21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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カズさんからの贈物

カズさんから山菜のウドがクール宅急便で届いた。
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カズさんのウド
糸魚川のウドに較べたら極太サイズだ。
もちろん美味い。








糸魚川ではウドのシーズンは大分前に終わっていて、標高1,200mにある長野県の芝平村では今が盛りらしい。
かなりでっかくて立派なウドだ。
ウドの柔らかい先端はテンプラ、茎は酢味噌和え、皮は佃煮にして、丸ごと全部食べた。美味い!
自分の家族だけで食べるのは勿体無いし、鮮度の落ちない内に食べた方が美味いので、田植えを手伝って貰った後輩のやっちゃんや友達にもお裾分けだ。

海岸線に沿っている糸魚川では、ちょっと前までタケノコ贈り合戦が続いていたので、毛色の変わったウドは有難い。
タケノコ争奪戦では無く、タケノコ贈り合戦だ。
田舎ではどこでも同じだろうが、竹林を持っている人が「オラの家のタケノコ貰ってくんない。」と何本かづつ知人に貰ってもらうのだ。
タケノコは採らないと竹林が荒れるので、自分の所で食べる限度を超えたタケノコは、誰かに貰ってもらうしかない。
俺も今年は7本も貰ったし、実家でも何本も貰っているので、ここしばらくは筍ご飯と筍の味噌汁、煮物が続いている。パンダなら大喜びだろうが、流石に最近は食傷気味だ。
と書き込んでいると、タイミング良く高校の同級生のジュンちゃんが通り掛かりに「タケノコ貰ってくれんか?」と持って来た。
う~む、食ってやろうじゃないか。来るものは拒まずだ。
お返しにカズさんのウドを持たせる。

以前、長野の山奥で医師をしている友人一家が糸魚川に海水浴に来るというので、その日の朝に近くの親不知(オヤシラズ)の海岸に行って、牡蠣を採ってきて食わせた事がある。
随分と喜んでくれたけど、田舎暮らしの愉しさの一つに、遠来の客をもてなすのにお金で何かを買ってご馳走する、というノリではなく自分で採って来た物をご馳走するという行為がある。
その人らしいく本人が愉しんで採ってきたり、栽培したり加工したりした、質素で素朴なもてなしだ。

その友人の医師の家も、秋になれば近所のお年寄り達から松茸が毎年50本前後も届くのだという。
患者からの個人的な贈物を受け取る事は、医師の倫理に反する行為だと友人の医師も当初はお年寄りに説明して断っていたらしい。
しかし限界集落の無医村の診療所の開設に伴い、自ら志願して来た友人の医師に寄せる地元のお年寄り達の期待は大きい。
山奥のお年寄りにとって、頼りになる隣人という以前に、何より話し相手が増えたのだ。
愛想の良い元気な奥さんと小さな子供も三人連れて来た。
久し振りに聞く子供の笑い声、泣き声、喧嘩する声。

こんな老いぼれのオラでも山菜採りは誰にも負けねえ!と競って松茸を持って来るのだそうだ。
人に喜んで貰う行為をするのは、田舎の人でも都会の人でも誰でも愉しい事だ。
友人の医師は、そんなお年寄り達から喜んで松茸を貰うという事こそが大事で、普段は話す人もいないお年寄り達の誇りであり生甲斐なのだ、という事に気が付いたという。
友人の医師は、長野県の佐久総合病院の南相木村診療所で所長を務める色平哲郎という内科医だ。
国境無き医師団に加わったり、地域医療の最先端で八面六臂の活躍をしている。
また人権問題、エイズ問題、食料問題、社会問題などのコメンテーターとして、マスメディアの取材を多く受けたりしているので、興味のある人は著書など調べてみて下さい。

俺が都会にいる時に、お袋が「お世話になっている人にあげなさい。」と親父が山で採って来た山菜のゴゴミ(糸魚川ではコゴメと言う)を宅急便で送って来た。

ある事でお世話になった大金持ちにコゴミを持っていったら、奥さんから露骨に嫌な顔をされた。
「こういう物を貰っても食べ方も分からないし・・・」という事だ。
ザックバランな関係なので、お袋が書き添えたレシピを渡して「そう仰らずに、だまされたと思って召し上がって下さい。いらなかったらお友達にお裾分けして下さい。」と渡して帰ったが、内心穏やかな気分ではなかった。

数日後に奥さんに再会した際に、今度は満面に笑みを浮かべた打って変わった態度で、「先日は結構な物を頂いて有難う!あれから友達に上げようとしたら、友達からココミって高級食材で買うとお高い山菜なのよう、人にあげるのは勿体無いわ、って言われたのよ。食べてみたら美味しくって!本当にお高い物を有難う!」
この一言で、コゴミを送って来たお袋の親心が踏みにじられた気分がした。

コゴミは確かに見てくれの悪い山菜だ。派手な色彩や形では無い。
でも美味い。お高い物を頂いて有難う、では無い筈だ。
珍しくて美味い物を頂いて有難う、だろうと憤った。
しかも都会に暮らす息子がお世話になっている人に喜んで貰おう、というコゴミに託された親心が何故理解できないのか不思議だ。

都市生活者に限らず、物の価値を付けられた値段に見出す文化や人種も普通にいるのだろう。
奈良出身の知人も何か貰ったりすると「これ買ったら5,000円はするでぇ!」とすぐ金額に換算する。
都市生活者でも浅草のおばさんや、整体関係者ならそんな態度はまずとらない。
浅草のおばさんなら「田舎のお母さんから送って来たの?コゴミっていうの?へぇ、食べた事ないけど今夜さっそく食って見よう。一緒に晩飯食っていきな。本当にお母さんに感謝しなよ!」と言ってくれるだろう。
物の価値を値段ではなく、込められた想いに見出してくれる人種や文化もある。

カズさんがクール宅急便で送って来たのは、「すぐに食べてね。芝平のウドは高原のウドだから糸魚川のウドとは違いがあると思うよ。鮮度が落ちる前になるべく早く!」というメッセージだろう。
カズさん、芝平の味、確かに頂きました。美味かった!!
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by jhomonjin | 2010-05-23 19:44 | 田舎暮らし