21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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土日の訓練では、漕ぐ練習だけではなくアウトリガーの微調整や丸木舟の軽量化もしている。
明星丸は東南アジアの漁村で多く見受けられるダブルアウトリガーカヌーだが、アウトリガーが海面下に沈めば当然ながら抵抗となる。
抵抗となれば船足が落ちるし、ウネリや潮の流れの影響をモロに受けて左右にふらついて直進性が悪くなる。
だからヤジロベーのように海面ギリギリにアウトリガーが浮いている状態がベストなのだ・・・ということを体験から知った。
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訓練の後、近くでSUP(スタンドアップ・パドル・ボード)の体験会をしていた、柏崎市のサーフショップオーナーのダイゴさん達に合流して、久しぶりのSUPを楽しむ。体験会の後は縄文カヌーを見て貰った。右がI大工さんで左がダイゴさん。

ところが実際に海に浮かべて漕いで見ないと、どの程度の状態になるのかが分からないからやっかいなのだ。
フロート(実際にはバランスを取る錘の役目)の大きさも小さ過ぎても大き過ぎても駄目だ。
腕木とフロートを連結させる垂直の束の長さも重要で、長すぎるとフロートが沈み過ぎるし、短か過ぎると左右バランスが取りづらくなる。
毎回、訓練の前に前回の訓練で得た改良点を微調整していた。

その過程で素晴らしいアドバイスをしてくれたのが、地元サーファーの親分的存在のI大工さん。
腕木と束は「貫構造」で連結してあるが、I大工さんのアドバイスとは束の長さを自在に変えられる工夫として、ホゾ孔を縦に広げて楔で固定するというもの。
そのアイデアに加えて、セブンイレブン竜太と二人で工夫を重ね、本番一週間前の今日、やっと理想的な状態になったのだ。
前日の訓練では潮の関係もあって直進性が極端に悪く、二人で途方に暮れていたのだ。
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Iさんのアドバイスで作った束の長さを自在に変えられる工夫。上になっている楔を交換すれば長さの調整ができる。素人が丸鋸だけで大きな欅材から製材するから骨が折れるが、実用に不便はない程度には収まっている。


今日は切り札として最後の改良を加えて、祈る心地で海に出た。
凄い!面白い!昨日までが嘘のように早くなった。
アウトリガーのフロートが海面上にギリギリ浮いているので、漕ぐと直進性と速度は申し分ない。
慣れないと左右バランスが取り難いが、バイクに乗っているようなバランス感覚で体重移動も加えると方向転換も早い。
北東ウネリと北東の風の吹く沖を目指して漕ぎ出す。
直進性が良いと漕ぐことに集中できるので、余計なストレスが無く実に愉しい。
沖は白波が立っていたが、大きな波が来てもアウトリガーが波に突っ込むことなく船首が波を超え進んでいく。
波を難なく超えるたびに二人で歓声をあげる。
GPS測定では、長時間漕いでも疲れない巡航漕ぎで向い波・向い風の沖に出て行く時には時速2キロ前後、波に乗って帰ってくる時には時速6キロ前後だった。
ウネリに乗った時の最大速度の8.3キロは、明星丸の最高記録だ。
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最後の切り札は、三寸角の端材をアウトリガーの下に入れて持上げる工夫。航海が終わったらI大工さんから教わった束のホゾ孔を広げる楔作戦をしたい。これで上越航海の成功確率が高くなった。竜太、協力してくれて有難う!

