21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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日本海縄文カヌープロジェクト初の長距離航海まであと一週間を切った。
7月7日の朝7時半に糸魚川市能生町海水浴場を出発して、25キロ東の上越市居田ケ浜まで目指す航海だ。
現在の居田ケ浜(通称は郷津海岸)は、波乗りや海水浴場と知られている砂浜だが、縄文の頃から使われていた天然の良港であったらしい。
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以前に「郷愁の筒石港」という記事を書いたが、本当に縄文カヌーの艇庫に借りられることになった。目の前の海は遠浅で海底は砂と岩場だから海水も澄んでいる。海草が林のように生えていて、魚介類も豊富。

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艇庫の状況。今年になって駄目元で持ち主の一人を探して直談判したら「糸魚川の為に頑張っとるそいね、使ってくんない!」と快諾してくれた。古い巻上機とロープ類も頂いたので、二人いれば出入れ可能になった。

らしい、とはある物知りからの情報だと、現在は3キロほど東にある直江津港は元々は居田ケ浜にあったが、江戸時代の地震で湾が沈下して現在は遠浅の砂浜になっている、との事だ。
歴史的には古代には出雲が越後征服の橋頭堡にして、中世には親鸞聖人が上陸して越後に浄土真宗を布教、戦国時代には上杉謙信が越後特産の青芋や佐渡の金を運んだ港であり、北前船の拠点港として知られている。
うる覚えだけど、安寿と厨子王が山椒太夫に騙されて船に乗ったのが直江津だから、おそらく居田ケ浜だったんだろう。

出航地は能生町海水浴場にある弁天岩前。
ここも天然の良港で、恐らく縄文人も使っていたはずだ。
弁天岩の背後には白山神社(中世以前は奴奈川神社)の叢林が只ならぬ雰囲気で控えていて、近くには縄文中期のヒスイの工房遺跡もある。
弁天岩~居田ケ浜まで沿岸を走る国道8号線の距離にして25キロ。

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白山神社の後ろの叢林は立入禁止の聖域。縄文の頃から海の神様を祭っていたんだろう。茅葺の神社は全国でも珍しいが、糸魚川一宮である天津神社も茅葺で、どちらの神社も昔は奴奈川神社で俺たち奴奈川族の産土神だ。

航海のための準備が全て整った。
まずUターン帰郷してからずっと縄文カヌーのベース基地にしたいと思っていた市内の旧筒石漁港の木造舟小屋を艇庫として無償で借りられることになった。
目の前は海だ。
25キロを交代無しで漕ぎ渡る計画だから、6月からは毎週末の訓練を続けていた。
交代無しで上越まで行けないと、縄文時代の海上交通の実態が把握できないからだ。
縄文に限らず丸木舟を使用したイベント的航海のほとんどは、漕ぎ手を30分程度で交代する方式。
おそらく最初から最後まで同じ漕ぎ手という丸木舟の航海は、少なくても国内では過去に例がないと思う。
実際の距離と平均速度を計測するために、大枚をはたいてハンディーGPSも買った。
そして予備漕ぎ手として、縄文とは関係なくマリンスポーツとして縄文カヌーを楽しみたいという若者が3名加わった。
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後が登山家のタイガー、中間が海洋高校出の竜太、前が銀行員の哲っちゃん。他にシーカヤッカーが加わっている。全員が土日休みなのが有難い。正漕ぎ手はタイガーと俺。他のクルーは予備漕ぎ手とサポートをして貰うことになっている。

俺の長年の夢だったことがこの一年で次々と実現していく。
丸木舟を作ること。
市民グループを組織すること。
長距離航海実験をすること。
筒石の木造舟小屋をベース基地にすること。
考古学とは無関係に、マリンスポーツ愛好者を仲間にすること・・・。
何としてでも上越に辿り着きたい。
あとは当日の海況が穏やかであることを願うだけ。
おっと、それとこの一週間は無理をせず、休息を取っておくことだ。
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by jhomonjin | 2012-06-30 20:56 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(2)
二年前の今頃に「気分はもう夏!」というタイトルで、スコールの下でプロレスごっこするカンボジアのフルチン少年の記事をアップしたら、それ以後は検索ワードのベスト3に「フルチン」が入るようになった。
そこで去年の今頃には「フルチン少年に興味のある奴、前へ出て来い!」という内容でアップしたら物凄いアクセス数で、今でも検索ワードベスト3に「フルチン」は健在だ。
世の中には「フルチン」をネット検索するフルチン愛好家っていっぱいいるらしい。
再三言っておくが、俺は「フルチン好きこの指止まれ!」という集合を掛けたんじゃない。
ドンッ(机を叩く音)
お前ら、仲間だと思って変なコメント寄せるんじゃねえ、という怒りの声だったんだかんな。
勘違いしなさんな。
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フルチンキックの図。こんなこと書いてまたフルチンが検索ワードに復活するんだろうか?俺って末っ子長男だからサービス精神が旺盛なのだ。

