渡る舟」の二つだ。
ご先祖の気宇壮大な文化遺産と、この二つをキーワードにして、ひとつ地域振興とやらをやっちゃるけん、と帰郷した時の愉しみを見つけたのだ。

糸魚川に越して来た転勤族でも、中にはそのまま定住する変わり者もいる。
登山、スキーやスノボ、海と山の釣り、山菜採りといったアウトドア愛好者や鉱物学、民俗学や考古学愛好者達だ。
これらの好きな人には糸魚川はパラダイスらしい。

北アルプスを縦走して、標高二千mから一気に登山道を駆け下りて親不知の海で海水浴できる環境は、世界的にも珍しいらしい。
因みにこの登山道は、親父の友人で、やはり転勤族から糸魚川に定住した小野健さんという名物男が切り開いた「栂海新道」という登山道だ。
糸魚川は海と山の遊びが出来る日本列島の西側の街だから、今度から糸魚川を「日本のウエストコースト」と呼ぼう!
土田先生も若い頃に糸魚川の高校に赴任してきた社会科教師だったのが、糸魚川の民俗学的、考古学的な地域特性に魅せられて定住した一人だ。

糸魚川には遊ぶ所が無い、という奴に石器作りと丸木舟遊び(マリンスポーツだよこれは)をやらせて、糸魚川の魅力を知って貰わんといけん。
糸魚川は面白っしぇい街だと、県職員にも知って貰わんといけんぜ。

ここまで来て途中で挫折したら、俺は笑い者になる。
だからひとりでも青森まで行ってやる決意だ。

問題は山ほどあるが、まずは仲間作りが先決だ。
これを読んでいる上越方面の人、糸魚川の人、一緒にやりませんか?
石器作り、丸木舟作り、丸木舟の漕ぎ手、パソコンに精通してホームページが作れる人、得意な分野で活躍して欲しいです。
カヌーに様々な夢を乗せて、いざ青森へ!
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サービスショット
除雪のバイトをしている平岩地区の景色。市街地から三十分ほどの長野との県境にある部落。新潟の冬でも時にはこんな清々しい姿を見せる。
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by jhomonjin | 2011-01-24 00:27 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(3)
前から欲しかったスピードコントローラーを買った。
茅切鋏でお世話になった丸半金物さんのネットショップをみていたら、定価の半額で売っていたので注文したのだ。
スピードコントローラーとは電動工具の回転スピードを調節する為の変圧器だ。
脆い材質を加工したり、精度の高い仕事にする場合には工具の回転を落とすと上手くいくのだ。
ちょっと前までホームセンターにも売っていたのだけど、最近は見なくなったのでチャンスがあったら即刻買いだな、と思っていた処だ。

お金を振り込んだらすぐに送られてきたが、注文品の他に出刃包丁が入っていた。
電話して確認したら在庫品をサービスしてくれたとの事だ。
「青光」というタガネで切った銘の薄手の出刃包丁で、吉田さんから貰った桶職人の道具に続いて刃物のお年玉の追加だ。
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お年玉
スピードコントローラーと頂いた出刃包丁。「研ぎが出来る人には古い物で悪いけど在庫品を差し上げているんですよ。」と気前の良い事を丸半の社長は言っていた。道具好きは道具好きを知るんですなあ。有難うございます!

因みに「タガネで書いた銘」と書かずに、「タガネで切った銘」と書くところが、この書き手が刃物に関して只者ではないと気付いて欲しいのだが、気付いた人はいますかぁ?
首都圏の皆さん、刃物や建築関係の道具は是非とも大田区の丸半金物さんに相談してみて下さい。

旧正月前後の新潟は大雪になった。
年明けから糸魚川山間部の除雪のバイトをしているが、山間部は屋根に積もった雪は1mを楽に越えている。ツララの長さも2m超えはザラだ。
いくら除雪してもきりが無いくらいに降り続くので、バイト時間が延長になって十五日の「竹のからかい」が見物出来なくなってしまった。
「竹のからかい」とは市内の青海町の塞ノ神だが、国指定民俗重要無形文化財になっている。
顔に隈取した若い衆が、二本の竹を重ねて綱引きみたいな事をやる神事なのだ。
新潟県には国指定民俗重要無形文化財が十一あって、その内の三つまでが糸魚川に集中していることから、ある郷土史家は糸魚川の事を「神遊びの里」と表現している。
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塞ノ神
俺が除雪している大所という山間地区でもこじんまりと塞ノ神をやっていた。子供が五人位いたが、小規模でも子供達に年中行事を伝承していきたい、という温かくて切実な気持ちが伝ってくる塞ノ神だった。ガンバレよう!