ここまでにするには、相当悩んだし工夫を重ねてきた。
縄文カヌーの活動はマスコミに紹介される表舞台は華やかだが、裏舞台では地味な活動の重ねの連続だ。
誰も作ったこともない丸木舟だから技術的なことで相談できる人もいないし、実際に現場仕事を手伝って貰える人もいない孤独な作業の連続。
よく「丸木舟の作り方をどこで習ったの?」なんて聞かれるが、熱意と試行錯誤でしか無い。
「途方に暮れる」→「なんとか工夫して乗り越えた」というのが、実状だ。
そんな中で竜太やI大工さんのような人達に支えられてなんとか「海のヒスイロード」復活の入口に辿り着いた。
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工房進捗状況。蝉丸さんから貰った引き戸を縦にして「横滑り戸」に改造した。歪みを直して浸透性塗料を塗ったらレトロな感じに仕上がった。俺は昔、リフォーム店店長をしていてレトロ調のデザインをよくしていたのだよ。

Iさんからは、たまに様子伺いの電話を頂く。
今日は昼飯を誘って頂いた。
こんな精神的なサポートは助かる。
竜太もキツイ仕事を嫌がらずにやってくれている。
俺一人でやっていた時よりは格段に楽になった。
やるだけのことはやった。
五千年の時を経て「海のヒスイロード」復活なるか?
後は当日の天候次第。
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# by jhomonjin | 2013-05-19 21:53 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(1)
上越航海に向けて土日は訓練が続く。
去年は同じ漕ぎ手が上越まで漕いでいくという計画だったが、クルーの実力を考えると無理がある。
年に半年は海に出ているサーファーでもクルーにいればいいのだけど、俺以外はマリンスポーツ初心者ばかりなのだ。
俺にしても帰郷してからの3年間は、夏の素潜りと縄文カヌー以外は海に入っていない。

だから今年は中間地点の上越市名立町にある「うみてらす名立」という海岸の道の駅までを第一レグとして、そこで第二レグからはクルー交代して上越まで目指すという計画を建てた。
今回使用する丸木舟は、二隻目の縄文カヌー「明星丸」で定員三名だ。
先発と後発漕ぎ手各三名づつと、予備漕ぎ手二名の合計八名必要。
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アウトリガーを調整したら、こんなことしても大丈夫になった。この直後、セブンイレブン竜太に片足を上げたセクシーポーズを要求したら、アウトリガーが沈んで明星丸が大きく傾いて危ないところだった。明星丸が怒ったのだろう。

青年会議所や地元サーファーグループに声掛けしたが、未だに人数が足りない。
何人か訓練に参加して貰ったが、初心者が漕ぐと体重分の推力が伴わないので、抵抗になって速度が出ない問題と、直進性が悪くなるという問題がある。
みんな一生懸命なんだけど、慣れないうちは仕方ない。
あと二回しかない訓練でどこまで上手になってくれるかだが、仕事や他のイベントに引っ張られて訓練に出てこれなかったり、出て来れても1時間程度しか参加できないからどうしたもんだか?

去年の俺は、漕ぎ手と雑多な事前準備に謀殺されて体調は最悪だった。
今年は去年の失敗に懲りて、裏方に徹しようと漕ぎ手としての参加を見送ることになっていたが、決行二週間前にしてこの現状に頭を抱えている。

明星丸の仕上がりは上々だ。
軽量化やアウトリガー調整が成功しているのだ。
俺とセブンイレブン竜太の二人で漕げば直進性もよく、速度も出る。
竜太と相談中だが、三名で漕ぐより慣れたクルー二名で一気に名立を目指した方がいいのではないか?という方向に傾いている。
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工房は外壁が張れた。ガルバリューム鋼板という錆に強い波板トタンだが、安価なうえにシンプルなので俺は好きなのだ。右側の建具は、蝉丸さんから購入した古民家の引き戸をドアに作り直して、左側は自作した親子ドア。


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内装は、ラーチ合板というベニア板を張った。どこでもビスが効くので工房にはうってつけだし、1枚(910×1820㎜)980円という安さ。ちょっとだけオシャレな山小屋風に見えませんか?


