21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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このブログを開設して四年目。

諸処の事情から
OCNのブログ人に引っ越すことになりました。

諸処の事情とは、「ぬなかわヒスイ工房」のHP作りをしているのですが、ブログリンクがエキサイトのままでは文章のみしか表示されず写真が表示できないのです。

使い慣れたエキサイトではありますが、本日を持ちましてやむなく引っ越しとなりました。

引っ越し先のOCNのブログタイトルは、これまでと同じ「縄文人(見習い)の糸魚川発!」のままです。
URLは下記になりますので、今後ともご贔屓を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
いざ
http://nunakawa.blog.ocn.ne.jp/

追記(2014年12月3日)
と思いきや、2014年11月30日にOCNブログがシステム不具合で閉鎖されることとなり、12月からgooブログに引越しする事となりました。

新しいURLは以下ですので、よろしくお願い致します。
http://blog.goo.ne.jp/nunakawazoku


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by jhomonjin | 2013-06-20 22:35 | 何やってんだっ! | Comments(6)
四月から着工したヒスイ工房がついに完成。
Uターン帰郷時に大量に持ち帰った遊び道具や工具類を収納するための納屋と冬でも外作業できるテラスも完成した。

f0225473_21554292.jpg俺の実家の地下には、古墳時代前期の「奴奈川族のヒスイ工房跡」が眠っているから、千七百年の時を経て勾玉作りの工房が復活したことになる。工房の名前は、ご先祖に因んで「ぬなかわヒスイ工房」と命名。

f0225473_21563344.jpg作業机横には、キャスター付のおもてなしテーブルワゴン。ちゃんと引出式になっていて、緑茶やコーヒー、ハーブティーが揃っている。千客万来を期待。






ちょっと前には「縄文時間」というホームページの原稿も完成して、後はホームページ作りに協力してくれている友人のアップ待ち状態。
ここしばらくは、縄文カヌーの上越航海実験やその他モロモロが全部重なってしまって、平均睡眠時間五時間前後という日々が続いたが、これで一段落。
奇しくもお袋が自宅敷地から勾玉を拾ってから五十年目の節目。
何かに導かれている感じがする。

f0225473_2159317.jpg工房内部左側。銀色のパイプは集塵機のダクト。知人から只で貰った送風機に百均商品で工夫して自作。本物の集塵機は高価だが、かかった資材費は千円くらい。

f0225473_2216128.jpg自慢は藤沢市の古道具屋の蝉丸さんから独立祝いにもらった古民家の窓。もとは引違い式の窓を外倒し式に作り変えた。今はもう入手できない磨りガラスと雪の結晶模様の型ガラスがレトロでいい感じ。

f0225473_22195574.jpg工房にいると落ち着く。お気に入りのNHKのラジオ番組「すっぴん」を聴きながら、コーヒー豆を挽いてパーコレーターで淹れたコーヒーで寛ぐ。これが噂の移動式おもてなしワゴン。




つい最近までは、何をするのも複数の仕事を同時進行させるような慌ただしい日々だったので、ゆったりコーヒー飲んでボーとするというのも久し振り。
誰にも文句を言われない、好きな時に好きなことをできる場を手に入れたのだ。
俺も一国一城の主って訳だ。

f0225473_22224260.jpg夕方には海に行ってSUP(スタンドアップ・パドル・ボード)の稽古の日々。毎日海に行っていると顔見知りが多くなって、地元の人や、市の内外のヒスイハンターさん達とヒスイや縄文談義に華が咲く。


これぞ縄文時間。
この至福が何時まで続くのか・・・。
先のことは考えずに、しばらくは』縄文時間を愉しむとする。
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by jhomonjin | 2013-06-13 07:13 | 糸魚川ヒスイ・石 | Comments(7)
俺が生まれるちょうど一年前の同じ日、お袋は自宅敷地内でヒスイの勾玉を拾った。
五十年前の四月のことだ。
お袋は俺とその勾玉を作った古代人に何かの縁を感じたのだそう。
勾玉と、それを作ったと思われる砥石が揃って出土している例は全国的にも稀だと思う。
f0225473_17174264.jpg

この写真が出土した勾玉セットの実物。
大きな石の上に載っているのは俺が作ったレプリカで、大きな石は勾玉の背中の丸みを削ったらしい砂岩製の「筋砥石」だ。
下あるのが出土勾玉の実物で、その下になっている棒状の石が勾玉のお腹の抉れ部分を削ったらしき「棒砥石」だ。
筋砥石も棒砥石も、出土した勾玉のカーブにピッタリと合致する。
なんだか勾玉が、筋砥石に噛り付いているようで可愛らしい。
f0225473_1719731.jpg

右側の緑の玉は、お袋が拾った古墳時代のガラス製ビーズ。
普通の人なら子供のおもちゃと思って拾わないだろうけど、お袋は考古学好きだから大事に仕舞っておいた。

俺の小学三年の時に歴史好きのお袋の願いが叶って本格的な発掘調査が行われ、敷地地下には千七百年前の古墳時代前期のヒスイ工房跡が埋蔵されていることがわかった。
有名な考古学者達に混じって、俺も発掘のお手伝いをした記憶がある。
子供の頃、縄文期の石器や、奈良時代の初の国産鋳造貨幣である「開元通宝」も拾ったことがある。
正式には笛吹田遺跡として報告されている。

