21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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暮れの忙しい時に「糸魚川まちづくり論文」に応募した。
タイトルは「文化復興による地域の活性化」である。
論文には「縄文カヌープロジェクト」の事は触れていないが、糸魚川にその活動の下地を作って、本格的に活動を始めた時に動き易くする為の伏線のつもりで応募したのだ。
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焼山
糸魚川唯一の火山(標高三百m)。この数日は晴天続きで、沿岸からでも北アルプスの雪化粧がクッキリと見える。陽光はすでに春の気配だ。しかし火山に焼山というネーミングは当り前過ぎないかい?

有難い事に糸魚川市長賞というのを受賞して、随分と久し振りに表彰台に登壇して表彰状を貰った。
これぞ「正しい日本の表彰式」ってやつだ。
子供の頃もそうだったが、やっぱり「しょうしかったっちゃ。」・・・方言で恥ずかしいかったですの意味・・・。
俺は幼稚園児の頃から格式ばった事が苦手で、照れ臭くて仕方ないからついニヤニヤしたりしてしまうのだ。
だから式典の練習の時なんか、よく先生に真面目にやれっ、と叱られたもんだ。

今回は流石に大人になっただけの事はある。
少しは神妙なフリができたが、かえって自分の神妙さに思わず照れ笑いしてしまう。
不謹慎だと思われたかのう・・・?
整体の稽古で、大勢の前に出されて師匠の技の受手をさせられる時なんか、やっぱり照れ臭くてニヤニヤしてしまう。
師匠のD先生は「山田は人前に出されると嬉しそうにする。」と満座の席で俺をからかうのだが、あの笑いは照れ隠しであって、結して嬉しい訳ではありませんからっ!・・・誰かD先生に真相を伝えておいてくれよ。ったくよぅ・・・

受賞態度は不遜に見えたかもしらんが、せめてナリは気合を入れて整体の稽古着の中で一番立派なのを着て行ったので、恐らく来場者の中で俺のナリが最も金がかかっていたハズだ。
日本男児が「正しい表彰式」で表彰されるのには、和服で正装するに限る。
因みに出席者の中で和服は俺ひとりだけだった。
なんせ上着は絹と麻の紡ぎの藍染で、袴はホンモンの袴生地で作った高価な絹物である。
帯は奈良時代の製法で復元した絹と麻の手織りだ。
そしてこれらは全部、古道具屋で入手した品物である。
新品の定価販売だとすると、ちょっと俺では手が出ない金額になるだろうが、実際に払った金は・・・まあ、そんな事はどうでもいい。
俺の学ぶ整体の稽古着を知らない人には、水戸黄門のスタイルを連想して下さいな。
着物に野袴という恰好ですわ。

本当は賞金の出る大賞を狙ったのだが、俺の受賞した糸魚川市長賞は次点で、賞金の代わりに立派な翡翠の置物が記念品として贈られた。
大賞を取ったら賞金でバイクのオーバーホールを目論んでいたのだが、翡翠の方が縄文人(見習い)の俺には似合っている・・・と納得した。
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賞品の翡翠
俺には舟の形に見える。翡翠の神様が縄文カヌーの船出を祝福しているのだ、と俺は思っている。文句あるかっ!縄文時代には糸魚川から翡翠が北海道から沖縄まで運ばれていたのだ。日本海は翡翠ロードだったのだ。

俺は論文の中で行政に痛烈な事を沢山書いたので、提出しても黙殺されるかもな・・・と半分諦めていたが、それでも評価してくれる人が少なからずいた事に感動した。

会場には俺が「糸西タイムス」に出た事を知っている偉い人達が大勢いて、「縄文カヌー」についての質問や、実現性、現段階の状況など色々聞かれて、名刺交換の雨アラレとなった。
こんな時の為に縄文カヌープロジェクトの名刺をパソコンで作っておいたのだが、この二ヶ月で百枚は配ったはずだ。
縄文カヌーに興味を持って、期待してくれている人達がいると出逢えただけでも、「まちづくり論文」に応募した価値はあったし、この日だけで普段は話す機会の無い、商工会や偉い人達にサポートの呼びかけをする事も出来た。
そして皆さん、大いに興味を持ってくれた。
喜びを分かち合える可能性のある人々が糸魚川にもいたのだ。
嬉しい事だ。
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by jhomonjin | 2011-02-21 22:50 | 田舎暮らし | Comments(0)
念願の杉の樹の伐採許可が出た。
持ち主の家にお邪魔して、企画書や石斧、ミニチュアカヌーを使って一時間近い説明のかいあって、「地域の為になるんなら!」と無償提供をしてくれることになったのだ。
新聞に出た事も効果があったようだ。