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除雪機
海辺の市街地でさえこの雪である。これはドーザという除雪機で、道路の雪を削って脇に寄せていく。俺も運転手の横で後方確認する助手のバイトをしている。


市街地の俺の実家周辺でも除雪車が走り回っていて、俺も実家の玄関と車庫まわりの除雪に追われた。
去年も同じだったようだが、去年の今頃は南インドで今でも現役で貨物船として就航している伝統的な大形帆船の造船所探しをしていたので、こんな風景を見るのも、自分で除雪するのも二十年以上振りだ。
俺の実家は海辺の強い風が吹く場所なので糸魚川市内でも雪が少ないほうだが、それでも子供の頃は冬の間は車庫から車が出せない位に雪が積もっていたし、一度だけ二階から出入りする程の大雪になった事もあった。
その時は向かいの家までのトンネルを掘ったくらいだった。
やっぱり雪景色は良いもんだが、若手のいない家では大変だ。
除雪しても次々と雪が降るので、風情があるなんていってられないのだ。
姉貴は隣りの上越市にある高田という「平地にある都市では世界一」という豪雪地帯に住んでいるが、高田では「雪かき」と言わずに「雪掘り」と言う程の雪が積もる。それでも温暖化の影響か、今はそれ程でも無い。
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雁木
雁木(ガンギ)は昔からある雪国のアーケードだ。俺の子供の頃は道路の雪が軒の高さまであったので、冬に街中を歩く時は雁木の中を歩くしかなかったが、今や雁木もアーケードに変わりつつある。「謙信」は市内に五つある酒蔵の一つで、老舗には昔の雁木が残っている事が多い。

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雁木の中
雁木は前にある家が作る物なので、基本的に商店街などの賑やかな通りに限られる。客寄せの他に通行人へのお互い様という思いやりだ。しかし作るのも保守するにも金がかかるから、無くなっていく運命だ。

除雪のコツは、「腕を短く使う」事だ。
スコップでもスノーダンプでも、腕の生力に頼っていたら直ぐにばてるので、腕の力をなるべく使わない動法が必要だ。
いい稽古になるから、整体と古武術関係者は寒稽古にいらっしゃい。
山間地の老人世帯に除雪ボランティアに行こうぜ!
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サービスショット
雁木は日本の雪国の風物詩と思っていたら、北部タイのプレーという地方都市で雁木そっくりのものがあった。東南アジアでもここでしか見た事が無いが、雪が降る訳でも無さそうだし、スコール対策をした古い屋並が残っているだけなのだろうか?誰か知っている人教えて下さい。
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by jhomonjin | 2011-01-15 19:41 | 失われゆく風景 | Comments(3)

ジャマイカンな正月

弟;「あんちゃん、一年は十二ヶ月だよねぇ?」
兄;「何でぇ?」
弟;「だって一月、二月、三月・・・・十一月、十二月、ほら十二ケ月だよ!」
兄;「バカァ、お正月が抜けてるから十三ケ月だぁ」
父;「おめえら、兄弟揃ってバカだなあ。お盆が抜けてらぁ」
母;「やっぱりウチの人は偉いねぇ!」

これはドリフがよくやっていたギャクだけど、本来は落語でバカの家族が主人公の噺の枕だ。
書いた後で今回のテーマと関係無い事に気が付いたが、まあ正月ボケが抜けてないのだと許してやってくれい。

