21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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ガラクタ工作の愉しみ。・・・秘密基地ごっこ

4年前に横浜の大船観音の裏手にある山林に囲まれた畑にツリーハウスを作った。
俺の趣味の一つに廃材利用のガラクタ工作があるが、これはその建築版だ。

これまでに五棟の小屋を作ったが、全ての建物に共通している点は廃材の利用である事で、現場あわせのツギハギだらけの建物なので「ハウルの動く城」みたい、とよく言われる。
何故だか子供の頃から人に見捨てられたガラクタを見ると、なんとか工夫して再生出来ないか?と燃えてくるのだ。(つまり俺は弱いモンの味方なのだ・・・かな?)
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ガラクタ工作最新版
拾った梯子で棚を作ってみた。
最上部の緑の横棒は、竹を差し込んだタオル掛け。






三棟目の四畳半サイズの納屋を見た友人が、子供の頃からの夢だったツリーハウスを是非に作って欲しいと頼まれた事から、その話しは始まった。
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三棟目の納屋
ツーバイフォー工法の応用で作った四畳半サイズの納屋。軒先にぶら下っている鎖は窓の固定用で、任意の高さで調整できる。廃材利用率60%位。



普段の俺なら人から頼られると「俺にまかせろっ!」・・・古今亭志ん生の「風呂敷」に出てくる兄ぃの仕草を連想して下さいな・・・と持ち前の義侠心で相談に乗るのだが、その当初はツリーハウスの作り方も知らないし、当の友人も資金は無いという事で即答はしなかった。
友人の話しでは、ブログでツリーハウスのワークショップ開催の通知をして、仲間作りと資金を集める計画だと言う。
そんな計画は俺にとってはまったく現実離れした話しで、誰が会った事も無ければ実績の無い一個人に金を出すもんか、と半ば呆れて「無理だと思うよ・・・」と煮え切らない返事をした。
資金の事もあるが、これまでの経験からド素人が何人いても足手まといになるばかりで、仕事の能率は俺一人のほうが断然良くなるのに決まっているからだ。

しかし、ツリーハウスの魅力は捨て難い。
映画「スタンドバイミー」に出てくる子供の隠れ家に憧れを感じる人も多いだろう。
あるいは少年時代に読んだハックルベリーに出てくるツリーハウスや、十五少年漂流記で少年達が棲家としたフレンチデン、ロビンソンクルーソーの丸太で囲まれた小屋なども。
本職の大工が作った家ではなく、素人があり合せの材料で作った創意工夫に満ちた小屋に魅力を感じるのだ。

俺の子供の頃も、あの映画に出てくる子供たちのように秘密基地でよく遊んでいた。
叔父の経営する土建屋の資材置場は海に面していて、近所の子供達の恰好の遊び場になっていた。
そこにはユンボやブルドーザー、ジープやダンプといった重機が鍵も掛けられずに置いてあり、かくれんぼや戦争ごっこ、忍者ごっこ、運転ごっこに夢中になった。
子供達の一番人気の遊びが、重機や資材の陰でガラクタや資材を利用しての秘密基地作りだ。
数日で職人に見つかって解体されてしまう運命だが、それでもみんな熱中していた。
たまに熱中し過ぎて、職人が近づいても気付かないでいると、怒鳴られて蜘蛛の子を散らすように逃げるのもスリルがあって楽しかった。

秘密基地では戦争映画の真似をして手榴弾に見立てた爆竹を投げあったり、導火線を長く伸ばして時限爆弾を作って逃げたりといった危険な遊びは大人気だった。あるいは爆竹をほぐして火薬を集めて新聞紙で包み直して小型のダイナマイトモ作ったりもした。
そんな遊びをするには、刃物やマッチは必須で、子供達のポケットには肥後の守(知らない人も多くなったが、当時は文房具店でも売っていた折畳み式の廉価ナイフだ)やマッチが常に入っていて、何でも工夫して遊んでいた。
雨や風が強くて浜辺で遊べない時など、皆で秘密基地に集まっては駄菓子屋で買ったホカホカの鯛焼きを喰ったりしていた。
有難い事に、その仲間達もまだ何人かは地元に残って、けんか祭りを支えている。

そうした大人達の目の届かないところで、子供だけで「隠れてナニカイケナイ事をする」経験は、実は物凄く大事なのではないだろうか。
イケナイコトといっても特別な事でなくて、「この話しは誰にも言われんぞ」「うん、誰にも言わん」と、他愛のないちょっとスケベな話をガキ大将から教えて貰ったりといった程度で充分なのだ。
あるいは親に叱られた子供は、夜になってもふて腐れて一人で秘密基地で遊んでいたり、といった経験である。・・・実際にあった話しです。俺の事じゃないけど・・・

小一の時に初めて一人だけで作った秘密基地をガキ大将に見せた時、「これ、本当におまん(お前の方言)一人で作ったんか?・・・これでおまんも一人前だわ!」と言われた時の誇らしさっていったら無かった。あの時の嬉しさが今もガラクタ工作に向かわせているのかも知れない。

