21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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薪割り稽古会とは?

前回最後の方で、薪割り稽古について書いたので追記しておく。
帰郷してからは慌しくて、整体の稽古から遠ざかっている事もあり、稽古かわりの投稿である。・・・ちと苦しいな。

俺の学ぶ整体は、身体教育研究所という整体道場である。道場では整体を学ぶ者の必須として、動法という身体扱いの技術を学ぶ。
2年前に動法教授資格を貰ったので、自分でも稽古会を開くようになったが、前回書いたような経緯と、生まれながらの天邪鬼気質もあって「刃物を扱う会」を立ち上げたのだ。
(動法について詳しく知りたい方は、身体教育研究所のホームページhttp://www.keikojo.jp/をご参照下さい。)

何故、整体の稽古に刃物を扱う事が関係あるのか?
刃物という危険な道具を扱う事で、慎重さと大胆さという相反する行為を通して、養われる身体感覚を鍛える為である。別に樵の養成をしている訳では無い。
刃物は決断の利器、という言葉を確か甲野善紀先生から聞いた記憶がある。甲野先生の稽古会には動法の課外授業として個人的に参加して以来、刃物や民俗学などの分野でも大いに意気投合して現在に至っている。
決断とは・・・?昔の武士なら刀を抜けば切るか切られるか!という局面もあっただろうが、日常生活でも刃物を扱うには常に決断が付きまとうと思うのだ。
包丁で料理を作るにしても、鋏で工作するにしても、刃物を一度でも入れると、切られた物体は二度と元通りにはならないからである。刃物を入れるという事は、取返しのつかない行為をする事であって、そこから局面が大きく変わるからである。素早さと的確さ、そして行為の重々しさ。

もともとは個人で縄文土器を野焼きする為に薪割りを始めたのだ。どこの団体にも属さずに個人で縄文土器作りをするには、野焼きが出来るの場所と、薪の確保を全部自分でやるという事が必要になってくる。薪を運び込む為には軽トラックも誰かから借りてこなければならない。
つまり最初に人間関係が出来ていないと、個人では縄文土器が焼けないのである。
そういったプロセスでも何か大事な感覚経験が育っていくのだと思う。
そして土器作り自体も面白いが、薪割り自体の面白さにすっかりハマってしまい、気付けば斧と鉈が随分と集まった。
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斧と鉈のコレクションの一部
何本あるかよく把握できていない位たくさん持っている。







甲野先生にその事を話すと、刀の振り方で斧を扱うとうんと楽ですよと、古武術的な日本刀の振り方を応用した薪割りを教えて貰えたのである。先生も薪割りが大好きなのだ。
古武術的な、とは「重いモノは軽く、軽いモノは重く持つ」という、日本の技芸によくある身体技法を取入れた薪割り法の事である。
教えて貰った、といっても道場の隅で木刀を持って2~3回素振りを見せて貰った程度である。
でもそれで充分だった。あとは動法の理に適った薪割りを追求し続けていけば良いだけだ。追求し続けて、とは終わりが無い探求、という事を意味する。薪割り稽古会誕生の由来だ。薪割りも奥が深い。
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薪割り稽古会風景
第2回目に甲野先生もゲスト講師になってくれた。
道場よりもイキイキしてらっしゃるのでは?
場所は横浜の某所
同じ場所で土器の野焼きもしていた。










どんな薪割りをしているかと説明するには、実際に体験して貰らうのが一番だけど、現在はまだ帰郷したばかりで薪割りを再開する環境が整っていない為に、稽古会としては未定です。興味ある方は5月に出版予定の「焚火読本」という新刊本に、俺の薪割りが紹介されるらしいのでご参照下さい。但し、どんな本が出来るのかは俺も知らない。
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by jhomonjin | 2010-03-26 21:32 | 動法・整体