21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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<   2012年 07月 ( 8 )   > この月の画像一覧

7月31日時点での絵具サンプルは12色になった。
糸魚川にはベンガラが作られる赤土はなかなか見付からないが、かわりに白土・緑土・青土・オレンジ土なんていう不思議な色の粘土が採取できる。
こんな地域は珍しいのだそうだ。
しかもどの色の粘土も「日本活性白土社 青海工場」という会社の同じ鉱山から採掘されているのだ。
白土さんに協力してもらって、今度は鉱山と試験室に連れていってもらうことになっている。
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12色になったサンプル。最近では会う人ごとに絵具サンプルを見せて、絵具作りの愉しさ、フェイスペインティングの愉しさを説いて回っている。



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月末恒例である整体の京都稽古会にて。稽古仲間もフェイスペインティング。着物姿に縄文人の化粧をするという前代未聞の装いである。ベテランの大先輩も気軽に応じてくれたが、身体感覚の敏感な人達だから、感想も面白い。

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左のKさんは寡黙にして謹厳実直を絵に描いたような正しい日本男児だが、台湾の裸族みたいで最もよく似合っていた。右のTさんは関西の指導者で、この人もジャングルが似合う南方系の原住民っぽい雰囲気。

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京都のゲストハウス「ボラボラ」のホストファミリーも。奥さんは糸魚川の薬石(流紋岩)のファンで、いくつも購入したそうだ。薬石の効能の実体験など面白い話を聞けた。身近に置くと排泄効果が実感したそうだ。

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糸魚川の老舗蒲鉾屋の看板娘のSちゃんも。いつも元気な彼女は新商品の開発にも意欲的。フォッサマグナに因んだ「断層蒲鉾」や、ギフト用「デコレーション蒲鉾」など意表をつく蒲鉾を連発する作家?どれも美味いです。

縄文の学校では、絵具作りをして最後にフェイスペインティングやボディーペインティングをする予定である。
大人でも愉しいから、子供達はさぞ・・・と思うが、子供は恥ずかしがってなかなかやらせてくれない。「もののけ姫ごっこ」だじょ~と言ってちょっとだけ描かせてくれる。
縄文の学校の応募者はまだ無いようだが、エンジンの掛りが悪い糸魚川人のこと、なんとかなるだろうけんが、早よ~応募してきてくんないっちゃ。
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by jhomonjin | 2012-07-31 22:40 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(2)
縄文時代の顔料といえば、ベンガラが確実に存在している。
酸化第二鉄を大量に含んだ土を焼いたものだ。
試作したベンガラを水に溶いて、「もののけ姫」みたいに目の下に縦線をいれるフェイスペインティングをしてみた。
今時の子供はカブれたりして問題になるかもしれないので、人体実験のつもり。
赤茶が乾くとまるで血糊みたいな感じがして、凄惨というか精悍な顔立ちになった。
のっぺりした現代人の顔が、野性味ある戦士の顔に豹変するのだ。
心なしか首筋がきりっと伸びる感じがして、悪い気分ではない。
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猛々しい戦士に豹変した竜太。外側の赤はベンガラ。内側の黄色は長者ケ原遺跡周辺の赤土から作った。土は焼いても赤くならないのもある。鉄分含有量やその他の問題らしい。今は見ただけで判別できるようになった。

洗面所でペイントしていたら、お袋はちらっと見たきりなんとも言わなかった・・・。
汗をかいても簡単にはおちないし、水で顔を洗っただけでは顔料が残って、タオルで擦り取るようにしないと完全には落ちないくらい絵具として優秀だ。
こんなことしてみると、赤ってやっぱり血の色なんだ、と実感できる。
白は骨の色。モノゴトの本質・核心には白が隠されているという感じ。
黒は木炭を潰して作る。

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石皿は縄文時代の複製品を安山岩と砂岩で作った。色々試したが、擦り石は潰した卵状で、片手で余るくらいの大きさの御影石が使い易いようだ。ドングリもこれで粉にした。結構な微粉末になる。

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縄文料理の実験も同時進行。夜に主婦ボランティアさんの家に集まって石皿で木の実を粉砕して縄文クッキーの試作をしてもらった。石皿の使い方は石を前後に揺すって粗く砕き、らせん状に動かして微粉砕すると効率がいい。

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糸魚川にはベンガラが作れるような土はなかなか無い。ベンガラが作れる赤土は、赤味がかった黄色い土。あっても少量しか採取できなかったり、採取する場所のよって色も違ってくるから面白い。