正月三日は晴れたので、車庫で吉田さんから貰った桶職人の道具を使って臼を作っていた。
軽トラの荷台が作業台だ。
臼は小型の鼓型で、この形の臼は室町時代までは日本でも一般的だったが、東南アジアやアフリカなどで今でも現役だ。
アフリカの臼といっても餅を搗くための臼では無く、雑穀を精白したりする時に使うのである。
もしかしたらフレーク状の主食であるクスクスは、原料となるキャッサバ(芋の一種)をこんな臼で粉砕するのかもしれないが、アフリカ行った事はないので想像だけだ。
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バンデル星人みたいな頭でっかちに見えるけど、広角レンズのせいだ。本物はもっとスマート。ケヤキは乾燥前に加工を終えないと手に負えなくなる堅い木だ。そこが面白くて好きな樹の一つだ。

何で鼓形なのかというと、諸説あるが軽量化と持ち易さといった移動時の便利さが第一だろう。
これを観た知人は「アフリカのジャンベ(太鼓)みたい」と言っていたが、確かに似ている。
ジャンベのルーツは臼に革を張ったのが最初かな?
俺の臼は上下どちらも使用可能で、片面は雑穀の精白と、片面は縄文土器の粘土の粉砕用だ。

俺の実家は糸魚川市街地なので、人通りが結構あって駐車場でこんな事をやっていると通行人から「何やってんですか?」とよく聞かれる。
秋に雑穀を精白している時なんかは、子供から大人まで随分と声を掛けてきた。糸魚川人は愛想が良いのだ。
この時は陽気な黒人カップルが声を掛けてきた。
日本語は全然駄目だが、ジャマイカからやってきたマービンとキャンディーという名前の英語教師で、近所に住んでいるらしい。
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ジャマイカン
手に持っているのは俺の作った民族楽器。何故か糸魚川では白人ならガイジン、黒人ならコクジンと呼び分ける。東南アジア系の人ならフィリピン人と一括するね。老人はフィリピンではなくてフィリッピンと発音しますわ。

何をしているのか?これは何なのか、使用目的、材質、製作日数、俺の職業、年齢など職務質問みたいに聞いてきた。
材質はケヤキだが、英語でケヤキを何と言うのか俺は知らん。KEYAKIという硬い木だよ、としか説明でけんもんね。
話しが弾んだので、俺の作った民族楽器や、これから作る予定のカヌーの1/500ミニチュアモデルなんかも見せてやる。ガイジンはこんな時のリアクションが大仰で面白い。
これはどこの国の楽器でなんという名前なのか?カヌーの実物大はどれ位の大きさで材質は?とまたもや質問攻めだ。
楽器を渡すとすぐにセッションになった。やっぱガイジンだ。ノリが良い。
俺の親戚が市内でやっている「ボブ・マリー」という美容院のチェーン店がある。
その事を話すと更にウケて、質問攻めが続く。
寒いので中に入ってお茶でも飲んでいけよ、というと3時から俺の家の向いにある公文でビジネスだと言って帰っていった。
彼らは2年間糸魚川に滞在予定だそうだ。楽しい仲間が増えた。
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サービスショット
当日の浦本漁港付近。「大雪強風低温注意報・海岸付近は波浪注意報、山間地は雪崩注意報」というのが典型的な新潟の冬の天気予報だ。まるでこの世の終わりみたいだけど、新潟の人は昔からそうなので別に何とも思わないのだ。
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by jhomonjin | 2011-01-11 17:18 | 田舎暮らし | Comments(3)

お年玉もらった!

