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21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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<   2011年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

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広い日本でこの写真の老人が誰なのかを知っている人がいたら、きっと糸魚川市民だろう。
郷土出身の偉人である。
名前は相馬御風(ソウマ・ギョフウ)という。
明治生まれで、終戦の5年後に亡くなった。
御風は明治から大正、昭和にかけて活躍した文学者だ。
若くして短歌、作詞、小説、随筆、文芸評論家として中央文壇で重きを成していたそうだ。

生涯に200を越える校歌作詞の代表作が、彼の母校である早稲田大学の校歌の作詞。
『都の西北、早稲田の杜に』、というやつである。
この時、御風26歳の新進気鋭の文学者。

ところが御風は四十代前半で、華やかな中央での生活を何故か捨て、故郷の糸魚川に帰郷してしまう。
都落ちってやつだ。
色々な説があるのだけど、真相は御風しか知らないだろう。
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御風の家は、現在は史跡として公開されている。地味だけど、糸魚川の隠れた名所だ。外から見ると大きな家には見えないが、土蔵が二つもある位に奥行きがある。すぐ裏は日本海。



そして同じ越後出身の良寛の研究に没頭する。
良寛の書や資料を収集し、その集大成として「大愚良寛」という著作を残した。
それまで一部の人にしか知られていなかった良寛を世に出したのは御風の功績による・・・らしい。

この頃に作詞したのが、童謡の「春よ来い」。
そして数々の校歌や民謡の作詞。

「春よ来い」の「歩き始めたみいちゃん」とは、御風の娘と友人の娘を合成したイメージして作られたらしい。
おんもへ出たいと泣いている、とは雪国で子供時代を送った事のある人なら身に沁みる歌詞だろう。
本当にあの通りなのだ。
暗い玄関に差込む陽射しに誘われて表で遊びたくなるのだけど、外は玄関口まで覆う積雪。
下駄箱に仕舞われた運動靴や下駄を引っ張り出して、三和土(タタキと読めよ、シンタロー!)で履いて地団駄を踏んで春を待った記憶。
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春よ来いのイメージはこの玄関で作ったものか?それともここで実際にあった出来事であったのか?在りし日の相馬家の風景を想像してみる。玄関は暗いほうが良いように思う。その分、外が明るく見えるからだ。

都落ちした糸魚川での御風の生活は、さぞ寂しかっただろう・・・と以前は思っていた。
ところが違った。

帰郷した御風を慕って、多くの著名人が糸魚川に訪ねてきている。
例えば岡本文弥。新内節の人間国宝だ。
この人は筆まめで、御風に手書き漫画入りの絵葉書を送っている。
人柄が偲ばれる温かい文体の手紙。御風を余程慕っていたのだな、と想像できる。

例えば櫓山人。
「おいしんぼ」という漫画に出てくる海原雄山のモデルになっている人だ。
漫画の雄山と同じく、実物も随分と傲慢で尊大な人という強面イメージを持っていた。
櫓山人は御風が所蔵する良寛の書を観に、時には年に三回も糸魚川に来ていたそうだ。
交通事情の悪い戦前の事だ。
当時は東京から汽車だって10時間は優にかかったろう。
ある時などは、御風宅の台所に自ら立って糸魚川の魚を料理して御風に食わせてご満悦だったらしい。
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櫓山人が御風を喜ばせようと、イソイソとここで料理していたのだと思うと、何だか微笑ましい。
奥は風呂場で、湯殿といった方がぴったりする雰囲気だ。



櫓山人は良寛の書を観る、というよりは御風に会う事自体が愉しみで糸魚川に度々来ていたのじゃないだろうか?
御風と一緒に写っている写真には、強面イメージとは別人の柔和な櫓山人だ。

会津八一も、土門拳の撮った写真では強面で尊大なイメージだけども、御風とのツーショット写真では、人の良さそうなおじさんに見える。

御風って、会った人まで伝染する程、余程に気持ちが穏やかで優しい人だったに違いない。
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御風の書斎。和室で和服を着て、正座して毛筆で執筆という正しい日本の文人の生活である。
南側の窓から万年雪を抱いた北アルプス、北側の窓からは日本海が居ながらにして・・・かっては見えていたらしい。

