21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

けんか祭りまであと一週間。

毎年四月十日、十一日は、糸魚川の「けんか祭り」がある。
先週末に寄合があって、役の抽選会があった。
糸魚川市の人間でも、寺町区と押上区に在住の成人男子か、生まれ育った男にのみ参加が許される祭りだ。
男に生まれて良かった、と思えるのは「けんか祭り」に参加する度に思う事だ。
よくぞ寺町の男に生まれけり、と先祖に感謝したくなる。だからけんか祭りに参加する男たちは祭りの前後、先祖の墓参りに三々五々黙ってても行くし、特定の宗派への帰属意識はなくても、先祖崇拝の念はかなり強い。
現代日本に生まれて、男に生まれて良かった!と心底から実感できる人はなかり幸せな人生を歩んでいる人ではないだろうか。
そんな男たちにとって、けんか祭りは盆と正月が一緒に来るようなもんだ。
近頃の都会の祭りでは、観光の集客目的と担ぎ手達が休日で参加しやすくする為に土日開催の祭りが多いようだが、糸魚川では昔のまま曜日に関係無く、四月十日と十一日で不動ある。参加者は仕事を休んで参加している。そこが偉い!と思う。
人間の都合に合わせたレクレーションやイベントに堕落していない、神様の為の神事としての祭りだから当然ではある。

この二つの町は海岸沿いに並んでいる。今は勤め人ばかりだが、昔からこの地区の人々は半農半漁で生計を立てていた。既に無くなってしまったが、子供の頃は海岸に漁師小屋が並んでいて、漁師たちが網の繕いをしていた風景を覚えている。「我は海の子」の世界がそのままにあった。

室町時代の頃、俺の生まれた寺町の漁師で「甚兵衛」・・・屋号はジンベサ・・・が夢でお告げを受けて以来、四百年以上続いているのが、けんか祭りである。今でもジンベサは続いていて、祭りでは重要な役を担っている。ひょっとすると、けんか祭りの起源は縄文時代にまで遡る可能性もあると思う。
祭りの舞台は天津神社。寺町と押上が二基の神輿をぶつけ合って喧嘩するのだ。ちょうど神輿で相撲を取る格好である。神社境内を拝殿を挟んで東西の陣地に別れ、時計回りに周っては頃合を見計らってぶつけ合う。ぶつけ合っては先行の神輿が走って逃げ、後行の神輿も走って追いかける、という事を十回前後行なう。
f0225473_22502191.jpg
けんか祭りの後に奉納される舞楽。
二十番ほどある内の最後に奉納される「陵王」
大阪四天王寺の影響であるらしい。
国指定民俗重要無形文化財である。
片田舎には珍しい雅な舞いである。

この舞いが祭りの最後。
男たちは万感の想いを寄せてこの舞いを見守る。









天津神社は糸魚川の一宮で、御祭神は天津神であるニギハヤヒの命だけども、本来は併祭されている奴奈川神社の祭りであったように思う。
奴奈川神社は式内社で、式内社とは平安期に日本で最初に公式記載された神社の事であって、由来はかなり古いという事になる。御祭神は奴奈川姫命(ヌナカワヒメのミコト)と大国主の命の二柱の国津神。
詳細は省くが、俺は奴奈川姫命こそがこの祭りの主役であり、かっては奴奈川郷と呼ばれた糸魚川地方の産土神であると確信している。

祭りの時に、神輿を引張って走る役付を「手引き」という。両町会とも十一人づついる。
この役は百貫(約375キロ)ある神輿を引張って走るだけに、馬力のある若手が担当する。若手ではないけども、Uターン記念に自分をリセットする」意味で、今年は俺も立候補した。

走る神輿を担ぐ役付は「白丁」という十人だ。昔この話をしたら、400キロの神輿を十人で担ぐなら、一人頭40キロだから担げない事はないですね、と行った都会モンがいたが、首を閉めてやろうかと本気で思った。
一瞬だけなら誰でも担げるだろう。3分間担いだら泣きたくなると思う。
戦国期の甲冑で重い物なら総重量40キロ程になるらしいが、それは身にまとって全身まんべんなく重量が分散しているから案外に楽なんだそうだ。それでも長時間の着用は堪えるだろうから、そんな甲冑を着用するのは直接的に戦闘に参加しない大名クラスの騎馬武者に限る。しかし神輿の場合は肩の一点で重量を支えなければならないのだ。
しかも神輿を担いで走るのだ。尤も自分から能動的に走る事は不可能だ。手引きが神輿をゴンゴン引張るので、走るというよりは転ばない様に足をバタバタと出し続ける、という事になる。祭りの最初と最後だけは絶対にこの役が担ぐ事になっている。

