「ほっ」と。キャンペーン

21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

<   2011年 08月 ( 6 )   > この月の画像一覧

まろやかでやさしい水。

四回目の体験会も無事終了。
海でも湖でも思うのだけど、縄文カヌーに乗っていると水について色々考えてしまう。
蛇口を捻って出てくる水道水と、海や湖の水って同じ水には違いないけど、それぞれまったく種類が違うように感じられるのだ。

よく整体の大師匠が、「科学者が清流の水も下水の水も科学的には同じH2Oだと言うんなら、俺の目の前で下水の水を飲んでみろ!」と近代科学思想を批判するのだけど、俺の感じている水の違いはもっと素朴で子供っぽい違いである。
f0225473_20402823.jpg
ぬーなちゃんとツーショット!ぬーなちゃんはヌナカワ姫という糸魚川の産土神であるお姫様のゆるキャラである。首からぶら下げているのは翡翠の勾玉。ヌナカワとは糸魚川の古名で「光り輝く珠の川」という意味になるらしい。

例えば縄文カヌーを漕いでいて、暑い時などは両足をカヌーから外に投げ出して水に漬けたまま漕ぐと、これはとても気持ちいい。
俺の縄文カヌーにはベンチが作り付けてあるので、ちょうど馬乗りになる感じになる。
ベンチにちょっとだけ尻が落ちるので、「M字開脚」状態でカヌーを漕いでいるという表現も可能だが、それにしても俺は「M字開脚」という言葉を何処で、何時覚えたのだろう?

水がサラサラと足を冷やしながら流れていく。
漕ぐ速度がちょうど気持ち良く感じる流れになるらしい。
この時に感じる水って、「まろやか」で「優しい」感触なのだ。
足に当る水音もサラサラ、チョロチョロと心に染み込んでいく。
一本一本の足の指の間を水が揺れながら渦を巻きながら通り抜けていくのは、ちょっとくすぐったい感じ。

これは体験者でないと分かって貰えない快感だ。
湖水と海水でも微妙に違う感触のようだ。
俺一人でトレーニングしている時にはひたすら体育会系にガシガシとカヌーを漕いでいるのだけど、漕ぎ疲れたり飽きたりした時など、よくこの遊びをする。
俺の密かな愉しみの一つである。
f0225473_20482859.jpg
米田市長が娘さん親子を連れて遊びに来てくれた。カヌーの上でオフレコの面白い話を聞かせてもらったが、陸(オカ)の上と違って舟の上では素の人間性が出て面白い。孫連れだったからなお更だ。



だから体験会でも行儀が悪いようだけど、気持ちいいから足を水に漬けたまま漕いでご覧、とよく薦める。
慣れなかったり、小柄だと危険だから片足限定だ。
今日の体験会の親子連れの若い父親は、何も言わなくても「なんだか、まろやかな水ですねえ!」と俺と同じ感想を持ったようだ。
幼稚園児の女の子も「お風呂の水と違うみたいだねぇ!」とずっと足を水に漬けたままだった。
この親子連れは、カヌーから降りてからもベンチに座ってカヌーを見守っていた。
「楽しかったねえ。良かったねえ。」と、陸上で乳飲み子を抱っこしながらカメラマン役をしていた母親も一緒になって喜んでいた。
こんな微笑ましい光景を観るのも俺の愉しみの一つだ。
体験したい人、遊びにおいで。
f0225473_20542070.jpg
何時も精力的に取材してくれる「糸西タイムズ」の記者を、体験取材せんとイケン!と嫌がるのを無理やりカヌーに乗せた。自分で言うのもなんだけど、俺は照れ屋なので乱暴に感じるかもしれんけど、恩返しのつもりなんだよ、本音は!
[PR]
by jhomonjin | 2011-08-27 20:18 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(5)
縄文カヌーが7月16日に完成して、8月21日時点で三回もの試乗体験会が出来たのは、実に運が良かった。
延べで百五十人近くは乗船したと思う。
喜ばしいことに、来る8月27日(9時~2時)にも四回目の試乗会が決定した。
縄文カヌーを作った唐檜の生まれ故郷である小滝区にある高浪の池で、「高浪の池でカヌーに乗ろう!」というイベントにも参加できることとなったのである。
年内最後の試乗会になると思うので、近隣の人は是非ご来場の程を。