御風の家は築80年でいまも健在である。
俺と同じ寺町にあって、県指定文化財として一般公開されている。

俺はこの頃の日本家屋が好きだ。
窓だってアルミサッシではない木製建具であるのは無論だけど、ガラスが真っ平でなく、波打って気泡の入った「吹きガラス」が嵌っているのだ。
一枚ごとの表情がまるで違うし、外の景色が歪んで見える。これは愉しい。
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二階にあった書斎の北側には三尺廊下があって、御風はこの窓から日本海を愛でていたらしい。
吹きガラスの歪みと木製の建具が風景に柔らかさを与えている。



間口が狭くて、奥行きが鰻の寝床のように長い典型的な町屋造りだ。
昔は玄関間口で税金が決まったそうで、庶民の知恵として発達した建築様式であるらしい。
中庭や土蔵だって二つづつある結構広い家だ。

何だかずっといたくなる雰囲気の家。
和やかな気分になる家。ちょっと落ち着いた、上品な大人の雰囲気に浸れる家。
受付の女性と話していたら、この家に来た人は皆同じ事を言うのだそうだ。

これはきっと御風の人徳ってやつだろう。本当に偉い人だったんだ。
櫓山人も会津八一も、この家に訪れた人が感じる気分を味わっていたのだろう。
家は主に似る、という発見をした。

俺の家に遊びに来た人が、どんな気分になるのか?
ちょっと気になったぞ。
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by jhomonjin | 2011-07-24 22:26 | 田舎暮らし | Comments(4)
七夕の晩に、「まち作り論文」の入賞記念発表会で大勢の前で演説をぶってきた。
演壇の上に立って話すのは、何年振りだろう。
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発表会
聴衆は60人くらいか?行政の人も来ていたが、耳の痛い話を沢山した。でも俺は自分の提言を自分なりに実行する、という主旨で最後の10分は縄文カヌープロジェクトにご支援ご鞭撻の程を、と締めくくった。

興がのって25分の持ち時間を五分超過したが、取り敢えずは無難に話すことができた。
テーマは「文化復興による活気ある街つくり」
縄文文化や祭礼、民俗文化など糸魚川にしかないオンリーワンの文化的特徴を用いて、郷土愛ある人材育成をすることこそが、活気ある街つくりの最初になるのだ、という内容である。

演壇から降りたら土田孝雄先生から「出来すぎだぞ。」と、褒められたのか叱られたのか分からない事を言われた。
土田先生はその筋では有名な郷土史家で、縄文カヌーの顧問をして貰っている。

この発表の直前に、まち作りサポーターズの有志から、孤軍奮闘中の縄文カヌープロジェクトを正式に組織化しようじゃないか!という話しが出ていた。
まち作りサポーターズとは、糸魚川信用組合が後援する市民による地域活性化のボランティア団体である。
その後援を受けるということは、糸魚川信用組合の後援を受けるという事で、後援の二乗となるから、これは頼もしい援軍だ。
しかも後ろ盾が信用組合だから、対外的にも信用度が高いってもんだ。
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打合せ
奥が土田先生。手前が事務局長の早津さん。早津さんの実務能力には驚愕する。経験豊富にして百戦錬磨だ。難しい問題が次々と解決されていくので、俺ごとき青二才が口を挟む余地がまったくなく、お任せしっ放しだ。

発表会の後日、信用組合に呼び出されて、その打合せだ。
俺は昔から仲間を集めて何かイベント毎をするのが好きだった。
高校の時には、美術部の部長である事をいいことに、後輩を巻き込んで市内にある老舗の蕎麦屋「泉屋」のファン倶楽部を作って、「THE SOBA]というミニコミ誌まで作った。
社会人になってからは、旅先で友達になった各地の仲間を新潟に集めて「風雲ドカドカ隊」という焚火キャンプ遊びの会をやっていた。
その時の機関紙が「日本海疾風怒涛新聞」だ。
どんな会をやっても会則などなく、「不法乱入、場外乱闘、反則攻撃3秒以内」というプロレスルールを採用していたのだ。
それと機関紙も付き物だった。
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試運転
お披露目前に、小滝にある高浪の池でアウトリガーの調整だ。この段階ではビスで仮止めして取付け位置の高さを決めている所。乗っているのは京都からIターンした陶芸家の水野さん。彼も木工をするので頼りになる。