いい歳してお年玉もらった!といっても、オヤジから金を貰ったのではない。
以前に「最後の茅葺職人」というタイトルで、吉田さんという糸魚川最後の茅葺職人さんの記事を書いた。
その中で、吉田さんの茅切鋏が古くなって、新品が欲しくても何所にも売っていなくて困っている、という話があって、俺はブログの中で中古でも新品でも使用可能な茅切鋏を譲ってくれる方がいたら連絡下さい、と書いたのだ。
整体の先輩であり、自身も茅葺職人の手元経験のある山形の仲右エ門さん(ブログの「身体数寄」は必見ですわ)、金沢で茅葺住居保存に尽力されている「花がたみ@かたかご庵さん」、小田原の植木屋さんの「ガーデンコナガヤ」さんなどから貴重な情報を頂き、新品の茅切鋏がまだ売っている事が分かったのである。
意外な事に都内の丸半金物という建築金物の老舗に十丁の在庫があって、しかも吉田さんの希望品である「助定」という銘の未使用品であったのだ。
本当は高価なのだけど、事情を聞いた丸半の社長から、本当に必要としている職人さんに使って欲しいと吉田さんの希望価格通り・・・二十年以上も昔の値段・・・の格安で売って頂けたのである。
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吉田さん
新しい茅切鋏を入手してご満悦だ。
糸魚川の茅葺鋏の柄には、朴の樹が使われているそうだ。だから職人さんは自分で伐採した朴の樹を割って、何時か柄にする為に乾燥保存させておくのだという。


吉田さんは何十年か振りに入手した茅切鋏の新品に満足してくれた。
そして俺にお礼がしたいと言ってきたのだ。
もとよりお礼などは俺も考えていないし、せめて最後の茅葺職人さんに思う存分に仕事をして欲しかっただけなのである。
お礼は辞退したが、お茶のみ話しをしている時に、吉田さんが若い時に住んでいた家は江戸時代に桶職人をしていた古い家で、その家に残っていた職人道具を今でも保存しているという話が出てきた。
道具好きの俺としては、是非とも桶職人の道具を見てみたい。
早速納屋の奥に仕舞われていた道具を見せて貰った。そして俺に「せめてものお礼として持っていってくんないや!」という事になった。
なんとしてでもお礼をしたい吉田さんにしても、使われずに何時か処分される運命の桶職人の道具達も、そして何より俺自身が嬉しい話で、丸く納まって一件落着となった。
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桶職人の道具
ちゃんと箪笥に入って一式揃っている。上段手前にあるブーメラン状の刃物がセン。最下段の引出しには桶の定規が入っていた。

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千歯こぎ
おまけに貰った農具。稲を脱穀する為の人力道具。こいつもいつか自作しようと思っていた。実際に使用するには、歯のついた横木に足を付ける事が必要だが、今年の秋までに完成させて使ってみたい。

家に持ち帰った道具類の中には、センいう桶の縁を平らに削る刃物や、桶の内側を滑らかに削る為の前鉋、曲面を滑らかに削る曲面鉋、桶の定規など、前から欲しかった道具が沢山入っていた。
何故か船大工が使う刃の幅が狭い手繰り鐇(テグリともテグリチョンナとも言う)も入っていた。
もちろん錆びているが、まだ使用可能な道具類が結構ありそうだ。
百年以上も使われずに錆びたままの刃物だ。
試みに幾つか選んで研いでみると、百年振りに刃に光が戻った。
道具は受け継がれて、使われていてこそ価値がある。
首都圏の古道具屋などで、鳶の頭が使っていたらしい螺鈿細工を施した素晴らしい鳶口を見る事がよくある。
鳶の頭にとって鳶口とは仕事人生を象徴する道具であり、金に糸目を付けずに贅を凝らして造らせたという。武士にとっての刀と同等の道具なのだ。
そのような道具は家族にも触らせない程に大事にされていたそうだが、古道具屋の手に渡れば単なる売り物として誰でも気軽に触る事が出来る。汚れた手で無造作に掴んでも、誰からも文句は言われない。
しかし古い道具には、かっての使用者の想いが籠められている事を忘れてはならないだろう。
仕事に懸ける真摯な態度や心意気だ。
だからいくら錆びた古い刃物でも、俺が研いで使えるようにしてやる、という態度は取る事は出来ない。
自然と研がせて頂きます、使わせて頂きますという態度になってしまう。
頂いた桶職人の道具を使用可能かどうかを調べるには研いで実際に使ってみなければ分からない。
金では買えない貴重な体験が出来るのだ。時間はかかるが、愉しみが増えた。
これが俺の貰ったお年玉だ。
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サービスショット
吉田さんの自宅裏には田んぼがある。この写真は吉田さんの田んぼに生えているハンの樹だ。この樹は収穫した稲を自然乾燥する時の稲架(ハサ)の柱に使われるので、よく田んぼの際に生えている。今は刈取った茅が乾されていた。
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by jhomonjin | 2011-01-07 17:55 | 田舎暮らし | Comments(2)