ある会合で隣り合った行政マンと雑談していた時のこと。
行政マン曰く「マスコミには三年~五年周期で縄文ブームがあって、その波に乗らないと・・・」と語尾を濁すのだ。
・・・と彼が語尾を濁した先は「日本海縄文カヌープロジェクトなんて、どうせ無駄な努力でしょう。」とでも言いたそうな雰囲気だったが、何か奥歯にものの挟まったような、責任の所在を曖昧にするような話し振りに、ゲンナリしてしまった。

f0225473_215028100.jpg
ベトナムで見たバイクでブタを運ぶ人。車が無くたって有るものを使ってなんとかしてしまうのが東南アジアの人達だ。インドではスクーターに五人家族が乗っているなんて光景は珍しくない。要はやる気だ。


例えば、ある日突然に優勝賞金一億円のマラソン大会開催の発表があったとする。
なんと日時は三日後だ。
優勝すれば一億円!と甘い夢想に浸る事は誰にでも出来ても、日頃から何の運動もしていない人にとって、賞金を手に入れることは100%不可能だろう。
一億円に近い人は、日頃からマラソンの練習をしている人だけだ。
絶好の機会到来といっても、日頃の準備が無ければ駄目だと思うのだ。
そして糸魚川には豊富な縄文遺産がある。
しかし日頃から縄文に関する活動を何もせずに、マスコミが糸魚川の縄文遺跡に取材に来たからといって、日曜でも閑散とした遺跡公園くらいしかネタが無いようであれば、マスコミだって一過性の取材に終わって、それ以上の取材意欲は持ってくれないだろう、と俺は思う。

あの行政マンは、マスコミの影響力に過大な幻想を抱いているのかもしれない。
新聞記事になってくれれば、テレビ放送さえしてくれれば、マスコミの力で糸魚川の縄文文化遺産にが脚光を浴びて地域の活性化が出来るのだ、という甘い夢想である。

日本海縄文カヌープロジェクトは、一過性のお祭り騒ぎを目指してはいない。
日頃から継続的に、縄文とがっぷり四つ相撲だ。
マスコミ取材は歓迎だけど、大事なのはどれだけ市の内外に関わりのある人や、支援者、賛同者が増えてくれるか?という事こそが大事なんだと俺は考えている。
縄文ファンや、自然環境に恵まれた糸魚川の風土を遊び場にする市民がもっと増えて欲しいのである。

行政の人に限らず、多くの人は何か実行したくても出来ない時に「予算がない」と実行出来ない理由を口にする。
でも俺の活動を観て欲しい。
独力・自己資金で縄文カヌーを完成させたし、様々な問題をひとつづつクリアーしてきた。
活動開始から半年後には活動に賛同した市民によって「日本海縄文カヌープロジェクト」という市民グループにまで発展させることが出来た。
金が無くたって、意欲があれば何とかなるという見本になるのではないだろうか。
・・・既に俺にしては相当な身銭は切っているので、金が無いというのは大袈裟だが・・・
マスコミ取材だって、テレビ二回、新聞はよく覚えてないけど十回くらいは受けているのと思う。
それでも報道の度に賛同者が激増するということは無いし、マスコミ報道は何回も露出する内にボディーブロー攻撃みたいに少しづつ効果が出てくるもんだと思う。
f0225473_215441100.jpg
インドの田舎では、今でもバスの屋根に乗ることだってある。多少の事では動じない俺でさえ、荒地の走行では何度か悲鳴を上げたことがある。危険よりも便利な方を選ぶのがインド式。本当に乗りたければ道理より無理が通るのである。


予算が無いから何も出来ない、というのは目標実現への意欲の欠如を言い訳している事にならないのだろうか?