これからは伐採の段取りとカヌー作りの仲間集めに専念できる。
勇んで伐採予定の杉が生えている小滝小学校の積雪状況を見に行った。
糸魚川市街は春めいきたいたので、三月に入ったらすぐにでも杉の伐採ができるのではないか?と期待していたのだが、小滝小学校は2mの積雪に埋もれていた。
なんの、春の堅雪のこそが伐採に有利だぜ、とグランドに入ってみたら、堅雪どころか膝まで雪に埋ってしまう有様だった。
地元の人の話では、グランドの雪がなくなるのは四月中旬以降だという。
まいった。四月は田畑の仕事で忙しくなってくる時期だ。
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なんてこった!
三月も近いのに小滝小学校はこの積雪である。奥の杉木立の一番でかい樹を貰う事になったが、急傾斜地の崖側に生えているので、グランド側に倒さないと回収不能となるからやっかいなのだ。

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楽しい!
小滝の老人が考案した軽トラの幌。軽トラの幌は買うと六万前後するが、八千円で自作した幌。ポリカーボネード製波板は大雪でも滑って積もらないし、中が明るくて便利らしい。工夫好きには田舎暮らしは楽しい。

伐採とカヌー作りの人集めを何時にしたらいいのか?
ガックリとした帰路、吹雪の中を猿の群れが県道に出てきて、道際に生えた木の枝の皮を剥いて食っていた。
雪に閉ざされて食うモノがないのだろう。
猿も気の毒だが、俺もこの分では伐採が四月にずれ込んでしまいそうで、春以降の予定が狂ってしまう。
それに二月以降の伐採は、樹が水を吸い上げるので用材としては好ましくないのだ。

翌朝は快晴となったので、気を取り直して石斧の切れ味を試す事にした。
姫川の河原に生えている雑木は、所有権がどこにも無く、洪水などの時には「流路阻害」となって二次災害の原因となる事から、自由に伐採しても良い事になっている。

直径十五㎝程のアカシアらしい樹を切ってみた。
良く研いだ鉄の斧ならザックザックと斧が入って樹が切れていくが、石斧だとガッツガッツと手応えが随分と違う。
効率も予想以上に悪い。一般的に石斧は鉄斧の1/4程度と言われている。

そしてなんてこった、石斧を二十回くらい使ったところで斧身が柄に嵌めこまれた部分からポッキリと折れてしまった。
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なんてこった!
二連発目だ。この斧身を作るのには延べで五時間は優に掛かった。一本の樹さえも切り倒せずに折れちまったが、マスコミ取材の時でなくて良かった。右が愛用のスエーデン製の斧。値段の割りによく切れるのでお奨め品。

原因はいろいろ考えられるが、第一は蛇紋岩は天然素材であって工業製品のようには均質に出来てはいない、という事だ。
同じ種類の石でも、物性のバラツキが大きいのだろうし、俺にはまだ石を観る目がないのだろう。
目に観えないひび割れや、組織内のバラツキの無さ、石器になった時の強さ(ネバリ)など。

糸魚川産蛇紋岩は、旧石器時代から縄文時代までの東日本各地の遺跡から出土している。
考古学者は蛇紋岩と言っているが、鉱物学的には透閃石岩というのが本当の名前だそうだ。
一般的に蛇紋岩と呼ばれている岩石には磁石が吸い付くが、透閃石岩には磁石が吸い付かないから本当はまったく別な鉱物なのだ。
比重も蛇紋岩2・7に較べて透閃石岩は2・9で持った時のズッシリ感も微妙に違う。
見た目も透閃石岩の方が透明感がある。 
透閃石岩の組織が緻密なものが軟玉またはネフライトと呼ばれ、宝石として珍重されている。
中国文化圏で翡翠と言っているのは実はこのネフライトで、糸魚川産の翡翠は硬玉なので別物だ。

