21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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タグ:肥料袋のお姉さん ( 1 ) タグの人気記事

田んぼで撮った写真

今回は研修先の農場のある上越市大潟区で撮影した写真である。
全て携帯電話で撮影した。
俺の携帯電話もアウトドア主体の農作業で随分と傷んできた。
手が泥だらけの時に限って呼出しされるので、電源端子が錆びてきたり。いつか防水タイプにしないとぶっ壊れるね。
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夕方、近所の老婆がいつも決まった場所で遠くを見ている。
老婆の視線の先には米山がある。米山は標高1000mに満たない三角のピラピッド型の山で、古くから海上交通の目印になってきた。
また昔は米山を境に上越後と下越後に分割されていたらしいが、現在の行政区分は新潟を上越、中越、下越の3区分であり、この山が上越と中越の境になっている。

老婆の視線は米山だが、観ているものは何だろうか?
楽しかった子供の頃や、農作業と子育てに明け暮れた青春時代の思い出、死んでいった親兄弟や友達の事か?いずれにしても過去の記憶に想いを馳せているのではないだろうか。
その想いも流れる雲の様に、流れつづけているのだろう。

バブル経済の時に、湯沢市にリゾートマンションブームがあった。
NHKのドキュメンタリーでその後の湯沢市を取材していたが、この老婆と同じく、いつも遠くの山を観ているという老婆が、「いつもここに座って山を観ていたんだども、マンションが建ってから山が観えなくなって淋しいネ。」と言っていた。
糸魚川の老人なら海を観る処だが、この海も砂浜が痩せてきた、というのは前回にも書いた。
しかも今では広かった砂浜を片側2車線の国道が分断しており、交通量も多く信号も少ないバイパスなので、老人や小さな子供が国道を渡る事は至難なのだ。
だから国道越しに、コンクリートの防波堤とテトラポットの向こう側の海しか見えなくなっている。
便利や快適さと引き換えに、日本中の老人達のささやかな愉しみも奪われているのだ。

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さて、切ない話しの後には楽しいサービスショットだ。
このお姉さんは、苗箱の下に敷かれていたビニール製肥料袋に印刷されていた。
苗箱にビニール製の下敷きを入れないと、苗の根が張って箱から出しにくくなるから、肥料や堆肥のビニール袋をカッターで切って下敷きにするのである。
写真やお姉さんの雰囲気から見て、恐らく1950年代~60年代の撮影だろう。
一体、何時頃からこのビニール下敷きが使われ続けているのかは不明だが、当時の若者は、このお姉さんの印刷された肥料袋を見て「オラもこんな別嬪さんを嫁にしてぇ~!」と、農作業にいそしんだのかな?と思うと楽しいではないか。

昔、新潟市郊外の知人の家に祭りのおよばれに行った時の事である。
彼の家は築100年を超える大きな農家で、お互いに建築の仕事をしていたので、参考になるから是非に家に遊びに来てくれ、と祭りのおよばれついでに行ったのだ。
確かに昔ながらの立派な農家で、梁の柱もケヤキの極太材が黒光りしていた。
仏間に案内された時だ。
漆塗りの浄土真宗の立派な仏壇が作りつけられていて、それが彼の一番の自慢らしい。
俺が驚いたのは、仏壇よりも長押に掛けられた2枚の肖像写真である。
なんと勲章を体中に一杯付けた明治天皇と東郷平八郎(日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃滅した世界的に有名な海軍大将)の写真だ。多分、日露戦争の頃からずっと掛けられていたのだろう。
その事を伝えると、彼はこの二人をずっと偉いご先祖様だと思っていたらしい。のん気な男だ。

田舎には昔の物が何の違和感も無くそのまま残っている事がよくあって、こんな発見もあるので愉しい。

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最後は畦にあった鴨の巣である。
田植えの後に畦の草刈をしていたら、鴨がじっとしていた。
草苅機を止めて近寄っても、じっと俺を見て逃げようとしない。
怪我をして動けないのか?と1m近くまで近寄ったら、やっと逃げた。
卵を抱いていたのだ。小さな体に12個も卵を宿していたなんて、よく飛んでここまで来たな!と思う。もう一週間位で孵化すると思うが、蛇やカラスに食べられていないか?と心配しておる今日この頃です。以上!
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by jhomonjin | 2010-06-12 20:43 | 失われゆく風景 | Comments(2)