21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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郷土史家の土田孝雄先生と日本画家の川崎日香浬さんの3人で奴奈川姫関連の遺跡巡りをした。
貴重な体験なので多くの人にも声掛けしたかったが、ちょっと訳ありで3人だけで決行。
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まず行ったのが、奴奈川姫が入水自殺したとされる稚児ケ池。
俺はこれまで何度も行っていたが、ガイド付きは初めて。
しかもガイド役が長年に渡って市内の史跡や遺跡を丹念にフィールドワークしてきた土田先生だから面白くない訳がない。
ごく少数の人しか知らない郷土史や、先生の著書にも書かれている古墳と思われる未発掘の遺構らしき場所など教えて貰った。

f0225473_18102996.jpg稚児ケ池には市の花のササユリが沢山咲いていた。普通は白だけど珍しいピンクのササユリも発見。









もったいない話し。
糸魚川にはこんな面白い場所があるのに誰にも知られていないのだ。
しかも市街地から車で10分もかからない俺の家の真裏の里山の中。
色々面白い話が沢山あったが、先生はそれらについてまだ詳細な調査がされておらず、執筆もされておられないようなので、ここで詳細は書かない。

一つだけ差しさわりのない話しを紹介。
戦前まで俺の生まれ育った寺町区と押上区の人達によって、稚児ケ池で舞いが奉納されていたとのこと。
その季節やどんな舞いが奉納されていたか、けんか祭りとの関連は不明らしい。
稚児ケ池のある経ケ峰地区の人達ではなく、なんで寺町区と押上区の人達が舞いを奉納したんだろう?
その他にも歌垣やお籠もり、御手洗池の話しなどなど。

ヒスイの象徴、我らが産土の女神であられる奴奈川姫命のことをもっと多くの人に知って貰いたい。
俺が「ぬなかわヒスイ工房」というヒスイ加工の工房を作っているのはそんな想いからだ。
糸魚川市民よ、もっと自分たちのご先祖に興味を持って誇りに思ってくれい。
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# by jhomonjin | 2013-06-06 18:27 | 田舎暮らし | Comments(0)
セルフビルドしていたヒスイ工房が完成しつつある。
工房の壁に、3年も前に知人から貰った地図を貼った。
自室には貼りたくても貼る場所がなかったでっかい地図。
工房に遊びに来た女流日本画家も感動して、写真に撮っていったくらい面白い地図だ。

f0225473_2005762.jpgこの地図は富山県が発行の富山県を中心にして南北を逆さまにした日本地図。つまり地図の太平洋側を上に、日本海側を下にしているので、見慣れた日本列島もこうして観ると面白くて見飽きることがない。

f0225473_2061474.jpg地図に感動して写真まで撮った女流画家の川崎日香浬さん。彼女の個展が家の裏にある谷村美術館であったので、最終日に工房に遊びにきてくれた。和服がよく(エヘン!)似合う美人である。



こうやって観ると日本海は内海だ。
樺太から本州、九州、琉球列島、台湾まで島が連なっているから、舟と航海技術さえあればユーラシア大陸や朝鮮半島、東南アジア、オセアニアまで簡単に行けそうに思えてくる。
文字通りの逆転の発想・・・それは航海者の視座。

国家という概念の無かった縄文時代には、首都も無ければ裏日本や表日本という分別も無かった。
青森の三内丸山遺跡も糸魚川の長者ケ原遺跡も水平線に浮かんだ島々。
縄文時代のヒスイ出土地の最北端は、北海道の礼文島。
最南端は沖縄本島の糸満市。
丸木舟が繋げていった「海のヒスイ・ロード」だ。