作り方は簡単だが根気とそれなりのコツがいる。
①天日乾燥
 土がべたつかない程度まで。夏の晴天時なら拡げておけば半日で充分。
②石で砕いて粉砕
 石皿の上で擦り石(丸い石)で砕く。
③三段階くらいのフルイにかけて、有機物や石を除去する。
 これにもっと顔料として品質をアップするには、水ひ(水に沈殿させて上澄みを捨てる)をすれば 伸びやかな顔料ができるが、省いてもそれなりの顔料になる。
④土の上で焚火するかフライパンで焼く。
 3分~5分もすればくっきりとした赤茶色に変色する。
基本は以上だ。
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左が粉砕後に百均で買った粉フルイで漉した赤土。有機物の混入が多かったので、水ひして沈殿物を乾燥させている途中が右側。結局、この赤土は焼いてもサーモンピンクにしかならなかった。
 
顔料にニカワ等の定着材(メデューム)で溶けば、日本画の絵具になるが、現在は天然素材ではなく化学合成した顔料も多いようだ。
同じ顔料でもアラビアゴム等で溶いた絵具が水彩絵具だし、乾性オイル等で溶いた絵具が油絵具になる。
面白い。
実に面白い。
今まではただのベト(糸魚川方言で土のこと)に過ぎなかったものが、今では宝探しみたいにキョロキョロ探して回っている。
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by jhomonjin | 2012-07-22 20:46 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)
8月25日(土)~26日(日)に『縄文の学校』を開催する。
日本列島の割れ目、フォッサマグナのある糸魚川には、多種多様な鉱物資源がある。
その代表がヒスイで、縄文時代から特産物として各地に運ばれていたのだ。
俺のやっている日本海縄文カヌープロジェクトは、その海上ルートの一つである糸魚川~青森間を丸木舟で航海して検証していこうというものだ。
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二隻目縄文カヌー「明星丸」でポーズしている男はプロジェクト最新兵器、期待の新人20歳の竜太だ。地元の海洋高校出身。明星丸も段々と仕上がってきている。全長5・5m×最大幅56㎝のシングルアウトリガーカヌーだ。

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竜太の顔に施されている模様は、実験で作った絵の具によるフェイスペインティングである。赤茶は縄文の赤であるベンガラ、黄色は長者ケ原遺跡近くの赤土から作った。若いヤツはノリがいいから現場が活気づいていいもんだ。

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竜太は海洋高校で海洋訓練を受けてきたはずだが、「おい、カヌー舫っておいてくれ。」と頼むと?てな顔をする。舫い結びだよっ、と怒鳴っても?の顔。仕事内容を説明すると「あっ、ボーライン・ノットですね?」だって。でも結べなかったよな?!

糸魚川の縄文人は、宝玉としてのヒスイ・石斧として最高品質の蛇紋岩類、それらの砥石を積極的に採集していた。
フォッサマグナの地質的地域特性の恩恵を享受して生活していた訳だ。
そこで『縄文の学校』は、フォッサマグナと縄文をキーワードに、縄文人が使っていたと思われる鉱物由来の絵具作り体験をやる予定。
だから今はその準備として、海岸で拾った石や野山で採掘した粘土で絵具作りの実験中だ。
メイドイン糸魚川であり天然素材100%の縄文絵具である。
企画の詳細はプレスリリースが済んでからアップする予定。
特別講師は関根秀樹先生。
先生は俺の縄文の師匠で、縄文文化研究のオーソリティーとして著明な人であり、多摩美術大学特別講師、和光大学非常勤講師もされている。
Uターン帰郷する時に、帰郷したら先生を講師として糸魚川に招待すると約束したが、3年目にやっと実現できる。
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by jhomonjin | 2012-07-20 22:34 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(3)
7月16日の海の日に能生町海水浴場で縄文カヌーの体験会をした。
俺は延べで5時間弱ずっと漕ぎ手だったが、昼休憩以外は休む暇なく体験者が続いた。
若干は後背筋に張りがあり身体がだるい感じだが、直射日光の下にいた訳だから無理もない。
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信州からの体験者が大部分だった。岩の上でカモメが5羽止まっている横を通った時に「カモメだ!こんな近くで見たの初めて!!」と喜び、カモメが鳴いたといっては感激してくれるので、信州人を乗せるのは愉しい。

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この少年も信州人。何時もニカニカ笑っている子供らしい子供だった。

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「ヤダッ、これってヤバくない?」「うん、チョー愉しい!」とギャルもやたらと感激してくれるから俺も愉しい。地元ギャルだったが、テトラポットの裏側を見たのは初めてだそうだ。