この二つの役は過酷なので立候補が建前になっている。
万が一に蹴躓いて転んだりした場合や醜態を曝した場合は、「一生男として認められない」と釘を刺されているので、立候補するもの相当の覚悟が必要だ。物凄いプレッシャーの中で役目を全うした時の安堵感、達成感は経験者でないと分からないだろう。昔はこの二つの役を終えて一人前と言われたそうだ。
祭り社会とは無縁な男ならピンとこないと思うが、失敗したら罰金ではなく、男として認められない、という暗黙の了解のほうが、逃げ場が無いだけ怖い。

最も責任が重いのは、「組ませ」といって、ぶつかる神輿の最前列に踏み止まって両町会の神輿がきっちりと組合さるようにする役だ。経験と度胸が必要で、この役は立候補ではなく任命によって決まる。
地元に残っていた幼馴染達が活躍している。いってみれば最前線で指揮を執る実行部隊長だ。

他の大勢の人たちは「黒法被」といって喧嘩の時に神輿を押したり、祭りの途中に白丁に休憩をさせる為に代わりを務めたりといった遊軍的な存在で、両町会で百五十人~百八十人位ずつの陣容だ。当日にならないと総勢が判明しないので、両町会の人数が合わない事が普通だ。人数が少ないと喧嘩には不利だが、気合で負けない事が大事だ。両町会総勢四百名ほどの想いが、年に一度の祭りで爆発する。

祭りのクライマックスは、お互いの消耗具合を両町会の長老同士で協議してスタートする「お走り」である。
神社をぐるりと一周するレースである。寺町が勝てばその年はの豊年、押上が勝てば豊漁だ。
毎年交互に東西の陣地を入れ替えるので、東の一の神輿の町会が予め半周のハンデが付けられており、必ず勝てるようになっている。したがって勝ち負けに拘る事はなく、いかに全身全霊をかけて祭りに没頭したか?という事が問われるのだ。昔、郷土出身力士の黒姫山という関取がいたが、ニックネームをデゴイチといった。例え横綱が相手でも、小細工抜きで蒸気機関車のように頭から突っ込んでいく押し相撲の力士だった。その心意気だ。

参加者はそれぞれ色々な想いを持って祭りに臨んでいる。
俺の場合は25年振りの帰郷で、心機一転して若い衆に混じって人生の節目を飾るつもりだ。
ある人は孫が生まれたので、孫にじいちゃんの雄姿を見せんといケンとか、せがれが成人になって祭りに参加するので、まだ若いモンには負けられんねえ、とか結婚や出産、親の死などそれぞれが何らかの想いや覚悟を持って祭りに参加しているのだ。
祭りは人生の節目の覚悟、ケジメを求める。

俺の叔父は82歳の最年長で、今年も祭りに出られたのも元気で息災であったお陰なんだわいの、有難いのう、また来年も元気でおらんならん、と毎年言っている。
元漁師のあるじいさんは、心臓病の持病で祭りを引退したはずが、若い衆の草鞋の身支度を手伝っている内に興奮してきて、家族の反対を押し切って半纏に着替えて神輿に飛込んでいった。こんな老人の為に祭り会場の控え場には予備の祭り装束が揃えてあるのだ。粋なはからいだ。
いいじゃないですか、祭りで死ねたら本望でしょう、と思う。

ただ俺たちは打ち身や肋骨にひびが入ったりしても誰にも内緒だ。怪我をするのは気合が入ってないからだ、とバカにされるからだ。現代のような訴訟社会において、このような古い日本人らしい身の律し方は美しい、と思う。

既に戦闘モードに入っている。一年をかけて高めてきた祭りへの熱い想いが臨界点にきているのだ。
役を全うできるように、怪我をせんように、無事で祭りが終わりますように、と皆の想いが一つになろうとしている。
[PR]
by jhomonjin | 2010-04-04 23:32 | 祭り