そんな事も後から分かってきた事なので、俺はこれまで透閃石岩だと思って蛇紋岩を拾ってきたらしい。
縄文土器を独学で作り始めた時もそうだったけど、こうやって失敗しながら覚えていくんだろうと思う。

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サービスショット
後輩と居酒屋で飲んでいたら、突然店員が「皆ぁさぁぁんっ!元気ですかぁぁぁっ!」と蛮声を張り上げた。景気動向や社会情勢など、大声で話した後に「ではっ皆さんっ、ダーッのご唱和をお願いしまぁ~すっ、ではっ、いっちっ、にぃっ、さぁぁぁんっ、ダアアアーッ!!!」だって。
店内は割れんばかりの拍手で大うけだ。
辻君というこの店員さんは、自分自身に気合を入れる為と、顧客サービスで自主的に毎日こんなパフォーマンスをしているらしい。
活気があっていいもんだ。
辻君の若さと、好きにやらせている店長の大らかさが素晴らしい。贔屓にするぜぃ。
ガンバレ居酒屋「楽楽」、ガンバレ辻君、ガンバレ糸魚川!!ガンバレ俺っ!!!
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by jhomonjin | 2011-02-19 23:41 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)
今回はちょっとばかし硬い話だ。
俺の企画した日本海縄文カヌープロジェクトは、三月に予定しているカヌー製作に向けて現在は石器作りと仲間作りをしている事は前回の通りである。

その事が地元タブロイド新聞である「糸西タイムズ」・・・隣りの上越市では「上越タイムズ」という名前になっている・・・の一面トップ記事で紹介されたのである。
自分の個人的な想いが活字になって、多くの人に知られてしまったのだ。
これはかなり恥ずかしい。
いよいよ後戻りが出来なくなってきた。

そして記事を読んだ地元在住のアルピニストの青田浩さんから即日に面会の申込みがあって、青田さんの自宅で酒を飲みながら一晩語り明かした。
富山の「桜町石斧の会」の山本会長と同じく、会ってすぐの意気投合だ。
青田さんは山岳方面ではかなり有名な登山家らしい。
若い頃から海外をほっつき歩いていた事など、俺と共通点がかなりあって馬が合うのだ。レスポンスと行動が素早い点も俺と似ている。整体でいうと前後型五種体癖の典型だ。
こういうタイプは田舎では変わり者として目立つから、地元に似たもの同志の頼れる兄貴分が出来て実に嬉しい。
しかも高校は俺の四年先輩だ。

青田さんの奥さんは、あの有名な津軽三味線奏者の高橋竹山(二代)さんだ。
竹山さんが糸魚川の登山家と結婚して、地元に住んでいると前から噂には聞いていて、Uターンしたらその内に関係が出来るだろうと思っていたが、意外に早く会えてしまった。
竹山さんは糸魚川のジオパーク親善大使で、ご夫婦でジオパークによる地域の活性化に協力されているのである。
このご夫婦は俺と同じく、行政主導のジオパーク関連企画に面白みが感じられず、何か違った視点で関われないか?と考えていた矢先に、俺の記事を読んだんだそうだ。
ジオパークとは地質構造に関する遺産で、糸魚川市は2年前に国内初のナショナル・ジオパークに認定されており、行政はこの機会に地域振興に弾みをつけようとしているのである。

ご夫婦は俺の企画に賛同してくれて、今後は協力して頂ける事になった。
青田さんの人脈で、色々な人に会う流れが出来てきた。
竹山さんからは最新CD(糸魚川ジオパーク音頭)と、先代の竹山の本もプレゼントして貰った。
竹山さんは気っ風の良い江戸っ子で、江戸弁と津軽弁に糸魚川弁が混じった不思議な方言で話す気さくな女性だった。
寄席芸人にも友達が多くて、俺と贔屓の噺家が同じことから(柳家さん喬師匠、柳亭市馬師匠)、時には青田さんが付いていけないマニアックな落語話しで盛り上ってしまって、青田さんに悪い事をしたが、久し振りに江戸の匂いのする話しがタップリと出来て溜飲が下がった。