縄文人の視座は航海者のそれと同じではなかったろうか。
この地図を観て、縄文海人を空想して遊んでいる。
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# by jhomonjin | 2013-06-05 19:13 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)
漕いでも漕いでも500m先の有間川漁港は近寄ってこなかったが、竜太と必死に漕ぎ続ける。この500mが今回の最も困難な状況だった。
有難いことに漁港に近づくにつれ、ウネリが小さくなってきた。
09:00 やっとの想いで入港。
まだ出航してから4時間しか経っていないのに、一日が終わった感じ。
ここまで休憩無しだったので、クルーの休憩も兼ねて2時間の潮待ちをすることになった。


有間川漁港には、誰でも利用できるログハウス風の洒落た休憩所があり、そこで朝飯兼の昼食。
航海成功を確信した関係者一同、安堵感と達成感で賑やかな食事休憩となったが、食事後はベンチや二階のロフトで各自横になる。
疲れて眠かったが、いざ横になっても気が昂ぶっていて数分で起きてしまった。
竜太も同じだったみたいだ。

f0225473_20252619.jpg3年越の願いが叶って居多ケ浜が2キロ先に見えてきたので、ラストスパート前の小休止。立って手を広げているのが牧ちゃんで、普段は絶対こんなことはしない生真面目な男。手前がセブンイレブン竜太。


11:00 伴走船で沖に出て偵察し、潮もウネリも弱まっていることを確認。
11:25 再出航。
最終レグは残すところ8キロ程度になっていたので、ラストスパートは牧ちゃん・竜太・俺の3人で漕ぐことにした。
この3人なら多少のウネリがあっても2時間以内にフィニッシュできる距離だ。
俺にしても他のクルーにしても、去年から苦楽を共にした戦友と一緒にフィニッシュできるのは感慨深い。

沖には大きいウネリが残っていたが、漕ぎ手は意気軒昂。
悪天候で中止になった去年のリベンジに燃えていた。
滅多に喋らない牧ちゃんが、変な掛け声を出してはしゃいで漕ぐ。
今見ている風景は、上越市の海岸。
日本海縄文カヌープロジェクトをたった一人で始めて3年目・・・やっとここまで辿り着いた。
みんな有難う・・・喜びを共有できる仲間がいる、そのことだけでも財産・・・と胸が熱くなる。


f0225473_20125685.jpgあと数百mで上陸という頃合いで「ガン漕ぎいくぞうっ!」と気合。ガン漕ぎとは頑張って漕ぐという意味の最速ペースの漕ぎのこと。パドルよ、あれが居多ケ浜の砂だ、と悦に浸っていたらクルーは上陸直前に力尽きた。

最後の難関は、有間川フィシャーナという釣り用の桟橋沖の「二つ岩」。
大きな岩が二つあるが、その周囲には岩礁が沢山あるから要注意なのだ。
満潮で岩が隠れている・・・白波が立っている所や海底が黒く見えるとこをを何度か迂回して難関突破。
ウネリがあるとこんな海域には神経を使う。

沿岸を走る国道8号線に、直江津入り口の郷津トンネルがポッカリと暗い口を見せてきた。
最後の入り江を回ればあと500mでフニッシュ。
上陸予定地は東側の郷津海岸か、隣接した西側の居多ケ浜。
郷津海岸はサーフィンのポイントだからウネリを心配していたが、この時はサーファーもいない静かな海だった。

砂浜で大勢の仲間が手を振っている・・・照れくさくて直視できない。
12:50 迷わず西の居多ケ浜に上陸。
航海距離26.6キロ・航海時間7時間50分。
航海中の平均速度4.8キロ・最高速度11.9キロというのが今回の航海実験の記録。

出雲や親鸞上人が上陸して、「安寿と厨子王」が人さらい騙されて京に送られ、上杉謙信が軍港にしていた歴史ある古の直江津港だ。

f0225473_20182078.jpg予想外に多くの人達が出迎えてくれた。正直、照れくさくて仕方ない。インタビューで「今の感想は?」と聞かれて「感慨無量です。多くの仲間のお蔭で無事終わりました・・・これで暫らくは普通の生活が送れます・・・」と答える。


f0225473_20183248.jpg予想外の胴上げ歓迎・・・と思いきや海に抛り投げられて水中プロレスごっこになった。無邪気に遊んだ。ひっくり返って笑った・・・牧ちゃんがメガネを海に落としてみんなで探す図。(今回の写真は糸魚川信用組合まちつくり推進室提供)

