21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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粘りは根張り?オノマトペは面白い。

やっと不耕起の田植えが終了した。
今日のお手伝いは近所の若い女性のSちゃん。
お手伝いというよりも、田植えを体験してみたいとの事だったので、朝の一時間程度だけ手伝って貰った。

Sちゃんはカズさん繋がりで知合ったのだけど、同じ町内にもカズさん関係の縁があった事に驚く。
インドやタイで知合った日本人も、共通の友達がカズさんだったりしたしな。
タイで知合った男性などは、カズさんの今の奥さんの元旦那だった、という事もあった。
カズさんとはどんな前世の縁があるのかは分からないけど、初対面で意気投合して生涯の友達になったのはシンタロー以来ではないかと思う。

Sちゃんはアフリカ太鼓のジャンベやダンスを習ったり、登山をしたりの好奇心旺盛で行動力に溢れた女の子で、彼女の友達には醤油や味噌作りに挑戦している人もいるそうだ。
20代の若者にも、自分の生活を自分で作っていこう、生活技術を身に付けたい、という欲求を持った人たちがいることに、まだ日本も捨てたもんじゃねえなあ、と思う。

さて、先週植えた苗だが、寒かったせいか根が腐って枯れた苗が何本かあった。
今年は冷害になるのではないだろうか。
一般的な田んぼの冷害対策は、田植え後に深く水を張って、太陽熱で温まった水で苗を育てる方法である。
といってもそれは田植え終了後に当たり前にする事で、冷害対策としては特に苗の成長に合わせて水位を上げて、通常よりは水を深く張っていく位しかないのである。
今回はもちろん深水にするが、その方法に加えて前に作っておいた燻炭を田んぼの苗の上から振りまいておいた。
水面に浮いた燻炭が太陽熱を吸収して、水温上昇がアップするのではないか?との工夫である。
それに田んぼの泥に混ざっている雑草の種が発芽しにくくなるのでは?という期待もある。
このような方法をマルチングといって、通常はマルチと呼ばれている。
よく畑の上が黒いビニールで覆われているのがあるが、あれもマルチだ。

今日の仕事は田植えの残りと、慣行農法の田んぼの補植だ。
慣行農法の田んぼの一反少しは、プロに頼んで田起しと代掻き、田植えを機械で終了していたが、補植とは田植え機が機能的に田植え不可能な田んぼの隅や、苗が活着しなかった部分の手植えの事である。

作業をしながら、ある事に気付いた。
農作業をしていると、よく「今年の苗は根張りが悪い。」なんて聞く。
根張りとは、苗の根っこが発達せずに活着しにくい事である。発音はネハリではなくネバリだ。
粘りがある、のネバリの語源かも知れない、という気付きだ。

粘りは、ネバネバという擬態語が先なのか?それとも後なのか?
根張りと粘りでは意味が同一では無い解釈と、同一の解釈が出来る部分もあるので、これは偶然の一致なのか?それとも意外にも根張りが最初にあって、粘りとネバネバが後から出来たのか?

ネバネバとかシトシト、動物の鳴き声のニャアニャア、ワンワンという擬態語や擬音語をオノマトペと言う。
俺はオノマトペに非常に興味がある。
ある言語学者が日本語ほどオノマトペが発達した言語は存在しない、と本に書いていたからである。
例えば「雨がシトシト降る」という日本語を中国語や英語に訳すと、「切れ間無く細い雨が降る」という訳になるそうだ。
この様なシトシトというオノマトペで情感を表現可能な言語は日本語だけ、と書いてあった。
これは日本の風土が、四季折々の季節の変化が明確で、比較的温暖で湿潤といった中庸な気候であり、それこそが日本人の感性の基盤であり日本文化の特徴となっている。日本が戦後の復興から産業などで世界をリード出来たのは、実はこれらのオノマトペによって微妙なニアンスを表現し、共有出来たからなのだ、という結論だった。
だから日本語を学ぶ外国人が困るのは、漢字とヒラガナ、カタカナの区別ではなくてオノマトペなんだそうだ。

面白い説である。
しかし学者や有識者が断言した言葉を疑ってかかるのが俺の流儀である。

そこで自分で調べたり、外国語に堪能な人や、旅行に行く度に外国人に片っ端から聞いてみた。

シトシトと雨が降る、という場合には確かに中国語や英語ではオノマトペではなく、形容詞で表現されるようだ。
しかしネパール語では、シムシムと雨が降る、と表現されるようである。
ネパール語では他にも、春の小川はカラカラ流れるとも表現するらしい。なんかネパール人は日本人に似た感性を持っているのかも知れない。
ベトナム語では、「ザーザーと雨が降る」を「アオアオと雨が降る」と表現するらしい。
バリ語では道をジャランと言う。ジャランジャランと繰り返すと散歩だ。
英語の幼児言葉で蒸気機関車をチュウチュウトレインと言うが、チュウチュウはシュシュポッポと同じ擬音語だ。
因みにインドから西の人は猫と犬の鳴き声は英語と同じだった。
東南アジアではネコはメオメオ、犬はホンホンと鳴く。ベトナム人だけ犬はガウガウと鳴くと言っていた。どうもこれは怒っている犬の鳴き声らしい。
同じく東南アジアでは雀はチップチップと鳴く。

東アフリカのスワヒリ語では、ポレポレはノンビリでピリピリで辛い。
ハワイ語ではマヒマヒでマッサージ。その他ホニホニなど多数。
どうも南の人は繰り返すだけの安直な言葉が多いのかねえ。あったかいから色々考えるのが面倒臭いのかね?
ハングル語では熟れた果物をマランマランと表現していた。
中国語では粛々や嫋々などの漢語表現を漢文で習ったぞ。

そこで整理する意味で、現時点で自分なりに理解出来ているオノマトペの比較文化論は以下の通りである。

①外国語の擬態語の特徴は、一音でも意味のある単語を繰り返す事で形容詞化する特徴がある。

②日本語の擬態語の特徴は、①と同様な擬態語もあるが、外国語との顕著な違いとして、一音では意味を成さない単語を繰り返す事で、言語で表現しきれない情感を表現でき、それは日本語を理解する人には共有の情感を持つ擬態語である。例・・・シトシトなど
ネパール語、ベトナム語、スワヒリ語、ハワイ語等の事例は、一音で意味を成すかどうかの判定が出来ていないので保留中。

③擬音語に限っては、どこの言語も聴こえたままの表現である。

前にあるところでこの内容で比較文化論の論文を書いたのだが、ブログではここまでが限界。
論文の主旨は、シトシト雨が降る、という情感を共有できるかどうかが、日本文化を真に理解しているかの境界であり、その理解には知的認識ではなく日本の風土と同化しているかどうかの感覚認識が重要な問題になってくる、という内容であった。

なんだか根張りからとんでもないところまで飛躍してしまった。
何の結論も出していないし、散らかし放題に散らかしたままである。スンマセン!

どなたか、面白いオノマトペをご存知な方、教えて下さい。
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by jhomonjin | 2010-05-16 23:02 | 田舎暮らし