もう俺一人の問題ではなくなってきた。
そこで以下は俺の作った企画書の抜粋をブログに乗っける事にした。
多くの人に知って貰い、協力を仰ぐためだ。
ちょっと長いが、これでもA4サイズ全15ページの企画書を2ページに纏めたので、読んでみてくださいな。
興味のある人には15ページ分をメールしますので連絡下さい。
求むカヌーの作り手、漕ぎ手、パソコンに精通してホームページを作れる人!
不要の毛布と野球の木製バットも欲しいです。
毛布はカヌー製作時に用材を乾燥させない養生用として、バットはリメイクして斧の柄にしたいのですわ。
そして不要なお金があったら寄付して頂戴な。・・・半分本気です!・・・

日本海縄文カヌープロジェクトのご案内
計画名称
「日本海縄文カヌープロジェクト」
計画実施期間
2011年新春から開始して、継続的な活動を続けていく。
計画主旨
国指定の縄文遺跡である糸魚川市内の長者ケ原遺跡は、縄文時代中期(五千年前~四千年前)の翡翠工房跡を含んだ集落遺跡である。そこで加工された翡翠は、八百キロ近く離れた青森の三内丸山遺跡まで海から丸木舟によって運びこまれたという説がある。
硬い翡翠を加工する術を持ち、国内各地の縄文遺跡へ翡翠を運んだ長者ケ原の縄文人とは、縄文時代の糸魚川人の事であり、我々糸魚川市民の先祖達なのである。
この計画は、国内初のナショナルジオパーク認定による地域振興の好機に、フォッサマグナの街である糸魚川の地質構造とは別な魅力である、豊な文化的地域特性に着目した市民グループによる地域活性化を目的としている。
フォッサマグナに育まれた郷土の歴史と文化を学び、縄文時代から今に続く糸魚川人の歴史の連続性と祖先達の英知を学ぶ事で、郷土を誇りに思える人材育成の場を設け、またジオパークに「人の歴史」という側面を付加する事で、糸魚川の魅力を重層的に内外に発信していくのである。
同時に、未だ不明な点の多い長者ケ原の縄文人について、市民グループ発の考古学的な検証実験を行なう事で文化的貢献も果たすものである。
計画概要
その1
市民グループ「糸魚川縄文カヌークラブ」(仮称)を組織して、糸魚川産の蛇紋岩類で石器を製作し、その石器で糸魚川産の杉で丸木舟を製作する。

このクラブの存在意義は、机上の学問では無い実体験を伴った鉱物学と考古学、石器による木工技術が学べる事と、糸魚川の地域特性である自然科学的な面と人文科学的な面を統合可能な教育的教育的価値にある。
また鉱物と林業といった地場産業の宣伝効果もあり、これらを内外に示していけるのである。

その2
丸木舟の完成後は、クラブ員による継続的な海洋訓練を行なう。

丸木舟の海洋訓練をもって、市民の健全な身体育成の場とする。
この事の意義は即ち体育的意義と、その活動の場である「縄文文化とマリンスポーツが同時に楽しめる」糸魚川の海をクローズアップ出来る観光面の宣伝効果である。
その活動の一環として、年度毎に励みとなる目標を設定して、五年度目には節目として、考古学的実証実験である糸魚川から青森までの八百キロに及ぶ航海を目標とする。

その3
石器作りと丸木舟乗船を二本柱とした体験学習会を継続実施する。

現在は点として独立している長者ケ原遺跡とフォッサマグナミュージアム、各地に散在するジオパークを連動させた石器作り体験学習会を行なう事で、地域を面として活かした活動を継続的に展開していく。
さらに丸木舟の乗船体験会を加えれば、市の内外に自然環境に恵まれた糸魚川の地域特性がアピール出来るのである。
将来的には高浪の池、能生と親不知で、「縄文丸木舟に乗って観るフォッサマグナ」という企画も可能である。この企画は五千年前の糸魚川人が観た風景を、同じ方法で追体験するという事である。

これら一連の体験は、糸魚川の人達なら郷土の風土への愛しみと、祖先への哀悼の念が沸く事となるだろう。その事が郷土愛の育成になり、市外の人にも他所では真似の出来ない観光イベントとしてアピール出来るのではないだろうか。
そしてこれら一連の活動によって、ジオパークに「人の歴史」という厚みを持たせる事が可能になるのである。