ところがだ、今回は流石は信用組合がサポートするだけはある。
難解な用語が並ぶ本物の会則の下書きが三十分程でサラサラと出来上がってしまった。
「山田さん、年会費はどれ位で考えてるの?」
事務局長が思いも寄らない事を唐突に聞いてきた。
「え、え~と、千円くらい・・・」
「今時は千円じゃなにも出来ないよ。じゃ、個人は二千円で法人は一万円でどうかな?」
俺の酔狂に、年間一万円も出す企業があるのだろうか?と心配になる。

「設立準備委員会の会合は、「ヒスイ王国館」の大広間を借りて会費四千円でいいかな?20人も集まれば料金はペイ出来るわね。ちょっと待ってね。今、予約の電話入れとくわ。」
事務局長は俺を更に不安にさせる事をあちこちに電話を掛けながらテキパキと決めていく。

どうやらプロレスルールは駄目どころか、只で借りられる公民館で、ポテトチップスの袋を広げて、缶ビールとペットボトルのウーロン茶を紙コップで分け合う、という訳にはいかないらしい。
裂きイカも缶ビールやONEカップも無しの、瓶ビール飲み放題、ちゃんとしたオードブル付き、しかも「日本海縄文カヌープロジェクト結成!!」と横断幕も出るらしい。
大人の遊びって、こんなんなんだな、と軽いカルチャーショックを覚える。
横断幕は俺が手書きすれば、その分安くなりますか?と事務局長に聞きたかったが、バカにされるので思いとどまる。
一晩、俺の酔狂に付き合って四千円も出す人は、よほどの風流人に違いない。
しかも20人も集まるのか・・・
最初は戦々恐々としていたが、腹を決めて流れに乗るしかない。
ウネリが向こうからやって来たのだ。
覚悟を決めて、未知の大波をサーフィンする事にする。
伝説のサーファーのジェリーロペスの言葉「Keep Paddling」を実践するしかない。

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初めての海
7月17日、初めて海に浮かべた。天気晴朗にして波穏やか。防波堤の中なので、連日の猛暑と凪で海水が濁っていたのが残念だったが、モーターボートやジェットスキーの中にあって、唯一の木造舟は目立っていた。

大波の波状攻撃だ。
数ヶ月の交渉が実って、海のイベントに縄文カヌーが正式に招待された。
7月17日の能生町海水浴場のB&G(海洋スポーツ振興の財団)主催の「海洋スポーツ普及大会」と、同じく能生町海水浴場で翌日行なわれる観光組合の「海の祭典」での体験試乗会だ。
実の処、この時点ではアウトリガーとパドルは完成していなかった。
7月17日のお披露目前には、アウトリガーを完成させて調整と試乗を終わらせておきたい。
そこで強引にスケジュールを作って、四日間でムリムリ全て終わらせる。
この期間は連日の猛暑日が続くなか,毎日十四時間は作業していた。
パドルなんか一本にかかった作業時間は一時間という驚異的な速さだ。
集注がかなり深まっていたんだと思う。
大小二本づつ四本作った。
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弁天岩から
翌日のイベントの為に7月17日は糸魚川のジオパーク名物の一つ、弁天岩に係留して一泊させた。
全国津々浦々にある弁天岩には、赤い鳥居と橋の欄干が付き物だが、ちょっとセクシーな感じがする。


滑り込みセーフだ。
二日間のイベントで、延べで80人ほどを縄文カヌーに体験試乗させた。
四人乗りなので、最後尾を俺が漕ぐ事になるが、体験試乗会は初心者ばかりなので当然ながらスピードも出ないし、蛇行する。
そこで俺が推進力の70%くらいを受け持って、舵取りを同時にすることになる。
漕ぎ手の調子を揃える為に、大声でピッチの指示を出し続けた。
炎天下である。流石に二日目はフラフラになった。