俺は工房建設とヒスイ製品の予約注文の仕事や、明星丸軽量化と事前準備で地獄のように多忙。
夜もホームページ作りしている。
寝る時と飯の時以外は全部仕事だから一日15~18時間労働が続いている。
どうなっちゃうんだろう?
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# by jhomonjin | 2013-05-12 22:29 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)
去年は悪天候で中止になった、上越市まで25キロの航海実験に再挑戦が決定した。
5月25日(土)だ。
一番の問題は漕ぎ手が足りないこと。
有難いことに糸魚川市青年会議所メンバーが名乗りを上げてくれた。
それと糸魚川のサーフィン界の親分的存在のIさんがも協力してくれて色々な人を紹介してくれている。
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試運転前の明星丸。Iさんはかなり腕のいい大工さんなので、明星丸のアウトリガー作り直しにも力添えをしてくれた。去年はシングルアウトリガーだったが、諸処の問題から今年はダブルアウトリガーに作り直すことになったのである。

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連休中の新潟は寒い日和が続いたが、明星丸の試運転をした子供の日だけは暖かい五月晴れ。海水は冷たかったが、幸先がいい。出航予定地の弁天岩には鯉のぼりが翻っていた。

サーフィン方面のリーダー的な人達とも何人か会って漕ぎ手募集をお願いしている。
漕ぎ手に2~3名はマリンスポーツに慣れた人が欲しいのだ。

またKTEC(笠原重機)の社長兄弟も全面的に協力してくれている。
笠原社長は、伴走船担当で、連休にはボートの試運転がてら上越市までの下見航海までしてくれた。
弟の工事長は青年会議所メンバーということもあり、漕ぎ手としてでなく、ユニックでの運搬や俺一人でテンテコマイの準備にまで助けてくれている。
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笠原社長の計らいで往復3時間で航路の下見。上陸目標は写真の左端。その手前は親鸞上人が上陸した居田ケ浜。恐らく太古には出雲が越後攻略の橋頭堡にした場所だろう。「海はいいなあ!」と社長は何度も呻った。同感。

去年よりずっといい感じで流れていく。
マスコミのおかげで認知度が広がっているのと、帰郷4年目で人脈ができてきたのだ。
問題に突き当たる度に、色々な人の協力で道が拓けていく。
「母を訪ねて三千里」のマルコになった気分。
有難い。
当日の好天を祈るばかり。
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# by jhomonjin | 2013-05-07 22:11 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(0)
上京ついでに工房の建具や備品など買い出しに方々出歩いた。
昔住んでいた藤沢市にある「蝉丸」に顔を出す。
蝉丸さんは善行にある古道具屋さんで、四年振りの再会。
藤沢時代には、夕方にお邪魔して話し込んでしまい、そのまま晩御飯をご馳走になったこともあった。
ご夫婦揃ってお元気でなにより。
ご主人の口から出る闊達で伝法な調子の藤沢弁が小気味いい。
友人知人のリフォ-ムを頼まれた時には、よくこの店で建具や調度品を誂ていた。
今回は工房のドアと窓を相談したら、ご主人のノリの良さに10分ほどで入口ドアと窓があっという間に決まった。蝉丸さんはセンスが良いし、木工知識や技術も確かなので信頼感バツグンだから話が早い。
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蝉丸さん店内。元はサラリーマンだったらしいが、夫婦揃っての骨董好きが昂じて自宅を店舗にしたとのこと。店内は民俗博物館のようだ。この写真はご主人手作りの外のテラスだが、陽だまりが心地いい。

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ご夫妻揃ってもてなし上手の蝉丸さんご夫妻。「どうだ?いいべ、これ?」ってご主人の藤沢弁は、ポンポンと小気味がいい。値段も都内の古道具屋さんより格安だし、現場合わせで加工もしてくれる古民具好きの強い味方だ。

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俺の好きな場所。古民具で作った蝉丸さんの応接間だ。常連客はここでゆったりとお茶を飲んで話しをしていく。四年前は子猫の野良が四匹くらい住み着いていたが、大きくなった二匹がのんびり昼寝していた。