*丸木舟や刳り舟というの呼び方は、ゴロが悪い為に以下はカヌーと表記する。カヌーとはコロンブスによって欧米に紹介された環太平洋諸国に分布する刳り舟のカノアから英語化した呼び方で、現在では国際的に通用する呼び方である。
段階的計画案
(順序は状況により前後するが、概ね以下の流れで計画している)
①カヌー様式と製作方法の研究。並びに航海実現に向けての具体的計画の立案(初年度)
②カヌー製作の為の石器製作(初年度~)
③計画賛同者の募集と「糸魚川縄文カヌークラブ」の設立(初年度)
④カヌー製作用杉材の調達とカヌー製作。(初年度~四年度)
並びに製作場所と完成後の保管場所の確保(初年度~二年度)
⑤カヌー海洋訓練と人材の育成(初年度~ )
⑥青森までの航海を実現させる為の情報収集と資金調達(初年度~ )
⑦航海中のサポート体制の具体化(初年度~五年度)
⑧海上保安庁、市政、県政など関係行政機関との連携の検討と具体化(初年度~五年度)
⑨青森までの航海とその記録作成(初年度~六年度)
⑩カヌークラブを海洋体験と縄文文化体験の機関として活用(初年度~ )

企画は以上であるが、この計画の実現には一個人の資本と労力、ネットワークでは限界があり、関係各方面に理解と協力を切に願い、賛同者と協力者を広く募るものである。

追記(2011年2月12日時点)
現在の処、この計画の協力者、賛同者、相談者の名前を追記しておく。(敬称略)
丸山 明三( 小滝地区自治振興協議会会長)
土田 孝雄 (郷土史家・長者ケ原遺跡友の会会長)
猪又 稔  (県立海洋高校校長)
後藤 幸洋 (㈱後藤組社長)
関根 秀樹 (和光大学教員・縄文文化研究家)
青田 浩  (市内在住アルピニスト)
高橋 竹山 (津軽三味線奏者・ジオパーク親善大使)
糸魚川市;総務課企画財政課地域振興係・同 文化財振興課教育委員会・同 観光局 
新潟県 ;小川 和雄県議会副議長
                                    平成23年2月12日
                                        山田 修
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by jhomonjin | 2011-02-14 00:13 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(5)
ここのところ毎日、石斧を作っている。
石斧を作る、とは石ころを敲いて成形してから砥石で磨く事だと思っている人が多いと思うし、かっては俺もその程度の知識しか無かった。
しかしその作業は、石斧を作る為の石器(この場合は斧身)を作る作業であって、石斧を作るという事は斧身の他に斧の柄までも作るという事なのだ。
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石器製作
手ごろな形状の蛇紋岩を拾ってホルンフェルス等の敲き石で好みの形状に敲いて成形してから、砂岩や安山岩の砥石で磨いていく。刃物と同じく荒砥、中砥、仕上砥が必要だが、都合良く欲しい石が拾えるとは限らない。

どんなに苦労して石を磨いても、実の処、石器だけでは役には立たないものが多いのである。
石器そのものだけで役に立つのは、ナイフに使用されたらしい小型打製石器くらいではないだろうか。磨製石器だと柄の無いものは、お守りに使用していたらしい小型石器くらいだろう。
または石器を作る為の敲き石や砥石だ。
弓矢の鏃だけ黒曜石で作ったとしても、矢柄と矢羽、弓と弦が無いと道具として機能しないのである。

これから丸木舟を作るに必要な石器は次の通りだ。
縦斧・・・普通の斧だ。伐採や切断、荒削りなどに使われる。
横斧・・・手斧(チョウナ)として、丸木を抉ったり、表面を成形したりする時に使用する。
     実際の丸木舟作成では最も多用される筈である。
鑿・・・・細かい加工に使用する。
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柄の製作工程
クヌギだと思っていたら桜らしい。右は半分に割った丸太から作った角材。次から加工中、加工後。要するにバット状の柄を作ってから、孔を開けて石斧を差込むのだ。