縄文カヌーに興味を持ったある市外在住の大学生に、ボランティアスタッフとしてイベントに来ないか?と誘ったら、「是非参加したいですけど、一番のネックが交通費と宿泊費の問題でして・・・」と来るんだか来ないんだか分からない生返事をした。
俺の学生時代だったらヒッチハイクして何処へでも行ったし、野宿だって厭わなかった。
夏休みの帰省も、慶応ボーイだった叔父がそうしたように、ヒッチハイクでの帰省だった。
学生なら金が無いのは当たり前で、ヒッチハイクしたのは金の節約という側面もあるけど、一番の理由は冒険心と遊び心で、そうすることが楽しかったのだ。
貧乏を楽しむ余裕があったとも言える。
男ならもっと白黒ハッキリと断言しろっ!と言いたくなったが、要は何が何でも実行しようという意欲が無いだけだと判断して、「来れたら来いよ」と言ってアテにしなかった。
結局、彼は来なかったが、若い癖に冒険心も遊び心も無い可哀相な奴、と同情心すら芽生えてしまった。

またある高齢者は俺の計画を聞いて、「俺がもっと若かったら絶対やっていたよ。」と言っていた。
縄文カヌーじゃなくても、貴方は実際に若い頃に何か夢を実現したことがあるんですか?と聞きたかったが、堪えた。
ちょっと酷な質問だと思ったからである。

マスコミに取材して貰えないから無駄!

お金が無いから無理!

若くないから駄目!

俺にはこんな言葉は言い訳にしか聴こえないし、自分の夢を実現に向けて努力しようとしない要因を並べ立てて「こんな理由があるから出来ません!」というのは、男らしくなくて嫌いだ。
はっきりと、「そこまでの意欲が無い」と言って貰えば俺もスッキリする。

実現しようとしない夢のことを俺は「妄想」と表現する。
実現に向けて努力しているなら「夢」だ。

歳をとってから「俺の夢は・・・だったんだが、結局(金が無くて)夢のままぢゃったわい・・・」なんて言うジイサンにはなりたくない。
[PR]
by jhomonjin | 2011-08-21 21:38 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(2)
8月13日
縄文カヌー作りで余った丸太と端材の処分に困っていたら、イギリス人翻訳家のマットが薪として引き取ってくれる事になった。
そこで陶芸家の水野さんと三人で薪作りだ。
水野さんは京都の都会育ちだけど、彼は薪窯を自作して、薪も自分で作って陶芸をしているくらいだから、こんな時にはとても頼りになる。
炎天下の作業で2tトラック山盛の薪をマットの自宅に運び終わったのが夜8時。
ヘトヘトで腹も減っているし、自分の汗臭さに辟易するが、帰ってから夜10時まで翌日の準備。
水野さんとマットは、共にIターンで糸魚川の山間部に住みついたのだが、二人とも築百年以上の古民家を買い取って自分でリフォームしている。
もちろん畑付きで、二人とも自然農法で野菜を作っているので、色んな分野で俺と話しが合う。
因みに同じ位の不動産物件でも、信州だと倍くらいの値段がするんだそうだ。
f0225473_21353157.jpg
水野さんは、どこで何をやっていても泰然自若として、どこか涼しげな感じがする男だ。マットは裸足で安全靴を履いていたが、そんな処がやっぱ外人である。ブヨの襲撃が凄かった。


8月14日
この日は、縄文カヌーで能生町から東に11キロ離れた名立町の道の駅までの往復22キロを目標にした初航海である。
漕ぎ手は俺と、新潟日報社の田中記者の二人。
新潟日報は新潟で一番読まれている新聞だ。
田中さんはカヌーが趣味だというので、わざわざ隣りの上越市から手伝いに来て貰った。
従軍記者である。
サポート部隊はマット、新潟日報社の田村糸魚川支局長、縄文カヌー仲間の山岸さんの三人。
陸上から偵察した時に休憩しようと思っていた砂浜も、沖ではウネリが大きく離岸堤や岩場で白波が砕けていてかなり危険だし、潮もきつかった。
波高も最大で1mくらいはあった。
一時間漕いで進んだ距離は3キロちょっと。時速は5~7キロは出ていたと思うけど、蛇行分やウネリ、潮に翻弄されて、沿岸距離で往復6キロちょっとの漕行と、思った程には伸びなかった。
無念だが危険なために能生に戻ったが、課題は直進性と持久力だ。
アウトリガーカヌーはシングルパドルで片側だけを漕ぐので、二人で漕ぐと息が合わないと直進してくれないのである。
だから軌道修正で多くの労力がかかってしまう。
特訓の必要を痛感。
f0225473_21384786.jpg
アイ・シャル・リターン!出発点とゴール点にした能生町の弁天岩。橋を通過すると橋の上からヤンヤの喝采。来年は50キロに挑戦するから、我と思わん漕ぎ手よ、三度募集!!