出迎えの人達と懇談していたら、竜太が無言で近づいてきて黙って俺の携帯電話とメガネを外した。
???と思う暇もなく、何人かが俺を担ぎ上げた・・・胴上げか?・・・いや違った。
仲間たちは俺を担いだまま波打ち際に走って行く。
どうやら俺を海に抛り投げるつもりらしい。
俺も只では済まさない。
ちょうど両脇にいたヤツの首を腕で締め上げて道連れにしてやった。
まだ冷たい海でプロレス大会・・・バックドロップやボディースラム・・・牧ちゃんが「海にメガネが落ちたっ!」と悲鳴を上げる・・・みんなで大笑しながら膝くらいの深さを四つんばいになって一種にメガネを探した・・・空は青く、ヒンヤリとした海水が心地よかった。
おしまい
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# by jhomonjin | 2013-06-01 19:33 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)
先発漕ぎ手を見送って、俺たちは伴走船に乗り込むために隣接した小泊漁港に向かった。
伴走船で沖に出てみると、丸木舟は最初の難関である小泊漁港防波堤をとっくに超えていた。
海に突き出た構造物周辺は潮の流れがグチャグチャなことが多く、丸木舟だと操船が難しいのだ。
出航して15分ほどだが、「上越まで行ける!」と航海の成功を確信した。

f0225473_21103015.jpg筒石漁港沖を目指して快走する竜太・槇ちゃんの先発漕ぎ手。伴走船で明星丸に寄ってみると二人が笑って手を振った。「イルカ出ましたよう~!」と竜太がノンビリと言った・・・余裕がある・・・ヨッシャー!伴走船一同が声を挙げた。

沖は北ウネリがはあるものの、波長が長い優しいウネリで西の微風2m。
GPSで平均時速5.6キロ計測。
このままのペースなら4時間で上越まで行ける計算だ。
自然と微笑んでしまう。

日が昇って明るくなってくると、ウネリは相変わらず大きいがほぼ無風になった。
写真で見るとウネリは小さく見えるが、後日にテレビ放映された映像を見たら、ウネリが結構大きくて明星丸が木の葉のように翻弄されていた。
これだけのウネリで平均時速5キロ代を維持できたのだから大したもんだ。

日が昇ったら熱中症に注意だ。
沿岸に岩場と暗礁が続く小泊~筒石漁港間の難所4キロをあっという間に超えた。
先発漕ぎ手のピッチは若干落ちて、平均速度5.2キロ。
筒石漁港沖から先は「、うみてらす名立」のでっかい風車が目標だ。

f0225473_2115897.jpg伴走船船長は、海に出ると「海はいいなぁ!」が口癖の笠原重機(KTEC)の笠原社長。航路の下見までしてくれた義理人情に篤い剣道五段。伴走船は父親の形見で、航海後半は弟の信和さんも乗船したから、本当の兄弟船になった。



f0225473_2128217.jpg「うみてらす名立」に入港する竜太・槇ちゃん組。彼らは弁天岩からの11キロをほとんど休憩なしで2時間で完漕した。「凄げえよ、偉いねぇ~」と健闘を讃えると、竜太は「余裕っす!」と笑って応えた。この光景を夢描いて3年間・・・。


予定では「うみてらす名立」で昼食休憩だったが、朝7時という大健闘の先発組の早い到着のお蔭でタイムスケジュールに余裕ができた。
そこで北風が吹きだす前に距離を稼ごうと,30分ほどで慌ただしく再出航となった。
ここで漕ぎ手は、先発組から後発組の俺と青年会議所の池ちゃんに交代。
名立漁港の防波堤をかわして港外に出たら、ひたすら米山を目指す。
航路は残り60%くらい。
ウネリで蛇行させられる分をみても、あと12~15キロ前後漕げば上越市郷津海岸だ。

