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21世紀の縄文人を目指す男の記録


by jhomonjin
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ラオスの縄文おじさん発見!・・・メコン河に生きる

前回は富山県小矢部市の「桜町石斧友の会」による石斧で作った丸木舟の探訪記を書いた。
前回の写真にも載せたが、彼らの作った石斧の柄に注目して欲しい。
この形式の斧の柄は、小矢部市桜町の縄文遺跡(後期四千年前~三千年前)から大量に出土しているタイプだ。
ラオスの縄文おじさん発見!・・・メコン河に生きる_f0225473_2205088.jpg
縄文木工
桜町遺跡出土のケヤキ製の容器。厚み4ミリから7ミリという石器で作ったにしては信じられない程の薄さで、浮き彫りと漆塗りまでされている。樹の性質を知りぬいた縄文人ならではの作品だ。

以前は縄文時代の石斧の柄というと、縄文時代前期(七千年前~六千年前)の福井県鳥浜貝塚遺跡から出土した形式である野球のバット状の樹木の柄の先端部に、石斧を嵌める孔を開けて嵌め込んだ直柄(ナオエ)形式が一般的に知られていた。
この形式は今でもパプアニューギニアで使用されているらしい。
直柄式石斧の欠点は、苦労して石斧に合わせて開口した柄を作っても、柄が折れてしまったり、逆に石斧が折れたりした時には生き残った石斧と柄のどちらかも使用できなくなる、という点である。

ところがここ数年は縄文遺跡の発掘に拍車がかって様々な発見が相次いでおり、どうも縄文時代中期(五千年前~四千年前)には桜町遺跡と同じ形式の柄に進化したようであるという結論になってきたようだ。
この形式は柄の部分が樹木の枝であって、石斧を装着する部分が樹木の幹を加工して作られている。
石斧の装着は、幹で作った柄の先端部に石斧を乗せ、その側面と上側の三面を板で挟んで紐で縛って装着するようになっている膝柄(ヒザエ)形式だ。
つまり使用中に斧が折れても、柄が折れてもどちらかが再び使用できるのだ。
ラオスの縄文おじさん発見!・・・メコン河に生きる_f0225473_2273052.jpg
石斧の柄
桜町遺跡出土品。これを考え出した人の知恵の深さに敬服する。しかもこの加工を石器でやってのけているのだから恐れ入る。俺が作っている柄もこのタイプだが、チェーンソウと鉈、ノミを使って作っている。

そしてこの柄を見ると思い出すのが、ラオス南部のメコン河に浮かぶデット島の縄文おじさんだ。
このおじさんは炭焼き、河漁師、百姓、大工、木工家、コック、食品加工といつも何か忙しく働いていて、本職は何か?と聞かれた時に答えようのない生活をしている。
自分の事は自分でやってしまう逞しくて骨太な暮らしだ。縄文人はこんな暮らしだったと思う。
俺も何でも自分でやってしまうクチだが、日本でこんなことをやっていると「器用貧乏」と批判的に言われる事が多い。
しかし縄文人を器用貧乏と呼ぶ人はいないだろうし、俺は器用貧乏と言われた時には半分は嬉しい気分になる。半分はウルセーって感じだ。
阪神大震災みたいな巨大地震がやって来て、近代社会機構が麻痺しても俺は困らんけんね。
そんな時に、俺を器用貧乏と笑った人達が頼って来たら、「こんな事も出来んのくわっ!」と海原雄山のように笑ってやる。今から楽しみにしているんだが、なかなかそんな機会はやって来ませんですなあ・・・。
ラオスの縄文おじさん発見!・・・メコン河に生きる_f0225473_22114675.jpg
ラオスの縄文人
これが斧の柄で、先端に筒状になった鉄斧を嵌め込んで使用する。おじさんが持っているのは、乾燥中の予備の柄。因みに旅の途中にも関わらずにおじさんと同じ斧が欲しくて買ってしまった。そしてこの後3ヶ月も重い斧を持って東南アジアとインドを旅した。







話しを元に戻すと、ラオスの縄文おじさんが使っていた鉄斧は、根元が筒状になっていて、自分で作った斧の柄にソケット式に差し込むようになっていた。
この方式だと枝の反発力を利用できるので、大きな力がいらないのだ。その代わりに大形の斧を装着すると柄の重量も増すので小型の斧しか使用出来ないという欠点がある。
だから斧の使い方は、力任せに振り下ろして「割る」のではなく、正確さと速度で「切って」いく感じの斧使いだ。
縄文おじさんとは言葉が通じないので、コミュニケーションは身振りと状況判断しか無いので、何時も会うたびにおじさんの身体が濡れている理由が分からなかった。
それに一緒にいてもよくキョロキョロとメコン河を見入っている理由も分からなかったが、それはおじさんが河に仕掛けた釣り針の点検しているのだという事が分かってきた。
おじさんの漁法はシンプルだ。
ミミズをテグスに刺した仕掛けを左手で持って、右手で泳いで河の中洲に張り出した樹木の枝に取り付けてくるだけだ。
あるいは竹ざおに同じ仕掛けを取り付けて川底に沈めてくるだけだ。この場合はペットボトルを浮きにしていた。
仕掛けを取り付けた枝がしなったり、ペットボトルが沈んでいれば魚が掛かった証拠なので、いつも河の方を見ていた訳だ。
獲れた小魚は塩漬けにして発酵調味料を作る。
大きな魚はぶつ切りにしてスープにする。自分で採集した野草を具にして、小魚の発酵調味料と塩や魚醤が味付けだ。胡椒も使うが、ラオスやベトナムは胡椒がやたら美味いので、お土産にお奨めだ。
こいつをもち米を蒸かしたご飯を右手でピンポン玉サイズに丸めてからスープに付けて食うのだ。実に美味い。
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サービスショット
おじさんは普段は自家製の葉巻を吸っているが、俺が持っていたインド製のビリーという細い葉巻に興味を持ったので何本かプレゼントした。吸っているところを写真に撮ろうとしたら、下唇にビリーを挟んでポージングしてくれた。お茶目である。








おじさんは、飯を食うのも、これらの作業も全てメコン河湖畔の木陰で行なう野趣溢れる生活を実践している。だから河畔にはテーブルセットと調味料や炊事道具を入れたキャビネットが置いてある。
メコン河がおじさんの家で、生活の全てという雄大な暮らしなのだ。
疲れたらハンモックで昼寝して、知人が来たら自家製の野草茶でもてなすので、通り掛りの地元の人の喫茶店みたいな感じになっている。
俺も来年からは縄文おじさんに近い生活が出来そうだ。
by jhomonjin | 2010-12-12 21:12 | 縄文