8月15日
当面は小滝区の高浪の池に縄文カヌーを浮かべておくことにして、休日には毎日トレーニングする事にした。
この日は連続二時間漕いだ。
カヌーやパドルの改良も少しづつ行なう。
声を掛けておいたので、小滝の自治会長の丸山さん、公民館関係者がやって来て試乗して貰った。
f0225473_21424979.jpg
高浪の池。遠くの山は明星山で、この構図は写真で観たヨセミテ公園に似ている。「糸魚川のスイス」と看板が出ているが、舶来礼賛主義みたいで俺はこんな表現は嫌いだ。十一月までこの池に浮かべておく予定である。

8月16日
縄文カヌー作りを影で支えてくれたお袋への孝行として、180キロ離れた新潟市の万代島美術館で開催中の「藤城清治展」を観に行く。
藤城さんの影絵は子供の頃から好きだったけど、お袋も大ファンだったとのことだ。
たっぷり二時間以上もかけて丁寧に館内を回りながら、「夢のようだ」と何度も繰り返して呟くお袋に、少しでも恩返しできた・・・らしい。
f0225473_21465344.jpg
十年以上もご無沙汰だった新潟市も随分と変わった。青春時代に十年も住んだ想い出の街だ。万代島美術館のテラスから観たら、信濃川に青森から来航してきた北前船「みちのく丸」が係留されていた。俺は帆船大好き人間なのだ。

f0225473_2151441.jpg
二十代にウインドサーフィンで通った小針浜、四ツ郷屋浜、五ケ浜は、広い砂丘だったのだが今は見る影も無く砂が痩せていた。サーフショップも無くなって草むらになっていた。彼女が座って海を観ていた岩だけがそのままだった。

8月17日
田んぼの草刈を終わらせてから、高浪の池で縄文カヌーの連続漕ぎトライアル。
散歩と同じで、巡行速度なら一時間は平気だ。
半日漕いでいても局部的な筋肉痛は無い。
今日のメインイベントは、『市長を縄文カヌーに乗せる』作戦である。
市長が別件での視察で小滝に立ち寄るとの情報を入手したのである。
この機会をずっと狙っていたのだけど、自治会長の丸山さんに市長をカヌーを舫ってある桟橋まで誘導して貰うように頼んでおいた。
そして僅か三分ほどだったけど、首尾よく市長に乗って貰った。
f0225473_2159556.jpg
公務の最中に縄文カヌーに乗ってくれた米田市長。お付き合い有難うございます。次は糸魚川のゆるキャラ「ぬーなちゃん」と「ジオ丸」に乗って欲しいもんだ。市役所の人、そうなったら観光パンフの写真に使っても良いですぞ。

こうやって五日間の夏休みは終わった。
疲れたわ。
[PR]
by jhomonjin | 2011-08-17 20:43 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)

Starting Over 

今日8月11日は日本海縄文カヌー設立総会だった。
奇しくも東日本大震災から5ヶ月目。
あの日を境に日本はおろか、世界中で何かが大きく変わった。
科学万能主義・科学至上主義の崩壊。
エネルギー政策の転換。
電気に過剰に頼る生活習慣の転換・・・。

俺は、原子力神話が崩壊したあの日をターニングポイントにして、今こそ原始力復興を!と言い続けてきた。
諸般の事情から8月11日の設立総会となったのだけど、3・11の5ヶ月目の節目が設立記念日というのは、まったく縄文カヌーの船出に相応しい。