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兄貴にチキンウイングフェースロックを決められつつもカメラ目線なフルチン少年。唇が紫色に震えていてもプロレスごっこに夢中だった。俺にもこんな時代があった。




ところが今日初めて検索ワードランキングからフルチンが消えていた。
そして栄えある1位は「縄文カヌー」パチパチパチ(拍手)
以下、縄文関連が検索ワード上位に並んでいた。
いよいよこのブログもフルチン野朗のオアシスではなく、縄文マニアの梁山泊になりつつあるのか・・・なったらええのう。

以下は縄文来福(12回目)です。

数日後、大工さんは本当に作業場へ案内してくれた。
電源があるし、天井クレーンまで揃っている広くて立派な作業場だ。
ユニック車での運搬費と倉庫賃料、謝礼すらも不要だと念を押された。
好意に甘えて引越しする事にしたが、せめてものお礼として後で酒を差し出したら受取ってもらえた。
しかし引越後に最も感動したのは、屋内だと陽射しや風雨による体力の消耗が皆無という事。
それと地面が平らだと疲れ難く、作業効率も格段に良いという根本的な事だった。
気分も穏やかで安らげるのも新鮮だった。
日本で定住が始まったのは縄文時代とされている。
土器や弓矢、磨製石器、そして竪穴住居は縄文文化を支えた発明品だ。
私はこの時に竪穴住居に暮らし始めた縄文人の喜びを実感できた。
嵐の晩や雪に閉ざされた晩も、竪穴住居内には食料が蓄えられ、囲炉裏に火が赤々と燃えて安穏と眠りにつくことができたろう。
それは温かい羊水にプカプカ浮かんで眠る胎児の安らぎの記憶。
家とは、生き物の胎内回帰志向が生んだ安らぎの場のことなんだ、とその時思った。
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メコン河を挟んだ対岸がタイというラオス街ファイサーイにて。メコンを見下ろす寺の小坊主さん達の朝食準備風景。火を見入ってしまうのは万国共通。竪穴住居は火を守るために生れた建物という説に納得する風景。
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by jhomonjin | 2012-06-21 22:14 | 縄文来福 | Comments(4)
過去2回の不耕起の田植えでは、田植え後一週間も経つと三割程度の苗が枯れて植え直しをしていた、と前に書いた。
そこで農協のヘニャヘニャ苗では駄目だと悟り、今年は自分で初めての育苗をしたのである。
その結果、田植え後二週間経っても枯れた苗は皆無!・・・パチパチパチ(拍手の音)
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左が農協のお嬢さん苗の根っ子。右が俺が育苗した野武士苗の根っ子。背丈は変わらないけど、俺のは茎が太い。根っ子も長さと太さが断然立派。よく見ると太い根っ子から毛細管みたいなヒゲも沢山出ている。

さて、慌しい日々が続いていて、縄文来福のブログアップを忘れることが度重なっている。
それに途中の回にも抜けがあったようだ。
とりあえず以下は縄文来福(11回目)ですわ。

