21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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カズさん一家がやって来る!

明日はけんか祭り前日。
奇しくも信州の諏訪大社下社では、あすから三日間に渡って7年に一度の御柱の最大の見せ場「木落し」が行なわれる。
なぜ奇しくもなのか?諏訪大社下社の御祭神であるタケミナカタ命の母親が、糸魚川の産土神である奴奈川姫命なのだ。
けんか祭りは古代に出雲との戦いに屈服し、その後さらに出雲を破った大和からも征服された奴奈川族の末裔による祖霊鎮魂の祭りである、というのが俺の説。

大和との戦いに破れ、出雲から追われたタケミナカタは、母の故郷を頼ってヌナカワの郷(糸魚川地方)を経由して信州へ逃れ落ち、地元の神々と戦い破って奪い取ったのが諏訪湖の北西岸側であったらしい。それが諏訪大社下社の由来だ。敗れた地元の神を祀ったのが諏訪大社上社。同じ諏訪の地にありながら諏訪湖を挟んで下社と大社が分かれているのはこの為である。

よく古代出雲族を大和に破れた悲劇の王朝として紹介される事が多いのだけど、それが俺には癪に障る。
出雲も他の地を征服して統一してきたのであろう、と思う。古事記や日本書紀には出雲の大国主(八千矛の神など多くの異名と記述がある)が越の美しく賢い奴奈川姫に求婚して生まれた子供がタケミナカタと記述されてはいるが、それらは勝者側の記録でしかない。
敗者側である糸魚川の記録では、出雲が攻めてきて一度は撃退したが、二度目には敗れて奴奈川姫が連れ去られた、とされている。そして姫は能登(多分、気多大社あたりだろう)から逃げてきたが、追い詰められて俺の家のすぐ裏にある稚児が池に入水自殺した、とも記録が残されている。俺の家の周辺は奴奈川族の本拠地であって、当時の古墳跡に自宅敷地がある。
面白いのは、出雲を迎撃したのは奴奈川郷にいた粛慎人(シュクシン、ミシハセ)の夜星武命(エボシタケルノミコト)と記述されている事だ。
粛慎人はシベリアから沿海州地方にかけて存在した狩猟民族で、古墳時代前後の糸魚川に何故シベリア系の外国人がいて出雲と戦ったのか?浪漫をかき立てられる。

出雲もそして次にやって来た大和も、縄文の昔から国内唯一ともいえる翡翠の産地であった奴奈川の郷を支配下に置きたかったのだろう。出雲大社の宝物である翡翠の勾玉は糸魚川産の翡翠であるし、天皇家の三種の神器の一つである八尺瓊勾玉もそうではないか?とする説もある。そして奴奈川姫は自らの生命を賭して奴奈川族の助命嘆願をした、とも伝えられている。
国敗れて山河有り、とはいうが奴奈川族は敗れても子孫はどっこい生きている。

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市内の黒姫山
海上から識別できる独立峰は、昔から海洋民族の信仰の対象である事が多い。糸魚川の縄文人は青森の三内丸山遺跡まで舟に乗って翡翠を交易していた。彼らにとって黒姫山は故郷の象徴であった事だろう。マイカントリーロードだ。

寺町と押上が激しくけんかするのも、古代の戦いの再現や弔い合戦とする郷土史家もいる。もちろん古今東西の喧嘩祭りの類例の通り、山の神(寺町)と海の神(押上)が激しくぶつかりあうという事は、破壊の後の再生を意味する豊年豊漁の呪術、という意味もあるだろう。
真偽の程はどうでも、今も奴奈川族は生きている、と祭りの度に思うし、年々その想いは強くなる。

明日は祭り見物にカズさん一家もやって来る。祭り当日は浅草三社仲間のマッチャンも千葉から駆け付けて来る。
カズさんは長野県の伊那谷に住んでいるのだけど、途中にある諏訪大社を御柱見物もせずに飛び越えて、糸魚川の奴奈川姫に御参りしたい、のだという。
有り難い事だ。今も奴奈川族が熱い心を持って生きている、という生き証人になってもらわんといけん。
糸魚川の美味い魚と山菜を「ごっつぉ」・・・ご馳走・・・するぜね!
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by jhomonjin | 2010-04-09 00:33 | 祭り