総会には21名が参加した。
こういった事に慣れている土田孝雄会長は、当初から「設立総会には20名集まれば大成功」と言っていた。
何時もながら、俺は滑り込みセーフという状況になる事が多い。
余談だが、高校一年の時に入試結果を偶然に見た事があるのだけど、俺はビリから3番目位の合格だったようだ。
卒業時にはビリから8番位に成長していたらしい。
f0225473_21303569.jpg
俺の馬鹿ブログを読んだ早津さんは、自ら手書きで横断幕を書いてくれた。どんなお礼をしたら良いのだろう?青森まで真っ直ぐにカヌーを漕ぎ続けるのみだが、俺の宝物が増えた。


設立総会出席者には市議会議員が二名も来た。
信用組合の会長や市内各種団体のリーダーや長老格のお歴々。
「まちつくりサポーターズ」の仲間や友人達、後輩のやっちゃんも来てくれた。
県外出張で参加できなかった丸山隆志副会長(ご存知「つちのこ探検隊」の会長だ)も総会の真っ最中に電話を入れて激励してくれた。

謝辞を述べろと言われたが、初っ端から感無量で絶句する。
喋っていても鼻水がズルズル出てくるので、洟をすすりながらのスピーチというテイタラク振りである。感謝の気持ちで胸が張り裂けそうになった。

雪山の中で、孤軍奮闘でカヌーを作り始めた事。
2tもある丸太を,途方に暮れながらも一人で移動したり、引っ繰り返えす技術を工夫した事。
朝と夕方は寒くて、昼間は直射日光モロに当って暑かった露天作業も今となっては懐かしい。
俺の疲労困憊振りを見かねた大工さんが、工場を無償で貸してくれて、クレーン車を借りてきてまで移動までしてくれた事。
それからは天候に左右されず、真っ平な地面で作業するという快適な環境で疲労感が激減した事。
おまけに電動工具も使えて天国だった。
「まちつくりサポーターズ」事務局の早津さんが、親身になって設立根回しをしてくれた事。
早津さんは俺のブログをチェックしていて、「総会にかかる費用を削減する為に、横断幕を俺が手書きしたら・・・」なんて事をシャレで書いたら、本当に自分で手書きした横断幕を準備までしてくれた。
頭が胸の処まで自然と下がる。
俺が毎日何をしているのか何も聞かずに、黙って朝は弁当を作って送り出して、晩には風呂を焚いて迎えてくれたお袋・・・。
お世話になった人の事を一人一人話していたら、もう駄目だ。嗚咽寸前。
f0225473_213549100.jpg
設立総会に21名も参加してくれた。市会議員、各種団体のリーダーや幹部、童話作家、後輩や友人知人などなど、海千山千のツワモノ達が集まった。多くの人の夢を乗せて、縄文カヌーは船出した。


感無量と絶句の波状攻撃の中、最後は「何卒、皆様方のお力添えを持って、縄文カヌーを青森まで行かせて下さいっ!」と頭を腰の位置まで下げて謝辞とした。

これで本当のスタートラインに立った。
「KEEP PADLLNG!」
[PR]
by jhomonjin | 2011-08-11 23:16 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(3)
8月7日は早朝から快晴で、今日の体験会がハードになる予感がした。
糸魚川市主催の「糸魚川ジオパークでまなそぼ~よ」というイベントがあるのだ。
塩作りや、勾玉作りなど、縄文から前近代にかけての糸魚川にちなんだ産業を、遊びながら学ぼうという体験型の夏休みイベントだ。
自由研究のネタ提供というサービスに、地元の小学生達で賑っていた。
その中に、縄文カヌー体験会を組み込んでもらったのである。
f0225473_19332692.jpg
塩作り体験は、カヌープロジェクトの会長をお願いしている土田孝雄先生が講師。菅笠にダボシャツ、ステテコ姿が板に付いているが、元高校の社会科の先生だっただけあって、話がとても解り易かったのは流石。