長年お世話になっていた鎌倉市大船にある身体教育研究所の鎌倉稽古場が、俺が帰郷してから引っ越してリニューアルされたというので個別指導を受けがてら見学に行く。
築70年の古民家を改装して稽古場に作り変えたそうだが、その時にも蝉丸さんが大活躍してくれたようだ。
恩師のO先生に案内されて隅々まで見学。
建具はサッシではなく、青森ヒバの木製建具の特注品。
照明器具は全て京都で誂たガラス製傘のレトロな電球。
ちょっと洋風な応接間もあって、明治大正が舞台の映画ならロケに使えそうだ。
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鎌倉稽古場の集団稽古用道場。畳は有機農法で作った琉球表という凝りよう。大工さんの仕事も、蝉丸さんの仕事も細かい部分まで心憎い配慮がされていて、素晴らしいの一言。職人冥利に尽きる有難い仕事だっただろう。

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全国に数ある稽古場の中でも広さといい、雰囲気の良さといいダントツの部類だろう。一軒家だから、更衣室や集団稽古用の和室、個別指導用の和室など部屋数も多いし、囲炉裏まである。いるだけで愉しくなる稽古場だ。

また処理に困っていた漆什器も三箱も注文頂いていたが、参加人数が多い鎌倉稽古場らしく日常的に活用されているようだ。
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# by jhomonjin | 2013-04-28 23:54 | 動法・整体 | Comments(0)

久々の東京・・・浅草編

整体協会身体教育研究所の本部稽古会に参加するため、三年振りの上京。
本部のある二子多摩川の駅周辺がすっかり変わっていて、迷子になった。
三年振りに会う懐かしい顔。
老けた人や変わって無い人など・・・。
祭りもそうだが、一緒に齢をとっていく仲間がいるって嬉しいことだ。
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浅草も二子多摩川もすっかり変わったが、新宿駅西口の「思いで横丁」は健在だった。馴染みの定食屋も親父も相変わらず無愛想に元気そうだった。末廣亭の帰りは決まってそこで晩飯食ってから小田急で藤沢まで帰ったもんだ。

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浅草の路地裏には安くて美味い食い物屋が多い。西浅草の喫茶店「ピーター」のカレーは激ウマで600円!店内にはレトロな手描き看板もあって、これも浅草らしくっていい。お婆ちゃん一人でやっている。今度会うまでお達者で!

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ピーターはシンタローの家の裏にあるが、近所のコインパーキングに不思議な看板発見。「犬の糞お断り」ではなく「大小便厳禁」。浅草は大人も酔っ払って野グソするらしい。浅草は同性愛者やホームレスも多いマイノリティー天国。

宿泊は浅草のシンタロー宅。
シンタローの家は「文字家」という有名なモンジャ焼き屋をしている。
今回は兄弟子のKさんも一緒である。
浅草の人はサービス精神旺盛でノリがいいし、もてなし上手。
盛り上がってKさんも「田植え踊り」を披露した・・・させられた。
Kさんは俳句もしているので、連休に浅草寺である「泣き相撲」を季語にして連句で遊ぶ。
泣き相撲は、相撲取が赤ちゃんを泣かせるという行事で、シンタローのお袋さんのひ孫も参加するという。
俺の句は、「裏口で たーちゃん頼んで 泣き相撲」
裏事情を知らない人には意味不明だろうが、現場では受けた。
シンタロー一家は酔っぱらっていたから、最後には川柳や都都逸まで飛び出す。
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田植え踊りするKさん。小道具に竹の棒を所望して手渡されたのがカーペットクリーナー。それでも唄入りで真面目に踊ってヤンヤの喝采。この後、Kさんは何故かネジリ鉢巻をして深夜12時半までシンタロー一家と懇談。

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浅草で勾玉情報入手。近所のお坊さんが東北の古道具屋で購入したというので見せてもらった。古墳時代の実物に間違いないだろう。恐らく古墳の盗掘品だからお寺に置くのは宜しくないから私が預かりましょう!と思わず提案。

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巨大なヒスイ製勾玉もあった。勾玉は縄文~古墳時代まで作られたが、奈良時代に衰退してしまうのは、仏教を国教と定めた時に、仏教的ではない蛮習とされたのでしょうと持論を展開して、勾玉奪取に努めるもダメだった。
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# by jhomonjin | 2013-04-28 22:00 | 動法・整体 | Comments(3)