来週、再来週と体験会が続く。
夏は短い。
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by jhomonjin | 2012-07-16 22:21 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)
中古車屋から耳寄りな情報が入ったのは二年前。
廃車から外したシートベルトの意外な使い道だ。
シートベルトは丈夫なので、スタックした車両の脱出時の牽引用に長宝するというのだ。
そこでいざという時のために端材を7m分ほど只で分けてもらった。

普段は愛車である軽トラの座席後部の隙間に積んであるが、3mと4mに切ってそれぞれ輪にしてある。かなり狭いスペースだが、柔らかい素材なので隙間に馴染んで嵩張ったりはしない。

輪になっている方が何かと便利だし、「一重継ぎ」という結び方で輪にしてあるので、結び目にシノでも差し入れて解せば簡単にばらせる。(注;無くてもばらせる)

シノは土方が番線を結束させる時・・・巻き締める・・・に使う道具だ。
冗談抜きに、闇討ちでシノで腹を刺された土建屋の親方を知っている。
余程、恨みを買っていたんだろう。
だから護身用にもなるし、簡易なハンマーとしても使える。
電動ドリルを持っていない土方が、シノをハンマーで叩いてベニアを貫通させた現場を目撃したこともある。現場の人は逞しい。

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シノ単体よりも根元が17-19サイズのラチェットレンチになったタイプが単管クランプにも使えて多機能。小型で先端が曲がったタイプの方が硬く結ばれたロープ類をほぐす時に使い易い。シノも多機能な骨太サバイバルグッズ。

シートベルトは牽引以外にも、重量物運搬にも使える。
俺は「日本海縄文カヌープロジェクト」という、縄文時代の丸木舟で新潟から青森まで航海するという市民活動をしている。
例えば重量200キロ弱の縄文カヌーを人力移動する時。
丸木舟の前後二箇所で、輪になったシートベルトを潜らせ、片方の輪の中にもう片方の輪を入れて上に出す。
出した輪の方に長さ1.5mの単管パイプ(3mものを切断したため)を通せば、男四人で神輿のように移動可能になる。
ロープよりしっかりと締まるし、幅が広いので手で引張っても痛くなり難い。

この時に重要なのは、移動物の大きさと持ち手の体格に合わせて、出た方の輪を適切に縮めること。
運搬距離と足場の状況、運搬物の形状、運搬者の体力にもよるが、一人当たり50キロ前後の加重負担が人力運搬可能な目安だろう。
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普段から車載工具にしている輪にしたシートベルト。輪にする方法は本結び、テグス結びがあるが、もやい結びの変形である一重継ぎがベストだろう。絶対にほどけたく無いなら二重継ぎ。クルクル巻いて置けばコンパクト

重機で吊上げる時には、スリングという専用吊具を使うが無論こちらがずっと丈夫だ。
しかしスリングは高価だし、嵩張るし、用途が限られてしまう。
その点、シートベルトは多用途でコンパクト収納可能だから、常備すべきサバイバルグッズとしてイチオシなのだ。

満タンにしたポリタンは20キロ。
給水場から仮設住居まで2キロ歩くとしたらどうするだろう?
我慢して手で持つか?
俺ならシートベルトを使って背中に背負う。
ロープワークの知識と知恵さえあればバックパックみたいに担げるのではないだろうか?
こんな時はロープより肩に食い込まず、断然と使える。
しかし待てよ・・・この場合はアイヌの背負子式に、ポリタンの取っ手部分で結んで、おでこに輪をかけた方が楽か?・・・。
命綱にする時も、こっちのほうが具合が良さそうだ。
子供のおんぶ紐にだってなる。
低温でも濡れても硬くならない点も嬉しい。
・身近な所で廃材として只か、只同然で入手可能
・コンパクトに収納可能
・用途によって変化自在な活用法
柔軟なのに骨太なサバイバル用品の優等生。
シートベルトは一器多用のお手本だ。
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by jhomonjin | 2012-07-08 22:06 | サバイバル | Comments(0)
新潟沿岸部の最新の気象情報は、能登半島沖の艫倉島灯台(ヘグラジマ)の気象情報が30分単位の更新だから、漁師やマリンスポーツ愛好者がよく利用する。
能登の気象状況が2時間程度の遅れで新潟までやって来るからだ。
前夜11時に電話してゲッ、と声を出した。
そして凹んだ。
風速30ノット、つまり風速約15mで、波高1.5m!
沖合いで阻害物の無い島の海況とはいえ大荒れの海だ。
気象庁は何をやってんだっ!と電話の向こうの女(無論、機械が喋っている)に悪態をつく。
朝になっても風は大分おさまってきたが、6時30分に出航地の能生町海水浴場に役員一同集合して協議した結果、航海は中止となった。
昼から天候回復の見込みもあったが、モチベーションが下がっているので全員一致で中止だ。
見送りに来た人や、集まった取材陣に申し訳ない。
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能生町海水浴場のシンボルの弁天岩。縄文海人も信仰していたのではないだろうか。夏の花火大会には弁天岩が火山の噴火のようになる人気スポット。湾内は穏やかそうだが、沖合いは波高1m以上はありそうだ。