しかし「うみてらす名立」からは北の潮が強くなりだして、西ウネリに変わって保針に苦労する。
池ちゃんは3時間くらいしか丸木舟体験の無い初心者だから直進性が悪くなるのは仕方ないとしても、潮と逆のウネリでなおさら船首が振られてしまう。

パドルをシングルから、カヌー用のダブルパドルに変えて必死に針路を米山に保つ。
ダブルパドルは長いので方向修正しやすく、左右の漕ぎの切り替えが素早くできるからこんな時のために用意しておいた。
なんとか平均速度5キロ代キープ。
次第に池ちゃんが下を向いて漕ぐようになった。
「池ちゃん、下じゃなくて米山を見て!目標から目をそらすと針路から外れるよう!」と檄を飛ばすが、すぐに下を向き始める。
どうも池ちゃんの様子が変だ。
何回か「大丈夫か?」と池ちゃんに聞くと、数回目に「船酔いでもう駄目っす」と弱い返事。
伴走船に漕ぎ寄せて「竜太!池ちゃんと交代っ!船酔いだっ~」と叫ぶ。
池ちゃんは出航して30分弱で無念のリタイヤ。

竜太と漕ぐと流石に速い。
17キロ地点の有間川漁港沖に到着した段階で、ますます北の潮が速くなって行く手を阻まれる。
そこに加えて西ウネリが風速3~4mほどの西風で成長して風浪となってきた。
北の潮で船首が南に向かされ、西ウネウリが横からドンドン当ってくるから堪らない。
波長が短い・・・ウネリの間隔が狭い・・・ウネリになってきたから出航時以上に明星丸が翻弄される。
最大波高1m近くなってアウトリガーがバウンドし始めた。
この海況で初心者の池ちゃんと漕いでいたら・・・と思うと慄然とする。
池ちゃんが船酔いして竜太に変わっていたことが幸いした。
竜太は若くて体力があるし、去年から訓練を積んでいるから頼りになる。

そんな状態でも明星丸には波が入ってこない・・・いい舟だ、と健気な明星丸が愛しくなる。
明星丸は、縄文時代の丸木舟レプリカそのものではなく、凌波性のいい沖縄のサバニ船型の船首デザインを取り入れているから当然と言えば当然の話。
船首が波を切り裂いていく感じがたまらなく頼もしい。

f0225473_21523615.jpg俺が漕いでいる写真はないので、竜太・槇ちゃん組の写真。槇ちゃんは真面目だからカメラを向けるとカメラ目線になる。もっと自然に!と注文すると固まってしまう男。15歳も年下の嫁さんがいるが、あれだけ無口でどうやって口説いたんだろう?


「うみてらす名立」までは穏やかな海が、港外に出て西側の鳥ケ首岬付近からは牙を剥き出したのだ。
海って怖い。
操船困難・・・実は似た経験が先週の訓練であったばかりだ・・・その時の記憶が蘇る。
こんな時は早めに安全圏に離脱するに限る。
「竜太っ、有間川漁港に緊急避難っ!」と針路を米山から有間川漁港に変えた。
伴走船は、船酔いが酷い池ちゃんを有間川漁港に上陸させるために不在。
ここで転覆でもしたら・・・と思うと心細い。
潮で500m北東に見える漁港とは反対の南西に船首が向かされるのを竜太と苦労して漁港に向うが、なかなか漁港は近寄ってこない。
危うし明星丸・・・続き
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# by jhomonjin | 2013-05-27 07:57 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)
5月25日の上越航海に向けての事前準備に追われてクタクタになった体調を、この1週間はタイトルマッチに挑むボクサーのように休養に努めた。
極力体力を使わないようにして、早寝早起き、そして夕方には近所の姫川温泉に行ったりなど・・・。
「ぬなかわヒスイ工房」のホームページ原稿が8割完了していたので、夜も仕事せずにレンタルビデオを観て脱力に努める。
子供の頃に夢中だった「ウルトラセブン」や「ウルトラQ」シリーズなんか、今観ても面白いし、荒唐無稽なところなんかリラックスできた。
特にウルトラセブンは、演技の巧い有名な俳優がゲスト出演したり、脚本がしっかりしているから見応えがある。