二日間とも参加した船舶は俺以外は全てFRP製(強化プラスチック)だ。
その中で唯一の木造舟で、手漕ぎの縄文カヌーは、モーターボートやジェットスキーなどのスリルとはまた違った「愉しさ」を体感してもらえたようだ。
慣れた人や飲み込みの良い人なら初心者でも直進性は結構良いし、速度もそれなりに出る。
モーターボートやジェットスキーのウエーキ(航行波)も物ともしない程、安定性は抜群だ。
手作りの舟も俺だけだった。
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TVマスコミ
映像メディアの取材は2度目だったが、オンエアーされたのは初めてだ。ローカル局のテニー(テレビ新潟)さんのカメラマン。夕方のニュースで放映されたらしいが、恥ずかしいので観ていない。

イベント終了後、後片付けを終わって帰宅すると、風呂、メシ、あとは爆睡だ。
十一時間も連続して眠ったのは久し振りだ。
遊び疲れて何時間でも眠り続ける事の出来た子供の頃に戻ったようだ。
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by jhomonjin | 2011-07-14 22:46 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)
関根師匠から、ワークショップの案内メールがきた。
何度も紹介しているが、関根師匠は俺の縄文文化や民俗学の師匠で、縄文カヌープロジェクトの顧問でもある。
師匠は本職が分からないほど色々な仕事を持っているのだけど、正式な職業は東京の鶴川市にある和光大学の教員である。

師匠は火越しの達人として著明であることは無論だけど、縄文時代の生活技術を始めとして染色や木工、刃物など何でもとことん追求して、自分でやちゃう多才な人だ。
本だって沢山書いている。
今回のワークショップは民族楽器作りだ。
関根師匠はよくテレビや雑誌、博物館イベントなど、ライターやコーディネーターなんかもしているが、何年か前に「タモリ倶楽部」という番組で、民族楽器の紹介をしていた。
番組の中でタモリが大喜びで遊んでいた楽器が、今回のワークショップで作る楽器だ。
熱い夏に21世紀の縄文人に会いに行ってくれい!
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火越し1
火打ち石で火越しする関根師匠。お願いすれば火打ち石の拾い方や、100円ショップで買える火打ち金の代用品など、愉しい情報も聞けると思うよ。でもお願いするからには何か謝礼をしてくれい!

首都圏在住で、民族楽器作りに興味のある人、刃物扱いの基本を勉強したい人、火越しを体験したい人は是非とも参加して下され。
但し、今回は民族楽器のワークショップなので、それ以外の事で関根師匠のお話を質問したり、技を学びたい人は、ワークショップ時間外に関根師匠の都合を聞いたうえで、直接お願いして下さいな。
残念ながら、中には社会人の癖に厚かましくも「見せて下さい!⇒有難うございます!!」で済ませちゃう人が圧倒的多数です。
師匠はサービス精神旺盛で大らかだから無礼打ちされる心配は無いですが、本当に常識の無い社会人が多いんですわ。
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火越し2
弓錐式火越しもやっちゃう師匠。この方式は縄文時代晩期(三千年前)の北海道の遺跡から出土品が
確認されているらしい。因みに師匠の錐揉み式での発火記録は6秒で、ギネス記録になった事もあるそうだ。

そんな場合にはそれなりに謝礼をお考え下さい。
お金じゃなくても、真心がこもった贈物、先生が喜びそうな耳よりな情報・・・博学なのでちょっと難しいですな・・・でもいいです。
因みに師匠はお酒は飲みませんし、家族は三人です。

ワークショップの後にゆっくり話しが聞きたかったら、お茶や食事にお誘いして関根師匠を独占しちゃう手もありますが、そんな場合は支払いは誘った側持ちというのが礼儀というもんですな。

以下は師匠からのメール文です。
面白いからワークショップの案内以外も大公開しちゃいます。
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師匠の本1
縄文関連の本。「縄文人になる」の表紙の縄文おじさんを関根師匠だと思い込んでいる人が結構いる。内容を普通に読めば別人だと分かるのだけどね。



師匠からのメール
所ジョージの「学校では教えてくれないそこんトコロ」という番組からの依頼で、打ち上げ花火で音階と和音とメロディーを作ってくれというモノを知 らないテレビ屋のバカな要求につきあっています。

肝心の基音が一定じゃない上に火薬の燃焼と童子に変化するんだからハナから無茶なのですが、秩父の花火屋さんと協力してなんとかなりそうです。
 花火工場は静電気火花防止で冷房もなく、先週は外気温39℃、工場内42℃の中、実験実験で三十数年ぶりに火薬まみれ、硝煙まみれ。
血が騒ぐ日々でした。 関根秀樹 