もともと航海時期が悪かったのだ。
俺の当初からの希望は梅雨時前の初夏(㋄~㋅)にしたかったが、漕ぎ手の問題や様々な問題があって、七夕の決行になったのである。
次点は梅雨明だが、来週以降から各種のイベントが目白押しで、俺自身もサポートスタッフも時間が取れない消去法的選択だったのだ。

漕ぎ手にしても現在は5名いるものの、訓練を積んだ船長クラスはタイガーと俺だけだし、タイガーにしても仕事柄、連休明けから7月上旬までの期間限定の漕ぎ手だ。
春でも使えるウエットスーツ持っているのは俺だけという状況だから、無理も無い。
来年までにもっと人材確保と育成に励むことだ。

俺にしても直前まで準備に追われ、充分な休息が取れていなかった。
前夜も深夜まで気象情報確認や、関係各方面との連絡に追われて睡眠は5時間弱。
だから中止決定で、肩の荷が下りてホッとしたことは確かだ。
俺が発起人で他の人はサポートという按配だから、俺に仕事が集中するのは仕方ないが、来年は実行委員と漕ぎ手の役割分担を明確にして、漕ぎ手は漕ぐことに専念させたいのが今回の反省点。
意欲的な漕ぎ手を大募集!
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by jhomonjin | 2012-07-08 12:11 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(4)
海はずっとベタ凪が続いていた。
でも今日から雨が降り出して、とうとう明日7日は大雨と雷雨注意報が出てしまった。
漁師に聞いてみたら、ウネリも明日は厳しいだろうが明後日なら回復しそうだ、とのことだ。

「帰ればまた来ることができる。」とは旧帝国海軍の木村中将のセリフ。
木村中将は兵学校をビリで卒業して、戦時中も派手な戦果を挙げることもなく定年を迎えようとしていた窓際族の海将だ。
風采も上がらず、人となりも地味で田舎のおっさん然としていたようだ。
終戦末期、北太平洋のアリューシャン列島に展開していた海軍陸戦隊と陸軍部隊は、米軍に制海権、制空権ともに握られて完全包囲の孤軍状態。
まずアッツ島が玉砕した。
次は五千名の将兵が残留するキスカ島が玉砕寸前という時になって、海軍も重い腰を上げてキスカ救出作戦を具体化することになった。
見殺しにすべきか救出すべきか議論した挙句に、見殺しは海軍の沽券に関わるが、作戦に割ける兵力は微小という見栄を優先した曖昧模糊とした作戦である。

物資も乏しい時期で、華々しい戦果も期待できない救出作戦だからエリート将官は指揮官になりたがらない。
しかもキスカ島には、当時実用化されたばかりのレーダー装備の圧倒的な米軍勢力に完全包囲されているから、救出に向った部隊が返り討ちになる可能性が高い状態。
そこでどうせ駄目元な作戦だからと指揮官に任命させられたのが、窓際族の木村中将。
通称、「ヒゲの木村」である。

木村中将の立てた作戦は、アリューシャン列島に発生する霧に紛れて救出艦隊をキスカ湾に入港させるというもの。
しかし霧の発生を予報してキスカに近寄いても、途中で霧が晴れて引き返したりを何度も繰り返して作戦は進展していかない。
軍令部は兵力も燃料の無駄使いと批判、積極的な作戦遂行を催促してくるし、木村艦隊内部の血気盛んな将校達も「石橋を叩いても渡らない」木村中将に不満を持ち始める。
その時に「帰ればまた来ることができる」というセリフを言ったのだ。
そしてついに奇跡が起こった。

木村艦隊を待ち疲れた米軍が、霧から覗く鯨か岩を木村艦隊と勘違いして一斉砲撃。
艦隊すべての弾丸を撃ち終えた時に間違いを悟った米軍は、補給のためにキスカ包囲を一日だけ解いたのだ。
キスカ島から沖合いの砲火を見た残留将兵は、救出艦隊の全滅を覚悟したそうだ。