f0225473_5214724.jpg画面中央奥左の尖った山が米山で、上越航路への目標だ。海は青く透き通り、山は紫に霞んでいた。新潟から来たテニーさん一行に「糸魚川の海って綺麗でしょう?」と何度も聞いてしまうが、なにより俺が一番感動していた。


悪天候で中止になった去年の航海は、当日朝まで事前準備に追われて最悪の体調で、ちょっと動くと立眩みする状態だった。
その失敗に懲りて今年は計画的に事前準備を進めたし、なにより去年より協力者が増えたので航海前日は余裕があった。

新潟の読売系ローカルテレビ局のテニーさんが前々日に取材申し入れ。
ニュースとしてではなく、5月30日夕方6時30分からの番組の中で15分枠の特番にしたいとのこと。
前日の10時から夕方4時まで事前取材に付き合って、このことも体力の温存に役立った。
そうでもないと工房建設に夢中になって無理をしていたかもしれない。
俺は動き出すとトコトンまで動く癖がある。
工房も9割完成しているので、このことでも余裕があった。
予定航路沿岸を案内していて、糸魚川の海が綺麗なことにあらためて感動する。
青い透き通った海と砂浜に並ぶ白いカモメ、茶色い岩のコントラス、ト・・・車窓から惚れ惚れと眺めた。

f0225473_5231563.jpg出航直前の先発漕ぎ手。前が槇ちゃんで後ろが竜太。想定外の縄文服は土田孝雄先生の心遣い。日頃は大人しくて無口な槇ちゃんが、この朝はよく笑ってカメラを向けるとおどけたポーズを取った。綺麗な朝だった。


流石に前夜は寝つけなかったが、当日朝3時に起きて4時に能生町B&Gにクルーも含めた関係者集合。
青年会議所の人達も何人か来て手伝ってくれたので助かる。
前日までに準備が終わっていたので淡々と出航準備が進み、4時30分には明星丸を海に出し準備完了。
見送りにも大勢来てくれた。
土田孝雄先生の訓示と俺の直前申合せ事項確認、全員で弁天岩を遥拝して、予定通りに5時に出港。
テニーのディレクターさんから「何をお祈りしましたか?」とインタビューされたが、俺は神社に額ずくと頭が真っ白になって何も思い浮かばなくなる男だ。
だから「何も・・・ただこの日を迎えられた感謝の気持ちで一杯です。」としか答えられなかった。

f0225473_524194.jpg{頑張れい~!」「頼むぞう~!」「恰好いいっ!」と声援に見送られて弁天岩沖を目指す先発漕ぎ手。海は凪いでいた。仮に上越まで辿り着けなくても、こんな健気な仲間の後ろ姿を観ただけで満足した、と思う。


天候は最高。
晴天確率70%の5月26日前後は、新潟で最も晴天率が高いのだ。
この日を選んだのは、去年の失敗からの教訓。
残る問題は10時前後から吹き出す向かい風となる北東の風とウネリ、そして日中の暑さだけとなったが、クルーの士気は高い。
明星丸に乗り込み、弁天岩沖に出ていく先発漕ぎ手の竜太と槇ちゃんの後ろ姿が恰好いい。

f0225473_5265911.jpg最初の難関の小泊漁港を難なく超えた明星丸。漁港周辺は風向きによっては潮の流れが複雑で怖いのだ。出航して30分時点で平均速度5.5キロ。弁天岩沖でイルカが出迎えてくれたそうだ。幸先がいい。

(続きは次回)
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# by jhomonjin | 2013-05-26 04:16 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(1)