この日のために、アウトリガーに縄文チックなペイントをして、ニギニギしくしておいた。
三内丸山遺跡に復元された謎の巨大な六本柱だって、俺はモノトーンではなく、彩色されていた可能性だってあるように思うのだ。
f0225473_19452394.jpg
一隻目は、小滝区の人から頂いた樹から作ったので、「小滝丸」という名前である。この船名の旗も夜なべで作った。こうしておけば、他の地区の人からも樹を寄付して貰えるかもしれないし、樹だって嬉しいだろう。

縄文土器に施された過剰な紋様を、木工や建築にだって施していてもおかしくは無いと思うからだ。
縄文の色といえば黒と赤、それに白だろう。
だからその三色だけで、鋸歯状文と螺旋模様を描き込んだ。
台湾のデーウー族が、今でもこの紋様を好んでカヌーや家屋に彩色しているし、インドネシアの伝統的な家屋の破風などにも、この紋様は刻まれている。
日本では古墳時代の「装飾古墳」や、奈良時代の隼人族の盾にも描かれている文様である。
俺は小学校に上がる前から、何故かこの紋様にノスタルジーを感じてよく描き込んでいた。
インドネシアと台湾の少数民族、古代の南九州人と俺。
どんな繋がりでこの紋様に惹かれてしまうのだろう?不思議。
f0225473_1949759.jpg
ポスカというマジックでろくな下書きもせずに書き込んだが、すぐにインクが無くなってくるので往生した。時間が無くてやっつけ仕事しか出来ないのが残念だったが、本気になれば俺だって上手に書けるのだ、と呟く。でも当人が気にする程は誰も細かい処まで見てないんだよな。幟と船名旗をかがってくれたお袋に感謝である。




それと、「日本海縄文カヌープロジェクト」のPRするために、例によって前日の深夜までかかって幟とユニホームを手作りした。
幟は木綿にマジックで、ユニホームは作業用品屋で五百円で買った長袖シャツにマジックでプロジェクト名を手書きしただけだ。
ユニフォームは、可愛いと評判だったようだ。
これまで二度の体験会をして、俺と直接話しをした人以外はプロジェクトの理解が広まらない事への改善点として、ビジュアルからも訴えるという作戦だ。
f0225473_19543139.jpg
長袖が嫌いだったけど、いざ着て見ると以外にも肌を露出しているよりも涼しくて快適だった。これで五百円では安い。この字も下書き無しでマジックインキで書き込んだが、こんな作業は高校時代の学園祭前夜を思い出して愉しい。









今回は市役所側が二名の職員を体験会専門要員を付けてくれたので、大いに助かった。
炎天下の下、俺の仲間二名も加えて献身的に海水浴客に声掛けして希望者を募ったり、出船入船のサポートをしてくれたので、延べで30~40人を乗船させたにも関わらず、それほど疲れていなかった。

前回の体験会後の異様な疲れ方は、二ヶ月もかかったカヌー作りが体験会前日に滑り込みで完成させることが出来た、という達成感と脱力感が強かったのだろう。
俺はいつもこうやって、綱渡りみたいな事ばかりしている。

f0225473_2114998.jpg
イベントの跡形付けを終えて空を見上げたら、見事な入道雲がモクモクと盛り上がっていた。「正しい日本の夏」の風景だが、夏の終わりを予感した。




f0225473_19592890.jpg
最近友人になったイギリス人翻訳家のマットと漕ぐ。彼は初心者だが力持ちなので、カヌーが極端に右にばかり進んでしまう。トリムするのも大変だが、漕ぎ手の加入は有難い。




9月までには20キロ~30キロ程度の航海を成功させたいが、漕ぎ手が交代要員も含めて最低四人は必要だ。
俺だけなら10月になっても海に出るけど、個人所有のライフジャケットはおろか、ウエットスーツまで自分で用意して漕ぎ手になりたいという意気込みのある奴がまだいないのである。
なんとか盆休みには実行したいが、頼りになりそうな漕ぎ手があと二人欲しい。
早くしないと夏が終わってしまう。
再び漕ぎ手募集~っ!!
[PR]
by jhomonjin | 2011-08-07 21:10 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(3)

求む、漕ぎ手!