正しい日本の正月

明けましてオメデトウございます。
年明けして四日だというのに、今回は年末の話だ。
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明星山
小滝の明星山は麓の渓流に翡翠原石がゴロゴロと転がっている。観る角度によってヨセミテそっくりだ。ロッククライミングやる人には全国的に有名らしい。正月三日に携帯電話で撮影したが、実物は朝日を受けて神々しかった。

俺達が計画している「姫川流域こども交流プロジェクト」の流れで、十二月に京都から小滝に越して来た新婚のK夫妻を暮れに実家に招待した。
せっかくの田舎暮らしだからと、糸魚川のお節料理を俺のお袋に習わせるためだ。
糸魚川のお節料理のメインディッシュと言えばブリの刺身だ。
糸魚川の家なら大抵は出刃包丁と柳葉包丁、アジ切り包丁の三本は揃えていて、ハレの日には一匹丸ごとのブリを三枚におろして刺身を作るのが主婦の仕事だ。
正月のデザートと言えば水羊羹なので、これも必須課題。あとは餅作りと山菜料理。
最近の我が家では、水羊羹は俺のアイデアで青竹に入れて保存している。
年始の挨拶に来た親戚などのお土産にそのまま渡せば風流だし、日持ちも良くなる。
渡す前に竹の端を鉈で切れ目を入れておけば、帰ってから手で引張るだけで竹が二つに割れる工夫をしてある。
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刺身作り
初めてにしては上手く出来ていた。慣れが必要なので数をこなす事と、包丁の研ぎを覚える事が大事。この後は握り鮨作りも習っていた。次回は蕎麦打ちを教わるんだ、と張り切っていた。

K婦人は京都生まれの京都育ちで、刺身というとスーパーのパック売りしか買った事が無いそうで、本格的な魚料理は初体験だ。
初めての時は失敗するに決まっているから、練習用に30cmほどのフクラギ(ブリの子供)を近所に一緒に買いにいった。一匹三百五十円也だ。
嫁さんを刺身作りに挑戦させている間に、K君を近所に住むNじいさんの家に連れて行き、注連縄作りを習わせた。
Nじいさんは数年前に根知という山奥の集落から市街地に出てきた人だ。
この人は田舎暮らしの達人で、何でも自分でやってしまうし、色んな事を知っているので俺は分からない事があるとよくこのじいさんに相談しに行く。
山仕事や百姓仕事、木工や山菜採りと何でもござれで、この人の話しは百%自分の体験談だけなので、俺は田舎暮らしの師匠にしている。
戦争中は海軍航空隊で一式陸上攻撃機の整備兵をしていたそうなので、勉強も相当に出来たのだろう。
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注連縄作り
当然ながら右側がNじいちゃん。左がK君。Nさんは手が早いので、うっかりしていると大事な処を見過ごしてしまうから、教わる方は目が点になる。八十歳近いのに、立派なもんだ。

K夫妻ともども、お袋とNじいさんの仕事振りに感動していたが、田舎では当り前の何でも無いことが都会の人から見れば達人技だ。
糸魚川でも若い夫婦になると、お節料理は実家に帰って食べるので、お節料理や魚料理の作り方を知らないという人達が増えているようだ。
このままでは三十年後の日本から「正しい日本の正月」が消えていくのも確実だろう。
俺の周りには正月に着物を着て過ごす人もお袋くらいになった。
自分の生活を自分で作っていく充実感も、お金で買って間に合わせているうちに忘れ去られていく運命だ。
正月をジャージ着てごろ寝しながらテレビ観て過ごした人よ、田舎へお出でなさいよ。歓待するよ。
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by jhomonjin | 2011-01-05 00:34 | 田舎暮らし | Comments(0)