東宝の「キスカ」という白黒の戦記映画があって、これは傑作だ。
木村中将役は三船敏郎。
この映画は役者全員が抑えたシブイ演技をしていて、やたらにリアルだ。

米軍の完全包囲が解けた事も知らず、霧のキスカに決死の入港をする木村艦隊の先陣は旗艦「阿武隈」。
キスカ入港時、霧に見え隠れする暗礁を避けるために微速前進する艦隊が、潮流が激しくて思うように舵が取れない。
そこで三船演じる木村中将が、「よし、舵は俺が取る。全鑑に信号!『全速前進・我に続け』」と静かに毅然と命令するのだ。
つまり座礁の責任の一切は、指揮官自らが取るという行為。
このシーンが「キスカ」のハイライト。
このシーンの特撮は円谷英二が監督したそうで、当時は特撮ではなく実写ではないか?と評判になったらしいが、特撮だの実写だのという余計な詮索は無意味な緊迫感ある映像だ。

沖から近ずく艦隊の機関音に、残留将兵はすわ米軍上陸と玉砕を覚悟。
そこへ阿武隈から高らかに帝国海軍の入港ラッパが吹奏されて、初めて味方が救援に来たことを悟って歓喜したそうだ。
これは実話で、米軍はその後にもぬけの殻となったキスカに大量の砲弾を降り注いでから決死の上陸を決行して、自分達の作戦ミスに気が付いたそう。
「太平洋戦争中の最高の奇跡」と評される由縁である。
映画も派手な戦闘シーンが無いのにドキュメンタリー的な迫力があって、レンタルもあるので是非観て欲しい。
俺の観た戦争映画のベスト5に入る傑作。

航海が延期になって、キスカを想い出してこんなことを書いてしまった。
帰ればまた来ることができる。
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by jhomonjin | 2012-07-06 20:20 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(2)
前回の記事に、浅草のシンタローが「祭りみたい」だとコメントしてくれた。
嬉しいねぇ、分かるヤツには分かるんだよな。
祭りバカなら説明せんだって分かってもらえるもんだ。
日本海縄文カヌープロジェクトそのものが、俺にとっては祭りなのだ。
縄文カヌーが神輿。
だからプロジェクト会員は神事に携わる氏子だってのが、俺の基本姿勢だ。
何の神様かって?
五千年前のご先祖様に決まっとる。
その象徴がヒスイであって、時代が古墳時代くらいに下がるけど人格神が奴奈川姫様だ。
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天津神社。左の石舞台は、四月十日のけんか祭りの時にだけ舞楽が奉納される特別な舞台。この砂利道を男達は雄叫びを挙げてケンカ神輿を走らせる。ここに来るだけで自然と胸が熱くなるのは祭りバカの証し。

さて、今朝は糸魚川一宮の天津神社に航海の挨拶をしてきた。
俺は神前に額ずくと自然と頭が真っ白になって何も言葉が浮かばなくなるから、何か神頼みするという訳ではない。
神仏を尊び、神仏を頼まずってやつだ。

ただ天津神社は今回の航海にとっては特別な場所であるようだ。
どうも現在は海から2キロほど内陸にある天津神社北側(海側)は、縄文時代には城ノ川という川で海と繋がった沼沢地であったようだ。
そう言われれば神社と北側の道路は落差が2m近くあるから、縄文時代の神社付近は岬のように沼沢地に突き出ていたのかもしれない。
高台にある長者ケ原遺跡で加工されたヒスイが、岡を下って神社付近にあった村に運ばれ、そこから城ノ川から丸木舟で海へ出ていたと推測されているのである。
つまり海のヒスイロードの出航地なのだ。
だとすると、今朝の神社詣では五千年前のご先祖もさぞ喜んでくれたろう。
なんてたって子孫が自分達を偲んで断絶していた海のヒスイロードを復活させようとしているのだ。
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神社参道から北を眺めると、高台になっているのが分かる。右の池は沼沢地であった頃の名残りらしい。五千年前にここから村人に見送られて縄文カヌーが出航したのかも知れない。だとすれば糸魚川縄文人の玄関口だ。

但し、教育委員会の学芸員さんによると、縄文時代中期には温暖化で現在より海抜が5m上がっていたとされる「縄文海進」の影響は日本海側には当てはまらず、沿岸の地形は現在とそれ程は変わりが無いらしい。

平日の早朝でも、天津神社には仕事に行く途中に寄っていくと思われる人達が次々と参拝していく。
俺が参拝していたら、後で待っている作業服のおじさんがいた。
俺たち奴奈川族の産土の神様だ。
大事にせんきゃ。
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by jhomonjin | 2012-07-03 20:36 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(1)