これら全てに木の柄を付ける事が必要で、それぞれ利用する樹種が違うのである。
一口に縄文時代といっても、一万年以上も続いていたので、時代や地域によって石器の柄として使用される樹種は一様ではないが、一般的な石器では縦斧ならユズリハ、熊野水木、横斧なら藪椿、ナラ、クヌギ、鑿ならケヤキなどが多く使用されていたようだ。
展示品ならいざ知らず、実用の石器を作るには、柄となる用材は一年は乾燥させておきたい処だ。
乾燥といっても簡単ではない。
まず樹を伐採したら即座に樹皮を剥いて、荒い加工をしてしまう。
通常の木工とは逆に石器使用の木工では、材木の乾燥前に加工を終わらせないと加工が難しくなるからだ。縄文木工は生木木工である。
理想的にはそれから一ヶ月以上は水に沈めておく。
「水枯し」といって、水の浸透圧で生木の樹液を追い出して、その後の乾燥収縮による狂いや割れを防ぐ技術だ。 
現在でも臼職人はケヤキを水枯ししてから臼に加工するし、戦前の大工は年季奉公が始まると樫材をドブに沈めておき、三年後の年季明けまでには水枯しと自然乾燥を終わらせて鉋の台を自作して独立したそうだ。
この技術は七千年前の縄文時代前期にはすでに行なわれていたようだ。
原木や加工途中の各段階の未製品などを池や湿地に掘った穴などにストックしていたらしい出土例があるのである。
木材は地下水以下にあって空気に触れさえしなければ、このまま何年でも保存可能である。

柄が完成したら日陰の風通しの良い処でゆっくり自然乾燥させる。
理想的にはここまでの工程で一年以上は欲しい処だ。
現在のところ、俺の持っている石器の柄になる材木の中で、この条件を満たす柄は縦斧と石鑿の柄だけなので、実際に三月以降に丸木舟を作る環境が整っても鉄の手斧やチェーンソウを使う事になるだろう。
それに丸木舟を作る人員も手伝ってくれる仲間はいるが、完成までフルに動けるのは俺だけなので、最初に作る丸木舟は近代工具の世話に為らざるを得ないのが実情だ。
チェーンソウさえ使えば、俺一人でも一週間あれば完成できると思う。
石器だけで丸木舟を作るには、慣れた人間が四人で終日作業しても一ヶ月はかかるだろう。
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柄の製作
上から土佐型枝打ち鉈、大工斧(ダイクヨキ)、小田原型鉈。土佐型鉈は割る、切る、削ると長宝する万能鉈だ。小田原型鉈は藤沢の古道具市で一目惚れして買ったが、甲野先生に見せたら、「良い錆び色ですねえ、これは切れますよう!」と同じ鉈を所望されたので、翌月にまた買った思い出がある。


さて、そこで今回のタイトルの大鉈を振る話だ。
縦斧の柄というと、漫画に出てくる丸太に石器を縛り付けた石斧のイメージがあるが、旧石器時代ならいざ知らず、縄文時代の磨製石器はそんなに簡単ではない。
俺が作っている縦斧は直柄(ナオエ)というタイプで、柄には地元産のイタヤカエデを用意した。
糸魚川では昔から斧や鉈の柄にはイタヤカエデが使われていて、弾力性があって樫の柄より疲れないのだそうだ。
有難い事に首都圏では雑木類とされて入手できないイタヤカエデも、糸魚川の「ランバー羽生」さんという材木屋さんには、びっくりする安い値段で普通に売られていた。
船大工の需要と、斧や鉈の柄としての需要がたまにある事、それと材木屋さんの個人的な趣味で雑木が好きだから在庫しているらしい。
しかもこれも首都圏では考えられない事だけども、乾燥機で人工乾燥された材木ではなく、全ての材木は自然乾燥されたものだけなのだ。
材木を沢山ストックできる広い倉庫を自前で持っている事と、首都圏程には材木の回転率が高くないからこそ可能な贅沢さだ。
家を建てるなら、糸魚川で建てなさい!丈夫で長持ちする家が作れる事は請負いますわ。
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孔開け工程終了
斧身は隙間無くピッタリと嵌らないと、衝撃が局部的に集中して斧身が折れてしまうので、斧身に墨を塗って当たりを慎重に削っていった。縄文人はこの作業を石器だけでやっていたのだから適わねぇや。

