糸魚川のそこぢから・・・日本海クラシックカー・レビュー
2011年 09月 09日
美山公園はこのブログによく出てくる縄文時代中期(五千年~四千年前)の長者ケ原遺跡のあるところである。
このイベントは市内のカーマニア達が二十年前に始めて、今では全国から二百人近い参加者が集まる大イベントに成長している。
二百人近い参加者ということは、二百台近いクラッシックカーが糸魚川に集合してくるということである。
マニアの世界では有名なイベントらしい。
クラシックカーといっても実際に走ることのできる現役車ばかりで、国内外の大衆車やトラックなどの実用車、俺の子供の頃にはスーパーカーと呼ばれたスポーツ車など雑多な車が集まってくるので、車好きでなくても観ているだけで結構愉しい。
例えばイタリアの大衆車フィアット500だ。
日本人が乗ってさえ小型なのに、小柄な人が多いとはいえ、よくぞイタリア人はこんな小型な車に長いこと乗っていたもんだ。明るい赤がこれほど似合う車も珍しい。イギリスのミニ・クーパーは暗い赤が似合う。
「ローマの休日」の最後の方で、グレゴリー・ペックがオードリー・ヘップバーンを宮殿まで送っていった車。角を曲がるとすぐに宮殿という所で「そこで止まって。」と別れを告げるシーン。
ルパン三世が「カリオストロの城」で嬉々としてカーチェイスしていた車だ。
フェリーニの映画にもよく出てきた。
小型車なのにグレゴリー・ペックのような大柄な外人が乗れるのは訳がある。車内に余計な出っ張りや計器類が無い実用一点張りな作りなのだ。したがって広い車内空間となる。これ以上は省くモノが無いという潔いデザイン。
また同じくフランスの大衆車のシトロエン2CV。
ジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラ、ジャン・ポール・ベルモンドといった往年のフランス俳優達が、葉巻をくわえて窮屈そうに乗り込んで、石畳の路地をタイヤを軋ませて走らせていた車だ。
国産車では六十年代のセドリックが断然渋い。
三億円強奪事件で、犯人が逃走に使った車だったと記憶している。
セドリックという名前の車を覚えたのが、幼稚園の時に観たあの事件の報道番組だった。
七十年代のブルーバードは親父が乗っていた。
スカイラインやセリカは、近所のあんちゃん達が乗っていたねえ・・・。
集まってきた車を観て歩くと、一台毎に映画の1シーンや子供の頃の思い出と出逢えるのだ。
懐かしい。
それに大事に何十年も使われてきた車を観るにつけ、オーナーの人となりや車への愛着が感じられて自然と優しい気持ちになってくる。
オーナー達と愉しそうに車談義に興じる見学者も穏やかな表情をしている。
初めて観たけど、佳いイベントだ。
俺が最も感動したのはそのフィナーレの光景である。
イベント終了時間になって参加車が続々と公園を出ていく時に、沿道に総勢八十名のボランティアスタッフ達が「お気を付けて!」「有難うございます!」とニコニコと並んで手を振って見送っていた。
参加車をお見送りするボランティアスタッフ。左端のピンクのお姉さん達はミス・ヒスイ。ミス・ヒスイなら黄緑のスーツを着てるもんだとばかり思っていた。しかしご当地ミスって何で皇室のお嬢さんみたいな格好するんだろう?
車のオーナー達も満面に笑みを浮かべて、「また来年も来るよう~!」と手を振って会場を後にしていく。
赤色のツーシーターオープンカーに乗った白髪の老夫婦が手を振りながら去っていく。
実に格好いい。
中には照れ臭いのか、エンジンを空ぶかしして轟音をあげながら会場を出て行くサングラスのジイサンもいる。
若い頃はやんちゃ者だったんだろう。
そしてイベントの代表者が、一台づつの車のオーナーに向って「○×さん、遠くから有難うございます。またお逢いしましょう!」と丁寧に挨拶していた。
二百名近い参加車と聞いていたけど、代表さんは全てのオーナーさんの顔と名前を覚えていて、懇意な間柄らしい。
素晴らしいことだ。
右の方でマイクを握っているのが、代表の大久保さん・・・らしい。二百名近い参加オーナーの名前を完璧に覚えていて、実況中継していた。大久保さん自信も各地のクラッシクカーイベントに出向いているんだそうだ。
和やかで温かみのあるイベント。
全国から集まったクラッシックカーのオーナーも、見学者やイベント関係者も一緒になって愉しんでいたし、また来年もと期待に胸を膨らませる事の出来る雰囲気。
台風の合間の曇り空も、イベント終了直後からポツポツと雨が落ちてきた。
関係者達の気合で天気がもったんだ、と実感した。
糸魚川もやる時はやるのだ。