叔父が亡き後は土建屋も解散して、今では更地となっている。
あれほどに広大に感じていた資材置場跡も、大人になってから立ってみると意外な程に狭いのだ。
子供時代の半分にも感じないのが不思議だ。胸がキュンとなる。
「スタンドバイミー」を観た時に、忘れかけていたあの時代の事を急に思い出した。
人生で最良の時代だったのかも知れない。
そして職人に見つかると怒られるとはいえ、彼らは学校や親にも苦情も言わず、立入禁止の柵も作らなかった大人達も実におおらかだった。古き良き70年代だ。

さて、ツリーハウスだが半年もする内にひょんな事から大きなウッドデッキの解体材が入手出来た。
丁寧に古釘を抜き、製材してみるとちょうど四畳半サイズのデッキが張れる見積もりだ。
友人にその事を伝え、提案して補足材や金物などの資材は仲間内に共同募金を呼びかけて補う事になった。
場所なら大船観音の裏の畑がある。資産家の友人が使っていない畑を無料で貸してくれているので、仲間内で自然農法をしていたり、俺が縄文土器の野焼きをさせて貰っている場所である。
三棟目の納屋の後ろにちょうどお誂え向きの大きなケヤキの樹もある。
そこは大船駅から車で10分もかからないというのに、雉や狸が出たりする人気の無い山林の中にあるのだ。

あとはツリーハウスの具体的な工法だ。
専門書を読んだが、どの本も樹の幹や枝に材木をボルトや釘で固定しろ、と書いてある。
首都圏のツリーハウスの実物も観てまわったが、どれも本と同じ工法で作ってあった。

俺が樹ならそんな事はされたくないので、知人の大学の先生や木工家、植木屋(浅草の植木屋さんで検索して下さいな。北村造園のシンタローです。首都圏の人、庭木のお手入れを注文してやってくれい!)といった樹の専門家達に聴いてみたが、誰しも俺と同意見だった。

そこで樹には一切触れず、ケヤキを囲む形の高床式のウッドデッキを作る事になった。
ツリーハウスというからには屋根と壁はあるもんだが、そうなるとメンテナンスが面倒で、数年したらUターン帰郷する身の俺としては、10年後に責任が持てないので関係各方面には勘弁して貰った。

デッキを組むにしても地上3m近い高さだ。
基礎でケヤキの根っこにダメージを与えたく無かったので、整体で学んだ内観の技術を駆使して位置や向きを決めていった。

基礎部と建前だけ友人達に手伝ってもらって、あとは休みを利用して独力で一ヶ月で完成させた。
一度でも本気モードに入った俺は、何事も文字通り寝食を忘れて没頭する癖がある。
時間の感覚が無くなり、腹が減る事も忘れてしまうので、気が付けば暗くなってからフラフラになって、朝から何も食べて無い事に気が付くのだ。
自宅で縄文土器や工作を始めた場合は、平日であるにも関わらず新聞配達のバイクの音で夜明けが近い事に気が付いて慌てた、なんて事はザラで、そんな時は遊びに夢中になっている子供と同じなのだ。
そして俺にとって、そんな時間が無上の愉しみだ。

ツリーハウスは月見には最高の場所だ。
仲間を集めて焚火料理でもてなして、十五夜の会や満月ライブを何度も開いた。
俺は遊びの場を提供するだけで、後は参加者が各自に面白い集まりになる工夫をしてもらう。
料理も焚火のメインデッシュだけ作って、各自が人に喜んでもらえそうな料理を一品持寄り形式にする。参加者に勝手に愉しんでもらうのだ。
薪割り稽古会の会場にもなったし、ある友人はツリーハウスの横に藍の種を蒔くところから始めて、夏場限定の藍染教室の会場にしている。
ある満月の晩には、俺が作った縄文土器で、縄文時代にあった食材限定で鍋パーティーも開いた。

俺が糸魚川に帰郷する直前には、カズさんと友人のプスポス大谷がライブをやってくれた。
ポスポスはツリーハウスライブをずっと無料で出演してくれていた口琴奏者である。
焚火の爆ぜる音とアンプラグドの音楽。虫やフクロウも鳴いていた。
灯りはロウソクと焚火の炎だけだ。良いライブだった。そして良い晩だった。
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ツリーハウス
屋根も壁も無いウッドデッキだが、ケヤキは苛めてないのが自慢。
普段は人が訪れる事も稀な場所も、イベントの時には大勢遊びに来るので、ケヤキも嬉しいのでは?と悦にいっている。木登りをしたことの無い子供も、地上2.7mの見晴らしに大喜びだ。
冬の落葉したケヤキも良い姿。夏は木陰が心地よい。


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ツリーハウスのデッキ
デッキチェアも捨てられる直前を貰って補修した。
ここにいるだけで愉しい気持ちになる、とよく言われる。
俺はそんな声を聴くのが、ちょっと照れ臭いがなによりの愉しみだ。

10年も住んだ神奈川県の藤沢を離れる時、一人でツリーハウスとケヤキにお別れの挨拶に行った。
再び「スタンドバイミー」を観た時と同じ感覚が甦った。胸キュンだ。

今でもツリーハウスは畑をする人の憩いの場として、あるいは藍染の会や味噌作り、餅つきの年中行事の会場として人気者だ。

身体教育研究所の鎌倉稽古場では、月に一度の「藁の会」の会場にしている。整体の勉強に藁で足半(あしなか)という草鞋の一種を作る稽古をしている。興味ある人はお問合せしてみて下さい。
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by jhomonjin | 2010-04-25 22:17 | ガラクタ工作