斧を振り続けて十日目、予定通りに芯材まで刳り抜くことができた。
しかし伐採当初から木口には青っぽい放射状模様が見えていて、その時点でひび割れになっていた。作業時以外はシートで覆っていたが、露天なので昼夜の温度差が激しく、作業時も陽射しが強烈だったから無理も無い。
気休めに木口に木工ボンドを塗って乾燥予防とした。
芯材を抜き終った安堵感に放心して丸太に見入っていたら、通り掛りの大工さんが車を止めて声を掛けてきた。
経緯や状況を話したら、「おまん相当疲れとるみたいだわ。木にも体にもようない環境だそいね、俺の作業場ね引っ越して来ないっちゃ。悪いこと言わんそいね、只で貸してやるわね。」と信じられない申し出をしてきた。
しかもユニック車で運搬までしてくれるという。
大工さんは、今は忙しいので暇な時に作業場に案内してやるっちゃ、と言い残して行ってしまった。疲れ過ぎて都合の良い白日夢でも見てるだろうか?でも大工さんの電話番号を聞いている。
まさしく天佑だ。ほんの束の間、疲れを忘れて笑みが浮かんだ。
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中央の黒っぽい線が心材。太い丸太だとチェーンソウや斧も自在に使えるので楽だけど、小滝丸の船首部は30センチしかないので苦労した。今から思うと露天で電動工具無し、単独という条件下でよくやったもんだ。
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by jhomonjin | 2012-06-16 21:11 | 縄文来福 | Comments(0)
禁糖を始めて2日目に泌尿器に変動が来た。
朝起きたら腎臓のあたりが重くてだるい感じ。
夜中にトイレに1~2回は起きるようにもなった。
泌尿器から身体の更新を始めてくれているのだ。
次いで呼吸器,それから心臓も動き出して(笑うな。真面目な話!)、呼吸器や心臓に関連した部位が賑やかに運動会をしている感じがする。
舌が渋くて膨れた感じがしてタバコが不味くなって吸わなくなったのが6月1日。
毎年入梅宣言の10日前くらいに同じ症状が出てタバコを吸わなくなるのだが、今年も例年通り9日目の入梅宣言だった。
キツい洋モクを日に1箱吸う俺にしては実にきっぱりとタバコを吸わなくなる。
でもこれはタバコを吸いたくなくなって吸わなくなるのだから禁煙では無い。
これで急にタバコが吸いたくなって吸い出した10日後位に梅雨明け宣言されるのが通例。
どういう訳だか俺の体感している梅雨って、気象庁発表より10日間くらい前倒しなのだ。
俺の身体は老廃物の排泄ムード一色な感じ。
過去の打撲もうずきだしてきた。
あと数日で下痢を起こして今年の禁糖が終わる予感。

さて、以下は縄文来福(10回目)です。
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一隻目の小滝丸作業風景。屋外の坂道の途中にあったので、足元には雪解け水が小川のように流れていた。今から思うと相当に過酷な環境だった。大昔みたいに思えるけど、去年の4月上旬の話だなんて夢みたいだ。

作業場はトタン屋根ほどの勾配のついた坂道の途中にあった。
立っているだけでも疲れる上に、雪解け水が常時サラサラと流れていた。
足はシンシンと冷え、足場も悪くよく躓いては転んだ。
こんな条件下では正確な墨出しは是非も無かったが、とにかく人力で移動できるまで軽量化しさえすれば、小滝森林生産組合の車庫に入れることが出来るのだ。
墨出しが終われば、船縁ラインの削り出しだ。
垂直方向にチェーーソウで切れ目を入れ、斧を水平に振って平らに均していく。
次は船内を抉って軽量化だ。
民族例では、丸木舟作りは伐採後の十日以内に芯材まで撤去すれば、ひび割れしないと報告されていたから、一心不乱に作業に没頭した。
朝晩は吐く息が白くなるほどに寒かったが、昼は強い陽射しでTシャツ一枚になって斧を振るった。
生木に直射日光や風を当てるのは禁物だ。
ひび割れの原因になるのだ。
体にも丸太にも劣悪な環境化での作業の連続で、何時しかすぐにしゃがみ込んだり、立眩みするようになっていた。色々な意味で孤独な作業だった。
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by jhomonjin | 2012-06-07 22:28 | 縄文来福 | Comments(0)
縄文カヌーがらみで尋常でない忙しさになってきた。
また去年の暮れから続く二隻目縄文カヌー「明星丸」の伐採から作製、ひび割れ対策、高浪の池搬入、アウトリガー作りなどの息つく間も無い半年間の疲労の蓄積もちょっと尋常ではない。
昨日まで二週間も米の飯が食えなかったし、肉・魚の類は匂いを嗅ぐだけで吐き気がした。
だから主食は果物、フランスパン、麺類をほんのちょっとだけ。
あと一月で上越までの25キロ航海だ。
疲労の回復に努めたいが、やることは山積みになっている。
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田植え直前の大麦。緑肥として植えて3年目だが、徐々に育ちが良くなってきた。肥料は入れてないので、去年の今頃は白っぽくて頼りない状態だったが、今年は太くて色づきもいい。もっと播種時期を早くすれば田植え前に収穫できるかも。