内容は、音響人類学ゲリラゼミナール第2弾 「サウンドオブジェと民族楽器をつくる」
今回は、宇宙のような深海のような洞窟のような幻想的で不思議なエコー音を生む「スペースリバーブ(別名スプリング・リバーブ)」と、江戸時代から伝わる竹の鳥笛を作ります。
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師匠の本2
民族楽器関連の本は絶版になっていて、オークションで高額で取引されている。「竹でつくる楽器」の写真モデルの男性が関根師匠で、後藤久美子似の美しい女性が奥様。図書館で借りて予習してみて下され。

スペースリバーブは、1970年頃に鈴木昭男さんが発明した名作音具「アナラポス」の改良型で、こればかりは実際に音を聞いてもらわないと説明しようがありません。
使用する特殊な1メートルの長いスプリング(高純度ピアノ線による特注品)が高価なので、材料費・資料代(道具・工具はこちらで用意します)で4000円。
プラス何かお茶菓子一品持ち寄り。 
炒りたて挽き立てのドリップコーヒーと、ハーブティーやほうじ茶などが出ます。
鈴木さんのアナラポスは28年前で1万円以上しましたし、音のかなり悪い類似品が6000円前後ですから、高くはないと思うのですが。
ただ、あまり参加者が少なくても企画してくれた人たちに悪いので、材料費・資料代3000円でうなり木とスピリッツキャッチャーを作るコースも用 意します。
日時と場所
7月24日(日) 13:00~17:00  
会場は和光大学 D棟 112教室。
 
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by jhomonjin | 2011-07-04 20:53 | ガラクタ工作 | Comments(4)
梅雨本番だが、今年の新潟は寒い。
昼間は朝から30度越えする事もあるが、全体的に朝晩は冷える印象の梅雨だ。
気温差が激しいから疲れる。
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元気力発電!
北部ラオスのアカ族の村では、子供達がタイヤを転がして走りまわっていた。この元気を発電に利用できたら原発もいらんね、とふと思う。元気力発電だな。



梅雨の疲れは独特で、太腿の後ろが縮んでだるく感じる。
この時期は湿気で呼吸器に負担がかかるから、関係各方面(この場合は太腿裏ですな)がワッセワッセと梅雨らしく仕度をしている訳だ。
梅雨は梅雨らしく、夏は夏らしくという変動を常にして、一時も同じ状態でないのが身体ってもんだ。
この時期は特に尻と太腿の付け根(整体では坐骨)が重くなるので、寝る前などに仰向けになって踵でトントンと叩いたりする。
これは整体でも梅雨の快適な過ごし方として教えるのだけど、そうとは知らずとも無意識にやっている人も多いだろう。
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花島せつこ発見!
タイヤ転がしの子供達の中に寄席芸人で奇術師の「花島せつこ」に似た女の子がいたので、写真を撮ろうとしたら恥ずかしがって逃げ回った。追い掛け回してやっとファインダーに納まったのがこの写真。

こんな梅雨独特の体調では、特別な用も無いのに走っている人を見ると、同じ人間とは思えない。
でも子供は別だ。
実家の前は小学校なので、学校に競争するように走り込んでいく小学生達を見ると、本当にあの元気が羨ましい。
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お茶目娘
ラオス南部の村外れにある井戸に水汲みに来ていた少女。箸が転がっても笑ってしまう年頃だ。本当によく笑う少女達だったが、彼女らのキャーキャーと笑うエネルギーも発電に利用できんもんか?

俺にもそんな時代があったのは確かだが、何で子供時代は無闇に走っていたのだろう?と自問しても、遥か大昔のことだから覚えていない。
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不撓不屈の少女
ラオス南部の自転車少女。ペダルに足が届かないので、踏み込んだペダルに足が届かなくなる直前につま先立ちになって蹴り込んで自転車を漕いでいた。物凄いバランス感覚。何も無いところで生まれ育った子供には、なんでも工夫する知恵と身体能力があるから補助輪など必要無いのだ。





今回は走る子供をテーマにしてみた。
元気になってくだされい!
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by jhomonjin | 2011-07-02 21:17 | 旅先にて | Comments(0)