そして現在の俺の仕事が勾玉職人。
やっぱり縁があったのだ。
この4月に「ぬなかわヒスイ工房」として独立した。
「ぬなかわ」、とは縄文系の弥生から古墳時代にかけて糸魚川近辺にいたヒスイや磨製石器に長けた民のことである。
文献には、奴奈川とか沼名川とか表記されている。
彼らは丸木舟に乗って、日本海を縦横に航海してヒスイを各地に運んだ海の民でもあったようだ。
俺が住んでいるのは、ぬなかわの郷の本拠地らしき所。
ご先祖が崇拝していたのが、ぬなかわ姫という女神様。
俺は、ぬなかわ姫を祀る奴奈川神社(正式にはニニギノ命を祀る天津神社と合祀された「一の宮」)の氏子で、俺にとって春の例大祭である四月十日の「けんか祭り」はかかせない年中行事だ。

今、自宅庭に工房をセルフビルドで作っている真っ最中だ。
奇しくもお袋が勾玉を拾った五十年後という巡りあわせ。
つまり千七百年の時を経て、同じ場所に勾玉工房を復活させるという個人的なプロジェクトの進行中ってわけだ。
これは俺個人を超えて、ご先祖の計らいだろう。
ホームページは友人のサカちゃんが作ってくれている。
「縄文時間」ってホームページ。
昼間は建設、夜はホームページの原稿作りでヒッチャカメッチャカの日々。

俺が建設している工房は三畳ちょっとしかないけど、ちょうど古墳時代後期の周溝墓があった場所。
古代の豪族の墓の上に工房を造っているのだ。
基礎工事で土を掘り返していたら、でっかい石が沢山出てきた。
ドングリを割る時に固定した窪み石みたいのも出てきた。
化けて出るなよう~。
f0225473_1724868.jpg
散らかっていてショーシイ(恥ずかしい)けど、建設中の工房。ちょうどこのあたりが周溝墓があるところ。どんな人が眠っているんだろう?ぬなかわ族の偉い人であることは確か。
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by jhomonjin | 2013-04-07 17:10 | 糸魚川ヒスイ・石 | Comments(3)
大雪が数日続いた。
伐採当日の朝、現地に先乗りしてお祓いや除雪をしていると、赤野特殊伐採さんから悲痛な調子の電話が入った・・・嫌な予感がした。
f0225473_21392714.jpg
伐採の朝、近所にある一の宮にお参りした。市街地はこのように雪がまったくない。この神社は俺の産土神であるヌナカワ姫命が祭られている。けんか祭りの舞台だ。右端の石垣は祭りの時だけ使用される舞楽の石舞台。

小滝区の上り坂を10tユニック車が滑って前に進まないのだそうだ。予感的中だ。
除雪車が降雪状況に追いつかない程の大雪なのだ。
近隣に勇名を轟かせる伐採名人の赤野さんといえども、現場まで大型車で乗り入れることが不可能、となれば延期しかない。
誰が悪い訳でもない。雪が降り止む気配も無い。
待てば海路の日和あり、と自分に言い聞かせて帰路につく。
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今日の小滝は道路で積雪10cmほど。二日前とは別世界になっていた。ここまで辿り着くのに坂道続きだから、10t車は流石に無理だった。俺の4WDの軽トラも帰路の直線でブレーキも踏まないのに蛇行した。

こんな時には青函連絡船「洞爺丸」の沈没事件に想いを馳せる。
1954年、4000t級の貨客船「洞爺丸」は、台風の真っ只中を定刻通りに出航した。
そして沈没して1,000人以上が犠牲になった。
津軽海峡は青函連絡船が沈没する海の難所だ。したがって青森と北海道の縄文人は交流する事は無かった、という学説がかっては罷り通っていた。
しかし縄文人には定刻という概念が無かっただろう。
嵐が来ているのに何故海に出て行くのか?
人間の都合や決め事ではなく、縄文人は「潮時」を見計らって海を渡ったのだろう、と思う。
海峡を渡られない時にはじっと待って、渡られるその時が来たら素早く渡ったのだろう。
そしてその判断には、「今だ!」という確固たる実感ある身体感覚が伴っていたのだとも思う。
時が来れば必ず明星丸を完成させる。
その時までメタセコイヤよ、少しでも太って大きな舟を作らせておくれな、と願った。

一年の最後に来て不運な出来事だった、と思わないでも無い。
しかし去年の今頃は、支援者や協力者もいなくて孤立無援だった。
まだ何もカタチになっていなくて、興奮と希望に胸を膨らませ、そして不安と孤独の中で企画書をコツコツと書いていたのだ。
それが一年にも満たない期間に縄文カヌーが完成して、今では26人もの同士がいる。
ラッキーな一年だったのだ。

伐採が何時になるのか?人智を超えた神のみが知ることだ。
今回の延期は、俺が現代人から縄文人になる為のイニシエーションとして捉えている。
定刻や標準時間ではない、縄文時間への転換である。
潮が満ちるまで、海が凪ぐまで待つことにしよう。
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by jhomonjin | 2011-12-20 21:57 | 日本海縄文カヌープロジェクト | Comments(2)