ちょっと遅いけど、今月から整体の流儀に従って禁糖を始める。
禁糖とは梅雨入り前の二週間の砂糖・コーヒー・アルコール・化学調味料抜きの食事スタイルのことである。味醂やハチミツも駄目。
このことで色んな意味での感受性を「素」に戻すという意味がある。
現代の日本人が摂取する砂糖の量は、一昔前までだったら考えられないほど多いだろう。
つまり庶民が砂糖を摂らなかった江戸時代中期以前の日本人に較べたら、素材(外的世界)への味(感受性)に対して甘ったるく志向されて(素直じゃなくなって)きているということ。
妙に過敏だったり鈍感だったり。
戦前のアイヌの食事は、塩っ気だって少なかったたらしい。
江戸時代中期の信州の秋山郷では、塩だって貴重品で味噌汁も塩っ気がなかったと「秋山紀行」に記録されている。
無論、禁糖は身体だってリセットされて梅雨が過ごしやすくなるが、ただ断食のように「食べるOR食べない」という二原論的でないところがミソでもある。
糸魚川では砂糖抜きのフランスパンは売っていないので、ホームベーカリーも買った。
この二週間は店で買った惣菜や外食は駄目だ。
ていうか、自分で作った料理以外は全部駄目だね。
整体仲間にはこれでは喰えるものが無いと途方にくれる人や、我慢が辛いと言う人が多いけど、俺にとってはコーヒー以外はどうってことがない食事だ。
梅雨が近ずくと自然とタバコだって吸いたくなくなるし、甘い物も食べたくなくなるから不思議だ。
だからこの際、上越の航海が終わるまで禁煙だってしちゃうことにした。
おうし、気合を入れて疲労回復に励むケン!と激しく決意する。(ここ笑う処です)

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友人のイギリス人マットから譲ってもらった赤米から育てた苗。根が農協の苗と較べると別の植物かという位に極太で長く育ってくれた。プロの第一君は何度も感心していた。他に自家採種したコシヒカリの苗もある。

さて、今年の田植えは去年の反省から不耕起の田んぼには育苗の段階から自分でやって、根が太くて丈夫な苗で田植えすることにしていた。
不耕起の田んぼでは、農協のヒョロヒョロ苗だと三割くらいは活着せずに枯れてしまう苗が続出していたのだ。例えれば、箱入り娘のお嬢さんを山の中に置き去りして、今後は自給自足しろという感じなんだろう。
これでは後から補植に追われるし、その間にも生育にバラツキが出て困ってしまうのだ。
だからどんなに忙がしくて疲れていても、朝晩の育苗状態のチェックと面倒見を欠かさなかった。

ところがここの処の忙しさと半病人状態から、今年の田植えを諦めるかどうかの瀬戸際に追い込まれていた。手塩にかけて育てた苗を枯らしてしまうのは身を切られるように切ない。
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右が第一君で左が藤巻さん。田植えといっても慣行農法の水田とはまったく風景が違う。無農薬・不耕起での自然農には、慣行農法から切替えて三年目で最悪になるというのジンクスがあるが、土の状態はよくなってきている。

持つべきものは友だ。
諦めかけた田植えを半日だけ手伝えるという仲間が二人いてくれた。
三人で半日だと半分もいかないだろうけど、やるだけやろう、ということになった。
来てくれたのはUターン帰郷してから趣味で自然農法を始めた鍼灸師の藤巻さん。
彼は農業未経験者だけど、鍼灸師という立場から自然農に目覚めたらしい。
俺とは逆のコースだが、糸魚川で自然農法している人物をパソコン検索して俺のブログを見つけたんだそうだ。春先からちょくちょく手伝いに来てもらっている。
もう一人は、上越市の朝日池総合農場の御曹司の平澤第一君。
第一とは変わった名前だけど、女が二人続いて生れた後の長男ゆえの命名だそうだ。
そして俺の整体の弟子第一号でもある。
午後は俺一人で7時までの作業。
残り1時間で半分終了ということろで日が暮れた。
一緒に作業する仲間がいるっていいことだ。
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by jhomonjin | 2012-06-03 21:42 | 自然農法 | Comments(2)