恒例の京都稽古会の後に、何人かの整体仲間と食事した。
その中の京都在住の笛吹きの森さん、北海道在住の舞踏家の室野井さん、山形在住で昔、鼓童にいた動法教授のK田さんの三人は、これから岩手の早池峰神社まで1000キロ以上も軽自動車を走らせて踊りのイベントに参加しにいくという。

三日間の整体の稽古を終わって疲れているのに、軽自動車に三人も乗って夜通し1000キロ以上も走るなんて、聞いた俺だって辟易する。
聞けば、山形までは俺と同じ北陸自動車道を通るらしい。
京都から糸魚川まで400キロあるから、俺の実家で一泊したらどうか?と提案したら全員一致で賛成となった。
京都東ICに入ったのは夜7時になっていたので、糸魚川の実家到着は深夜1時前後になる。
お袋に電話して、風呂と布団と朝飯のオニギリの準備を頼んでおいた。
到着してすぐに風呂、三時間ちょっと寝て、朝6時には出発していった。
三人とも慣れているとはいえ、普通の人には真似できないタフさである。
f0225473_2153355.jpg
早朝、早池峰へ旅立っていった踊り三人組み。運転しているのがK田さんで、謹厳実直・品行方正を絵に描いたような好男子。こんな男を見ると「壊してみたい!」と、いたずら心を抱いてしまうのは俺だけではあるまい。


縄文カヌープロジェクトはこれまでのところ、予定通りに進捗している。
7月にはお披露目で二日間に渡って延べで80人は縄文カヌーに乗せたけど、嬉しいことに8月7日にも体験試乗会をやって貰えることになった。
今度の体験会は、糸魚川市主催の観光イベントの中に組み入れて貰ったのである。

当初からの縄文カヌープロジェクト計画は、初年度に小型カヌー「小滝丸」を完成させて、試乗体験会の開催、俺個人の遊びのレベルではなく、オフィシャルな会として体裁を整える、という段階的計画案であった。
その点では及第点だし、試乗体験会も次回で三回も出来たし、多くの賛同者がプロジェクトの設立に協力してくれているので、まずは順調である。

ただ、これまでプロジェクト設立に関わってくれている人達や、お手伝いをしてくれた人達の中には、若い実働部隊が圧倒的に少ないのだ。
これは問題だ。
本当は今年中に20キロ程度の航海をしたかったのだけど、漕ぎ手としてアテになる人がいないのである。
f0225473_21593217.jpg
チラシ表
8月7日(日)の企画チラシ。糸魚川は国内初のナショナルジオパーク認定された。Iターンで糸魚川に住みついた人は、「海と山の遊びが同時にできるし、山の幸、海の幸が豊富で静かな街。」という評価をしているから、これからはもっとアウトドア系遊びをPRせんきゃイケン。


f0225473_21595197.jpg
チラシ裏
チラシ作りする直前に市役所に押しかけてお願いしたにも関わらず、担当の交流観光課さんは即決で参加を承認して、チラシ裏に「縄文カヌー試乗体験会」とちゃんと入れてくれた。
行政が「縄文カヌー」と初めて活字にしてくれた記念すべきチラシだ。
感謝しとります!








だれか糸魚川近郊のマリンスポーツ好きな人、漕ぎ手として立候補しませんか?
五年以内に青森まで700キロの航海を予定しているけども、その予行練習を兼ねて、三年以内には佐渡の小木港までの100キロの航海を計画しとります。
それには初年度に20キロ、二年度に40キロと80キロの航海を実現しておきたいのですわ。

来たれ、若人!
来たれ、冒険好き!海好き!
縄文カヌーが五千年の時を越え、700キロの海を渡らせてくれる益荒男(個人的趣味では若い女性に囲まれた方が嬉しいけどな。もちろん、女性クルーも歓迎)を待っておりますぞ。
[PR]
by jhomonjin | 2011-08-01 21:46 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)