21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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神遊びの里・・・糸魚川の祭り

新潟県には国指定の重要無形民俗文化財、つまり祭礼儀式が現在11件ある。
そのうち3つが糸魚川に集中しているので、ある民俗学者は糸魚川を「神遊びの里」と評している。
神遊びとは沖縄方言(カミアシビー)に残っているように、神事などで神と渾然一体になった忘我の境地になって舞い踊る状態を指す。

糸魚川のけんか祭りでは、けんか神輿そのものではなく、その後に奉納される舞楽だけが国の重要無形民俗文化財に指定されているのだが、氏子達が神輿を宮入した後の狂騒はまさしく集団憑依状態で、一種の踊狂現象といえるだろう。

踊狂現象とは文化人類学の用語らしく、幕末の「ええじゃないか」がその典型とされている。

漫画家の星野之宣の代表作「ヤマタイカ」では、日本人の集団無意識には縄文以来の祭りへの狂気ともいえる渇望が潜んでおり、時代の動乱期や祭礼などで日常のタガが外れると、一気にその狂気が噴出して神と渾然一体になった忘我の境地で踊り狂う、として江戸時代に60年周期で流行した「おかげ参り」・・・「抜け参り」ともいう・・・や「ええじゃないか」、そして太平洋戦争は一億の国民が熱狂した踊狂現象であったとして描かれている。

秀逸なのは、最後の「おかげ参り」の流行から約60年後に「ええじゃないか」が起きており、その約120年後に太平洋戦争が起きている、とやや強引な仮説でストーリー展開をしている点だ。

どの事件にも国家システムからの束縛に対して、日本人の集団無意識に流れる国家概念の無かった縄文時代の狂気を呼び起こした結果の祭り騒ぎであって、「ええじゃないか」は薩長の知恵者が、そして太平洋戦争に関しては、政治家が司祭となり日本人に潜む狂気を巧妙に先導した祭りだった、としている。
そしてどの踊狂現象にも、共通した背景として伊勢神宮、もしくはその司祭である天皇が関わっていると着眼している点が面白い。
時代考証の矛盾などで若干の無理はあるにしても、史実に創造を巧みに織りこみ、民俗学の造詣の深さで一気に読ませてしまう説得力、画力は流石の一言。

漫画「ヤマタイカ」は、終戦から60年を経て日本人の集団無意識が狂気の臨界点に達しようとしており、今度の祭りこそは政治に利用させてはならないとして、沖縄の神人(カミンチュ)達が活躍して、縄文1万年と弥生以来2千年の仏教勢力とが呪術対決をして、近代都市や国家システムなどが根こそぎぶっ壊われていくのである。
戦後の荒廃した国土の復興から60年を経て、またゼロから日本を作りあげていく、つまり死の後の再生をしていく、という痛快無比にして荒唐無稽、壮大にして読むだけで日本史や民俗学の勉強になるという大変にスケールの大きな長編劇画である。
80年代に出版された劇画だけど、最近は文庫本で復刊されているので、祭りや縄文文化に興味ある人には事是非とも読んで欲しいですな。星野さんはホンモンの祭りをご存知だ。

けんか祭りが終わって2週間が経った。
先週には市内の早川地区のけんか祭りがあった。今週は能生(ノウ)地区の白山神社(旧奴奈川神社)の例大祭があった。
山里である早川のけんか祭りは豪快で朴訥だ。漁師町の能生の祭りは雅やかで格式があるが、神輿のけんかは無い。
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早川区の神社は山の上にあり、麓の日光寺でけんか祭りをする全国でも珍しい神仏混交の祭礼。
写真は神社の石段を降りてくる所。

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能生の祭りは雅やか。白山神社も糸魚川一宮である天津神社も茅葺屋根で、これも全国的には珍しい。しかも白山神社は拝殿に土足で入る事が出来、大きな囲炉裏まである。目の前が海という清々しい神社。

この二つの祭りを足して2で割って規模を大きくすると、ちょうど糸魚川のけんか祭りになる。
しかしどこの祭りにも優劣は無い。それぞれに良い祭りだ。
氏子達にとっては年に一度の春送りの儀式であり、これから始まる田植えシーズンに向けての初夏を迎える大事な祭りなのだ。

ある人が「浅草の三社祭りを観たけど、神輿に較べてビルが大き過ぎて、妙にアンバランスなところがおかしかった。フフフ!」と笑っていたが、この時は本気で首を絞めてやろうかと思った。
そんな事は本物の祭りを体験した事の無い、単に祭りを傍観しているだけの門外漢の戯言で、一度でも祭りで「狂った」事のある人なら、他人の土地の祭りをバカにした態度を取ったり、批評めいた事は絶対に言わないと思う。
祭りバカにとっては誰でも自分の土地の祭りこそが最高で、世界に唯一無為の祭りに誇りを感じているのである。バカにしやがるとただじゃおかねえ、と息巻く勢いなのだ。

糸魚川地方の一連の春の祭りが全て終わった。盆と正月が一緒に来て去っていった気分。
燃え盛る炎が次第に落ち着いてきて、熾き火になってくようだ。
俺達祭りバカは、結してこの熾き火を消したりはしない。胸の内に大事に仕舞っておいて、次の祭りに再び燃え上がらせるのだ。
そして事ある時にも燃え盛らせる。地震・雷・火事・喧嘩なんでもこいだ。
それは個を超えて連綿と受け継がれていく炎だ。
俺が初めてけんか祭りに出た時に叔父から言われた「祭りっちゃ、ええもんだろう?」って言葉は、時代を超えて受け継がれていく。
その事を想うと、なんだか無性に嬉しくなる。

追記
土曜日にけんか祭りがローカル局でテレビ放映された。毎年三十分番組枠だったのが、今年はダイドードリンコがスポンサーになって1時間枠の豪華版となり、祭りを支えている人たちの想いなども丁寧に編集されており、「勇壮な祭り」というステレオタイプな視点だけで無く、祭りに掛ける人々の熱い想いが伝わる内容になっていた。
番組では祭りの専門家というサイバー大学の教授が解説していて、「日本中の祭りを観てきたが、糸魚川のけんか祭りは、観客も一体になって熱狂する他には類例の無い祭り」と評していた事が嬉しい。
早く来年の四月にならんかねえ。あと340日が待ち遠しいわい。
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by jhomonjin | 2010-04-25 02:17 | 祭り