21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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国道8号線は、糸魚川市と上越市の間の大部分はずっと海沿いを走っている。
国道の北側は日本海で、南側には山が迫り、集落はこの両側の狭い土地に伸びている。
この区間の国道沿いの細長い集落は、漁村が多い。
信号も少なく、景色が良いので俺の好きなドライブコースだ。
糸魚川市内は国道はずっと海沿いなので、嵐の時は車が波を被る事もある。
軽トラックが波を被って転倒した事もあった。
俺も台風の時に面白がって8号線をバイクで走っていて、頭から波を被ってヤバかった経験がある。
冬の北西風が吹いて、海が大荒れになると、波が砂浜を走るゴーという重低音と、防波堤にブチ当たる震動で家がガタガタ揺れた。
おっかなかったけど、そんな晩に親父が家にいると、心強かった。

学校授業で海の絵を描かせると、日本海側の子供は夕日の海、太平洋側の子供は朝日の海を書くことが多いらしい。高校生までは、毎日の様に海に沈む夕焼けを見ていたので、俺もそうだった。

見慣れた風景だが、今日の夕日も良かった。辺りが優しい桃色に包まれていた。
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夕凪の筒石港
BGMはクラプトンの「ワンダフル・トナイト」で決まりだな。
さざなみとウミネコの鳴き声のコーラス付きだ。





夕日も良いが、月も綺麗だ。
20年程前に真夜中にバイクで走った時なんかは、水平線に浮かんだ金色に光るでっかい満月が、海上を金色に光らせた帯で、俺のバイクをまっすぐに照らし出していた。まるで特殊効果の映画のワンシーンみたいだった。忘れられん風景だ。

さて、今日の写真は今日の夕方に撮ったばかりの筒石港がモチーフである。

・・・関係ないけど先日、ブログ観た人から写真を習った事あるんですか?一眼レフのカメラ使ってるんですか?と聞かれたぞ。ブログの内容は兎も角、写真の評判は結構良いな。
よくその手の質問があるのでこの際にお答えします。
俺はカメラを習った事は無いし、写真関係の本も読んだ事も無い、まったくのトーシロ(寄席の符丁で素人の事)です。
使用しているカメラも3万円代のコンパクトデジカメです。マニュアルすらもろくに読んでないから機能の半分も使ってないと思いますわ。ハイ。

筒石港は現在、新しいコンクリートの防波堤のある新港と、昔ながらの舟小屋が海に突き出した旧港の二つある。
この写真は無論、旧港だが、こんな木造の舟小屋を観ると、俺はグッと来る。
西伊豆や、能登半島東側にもこんな感じの侘びた漁港があった。
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筒石漁港
俺的グッと来る風景。
柱や壁材など、流木や古い舟材なども使っている。
下の写真の捩れた柱で作られた小屋など、作った人の得意満面が浮かぶようだ。

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古今東西、多くの漁師は舟として寿命が尽きた老朽船を保管(放置とも言える場合もある)しておくものだ。廃棄する手間や費用を惜しむ、という側面もあるが、命を託した舟は、たとえ舟としての寿命が尽きても単なるモノとして扱えない、という気持ちがあるからだ。

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船体を解体した場合も、板材にばらして何時かの用にとっておく。次の命に繋ぐのだ。木にも舟にもイノチが宿る、という了見だろう。そんな解体された舟板が、舟小屋の天井裏などに沢山しまわれている。この舟材達は、実際に何かに使われる事があるのだろうか?そう想うと、漁師の切ない気持ちが伝わってくるようだ。
この舟はシマイハギという木造和船独特の構造で、アジア式の多くの船と同様に竜骨の無い一種のモノコック構造である。国内の小型船舶の主流が漁船、ヨットやモーターボートも含めて木造船からFRP(強化プラスチック)船に取って変わられた現在、こんな漁船も絶滅危惧種だ。


この様な海にスロープから舟を出し入れする方式の港では、昔は人力で巻き上げ機を廻していたが、・・・地方によって呼び方は色々あるみたいだが、英語ではキャプスタンだな。形状からいったらキャプスタンだけど、機能からいったらウインチかな?まあそんな処だ・・・現在は機械式のウインチだが、かなりな年代物だ。

俺の生まれ育った寺町の浜は、筒石港の様な天然のスロープに恵まれた地形ではなく、砂浜だったので、子供の頃は木製の巻き上げ機がいくつも砂浜に据えてあった。
高さ1・4m、直径2mくらいの大きさの木製である。
軸になる心棒には貫通した孔が交差する形で二箇所あいていて、舟を上げる時だけ長い力棒を差し込んで人力で巻き上げるのだ。
俺と同世代以上の人ならご存知だろうが、昔カルメン・マキという女性歌手が大ヒットさせた「時には母のいない子のように」という歌を唄う時のセットで、晩秋の砂浜らしい風景に、この木製巻き上げ機と干した魚網がバックになっていた。俺には郷愁を感じる風景だが、思えば昔の歌謡番組はセットに凝っていたねえ。

舟が浜に戻ってくると、漁師の家族や、砂浜で遊んでいたそこいらの子供が呼び集められて、まず舟の下に敷くレールになる長い丸太棒を平行して置かせられる。
ついで漁師に混じって子供らが勇んで海に入り舟を押し上げる。
その間に丸太レールの上に舟を乗せるコロ丸太を乗せるのだ。
舟からロープが投げられ、巻き上げ機に繋いで、今度は舟を押し上げる組と巻き上げ機の力棒を回転させる組、コロ丸太を順序良く並べていく組に分かれて舟を浜に上げていた。
結構な重労働だ。
子供らへの報酬は、「有難ナ!」という一言しかなかったけど、大人の力になれた、人の役に立てた、という満足感で一杯だった。

やがて糸魚川にも姫川港という巨大なコンクリートの防波堤を持つ港が出来て、寺町の漁師達も新しい漁港に移って、舟の上げ下げの重労働から開放された。
そして防波堤ができた事で、砂浜に砂が溜まらず、年々砂浜が痩せていくばかりになった。
小学生の頃は野球が出来た位に広かった砂浜も、今では大きな石だらけの狭い浜になっている。
舟を巻き上げる手伝いも、地引網を手伝う事もなくなった。
新潟では海の家の事を浜茶屋と呼ぶが、糸魚川の浜茶屋も次々と廃業していった。
寺町の浜茶屋は、土建屋の社長をしていた俺の叔父が経営しており、俺も高校生の夏休みに時は監視員のバイトをしていた。都会から遊びに来た可愛い女の子と、ささやかなロマンスもあった。
俺はホンモンのビーチボーイだったのだ。
現在では砂浜で遊ぶ子供も、夕涼みする老人達も往年の半分もいない。

糸魚川も「我は海の子」を地でいく世代は、俺の世代で最後となったようだ。
風邪気味の時なんかは、お袋から海で泳いでくれば治ると言われ、実際にそうだった。
擦り傷なんかも海水で治していた。いや、遊んでいる内に風邪や怪我の事を忘れてしまっていた、という方が本当かもしれない。
家の裏に海があっても、糸魚川の人から海が遠くなってしまった。
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by jhomonjin | 2010-06-11 21:30 | 失われゆく風景 | Comments(0)