柄を作る最初は、丸太を半分に割って芯を外してから板材を作る。
意外に思うかも知れないが、芯を持った材木は弱くて後から狂いが出たり割れの原因になったりするので、芯は外すのが木工の常識だ。
だから漫画のように樹の枝にそのまま石器を縛り付けるという事は、少なくても縄文時代には無かったと思う。
板材を作ったら、必要な幅に切断するか割るかして角材を作る。
角材から持ちやすい斧の柄の形に加工していき、最後に石斧を嵌めこむ孔を開けて完成だ。
直柄の場合は、斧身を孔に嵌めこむだけで、縛ったり接着剤などで固定はしなかったようだ。
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ピッタリ!
斧身をグッと差込んで完成。斧身を下に向けただけで簡単に抜け落ちるようでは失敗だ。柄に巻かれた棕櫚縄は使用時の衝撃による割れ予防と装飾だが、無くても大丈夫・・・な筈。


俺はこの板材から角材を作って、角材から柄に成形していく作業をチェーンソウと三種類の鉈で行なっている。仕上げの工程には茅葺職人の吉田さんから貰ったセンで成形している。
木の塊に鉈を振ってガッシガッシ、ザックザックと木を削っていく作業は、実に豪快で愉しい。
思い切りの良さが無いと木は削れてくれない。
慎重さが無いと危険だし、必要な部分まで削ってしまう。
危険なモノを慎重に扱うと同時に大胆にする行為、相反する感性を矛盾無く扱う作業だ。
男子たるもの、このような経験は子供の内にやっておくべきだ。
そうすれば、慎重でありながら大胆な決断と行動を取れる大人に育つのだ。
嘘だと思うなら、俺を観ろ!

昔の男の子の遊びには、そんな経験を出来るものが多かった。
メンコ、釘刺し、ビー玉、ベー独楽などなど。この遊びは東南アジアでも男の子の遊びだ。
ゴム跳びは女の子の遊びだが、これは将来の出産に備えて、股関節や骨盤の可動性を柔軟にする作業ではないか?と思う。これも東南アジアでは女の子の遊びだった。
子供は遊びながら大人になった時の訓練をしているのだな、と思う。
この事は別な機会に書く事にする。

鉈を使うには、手首と肘を固定して、肩甲骨を使って打ち降ろす。
もっと言うと右側胸部を落とすのだ。そうすれば疲れないし木への食い込み方が違う。
枝打ちもこの方法だとスッパリと綺麗な仕上りとなる。
名づけて「側胸部落し」。
この方法はご存知、古武術研究家の甲野善紀先生からの直伝である。

手首や肘を支点とした鉈使いは、長く続けると関節の際が痛くなるし、鉈に勢いが無いのだ。
最もこの「側胸部落し」は、子供の頃から身体を使った遊びを多くしてきた身体使いのセンスの良い人ならすぐに出来るけども、初心者にこの方法を教えると不自然に右半身を落とすだけの人が多いので、教えるには段階を経た稽古が必要だ。
客観的な側胸部を落とすのではなく、側胸部の感覚を側腹部に瞬間移動させるのと上手くいく。
例えれば、鉈の事は忘れて、右側胸に当てた下敷きを右脇腹に瞬間移動させると同時に腕を打ち降ろすのだ。
この時に手首と肘が決まっていないと刃筋がブレて、刃こぼれや怪我の原因となる。
逆目や節に当った時なんかは、手首や肘を支点とした慎重で小さい鉈使いも必要だが、これの分別には経験が必要だ。
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完成!
柄には乾燥収縮の予防と汚れ防止に亜麻仁油を擦り込んでおいた。自作石斧の第一号だ。やっぱり嬉しい。日に何度か手にとってはムフフフッと笑っている。都内を肩に担いで歩いても銃刀法違反にはならんが、殺傷能力は充分にあるので危険物所持法で捕まっちまうだろうなぁ。






俺は初心者に鉈や斧使いを教えるのに最高の稽古方法を開発した。
子供の遊びの釘刺しである。
五寸釘を砂に投げて刺すのだ。
慎重さが無ければ釘は狙った場所に命中しないし、大胆でなければ砂に釘が刺さらないので、色々試してみてこの遊びが最も良いと思う。
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by jhomonjin | 2011-02-04 21:36 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)